昨日葛飾北斎の展覧会の図録などを見ていたら、この二つの作品にも目が止まった。
横長の作品は1804~06年頃の作品で「くだんうしがふち」、縦長のものは1833年の「諸国瀧図」の「東都葵ヶ岡の滝」。いづれも曲線を描いて高く登る坂を描いている。道は空に向かって伸びているように見える。さらに道の崖下には水ないし畑が極端に上下の高さを強調して描いている。西洋画の遠近法と極端なダフォルメを組み合わせている。私には印象的である。
「うしがふち」は、道は頂上から空に視線を誘導しながら、崖の向こう側に突然の様に続いて延々とした道の行方を描いている。こちらは時間の推移を道の長さで暗示しているようである。
「諸国瀧図」では水は三段に分けられ、静かな沼、動の瀧、そして動から静へ以降する滝つぼと水の三態が描かれている。時間の経過も画面に描いて印象的である。「瀧」というものを時間の立体として描いている。
そして私が思い出したのが、岸田劉生の有名な「道路と土手と塀(切通の写生) 」という1915年の作品。不思議な絵である。左側の石積みと道路は、頂点で齟齬をきたし、石積みを乗り越えるように道路が空に向かって突き出ている。
人は描かれていないが、極端なデフォルメを採用して遠近感を醸し出している。そして空に向かっての果てしない道行きを予感させる。ここでも時間と距離が力技で押し込められているような感覚に襲われる。
24歳の若き岸田劉生が風景画のありようと格闘していた何かを類推するのも悪くない。北斎の作品を念頭に置いていたとは私には断言できないが、浮世絵論の著作もあるらしいのでまったくの的外れでもないと思っている。
こんな妄想をベッドの中で思いついているうちに寝ることが出来た。