Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

肘折温泉

2010年01月09日 23時29分12秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 山形県新庄市より50分程か、月山遠望の山里にある。宿より、晴れ間を大切に使おうとするかのような屋根の雪下ろしを見つめた。
 里人は湯守りもこけし作りの職人もこぞって、屋根に登る。
 雪のかたまりは短いながらくっきりとした低音を残して落ちて崩れる。山里の枯れ木を伝って雲の切れ目のわずかな青空へ音を返していた。
★山峡(やまかい)に生きたる響き雪おろし


 温泉街は銅山川という川に沿ってひっそりと並んでいる。川は浅く、夏場には子供が石づたいに遊ぶためか、自然の配置の石なのか、そこにつもった雪が柔らかく薄日を溜めていた。
★川わたる歩みの幅に雪帽子

 夜再び雪模様。家を洩る明かりはいづれも黄色にあたたかい。
★そこだけは時はゆるやか雪の窓
★湯煙に沿う風軽し雪空へ

本日今年二回目の新年会

2010年01月07日 23時59分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 36年来の友人との新年会にためいそいそと新宿まで。途中でブログの友人から横浜の金沢の日本カーリットの爆発事故の知らせ。その1分後に読売の携帯速報版のメールが到着。2008年の事故も思い出した。当初4人のけが人との報道も結局8人のけが人。死者はなく、その上、出初式直後の消防職員に二次災害が無かったのは不幸中の幸いだが、年明け早々総力での出動と危険な消火活動には頭が下がる。
 人間、どんなに注意力を継続しようとしても1分と持たない。労働災害や事故の防止にはそのような人間の注意力の限界を超えたシステム上の防御策が講じられていなくてはならない。しかし事故を起こした会社は従業員25名との発表。これで大きなプラントを稼動させること自体に無理があるような気がするのは私だけの感想だろうか。
 新年会場に向かう湘南新宿ラインの中でそんなことを思いつつも、正月以来の飲み疲れで池袋まで熟睡。あわてて折り返した。
 40年前から36年前の世代的な共通体験の仲間たちと、しんどくてきつい体験を振り返りつつ、酔いを深めた。
 第二次世界大戦に徴用された世代は、国家に強いられて軍隊体験を共同体験し、人の殺傷・自己の抹消そして本来守るべき大衆の抑圧・抹消に突き進んだ。世代的な共通体験、共時性は抑圧の体験を沈黙として、胸の奥にしまいこむことによって戦後世界を形成した。
 団塊の世代は、この沈黙を批判しつつ、国家による強制ではなく自己の選択で、しかもやめるもやめないも自由を前提に、大きなうねりとしての政治的な運動にかかわったことを共同体験として今も引きずっている。赤軍を生み出し、内ゲバ体験まで上り詰めて、多くの人々は結局は体験について沈黙をしつつ、体験の内部化を図ってきた。
 団塊の世代がその後の世代に、戦争世代とどこが違うのか、軍歌高唱の戦争世代と、うつむきつつフォークソングを口ずさむ団塊の世代との差は何か、と問われつつも沈黙を守りつづけている。
 団塊の世代の体験を内部化し、普遍化しようとの思いだけは矜持しつつも、表現しきれないもどかしさと苛立ちを胸に、35年におよぶ月例会は、これからどのようになっていくのだろうか。

 このブログを読んだだけではわかりづらい文章と思いつつ、綴ってしまった。もう少し私に能力があればいいのだが‥。本日はとりあえずこの辺で。

「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」から Ⅹ花歳時記(抜粋)  紫陽花

2010年01月05日 23時32分01秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 まりのような花の房は、4から5枚のガク片が数多く集まったものである。漢字で紫陽花と書くため中国渡来のように思われるが、もとは日本で生まれ栽培されていた藍色系統の日本あじさいが原種だそうだ。
 江戸時代18世紀末に、シーボルトにより彼の愛妾「楠本滝」の名から「ヒドランゲア・オタクサ」との学名でヨーロッパに紹介され、品種改良の結果、ピンク・赤紫・藤色・白など鮮やかな西洋あじさいとして逆輸入された。
 1月末のボケから始まる花の季節がウメ・サクラを経てサツキそして6月梅雨時のショウブ・アジサイとなって一年の前半が終わる。花のサイクル、季節の推移がこの花で大きな区切りとなるように思えるのは私だけだろうか。
 シーボルトと滝に因んで「オタクサ」といわれる濃い藍の花は、江戸時代の西欧と日本を隔てる深くて遠い海のように、目の前に広がる。

 あぢさゐの甕にあふるる静けさに
            耐えつつをれば遠き風音 (岡野弘彦)
 あじさいに面影浮かぶ葉の滴 (FS)

本日より仕事が再開‥

2010年01月04日 00時06分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 神社仏閣では、あわただしい年末年始の「お仕事」に追われておられるようだ。年末年始が休みとなる私はいつも休み明けが、気持ちも体も重い。しかも今年から向こう数年の年末年始は6日間。昨年までの大型連休が恋しい。
 定年まであと2回の年末年始の休み、ということで気分を新たに‥‥。
 連休最後の日の3日は結局、箱根駅伝の走者を沿道で見てから、22,000歩、約15.5kmほどのウォーキングとサウナ。「お仕事」の宿題を少々。何事もなく静かな一日、ということか。
 本日から各種新年会が続く。体には決していいことではないが、それぞれの会場から自宅までの夜間ウォーキングにいそしもう。最低で5km、遠いところで8km位。冷たい風も15分も歩くと心地よくなり、酔い覚ましにはいい距離だ。

「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」から  Ⅸ「横浜税関」

2010年01月03日 00時02分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」からは今回の9回目で建物の部は終了。次回からこの冊子の最後に掲載した「花歳時記(抜粋)」となる。

 横浜税関は1991年4月から改築工事が始まった。港の正面に位置するこの建物も周りの現代建築に埋もれて目立たなくなったが、何しろ風格がある。
 クイーンといわれた丸い優美な塔が目立たなくなったのは実にもったいない。
 しかし完成時、金色に輝くランドマークは「アジアの覇者」の自負だったのだろうか。
 港のシンボルは抑圧のシンボルであって欲しくはない。
 この建物は実に大きい。隣の真新しい県警本部と比べて見劣りしない。そして室内の明るさを確保すると思われるが、中庭が広い。働く環境を良く考慮してあるように感じた。
 しかし「有効利用」のためか中庭にも、低層だが建物が後日作られたようだ。改築にあたっては、当時の様子を再現して欲しい。
 3月の改築の準備のどさくさに紛れて、塔の内部に上ってみた。どういうわけか鍵もかけられず、警備員もいない状態で、誰にもとがめられず中にはいることができた。
 せまい最上層の階段は途中で行き止まりだったが、塔の中は吹奏楽のサークルと思しき団体のの楽器倉庫となっていた。荒れていなかったのがとても嬉しかった。しかしそこから外を見ることは出来なかった。
 薄暗く沈んだまま、改築を待っている巨体は湿気と黴のにおいが多少した。

横浜税関:港ヨコハマのシンボルといわれる建物。港を出入りする船から、「クイーン」といわれたイスラム寺院風のドームがよく見えたらしい。ミナトのランドマークとして機能した。正面玄関は港側にある。

 本日は上野の国立博物館へ。家族と土偶展の二回目、そして円山応挙の虎図、和太鼓と江戸太神楽を見てから、一人で品川駅までウォーキング。横浜に戻ってからを含めて、26,000歩、18kmほど。

「きり絵 横浜西洋館&花々の四季」から Ⅷ「指路教会」

2010年01月02日 00時01分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
さとうてるえさんのきり絵と私の文で綴った小冊子からの8回目。

 JR関内駅のそば、線路の海側にある。電車の窓からは裏側を見ることになるが、すぐにそれと分かる。私は学生時代6年間、市電と根岸線から見続けた懐かしい建物だ。
 改築で鉄筋コンクリートとなったが、光の反射の具合や色合いなど昔のような石造りの雰囲気がある。改築前後に変化は感じられなかった。
 正面玄関の12段の階段下から特徴のある船底型アーチを見上げると、覆いかぶさるような大きさと奥行きを感じる。そして高架を走る電車から見おろす視点にも耐えられる意匠に敬意を表そう。
 内部を見る機会に恵まれないのが残念だ。過日、信者の悲願であったパイプオルガン設置の報道がされ、この建物の外観をあらためて記憶から思い起こした。内部でパイプオルガンの演奏を聞いてみたい。その響は期待できそうだ。
 左右の新しいビルに埋没してしまわない強さがある。冬の柔らかい陽光がつくる光と影が、よく似合う。聖公会の城砦のような剛直な印象がないのは、窓が占める割合が大きいことと、塔が正面道路に接していないことに起因していると思う。
 こちらの教会は、開港の歴史と、居留者の信仰の歴史の重みを感じさせてくれる。
 
横浜指路教会:現在の建物は1912年に建てたものに、より近い形で1989年に復元されたもの。ヘボンゆかりのプロテスタント教会。外観はパリのノートルダム聖堂に似せている。船底型で奥行きのあるとがったアーチ型の玄関・窓枠が特徴。2000年を記念してパイプオルガンを導入。

 本日は、親族のあとについて池袋傍の護国寺、鬼子母神に初詣。例によって私は「信仰」と「拝礼」はどうも苦手なので、並ばずに境内を拝観。ただし拝観のお礼はしなくては礼を失するので、門のところで自己流の礼はキチンとする。拝観のお礼は妻子のお賽銭におまかせ。この不信心、そのうち罰があるかもしれない。その後は元日恒例の親族の家に集まっての会食。


謹賀新年

2010年01月01日 09時59分38秒 | 読書
おだやかな日和の元日を迎えることができた。
このブログを訪問された方々のご多幸をお祈りいたします。
列島各地では大雪、強風などでの被害、混乱があったようです。被害が小さいことを祈るばかりです。

 この歳になると、大晦日のバタバタテレビはもとより見る気にもならず、お酒を飲みながらの読書。
昨日の読了
・「日本語の歴史」(山口仲美、岩波新書)
「武士たちが台頭し‥情緒的な表現が切り捨てられていきました。それが「係り結び」の消滅という現象に象徴的に現れていたいたのです。かわりに、鎌倉・室町時代は、文の構造や文と文とのつながり方を明示し、日本語に論理性を付与しました。「係り結び」の崩壊は、日本人の考え方の変化を教えてくれる重要な徴証、だったのです。」「話す言葉で文章が書けるということが、優れた文学作品の誕生にいかに深くかかわっているかがわかります。」
 私としては奈良時代以前の日本語に対する論考がほしいところだが、
それはそれとして、書き言葉と話し言葉の葛藤を通した通史としては参考に。特に江戸時代から近代語が始まったことの論考は勉強になったと思う。