昨晩も新年会、こちらは当方が主催者。45名もの参加者が足を運んでくれて感謝。18時半から20時半まで。主催者としてほとんどお酒も料理も口にしなかったが、最後のほうでいくらか。
帰り際、突然の激しい腹痛で途中で二度ほどコンビニに駆け込んだ。日付の変わるころには回復したが、心配になり他の参加者に問い合わせたが異常のあった方はなく、私一人の症状のようだった。
帰宅後、風呂で温まりテレビをつけたら、NHKの「美の壷」で暖炉を放映していた。西洋の暖炉、明治の近代建築に取り入れられた暖炉、現代の暖炉、なかなかうらやましいものである。
ログハウスと暖炉、雪に埋もれながら炎の前でお酒を少量傾けながら、揺り椅子でくつろぐ夢を持っている。個人所有ではとても実現できない夢だが‥。
暖炉に限らず、ほのおを見ること、ほのおに安らぎを覚えることは、人間の種(しゅ)としての誕生と生存の背景として火が位置づけられるほど、人間の原初からの習いなのだろう。
和風の囲炉裏、焚き火、北海道に住んでいたころの薪ストーブや石炭ストーブの空気穴からのぞいた焔、小学校の教室の大型石炭ストーブ、灯油ストーブの炎、どれもじっと見ているのが好きだった。小さいほのおでも決して同じ形になることはなく、それゆえに見飽きることはない。
いくつかの印象的なほのおを思い出すままに。
まずは山小屋での火。営業小屋での石油ストーブの周りでタオルや靴下を乾かしながら炎に見入っているのは不思議と体も気持ちもやすらぐ。願わくば周囲の静かな会話を願うばかりだが。ある小屋では石油ランプを明かりとしていた。就寝までの間、壁に待たれてランプの炎を見るともなく眺めながら、翌日のコースを想定し反復するのは快かった。明るさもまぶしすぎず、目に柔らかかった。
もうひとつは、ある民間の労働争議の支援で、幾晩か、労働再建としての社屋と敷地の防衛のために徹夜で見張りの手伝いをした。昔の労働争議の多くのパターンだったが、そんな形態の争議が技術の最先端をになう企業でつい30年ほど前におこった。それ以降こんな形態の争議はめったに聞かなくなったような気がする。
徹夜で待機をしながら、一斗缶に無造作に投げ込んだ木片の焚き火を見つめ続けた。同じ組合の仲間と支援のローテーションを組み、所属する組合のあり方をいろいろ議論しながらすごした。ほのおをみながらの話は、不思議と本音をじっくりと語ることができたように思う。日中、太陽の下、あるいは人工照明の下だと、威勢のよい他者批判、建前の論議がが飛び交い結局のところ、これからどうしたいのか、はっきりしないまま終わる会議に比べ、薄暗い中で温かみのあるほのおを見つめながらぼそぼそと語るほどに、お互いの本音が出たような気がする。
最後にろうそくのほのお。小学生のころはよく停電となった。停電のたびに備え付けのろうそくを灯して、そのまわりに家族が集まった。便所に行くたびに家のただひとつの明かりが移動し、壁に不気味な黒い人の影が大きく映った。ろうそくの明かりで風呂に入った記憶もある。
暗がりの便所も風呂も、むろん居間も不気味だが、ろうそく1本でこんなに安心が手に入っていたのかと、今思い返している。隙間風のある便所や風呂場は時々ほのおが大きく揺らいで消えそうになり、黒い煙が細く長く立ち上がると不安が増した。そして元の安定した形に戻るとほっと安心が戻ってきた。
高島野十郎のろうそくの炎を見て、こんなろうそくのほのおの記憶がよみがえった。高島野十郎の絵のカタログに従って漢字で蝋燭と記すと、野十郎のほのおのイメージに近いかもしれない。何点もの蝋燭の絵があるが、私の見た展覧会やカタログでは、ほのおは細く長く立ち上がっている。不安定なほのおになった瞬間か、それが収まろうとしている瞬間かはわからない。不安な気持ちになる瞬間か、不安が安定に向かう瞬間かがわからない一瞬ということだ。しかしじっくりと見つめ続けていると見ている我々の心のありようによってさまざまな表情も見せてくれる。
野十郎の絵は、昔私が蝋燭のほのおを見つめていたころの気持ちを思い起こしてくれる。そして実際に蝋燭を見続けたように、絵を見続けてしまう。
昨年武尊山のふもとの小屋に泊まったとき、蝋燭に火をつけてみたがランタン仕様のろうそく立ての不具合で消えてしまった。それでちいさなガラスの器(厚手のぐい呑み)にろうそくを溶かし手ごろなろうそくを作成した。次の山行に携行したい。
下痢と腹痛と吐き気が治った直後に、21日のことを記載した昨日のブログ「星を見る」は、誤字脱字が多く、本日訂正。
帰り際、突然の激しい腹痛で途中で二度ほどコンビニに駆け込んだ。日付の変わるころには回復したが、心配になり他の参加者に問い合わせたが異常のあった方はなく、私一人の症状のようだった。
帰宅後、風呂で温まりテレビをつけたら、NHKの「美の壷」で暖炉を放映していた。西洋の暖炉、明治の近代建築に取り入れられた暖炉、現代の暖炉、なかなかうらやましいものである。
ログハウスと暖炉、雪に埋もれながら炎の前でお酒を少量傾けながら、揺り椅子でくつろぐ夢を持っている。個人所有ではとても実現できない夢だが‥。
暖炉に限らず、ほのおを見ること、ほのおに安らぎを覚えることは、人間の種(しゅ)としての誕生と生存の背景として火が位置づけられるほど、人間の原初からの習いなのだろう。
和風の囲炉裏、焚き火、北海道に住んでいたころの薪ストーブや石炭ストーブの空気穴からのぞいた焔、小学校の教室の大型石炭ストーブ、灯油ストーブの炎、どれもじっと見ているのが好きだった。小さいほのおでも決して同じ形になることはなく、それゆえに見飽きることはない。
いくつかの印象的なほのおを思い出すままに。
まずは山小屋での火。営業小屋での石油ストーブの周りでタオルや靴下を乾かしながら炎に見入っているのは不思議と体も気持ちもやすらぐ。願わくば周囲の静かな会話を願うばかりだが。ある小屋では石油ランプを明かりとしていた。就寝までの間、壁に待たれてランプの炎を見るともなく眺めながら、翌日のコースを想定し反復するのは快かった。明るさもまぶしすぎず、目に柔らかかった。
もうひとつは、ある民間の労働争議の支援で、幾晩か、労働再建としての社屋と敷地の防衛のために徹夜で見張りの手伝いをした。昔の労働争議の多くのパターンだったが、そんな形態の争議が技術の最先端をになう企業でつい30年ほど前におこった。それ以降こんな形態の争議はめったに聞かなくなったような気がする。
徹夜で待機をしながら、一斗缶に無造作に投げ込んだ木片の焚き火を見つめ続けた。同じ組合の仲間と支援のローテーションを組み、所属する組合のあり方をいろいろ議論しながらすごした。ほのおをみながらの話は、不思議と本音をじっくりと語ることができたように思う。日中、太陽の下、あるいは人工照明の下だと、威勢のよい他者批判、建前の論議がが飛び交い結局のところ、これからどうしたいのか、はっきりしないまま終わる会議に比べ、薄暗い中で温かみのあるほのおを見つめながらぼそぼそと語るほどに、お互いの本音が出たような気がする。
最後にろうそくのほのお。小学生のころはよく停電となった。停電のたびに備え付けのろうそくを灯して、そのまわりに家族が集まった。便所に行くたびに家のただひとつの明かりが移動し、壁に不気味な黒い人の影が大きく映った。ろうそくの明かりで風呂に入った記憶もある。
暗がりの便所も風呂も、むろん居間も不気味だが、ろうそく1本でこんなに安心が手に入っていたのかと、今思い返している。隙間風のある便所や風呂場は時々ほのおが大きく揺らいで消えそうになり、黒い煙が細く長く立ち上がると不安が増した。そして元の安定した形に戻るとほっと安心が戻ってきた。
高島野十郎のろうそくの炎を見て、こんなろうそくのほのおの記憶がよみがえった。高島野十郎の絵のカタログに従って漢字で蝋燭と記すと、野十郎のほのおのイメージに近いかもしれない。何点もの蝋燭の絵があるが、私の見た展覧会やカタログでは、ほのおは細く長く立ち上がっている。不安定なほのおになった瞬間か、それが収まろうとしている瞬間かはわからない。不安な気持ちになる瞬間か、不安が安定に向かう瞬間かがわからない一瞬ということだ。しかしじっくりと見つめ続けていると見ている我々の心のありようによってさまざまな表情も見せてくれる。
野十郎の絵は、昔私が蝋燭のほのおを見つめていたころの気持ちを思い起こしてくれる。そして実際に蝋燭を見続けたように、絵を見続けてしまう。
昨年武尊山のふもとの小屋に泊まったとき、蝋燭に火をつけてみたがランタン仕様のろうそく立ての不具合で消えてしまった。それでちいさなガラスの器(厚手のぐい呑み)にろうそくを溶かし手ごろなろうそくを作成した。次の山行に携行したい。
下痢と腹痛と吐き気が治った直後に、21日のことを記載した昨日のブログ「星を見る」は、誤字脱字が多く、本日訂正。