36年来の友人との新年会にためいそいそと新宿まで。途中でブログの友人から横浜の金沢の日本カーリットの爆発事故の知らせ。その1分後に読売の携帯速報版のメールが到着。2008年の事故も思い出した。当初4人のけが人との報道も結局8人のけが人。死者はなく、その上、出初式直後の消防職員に二次災害が無かったのは不幸中の幸いだが、年明け早々総力での出動と危険な消火活動には頭が下がる。
人間、どんなに注意力を継続しようとしても1分と持たない。労働災害や事故の防止にはそのような人間の注意力の限界を超えたシステム上の防御策が講じられていなくてはならない。しかし事故を起こした会社は従業員25名との発表。これで大きなプラントを稼動させること自体に無理があるような気がするのは私だけの感想だろうか。
新年会場に向かう湘南新宿ラインの中でそんなことを思いつつも、正月以来の飲み疲れで池袋まで熟睡。あわてて折り返した。
40年前から36年前の世代的な共通体験の仲間たちと、しんどくてきつい体験を振り返りつつ、酔いを深めた。
第二次世界大戦に徴用された世代は、国家に強いられて軍隊体験を共同体験し、人の殺傷・自己の抹消そして本来守るべき大衆の抑圧・抹消に突き進んだ。世代的な共通体験、共時性は抑圧の体験を沈黙として、胸の奥にしまいこむことによって戦後世界を形成した。
団塊の世代は、この沈黙を批判しつつ、国家による強制ではなく自己の選択で、しかもやめるもやめないも自由を前提に、大きなうねりとしての政治的な運動にかかわったことを共同体験として今も引きずっている。赤軍を生み出し、内ゲバ体験まで上り詰めて、多くの人々は結局は体験について沈黙をしつつ、体験の内部化を図ってきた。
団塊の世代がその後の世代に、戦争世代とどこが違うのか、軍歌高唱の戦争世代と、うつむきつつフォークソングを口ずさむ団塊の世代との差は何か、と問われつつも沈黙を守りつづけている。
団塊の世代の体験を内部化し、普遍化しようとの思いだけは矜持しつつも、表現しきれないもどかしさと苛立ちを胸に、35年におよぶ月例会は、これからどのようになっていくのだろうか。
このブログを読んだだけではわかりづらい文章と思いつつ、綴ってしまった。もう少し私に能力があればいいのだが‥。本日はとりあえずこの辺で。
人間、どんなに注意力を継続しようとしても1分と持たない。労働災害や事故の防止にはそのような人間の注意力の限界を超えたシステム上の防御策が講じられていなくてはならない。しかし事故を起こした会社は従業員25名との発表。これで大きなプラントを稼動させること自体に無理があるような気がするのは私だけの感想だろうか。
新年会場に向かう湘南新宿ラインの中でそんなことを思いつつも、正月以来の飲み疲れで池袋まで熟睡。あわてて折り返した。
40年前から36年前の世代的な共通体験の仲間たちと、しんどくてきつい体験を振り返りつつ、酔いを深めた。
第二次世界大戦に徴用された世代は、国家に強いられて軍隊体験を共同体験し、人の殺傷・自己の抹消そして本来守るべき大衆の抑圧・抹消に突き進んだ。世代的な共通体験、共時性は抑圧の体験を沈黙として、胸の奥にしまいこむことによって戦後世界を形成した。
団塊の世代は、この沈黙を批判しつつ、国家による強制ではなく自己の選択で、しかもやめるもやめないも自由を前提に、大きなうねりとしての政治的な運動にかかわったことを共同体験として今も引きずっている。赤軍を生み出し、内ゲバ体験まで上り詰めて、多くの人々は結局は体験について沈黙をしつつ、体験の内部化を図ってきた。
団塊の世代がその後の世代に、戦争世代とどこが違うのか、軍歌高唱の戦争世代と、うつむきつつフォークソングを口ずさむ団塊の世代との差は何か、と問われつつも沈黙を守りつづけている。
団塊の世代の体験を内部化し、普遍化しようとの思いだけは矜持しつつも、表現しきれないもどかしさと苛立ちを胸に、35年におよぶ月例会は、これからどのようになっていくのだろうか。
このブログを読んだだけではわかりづらい文章と思いつつ、綴ってしまった。もう少し私に能力があればいいのだが‥。本日はとりあえずこの辺で。