Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

二川幸夫「日本の民家1955年」展

2013年02月05日 22時00分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 本日汐留ミュージアムで二川幸夫・建築写真の原点「日本の民家1955年」展を見てきた。
 二川幸夫の名前はどこかで聞いた気がするものの、どんな写真なのかもまったくわからなかった。チラシを見て日本の古民家を撮影されている方であるとの認識を初めてした。チラシの「蔵王村民家の妻破風とニグラハフ」を見て美しいモノクロームの世界を垣間見て、是非訪れたいと考えていた。予想に違わず、私にはとても印象深い1時間を過ごさせてもらった。

 私は会場に入るなり、この人は理系の眼も持っている芸術家なのかな、とうれしくなった。一軒の民家を正面から映したもの、俯瞰的な写真、いづれも角度をあおって撮影することはせず律儀ともいえるような、正面から、あるいは真上からの視点を撮影している。奇を衒うような写し方は一切していない。正攻法である。それは集落全体を写す場合も、内部の梁の構造を写す場合も同じだ。私はその方法が気に入った。

 チラシに掲載された、屋根に雪が残っている藁葺きの家も正面から破風を捉えている。垂直に立てかけられた藁、垂直にぶら下がる氷柱、律儀な二等辺三角形の屋根と何の変哲もない空。不規則な雪が実に効果的にこの画面を左から右に横たわっている。この雪の質感がまるで左から右に動いているような錯覚を与える。それは雪以外の質感が垂直を基本としてカチッと画面に嵌って静止しているからなのだろう。
 古民家を映していながら、主題は屋根に残る雪、蔵王という雪深い土地に住む人々のおしつぶされそうな息遣いのような気がする。

 また民家の内部を映した写真も梁を中心に、撮影者の興味はその構造にあるような感じすらする。しかしじっと見つめていると、黒光りする柱の表面の質感、床のでこぼこの凹凸、土間の土の質感、どれをとってもそこには映っていはいないものの、そこの家に住んでいる、あるいはかつて住んでいた人々の息遣いが伝わってくるような錯覚に襲われる。
 藁葺き屋根の藁の一本一本、床や梁の材木一本一本が息をしているようだ。合掌造りの家からは早朝の煮炊きで屋根全体から湯気が立ち上っているが、これなど家全体が生きていて、その体から汗がゆらゆらと立ち上がるような錯覚を覚える。家が生きていることを実感させてくれる。

 いまではもう、そのような古民家は、家そのものの役割も、社会的な地位の発現としての役割も終えていて、いづれ消えていく運命であることは間違いないのだろうが、記録を美術作品としての価値を有したまま残すということのすごさを感じた。
 また、民家内部の構造を映す作品には、技術屋さんとしての眼も持ち合わせているのだな、と感じた。構造自体の持つ美をそのまま受け入れて作品にしている。これも私は好感を持つことが出来た。
 さらに集落全体を写したもの、俯瞰的な写真、などはその集落の持つ歴史性や民俗までも映しこんでいるように見える。

 私が特に心惹かれた作品は「佐賀県、民家の草葺屋根」という一枚。画面の上半分は雲が映っている。その下に草葺の屋根の部分だけが正三角形
に映しこまれているのだが、ながめていると屋根がきっかりと画面にはめ込まれて不動であり、微妙に背景の雲が動くように錯覚する。
それはこの屋根の部分にキチンと焦点が合っていて、雲は少しだけボケている。この差がこの錯覚を生んでいることがわかった。不思議な感覚に襲われる作品だ。とても魅力がある。

 古民家の民俗学的な興味で見るのもいいし、いろいろな見方に耐えられる作品群だと思った。

 しかし如何せん、いくつかの作品のカードを購入しようとしても販売していない。図録を購入しようにも巨大過ぎる大きさで並製本が3780円というあまりにも高価な値段設定である。折角の気持ちのいい時間だったが、残念な気分になってしまった。

大倉集古館&汐留ミュージアム

2013年02月05日 20時25分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は所用で新宿界隈を1時間半ほど歩いた後、大倉集古館で「画の東西」展と、汐留ミュージアムで「日本の民家1955年」を見に出かけた。
 新宿からは丸の内線に乗車。14時過ぎに国会議事堂前で降りて大倉集古館へ向かったが、溜池山王のホームを端から端まで歩かされ結局電車を降りて早足で15分以上はかかったであろうか。帰りは銀座線の溜池山王駅までやはり早足でもどり16時過ぎに新橋駅で降りて、汐留ミュージアムまで。結構ハードなコースとなった。

 両者の感想はいづれアップする予定だが、この「日本の民家1955年」は1時間の観覧で終わらせるのはもったいない気がした。とてもすばらしい時間を過ごさせてもらった。

 だが、ここからは、声を大にして言わせてもらう。普通の大きさよりもひと回りも大きい巨大な図録の並製本が3780円と仰天するような値段。特製本にいたっては5460円、はっきり言ってとんでもない値段設定である。これが普通の値段だという感覚ならばこのミュージアム、人に見放されるのが運命と思う。
 諦めて、他の展覧会では当たり前に売っているはがき大のサイズの作品のミニチュアを探したが、これは販売していない。これではすばらしい作品展であっても手元に残しておく術がない。お手上げである。これは展示企画者に強く再考を求めたい。あまりの対応である。作者が存命で著作権の問題があるとしても、このような展示をする以上は何らかの工夫や対応が必要なのではないだろうか。
 展示を気持ちよく見終わってからとても不愉快になった。

昨日の後遺症?

2013年02月04日 18時53分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝から胃の辺りが重苦しい。どうも昨日の中華料理が胃にもたれているようだ。いや、中華料理がいけないといったら中華料理に失礼になる。単純に深酒がいけないのだが、つい料理の所為にしてしまう。
 昨晩は何も食べずにひたすら寝ていたし、朝も紅茶とヨーグルトにした。お昼はお腹がすいたように感じたので、少しご飯物を食べようと思い、太巻きを4切れほどと、昨日の残り物の春巻きを3本ほど。急に食べ過ぎたのかもしれない。

 朝からブログの記事をアップして、コメントに返信をしたら14時を過ぎてしまった。往復30分のスーパーへの買い物を付き合ったら雨が降ってきて、出かける予定のウォーキングもだめになってしまった。
 胃が重いだけでなく、足が運動不足を嘆いている。体からお酒の毒素というか、老廃物を出したがっているような気分でもある。

 17時過ぎには雨が上がっていたので、5キロほどをジョギング。多少からだの動きは良くなったが、何となくまだ重い。気温はずいぶんと高く感じた。

 もともと本日は、所用があって大人数でも入れる新宿駅界隈の喫茶店を探す予定だったが、明日に繰り延べ。ついでにどこかで面白い展示が行われていればいいのだが‥。



エルグレコ展感想(その2)

2013年02月04日 13時29分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この絵は「フェリペ2世の栄光」という題名となっている。エルグレコがスペインに赴いたときのスペイン王である。絵のいわれは、オスマンへの対抗として、教皇・ベネティア・スペインの同盟を讃えるという解釈や、フェリペ2世の最後の審判の場面などがあるそうだ。図録では後者の解釈となっている。

 私が興味を持ったのは、地獄の場面が、同時代のフランドルのブリューゲルの絵を思い出したからだ。ブリューゲルの絵はフランドル地方の諺の絵解きの絵らしいが、その意味するところはよくわからない。しかし魚がグロテスクで否定的な印象を持つものの象徴のように描かれている。



 ひょっとして魚の内部は地獄の象徴、あるいは貪欲が地獄へ通ずる暗喩なのかもしれない。
 そしてエルグレコの絵の左下の地獄の様は、魚のようなグロテスクな怪物の口の中に表現されている。
 教会からの注文は受けなかったらしいブリューゲル、プロテスタントとカトリックの争いを風刺的に描いたブリューゲルと、カトリックのために描いたブリューゲルとは比較すること自体が意味のないことなのかもしれない。比較するのも、連想するのもあくまでも素人の私の思いつきでしかないのだから、笑われてしまうのは覚悟で触れてみた。

 さてこの絵、1579年以降ということで、スペインに渡って間もない頃の絵らしい。しかしすでに原色の衣服、衣服のひだの強調、細長い身体、上半分の天国の情景に現れる下から上方へのうねるような流れ、色彩を利用した場面の分割、遠近法の消滅など、晩年の要素が十分に出ている。
 私は真ん中の橙色の煉獄の情景に最初に目が向いた。エルグレコの絵では珍しい色のような気がした。水の流れのようなところに飛び込む人間の様はどのような状況を表しているのだろうか。そして煉獄がこのように輝く色彩で覆われる理由は何なのだろうか。これもいわれが知りたい。
 そして次に目が行ったのが、下の真ん中にいる黒い服の人物=フェリペ2世だ。最後の審判を受ける被告のように敬虔な表情ということなのだろう。なお、後ろ向きだがフェリペ2世の左にいる黄色の服の人物や、その更に左の青・赤の服の人物は誰なのか、気にはなる。必ず具体的な人物が想定されるはずだ。残念ながら図録には解説はない。
 私などにはこのような権力者の賛美の絵はとうてい場面として想定したり思い描くことはできない。そういった意味で、王侯貴族・教会関係の絵や聖人の絵は描かなかったブリューゲルの立場の方が私の好みだ。権力者や教会という権威への諷刺を利かせた絵は魅力的だ。しかし如何せんその描かれた絵の寓意はとても理解できない。あまりに難解である。

 それはそれとして、あふれるばかりに輝く色彩による画面の分割、写実を超えた人体表現、現実と超現実の不思議な響き合う同在など現代絵画に通じるような感覚に襲われた。



 この「悔悛するマグダラのマリア」という絵も今回の展示の目玉である。多くの人がひきつけられた絵だと思う。やはり前の絵と同時期の1576年というからトレドへ移った頃の絵らしい。
 この絵には明るい赤や黄などの色は使われていない。二色の青の衣服と雲間にわずかにのぞく青い空が目を惹く色だ。それだけなのに、画面全体はとても明るく感じる。金髪の色はそんなに目立たない。そしてあらわな肌の色が、雲の一部の色と響きあってなまめかしい。
 新約聖書でもマグダラのマリアは不思議なそして気になる女性である。キリストに会い娼婦から悔悛して最後までキリストに従う。そして復活の場面に立ち会う極めて重要な聖女である。ある本ではキリストの妻であるとも書かれたりしている。
 とても信じられないが、彼女がキリストの死後フランスのマルセイユ近郊で世に隠れて生活したといわれているらしい。この絵の元はエルグレコに多大な影響を与えたベネツィアのティツィアーノに由来するらしい。
 この絵、聖女の現実的な美しさと同時に、顔に比して少しばかり大きめの両手の指のなまめかしさにはっとさせられる。動きが感じられる指の仕草だ。
 同時に私は雲間からさす日の光の透明な明るさがこの絵のポイントに思えた。この雲間の青と光りがなければこの絵は単なるブロマイドになってしまう。たしか雪山行二氏の講演で、このあつい雲からあふれる日の光りの光景はスペインの気象に関係あると聞いたような気がする(違っていたらゴメンナサイ)。背景の村や海の情景は図録によればベネツィアのラグーンのようだと記されている。
 悔悛という言葉、対抗宗教改革の理論の中で特別の意味を持つらしい。「懺悔は告解あるいは悔悛とカトリックでは呼ばれ,洗礼や聖餐と同じレベルとして扱われる。信者は聖職者の前で自らの罪を告白しならない。プロテスタントではそのようなことを罪の赦しは、告白ではなく神の赦しによってのみなされるという立場」のようで儀式としてどう扱われるのかわからないが、カトリックの画家を地で行くエルグレコには重要な画題であったようだ。
 しかしこのような画題の絵にも写実を通り越した生き生きとした仕草の女性を描くエルグレコという画家、なかなかに魅力的である。


  (その3に続く)


新春のつどい

2013年02月03日 22時46分09秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は組合の退職者会の新春のつどいを中華街にて。約120名が参加した。
 終了後、仲の良いAさんと二人で飲み直しに横浜駅に。私はスッカリ出来上がりウトウト。ブログについての指摘は覚えているものの、会話はほとんど覚えていない。Aさん、たいへん失礼しましたm(_ _)m
 家まで歩いて無事帰宅はしたもののそのままベッドで熟睡。ようやく先ほど目が覚めた。

 ブログにあらたなコメントを3ついただいていますが、返事は明日以降にいたします。申しわけありませんm(_ _)m
 誤字・脱字・変換間違いもいくつか気づいた。急いで訂正しなくてはみっともない。

 情けない限りですがご容赦を。

 


講演会「千恵の生涯」

2013年02月02日 18時35分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は横浜市歴史博物館で行われた開館18周年記念特別講演会「千恵の生涯-生麦村「関口日記」から-」に参加した。講師は大口勇次郎氏(御茶ノ水女子大学名誉教授)。
 幕末期、生麦村の名主関口家に生まれ、江戸で武家奉公を経て、大奥女中まで勤めた千恵という女性の生涯を語る、というもの。特にこの時代に興味があるわけでもなかったが、横浜市歴史博物館の公開の講座にこれまで参加する機会がなかったので、たまたま日程が空いていることから申し込んでみた。定員170名とのことであったが、会場はほぼ満席であった。

 関口家の日記は当主である、千恵の父親・弟・甥の三代に渉って書かれて、その中にこの千恵という女性の動静が見えてくるらしい。一家を挙げてこの女性の動静に関わってきたともいえそうだ。
 身分制の強い江戸時代、町人の娘が大奥の奉公に上がっていたことは承知をしていたが、江戸の近郊とはいえ名主の娘がそこまで出来るのかと思っていた。話を聞くと奉公に上がっただけでなく、40歳を過ぎて村に帰ってからも、69歳の死の直前まで大奥に出入りをして相談事に携わったほど能力のあった女性であったらしい。
その間に結婚と死別・再婚・離縁、お目見え旗本との再婚話などもあったようで、一つのドラマになるような生涯が透けて見えるそうだ。

 町人の娘が旗本や大名の屋敷にあがり奉公するという、いわば当時の女性の職業の市場としては大変大きな労働力市場が存在しており、その市場に出るためにごく小さい頃から稽古事や習い事に、実家は多くの投資をしたらしい。千恵も三味線などかなりきっちりと仕込まれたようだ。奉公に上がって得る生涯の奉公賃を上回る支度金まで払っての奉公、これは講演者のいうようにステータスとしての奉公とだけ理解していいのか、ちょっと疑問ではあるが今後の解明が待たれるようだ。

 千恵は最初小さな大名家に奉公に上がり、その後商家に嫁ぐのだが、子をなすと同時に死別、その弟と再婚したらしい。講演では、生麦村の実家で取れた米の販売をその嫁ぎ先が引き受けていたとのこと、米だけではなく農業その他の生産物の販売も引き受けていたと私は推測するが、当時の結婚は、いわば家と家との婚姻であるといわれることのひとつの実際のあり様はこのようなものなのであろう。
 ある意味、お互い経済主体・生産主体同士の連携なくして婚姻は考えられなかったようだ。単に封建制的な女性蔑視の婚姻形態とだけ裁断してしまってはいけないのだろう。むろんそのような一面もあっただろうが、それだけでは十分な理解にはならない、もっと多面的な把握が必要なようだ。
 興味深かったのは、嫁ぎ先の家業が行き詰まり、千恵の実家の米の販売代金も払えなくなり、また妻の財産である嫁入り道具まで借金の方に入れてしまい、それらをすべて棒引きにするという離縁状が残っているとのこと。この写しを資料として配布された。離縁状はこの時代男側からしか出せないということで一方的な男社会の証のように理解されているが、このように離縁状に明らかに男の側の不始末、男の側に離縁の原因があることもキチンと記載されることもあるのかと、びっくりした。私の教わった日本史の授業ではこのようなことは触れてもらえなかった。
 おそらくこの離縁は借金で一家離散などどうしようもなくなる前に、債権も放棄しても娘である千恵の身の安全を確保した千恵の実家の力によるものであると私には推測できる。前夫との間の子について、講演では明確に触れなかったが(私の聴き落としか)、どちらが養育したのであろうか。一般的なこれまでの考えでは嫁ぎ先のような気もするが、離縁状の経緯から推測すると千恵の側のような気もする。時間が許せば質問してみればよかった。
 婚姻が先ほど述べたように、経済主体同士の結びつきだからこそのこの離縁状なのだろう。
 男が一方的に書くといわれたいわゆる三行半の離縁状というのは本当なのか、と思ったら、男が出すその三行半にもかならず「我等勝手に付き」という文言が含まれ、女の責任は問わないことが前提だったらしいとの話も聞いた。なかなか面白い話である。
 また40代も半ば近くになり、お目見えの直参との縁談もあったようだが、身分差を理由に断っている。幕末期、身分制の箍が崩れていたということを聞くが、やはりこれは越えがたいものがあったと推察される。おそらく奉公を続けた千恵という女性にはその苦労が直感的に理解できたのであろう。

 講演では、千恵が離婚後村へ帰らずに新たな武家奉公を始めたが、これは彼女の意志であったようだとの指摘がされた。このように当時すでに女性が自分の意志で職業としての女中奉公を続けて、一定の財産を自分で作るということができる社会であったとのことだ。この再奉公が大奥への奉公の道を開く幸運となったわけだが、これ以降は時間切れとなり駆け足で講演が終わったのは残念。
 大奥奉公のことは口外禁止の当時の状況から詳細はわかりにくいらしいが、日記からさまざまな推測ができるらしい。病気の祖母に将軍の御膳のお下がりをもらったり、母親が大奥の雛飾り見学を許されたり、というエピソードが紹介された。
 結局再婚しなかった千恵のために、父親は千恵の弟への家督相続にあたり田畑を一台限りで千恵名義にするなどの配慮をしている。
生麦事件(1862年)は数えで66歳、1865年に数えで69歳でなくなる。大政奉還の3年前のこと。

 江戸時代の具体的な婚姻の形態の根拠が垣間見える話、これは結構古い時代まで遡って婚姻の在り様を考えるのに参考になるような気がした。私自身の興味とはちょっとズレがあり講演会ではあったが、それでも十分に勉強になり、なかなかに興味の尽きない講演であった。


エルグレコ展感想(その1)

2013年02月01日 19時41分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 昨日エルグレコ展におもむいた。いくつもの気に入った作品をじっくりと見てまわることができた。



 この受胎告知という画題は実に多くの画家がいくつも手がけている。グレコも幾つも描いている。その内の1枚が日本の大原美術館にある。今回はその展示はないのだが、ここに掲げたものは、エルグレコがイタリアのベネチアからスペインに移住する直前に描かれたものとのこと。イタリア・ルネサンスの技法をふんだんに発揮したものとのことである。
 確かに床のタイルの遠近法、ビザンチン様式の絵とは格段に違う生き生きとした人物造形と、特に天使から受胎を告げられ驚きの表情を見せるマリアの顔や手の仕草から連想させるドラマ、天使ガブリエル人間的な顔、ドラマを感じさせつつも安定感のある人物配置。さらにカーテンの赤・マリアの着衣の青・天使ガブリエルの黄と白と赤の着衣・精霊の鳩の背後の黄色の稲妻・右上の空の青、といった色彩のバランス。どれも計算されつくされたような対称を示してきっちりと安定しているように思える。青は右上と左下の対象、赤と黄は左右の対象、さらに左下のマリアの着衣の青は面積的にも大きいし緑のヴェールとあいまってマリアの存在感を大きくしている。またマリアとガブリエルの視線が青の対象の線と重なっていてガブリエルの浮遊感を強調している。

 マリアもガブリエルも手の大きさは顔などの他の人体部分に較べてとても大きい。そのことがその指先の微妙な表情を強調しているようで面白い。
 もうひとつ解説でも触れられているが、タイルが途中で切れていて、外の景色は窓枠か何かを通して見るようになっている。解説では欄干と記載されているが、この壁のようなものは室内をあらわすのか判然とはしない。しかしこの遮断によってガブリエルとマリアの舞台空間が明確になると思う。大空が見えていて無限の空間のようでいて、仕切られた空間、ドラマが浮き上がってくるような不思議な感覚に私は襲われる。
 計算されつくされたような構成でありながら、豊かな、あるいは誇張されている衣服のひだやうねり、ガブリエルの乗る雲や空の雲の躍動感、などなど動的な面白味もある。

<追記>(以下6行)
 聖母マリアのいる場所の奥の壁について言及したが、この壁による「区切られた空間設定」というのは、マリアの懐胎の無原罪性=処女懐胎の舞台設定の一つの要素ということを教えられた。あの壁は受胎告知の絵画ではどうしても必要な要素ということのようだ。レオナルド・ダ・ヴィンチの受胎告知ではこの壁が一部解放されて奥へと続く道が見通せるようになっており、このことで彼が無原罪性について疑問を呈したのではないかとの推論もあるようだ。

 しかし基本的にはこの絵は静的である。ドラマも感じられるし天使やマリアに躍動感はある。だが、全体としては動きを一瞬止めてそれを画面に定着させた感はぬぐえないのではないか。

 ところが次の受胎告知の絵となると、遠近法などのイタリアルネサンスの様式が私には感じられなくなる。解説でも「イタリアの様式を脱却して晩年の独自の表現主義的様式を確立した記念すべき作品」と記載されている。



 この絵、まず透視図法による遠近の要素が見受けられない。そのかわり色に着目すると画面下半分の左からマリアの青・赤の着衣と天使ガブリエルの緑、中心に精霊を送り出すような黄の稲妻、そして上半分が天上の天使達が音楽を奏でる場面の左から赤・緑・青の列の2回の繰り返しが目に付く。
 まるで中央の鳩の羽の円弧に沿った力で画面全体が円対象に回転しているような感じがする。
 またマリアとガブリエルの視線の線は前作よりも上下の差が大きくなり、画面を下から上に流れる渦の力を助長している。そしてマリアの処女懐胎を象徴しているという「燃える柴」がガブリエルとマリアの距離をうまく埋めている。このボトムを押えるような赤とうすい緑が、躍動感たっぷりの絵の重石としてとても有効な働きをしているのではないだろうか。

 精霊の鳩からマリアの頭部を囲む丸く羽の生えたものは天使のうちで上級の第三位の天使の群れであるが、この新約聖書以降に作られた概念の天使が多用されるのはいつの頃なのだろうか。エルグレコが嚆矢なのだろうか?ちなみに大天使ガブリエルは下から二番目に位置する下位の天使であり、神と人との仲介を果たす役割だそうだ。またガブリエルの見た目は前作が男性のように見えるが、後者では女性のような感じに見える。

 このガブリエルの羽も回転するような図であり、左右対称に動く鳥の羽とは違い左右別々に動く羽である。これがこの絵の渦巻くようなうねりをさらに強調している。上昇するうねりの形は画面の中央部にあるうねるような雲がその大きなエネルギー源となっているようだ。
 このうねるように画面を支配する躍動が、遠近法を持たないこの絵の構図に上昇する方向性を与えている。この躍動がマリアの驚愕から始まる内面のドラマ性に息吹を与えているのではないだろうか。そして前作とは違い、絵全体が躍動している。一瞬の停滞もなく動き続ける流れを感じさせる絵だ。

 10頭身の人体は下から見上げる視線ではよく指摘されるようにそれほどの違和感がない。それよりもこの人体何となくねじれているように感じないだろうか。これもこの絵の全体の上昇あるいは下降する渦巻きのような流れを強調していないだろうか。ガブリエルは天から下降して受胎告知を行い、マリアの意識は天の神に向かっている。全体としては天上の神の世界を賛美する上昇する流れなのだろう。

 この絵は確かに前に掲げた受胎告知とはずいぶん違った境地にある受胎告知だと思う。少なくとも前作では、時間をとめた一瞬の場面を切り取っている。マリアの意識の流れである、驚き・戸惑い・不安・受け入れ・神への賛美という意識の流れ(これがカトリックの見解なのかどうかは知らないが、)のどこを切り取ったのだろうか。私は驚きの一瞬と思っている。さてこの後者の絵は、時間の流れも同時に画面に定着させているのではないか、と私は感じた。驚きから神の賛美への時間の経過が含まれることで、絵画のドラマ性がより濃厚にただよう絵になったと思う。

 作者の自由で豊かな創作力を感じる。私には忘れることのできない絵に思える。

(その2へ続く)