『あさきゆめみし』(11~13巻:全13巻) 大和和紀:作(講談社コミックスミミ)
全13巻のうち光源氏の晩年が最後まで描かれているのかと思ってたので、10巻で紫の上共々あっけなく逝ってしまったのには驚いた/涙
11巻からは「宇治十帖 編1」として息子や孫の代の話に代わる。
<あらすじ>
光源氏の妻たちが里などへ帰って後、六条院は夕霧(右大臣)とその縁の者らが守っていた。
紫の上と桜をめでる約束をした匂の宮は、光源氏に憧れて同じ人生を歩みたいと強く望む。
匂の宮とともに成人し、なにかと張り合う仲の薫は、自分の出生に疑問を持ち沈む日々の中、
遠い縁の八の宮を訪ねて宇治へ行き、2人の美しい姉妹を見つける(姉・大君、妹・中の君)。
そしてそこの老女しか知らない自分の出生の秘密を知ってようやく自分を取り戻す。
中の君は匂の宮の妻となり男子をもうけるが、大君は薫の熱愛を受けながらも若くして亡くなってしまう(これも物の怪の仕業
その後、匂の宮は夕霧の娘・六の宮、薫は帝の娘・三の宮の縁談をそれぞれ受ける(政略結婚
いつまでも大君を偲ぶ薫に、中の君は父が最愛の母亡き後にもうけた娘(浮船)がいて、
認知もされないまま田舎暮らしをしていて、大君にうり二つだと話すと、薫は再び宇治に通いだす。
女好きの匂の宮も身分をおして通い、静かで深い薫の愛と、激しく熱い匂の宮の愛の狭間で苦しむ浮船は、
とうとうある夜、荒れる宇治川へと身を投げてしまう


亡骸もないまま1周忌を迎える頃、浮船を助けたという高僧の話を聞き、慌てて文を出すが、
世をはかなんだ浮船はすでに出家した後だった。。
嘆く浮船のもとに現れた源氏の言葉は、
「人はみなただひとりなのだ。ただひとりで生まれ、ただひとりで死んでゆく。
それだけのはかない命だからこそ、人は生きとし生けるものを愛し、また愛されてその生を善きものとできる。
だから、ただひとりとして生きなさい。何物からも、だれからも自由になりなさい。
そうしてすべてのものからとき放たれて、より広やかな、より豊かな愛の中に生きることができるのだから」
またその高僧の言葉は、
「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」
(三界(欲界・色界・無色界)に流転して、恩愛は断つことがきないが、恩を捨てて無為に入るのが真実の報恩である)
そしてラスト、浮船の言葉、
「わたしはもう嘆いたり恐れたりはしない。わたしにはわかっている。
今は濃い霧に包まれているこの流れが、やがては晴れやかな空
の下に出るように、
川は流れ、走り、そしてわたしもまたすべての川の行き着く先にたどりつけるだろう。
走り去る流れが、いつか光に満ちた大海
に注ぐごとくに。。」
宇治十帖 完
田舎で育った深窓のお姫さまが最高の2人の恋人を持ちながら嘆いてばかりいるのは
あんまりつまらないのでは?
とも思ったが、どのみちこの先も男女の仲は同じ修羅場の繰り返しかと思えば
出家して、一歩悟り、静かな庵で修行の暮らしを選んだ心は正しかったのかもしれない。
さて。とうとう全13巻読み終えてしまった。
これが昔も今も人々の心を捕らえて魅了しつづける源氏物語か。なるほど。
題材だけに今作のほかにもたくさんマンガ化されているようだが、ざっと見たかぎり、
やっぱり最初に出会ってハマった絵が1番に思える。
それにしてもこうゆう古典を読んで、もしこの通りだとすれば、平安時代の高貴な人たちは、
みな毎日、毎秒、恋しい人を想っては「袖を濡らして
」泣いてばかりいる変な人たちみたいだw
しかも、このマンガに描かれる現代人とは真逆な容姿が美しいとされてたんだよね?
ふくよかな体型で、瓜みたいな顔に、切れ長の細い目、背も平均的にミニミニサイズだったろうし、おまけに既婚者はみな歯が真っ黒だとか・・・
時代や国によって美しさの基準もまったく違うものなのだねぇ
そんな人たちの恋愛をちょっと想像してみたら、なんだか笑ってしまうかもw
全13巻のうち光源氏の晩年が最後まで描かれているのかと思ってたので、10巻で紫の上共々あっけなく逝ってしまったのには驚いた/涙
11巻からは「宇治十帖 編1」として息子や孫の代の話に代わる。
<あらすじ>
光源氏の妻たちが里などへ帰って後、六条院は夕霧(右大臣)とその縁の者らが守っていた。
紫の上と桜をめでる約束をした匂の宮は、光源氏に憧れて同じ人生を歩みたいと強く望む。
匂の宮とともに成人し、なにかと張り合う仲の薫は、自分の出生に疑問を持ち沈む日々の中、
遠い縁の八の宮を訪ねて宇治へ行き、2人の美しい姉妹を見つける(姉・大君、妹・中の君)。
そしてそこの老女しか知らない自分の出生の秘密を知ってようやく自分を取り戻す。
中の君は匂の宮の妻となり男子をもうけるが、大君は薫の熱愛を受けながらも若くして亡くなってしまう(これも物の怪の仕業

その後、匂の宮は夕霧の娘・六の宮、薫は帝の娘・三の宮の縁談をそれぞれ受ける(政略結婚
いつまでも大君を偲ぶ薫に、中の君は父が最愛の母亡き後にもうけた娘(浮船)がいて、
認知もされないまま田舎暮らしをしていて、大君にうり二つだと話すと、薫は再び宇治に通いだす。
女好きの匂の宮も身分をおして通い、静かで深い薫の愛と、激しく熱い匂の宮の愛の狭間で苦しむ浮船は、
とうとうある夜、荒れる宇治川へと身を投げてしまう



亡骸もないまま1周忌を迎える頃、浮船を助けたという高僧の話を聞き、慌てて文を出すが、
世をはかなんだ浮船はすでに出家した後だった。。
嘆く浮船のもとに現れた源氏の言葉は、
「人はみなただひとりなのだ。ただひとりで生まれ、ただひとりで死んでゆく。
それだけのはかない命だからこそ、人は生きとし生けるものを愛し、また愛されてその生を善きものとできる。
だから、ただひとりとして生きなさい。何物からも、だれからも自由になりなさい。
そうしてすべてのものからとき放たれて、より広やかな、より豊かな愛の中に生きることができるのだから」
またその高僧の言葉は、
「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」
(三界(欲界・色界・無色界)に流転して、恩愛は断つことがきないが、恩を捨てて無為に入るのが真実の報恩である)
そしてラスト、浮船の言葉、
「わたしはもう嘆いたり恐れたりはしない。わたしにはわかっている。
今は濃い霧に包まれているこの流れが、やがては晴れやかな空

川は流れ、走り、そしてわたしもまたすべての川の行き着く先にたどりつけるだろう。
走り去る流れが、いつか光に満ちた大海

宇治十帖 完
田舎で育った深窓のお姫さまが最高の2人の恋人を持ちながら嘆いてばかりいるのは
あんまりつまらないのでは?

出家して、一歩悟り、静かな庵で修行の暮らしを選んだ心は正しかったのかもしれない。
さて。とうとう全13巻読み終えてしまった。
これが昔も今も人々の心を捕らえて魅了しつづける源氏物語か。なるほど。
題材だけに今作のほかにもたくさんマンガ化されているようだが、ざっと見たかぎり、
やっぱり最初に出会ってハマった絵が1番に思える。
それにしてもこうゆう古典を読んで、もしこの通りだとすれば、平安時代の高貴な人たちは、
みな毎日、毎秒、恋しい人を想っては「袖を濡らして

しかも、このマンガに描かれる現代人とは真逆な容姿が美しいとされてたんだよね?
ふくよかな体型で、瓜みたいな顔に、切れ長の細い目、背も平均的にミニミニサイズだったろうし、おまけに既婚者はみな歯が真っ黒だとか・・・
時代や国によって美しさの基準もまったく違うものなのだねぇ

そんな人たちの恋愛をちょっと想像してみたら、なんだか笑ってしまうかもw