■『アートコミック まんが西洋美術史2』(美術出版社)
高階秀爾/監修
<目次>
第1章 バロック→ロココの美術
バロックの美術、まんがルーベンス、レンブレント、ロココの美術、まんがゴヤ
第2章 新古典主義→印象主義の美術
新古典主義の美術、ロマン主義の美術、まんがダビッドと新しい美術の幕開き、ドラクロワとロマン主義の確立、写実主義の美術、バルビゾン派、まんがクールベと変わりゆくパリ、印象主義の美術、まんがモネと印象主義の仲間たち
<本書抜粋メモ>
カラバッジオは、デレク・ジャーマンの映画で観たな。
エル・グレコ、ベラスケス、プッサン
礼拝像、祭壇画→風景画、風俗画、静物画、肖像画へ。専門画家も現れる。
ベルサイユ宮殿=ルイ14世の権力の象徴。庭園が遊園地状態!
▼ルーベンス
バロック美術を代表する画家。ドイツ生。有能な外交官でもあった。
「アントワープ大聖堂」は、『フランダースの犬』で、ネロが観た絵だね/涙
大量の注文絵画を完成させるために、友人の画家との共同制作したり、複製を弟子につくらせた。
▼レンブラント
オランダ生。
絵を家の中に飾る習慣があったことも芸術家を育てた土壌になったんだな。
妻サスキアは病弱で、子どもを次々と亡くした後に、サスキア自身も亡くなり、
再婚相手も亡くなり、一人息子も新婚早々亡くなるって・・・
ワニス=樹脂などを溶かした透明の塗料
エッチング
ドイツのマイセン、ワトー「ジル」、ゲインズバラ
パステル画が1720年ごろから流行した。
ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人が芸術を保護。
1人の女性の野心が結果的にアートを成長させたんだから分からないよね。
ロココは女性の時代。女性は、パニエ(ドレス)、男性はカツラを着用するのがファッション。料理や刺繍もしてた/驚
▼ゴヤ
スペイン生。新古典主義の画家。啓蒙主義。のちに宮廷画家に。
46歳から幻覚を見て、聴覚を失う→ニンゲンの内面に隠されたドロドロを描く。
「ロバの顔をした貴族」は可愛い 「裸のマハ」は猥褻だとして裁判となる。
妻が他界→再婚→病気が再発。
「我が子を喰らうサトゥルヌス」これが自宅の壁に描かれてるって怖すぎ!!!
晩年はボルドーで穏やかに暮らした。
キアロスクーロ法
イタリア語で「明-暗」という意味で、美術においては、明暗のコントラスト(対比)を指す言葉。それを用いた技法が「明暗法(めいあんほう)」「陰影法(いんえいほう)」。
版画の種類
木版(14C後半~)デューラー、ゴーギャン、マイヨール→エングレーピング(15C前~16C前)デューラー、マンテーニャ、レンブラント、ゴヤ→リトグラフ(18C末~)ドラクロワ、ドーミエ、ロートレック、ボナール
イギリスで王立美術アカデミー設立(1768)
ルーブル美術館が発足、公開(1793):大きな美術館は略奪の歴史でもあるんだな。
アングル「トルコ風呂」
ウェッジウッド
イギリス上流階級の御曹司たちのヨーロッパ諸都市見聞旅行「グランド・ツアー」によって、
芸術や、新古典主義の考え方が広まったってゆうのも興味深い。
フュースリ「夢魔」
フリードリヒ
ロマン主義=シラー、ゲーテ、バイロン、ショパン、ジェリコー、ブレイク
「道徳よりも感情表現を重視する、想像力豊かな芸術作品が数多く生み出された」
オリエンタリズム=ヨーロッパ画家が中近東や来たアフリカのイスラム世界に憧れた。
ハイドン、クラヴィーア
▼ダヴィッド
パリ生。36歳でやっとローマ賞をとり、イタリアへ留学。
フランス革命が起き、ナポレオンが君臨する。
「処刑台に引かれてゆくマリー・アントワネット」は老いたふつーのおばさんみたいだな。
議員となって旧アカデミーを廃止、「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」を描いて皇帝画家に。
新アカデミーを作る。王政復活。亡命先のベルギーで死去。
▼ドラクロワ
パリ生。ロマン主義の画家。両親を亡くし、姉夫婦のもとで暮らす。
ルーブル美術館で学ぶ。新聞の事件を題材に絵を描く。
オリエントを旅行し、「アルジェの女たち」を描く。ジョルジュ・サンドらと交流。
1855年のパリ万国博覧会で回顧展が開かれた。
ピクチャレスク=絵のように美しいの意味。想像力を刺激する不完全さや意外性を求めた建築や庭園、風景画のこと。
写実主義=イギリスに産業革命が起こり、過去の文学や理想からの解放。現実をありのまま表現。
クールベ、ドーミエ、ミレーほか
バルビゾン派=「都会での騒々しい生活から逃れて、自然の荒々しく素朴な力に身をゆだね、豊かな感情をとり戻す。自然そのものの美しさを、ありのままに描こうとした」
風景画は退屈だと思っていたけど、見たままを描くことが新しかった時代もあったんだ/驚
ルソー、コロー、トロワイヨン、ミレー、マネ「笛を吹く少年」は、小学校の音楽室に複製が飾ってあったな。
ジャーナリズムの発達により、新聞に風刺漫画が描かれる。ドーミエ。
ラファエロ前派
ミレイ「オフィーリア」はテート・ギャラリー展に観に行った好きな絵の1つ。
印象主義=モネ、ルノワール(腐った死体のようだと批判された)、ピサロ、ドガ
アトリエから出て戸外にイーゼルを立てて描く。光の微妙な変化をとらえた。
チューブ入りの絵の具が製造されたのも大きく影響(1840)
カフェ、セーヌ沿いの郊外で過ごす週末など、当時の新しい風習を描いた。
「モネはひとつの目にすぎない、だがなんとすばらしい目であることか」セザンヌ
油彩、水彩(グワッシュ、テンペラ)、素描(デッサン)、パステル
ミニアチュール(小さな肖像画)→写真にとって代わられる
▼モネ
パリ生。最初はマンガを売っていた。港町ル・アーブルに移転→画家を目指してパリへ。
何度もサロンに落ちて、落選者展で「草上の昼食」を発表して論議となる。
点描画法を発案。印象派展を開催。視力が落ちても「睡蓮」を描き続ける。
ジャポニズム
▼サルヴァスタイル美術館
ここでもいろんな絵が無料で観れるv
▼とおる美術館
このサイトも面白い。
高階秀爾/監修
<目次>
第1章 バロック→ロココの美術
バロックの美術、まんがルーベンス、レンブレント、ロココの美術、まんがゴヤ
第2章 新古典主義→印象主義の美術
新古典主義の美術、ロマン主義の美術、まんがダビッドと新しい美術の幕開き、ドラクロワとロマン主義の確立、写実主義の美術、バルビゾン派、まんがクールベと変わりゆくパリ、印象主義の美術、まんがモネと印象主義の仲間たち
<本書抜粋メモ>
カラバッジオは、デレク・ジャーマンの映画で観たな。
エル・グレコ、ベラスケス、プッサン
礼拝像、祭壇画→風景画、風俗画、静物画、肖像画へ。専門画家も現れる。
ベルサイユ宮殿=ルイ14世の権力の象徴。庭園が遊園地状態!
▼ルーベンス
バロック美術を代表する画家。ドイツ生。有能な外交官でもあった。
「アントワープ大聖堂」は、『フランダースの犬』で、ネロが観た絵だね/涙
大量の注文絵画を完成させるために、友人の画家との共同制作したり、複製を弟子につくらせた。
▼レンブラント
オランダ生。
絵を家の中に飾る習慣があったことも芸術家を育てた土壌になったんだな。
妻サスキアは病弱で、子どもを次々と亡くした後に、サスキア自身も亡くなり、
再婚相手も亡くなり、一人息子も新婚早々亡くなるって・・・
ワニス=樹脂などを溶かした透明の塗料
エッチング
ドイツのマイセン、ワトー「ジル」、ゲインズバラ
パステル画が1720年ごろから流行した。
ルイ15世の愛人ポンパドゥール夫人が芸術を保護。
1人の女性の野心が結果的にアートを成長させたんだから分からないよね。
ロココは女性の時代。女性は、パニエ(ドレス)、男性はカツラを着用するのがファッション。料理や刺繍もしてた/驚
▼ゴヤ
スペイン生。新古典主義の画家。啓蒙主義。のちに宮廷画家に。
46歳から幻覚を見て、聴覚を失う→ニンゲンの内面に隠されたドロドロを描く。
「ロバの顔をした貴族」は可愛い 「裸のマハ」は猥褻だとして裁判となる。
妻が他界→再婚→病気が再発。
「我が子を喰らうサトゥルヌス」これが自宅の壁に描かれてるって怖すぎ!!!
晩年はボルドーで穏やかに暮らした。
キアロスクーロ法
イタリア語で「明-暗」という意味で、美術においては、明暗のコントラスト(対比)を指す言葉。それを用いた技法が「明暗法(めいあんほう)」「陰影法(いんえいほう)」。
版画の種類
木版(14C後半~)デューラー、ゴーギャン、マイヨール→エングレーピング(15C前~16C前)デューラー、マンテーニャ、レンブラント、ゴヤ→リトグラフ(18C末~)ドラクロワ、ドーミエ、ロートレック、ボナール
イギリスで王立美術アカデミー設立(1768)
ルーブル美術館が発足、公開(1793):大きな美術館は略奪の歴史でもあるんだな。
アングル「トルコ風呂」
ウェッジウッド
イギリス上流階級の御曹司たちのヨーロッパ諸都市見聞旅行「グランド・ツアー」によって、
芸術や、新古典主義の考え方が広まったってゆうのも興味深い。
フュースリ「夢魔」
フリードリヒ
ロマン主義=シラー、ゲーテ、バイロン、ショパン、ジェリコー、ブレイク
「道徳よりも感情表現を重視する、想像力豊かな芸術作品が数多く生み出された」
オリエンタリズム=ヨーロッパ画家が中近東や来たアフリカのイスラム世界に憧れた。
ハイドン、クラヴィーア
▼ダヴィッド
パリ生。36歳でやっとローマ賞をとり、イタリアへ留学。
フランス革命が起き、ナポレオンが君臨する。
「処刑台に引かれてゆくマリー・アントワネット」は老いたふつーのおばさんみたいだな。
議員となって旧アカデミーを廃止、「サン・ベルナール峠を越えるボナパルト」を描いて皇帝画家に。
新アカデミーを作る。王政復活。亡命先のベルギーで死去。
▼ドラクロワ
パリ生。ロマン主義の画家。両親を亡くし、姉夫婦のもとで暮らす。
ルーブル美術館で学ぶ。新聞の事件を題材に絵を描く。
オリエントを旅行し、「アルジェの女たち」を描く。ジョルジュ・サンドらと交流。
1855年のパリ万国博覧会で回顧展が開かれた。
ピクチャレスク=絵のように美しいの意味。想像力を刺激する不完全さや意外性を求めた建築や庭園、風景画のこと。
写実主義=イギリスに産業革命が起こり、過去の文学や理想からの解放。現実をありのまま表現。
クールベ、ドーミエ、ミレーほか
バルビゾン派=「都会での騒々しい生活から逃れて、自然の荒々しく素朴な力に身をゆだね、豊かな感情をとり戻す。自然そのものの美しさを、ありのままに描こうとした」
風景画は退屈だと思っていたけど、見たままを描くことが新しかった時代もあったんだ/驚
ルソー、コロー、トロワイヨン、ミレー、マネ「笛を吹く少年」は、小学校の音楽室に複製が飾ってあったな。
ジャーナリズムの発達により、新聞に風刺漫画が描かれる。ドーミエ。
ラファエロ前派
ミレイ「オフィーリア」はテート・ギャラリー展に観に行った好きな絵の1つ。
印象主義=モネ、ルノワール(腐った死体のようだと批判された)、ピサロ、ドガ
アトリエから出て戸外にイーゼルを立てて描く。光の微妙な変化をとらえた。
チューブ入りの絵の具が製造されたのも大きく影響(1840)
カフェ、セーヌ沿いの郊外で過ごす週末など、当時の新しい風習を描いた。
「モネはひとつの目にすぎない、だがなんとすばらしい目であることか」セザンヌ
油彩、水彩(グワッシュ、テンペラ)、素描(デッサン)、パステル
ミニアチュール(小さな肖像画)→写真にとって代わられる
▼モネ
パリ生。最初はマンガを売っていた。港町ル・アーブルに移転→画家を目指してパリへ。
何度もサロンに落ちて、落選者展で「草上の昼食」を発表して論議となる。
点描画法を発案。印象派展を開催。視力が落ちても「睡蓮」を描き続ける。
ジャポニズム
▼サルヴァスタイル美術館
ここでもいろんな絵が無料で観れるv
▼とおる美術館
このサイトも面白い。