■大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』 第38回 「長いお別れ」
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
・神木隆之介、怖かったたけしに「器が無限大」 大河で師弟役共演
“神木は落語家を演じることについて、
「もう、いっぱいいっぱいで、ただ一生懸命です」と苦戦したことに触れ、
「最初の話では、五りんは落語をやらない、やる気がない落語家だからというので安心していたんです。
でも第11回くらいから『あれ? めちゃくちゃ難しいじゃん』となって……」と苦笑い。
師匠・志ん生役のビートたけしの印象を尋ねると
「番組の制作発表の時にお会いして『あっアウトレイジだ』(北野武監督のヤクザ映画)と思ったのは、
体感でもう10年くらい前の感覚ですね。
世界の北野監督ですし、芸人さんとしてもなかなか近寄れない方で勝手に怖いと思っていました」
「五りんは志ん生師匠をすごい人と思っていないし、失礼な態度も取るんです。
自分がたけしさんに気を使っていたら、それが演技に出てしまう。
(たけしに)怒られてもいいから、自分から積極的に話しかけ、
質問もしよう。怒られたら、これが僕の役だからと言うしかない」と腹を括った。
そんな恐る恐るの神木に、たけしの反応は
「僕の質問にもずっと付き合ってくださって、本当に優しかった」とのこと。
「すごいと言われる人って、器が無限大なんだなと思いました」としみじみ。”
【内容抜粋メモ】
■昭和36年
志ん生が巨人軍の祝勝会の壇上で急に倒れて、脳出血で入院
選手が遅れて来て、早めに壇上に上がったところに料理が同時に出て
誰も噺を聞いていないという状況だった
ミツコ:
左脳の血管が切れて、最悪、言葉が喋れなくなるかもって
助かっても、大好きなお酒は一生飲めないと言われた
■昭和13年
カノウの棺に集まる四三、可児、永井、野口ら
四三:オリンピックはやる 必ず
カノウさんを偲ぶ会
いるのは可児、永井、野口、田畑だけ
「オリンピック東京大会組織委員会」
タバタが説明している
陸軍次官 梅津美治郎は、ギリシャから聖火を持って来ることから反対し「神火リレー」を提案
高千穂→出雲大社→伊勢神宮→明治神宮のコースを推す
新東京市長は駒沢競技場を提案 12万人収容する競技場を新設する
梅津:鉄はなにより貴重 木で造ったらどうか
副島:
イギリスとフランスがボイコットを申し出た
返上しよう 私の独断で
タ:
やらないのは、何も残らない 何も学ばない
カノウさんはいるんだよ! 動いてるんだよストップウォッチが
いいのかな止めちゃって
総理に頼んで止めるなら、戦争のほうじゃないの?!(至極、正論!
オリンピックの間だけでも一時停戦にならないの?
副島:機が熟せばいつかやれるさ
■7月14日 政府が東京オリンピックの中止を決定
副島:「売国奴」「非国民」と罵られても私は後悔していない ラトゥールに手紙を書く
まだ競技場で走っている四三を止めるタ
四三:小松にはどぎゃん言うたらよかですか?
タ:東京オリンピックは中止だ! もう走らんでよか
小松:返上ならオリンピックはやりますよね
タ:やるんじゃないか ヘルシンキで
小松:オレはヘルシンキに出ます!
四三:戦争がおさまらんと日本人は出られんぞ
ストップウォッチを動かしたまま机の引き出しにしまうタ
■昭和36年
まだ動いているストップウォッチを止めようとする岩田を慌てて止めるタ
即席麺を食べるのに自分で止めようとしちゃうタw
(それって、朝ドラで作ったやつ?
半身不随になりつつもまだお酒を飲もうとする志ん生
ハリマヤスポーツ(ハリマヤ製作所)で父がオリンピックを目指していたことを辛作から聞いた五りん
徴兵され、満州に行った
五りん:その頃、慰問で行ってたんですよね?
■昭和14年 第二次世界大戦
ナチスはポーランドに侵攻
イギリス、フランスが宣戦布告
四三:
ヘルシンキでもやるまい 熊本に帰ったらどうだ?
神宮でやった「戦技競技会」はスポーツとは呼べん
(ん? 今でも続いているの?! ウィキ参照
辛作:
家賃もとらずに何年も置いてるのは
あんた(四三)がいると家の中が楽しいからだよ!
あんただけはバカみたいに笑ってなきゃダメなんだよ!
スヤ:
お父ちゃんもオリンピックが中止になった時、部屋で泣きよった
勝さんが東京に残りたい理由はそれだけじゃない ねえ、りくちゃん
りくにプロポーズする勝
もう家で簡素な祝言をあげる
鬼の形相の増野 スヤを亡くした時の哀しみを何度も訴える
小松は「大切にする」と言うけれども
その後すぐ徴兵されて戦死したんじゃ、結婚した意味がないものね・・・
翌年、五りんが産まれた 昭和15年秋 本名は小松金治
五りん:金メダルの金に、治五郎さんの治じゃないですか?
志ん生:金栗の金じゃないのか? 昭和15年はオレが志ん生を襲名した頃だな
志ん生という名前は短命だと心配するりん
りん:子どもが4人もいて 先代が亡くなった50まであと1年じゃないか
意識が戻っていることを知っているのは五りんだけ
りん:志ん生を名乗って22年 よく頑張ったよね/泣
夜中にお酒を飲んでいる志ん生
■昭和16年 東條内閣成立
「紺屋高尾」を演っている山崎松尾(後の三遊亭圓生)
寄席にまで兵隊がいて何かメモってる
「禁演落語一覧」が貼られる
志ん生:どこが“不謹慎”なんだ 冗談じゃねーや!
(この馬鹿馬鹿しさが分からなくなるのが戦争の本当の恐さ
■真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発
大本営からは「連戦連勝」と発表されたが
戦況が正確に伝わることはなかった
新聞社まで戦争一色「新聞も兵器なり」とある
村山:タバタ、ウソでも喜べ バンザーイ!!
箱根駅伝は2年連続中止
■昭和18年 靖国神社箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会
小松も走ったが、「学徒出陣」に徴兵される
まだ学生で結婚したのか/驚
「学徒出陣」
兵力不足から20歳以上の文科系大学生が徴兵対象となる
♪自転車節 を歌ってる時のこの子が後の五りんか
増野:(娘を幸せにする)約束破ったな!! と小松を蹴るが子どもたちを見て
立派に戦ってくるんだぞ お国のために
千人針を渡すりく
小松:
金栗先生 この子(五りん)は体が弱かけん
3つになったら冷水浴をさせてください(だからか
みんなで泣きながら「バンザイ!!」
ワケの分からない息子も「バンザイ!!」
■昭和18年10月21日 出陣学徒壮行会@明治神宮
この恐ろしい統制っぷり 北朝鮮がどうとかって批判出来ない
日本もひと通りの同じ修羅の道を通ってきたんだ
皮肉にもカノウがオリンピックのために造った場所から若者が戦地に送り出された
タ:5万人しか入らんのじゃなかったのか?!
東龍太郎:出陣学徒が3万人 スタンドに5万
タ:こんなに入るならオリンピックが出来た!
河野を呼び止める
タ:これで満足か? 河野先生 オレは諦めん オリンピックをここでやる!
東條:天皇陛下 バンザイ!!
建設が進む新国立競技場@新宿区
2015年に解体された旧国立競技場の前身が明治神宮外苑競技場
日本初の大規模スタジアムでは、戦前、さまざまなスポーツ競技が行われた
戦中には2万5000人もの学生が雨の中、戦地に送られた
オリンピック出場経験のあるソネさんは戦没オリンピアの調査を続けている
現在確認できているのは39人
1920年~1936年までのオリンピック参加者が犠牲となった
ソネ:
オリンピックが開催されることを契機に
そういう時代があったということを
もう一度、みなさんに知ってほしいなということがあります
オリンピアンとかは関係なく召集令状が来る
それが戦争だと思います
ロスオリンピックで活躍した選手たちも戦死した
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)
・神木隆之介、怖かったたけしに「器が無限大」 大河で師弟役共演
“神木は落語家を演じることについて、
「もう、いっぱいいっぱいで、ただ一生懸命です」と苦戦したことに触れ、
「最初の話では、五りんは落語をやらない、やる気がない落語家だからというので安心していたんです。
でも第11回くらいから『あれ? めちゃくちゃ難しいじゃん』となって……」と苦笑い。
師匠・志ん生役のビートたけしの印象を尋ねると
「番組の制作発表の時にお会いして『あっアウトレイジだ』(北野武監督のヤクザ映画)と思ったのは、
体感でもう10年くらい前の感覚ですね。
世界の北野監督ですし、芸人さんとしてもなかなか近寄れない方で勝手に怖いと思っていました」
「五りんは志ん生師匠をすごい人と思っていないし、失礼な態度も取るんです。
自分がたけしさんに気を使っていたら、それが演技に出てしまう。
(たけしに)怒られてもいいから、自分から積極的に話しかけ、
質問もしよう。怒られたら、これが僕の役だからと言うしかない」と腹を括った。
そんな恐る恐るの神木に、たけしの反応は
「僕の質問にもずっと付き合ってくださって、本当に優しかった」とのこと。
「すごいと言われる人って、器が無限大なんだなと思いました」としみじみ。”
【内容抜粋メモ】
■昭和36年
志ん生が巨人軍の祝勝会の壇上で急に倒れて、脳出血で入院
選手が遅れて来て、早めに壇上に上がったところに料理が同時に出て
誰も噺を聞いていないという状況だった
ミツコ:
左脳の血管が切れて、最悪、言葉が喋れなくなるかもって
助かっても、大好きなお酒は一生飲めないと言われた
■昭和13年
カノウの棺に集まる四三、可児、永井、野口ら
四三:オリンピックはやる 必ず
カノウさんを偲ぶ会
いるのは可児、永井、野口、田畑だけ
「オリンピック東京大会組織委員会」
タバタが説明している
陸軍次官 梅津美治郎は、ギリシャから聖火を持って来ることから反対し「神火リレー」を提案
高千穂→出雲大社→伊勢神宮→明治神宮のコースを推す
新東京市長は駒沢競技場を提案 12万人収容する競技場を新設する
梅津:鉄はなにより貴重 木で造ったらどうか
副島:
イギリスとフランスがボイコットを申し出た
返上しよう 私の独断で
タ:
やらないのは、何も残らない 何も学ばない
カノウさんはいるんだよ! 動いてるんだよストップウォッチが
いいのかな止めちゃって
総理に頼んで止めるなら、戦争のほうじゃないの?!(至極、正論!
オリンピックの間だけでも一時停戦にならないの?
副島:機が熟せばいつかやれるさ
■7月14日 政府が東京オリンピックの中止を決定
副島:「売国奴」「非国民」と罵られても私は後悔していない ラトゥールに手紙を書く
まだ競技場で走っている四三を止めるタ
四三:小松にはどぎゃん言うたらよかですか?
タ:東京オリンピックは中止だ! もう走らんでよか
小松:返上ならオリンピックはやりますよね
タ:やるんじゃないか ヘルシンキで
小松:オレはヘルシンキに出ます!
四三:戦争がおさまらんと日本人は出られんぞ
ストップウォッチを動かしたまま机の引き出しにしまうタ
■昭和36年
まだ動いているストップウォッチを止めようとする岩田を慌てて止めるタ
即席麺を食べるのに自分で止めようとしちゃうタw
(それって、朝ドラで作ったやつ?
半身不随になりつつもまだお酒を飲もうとする志ん生
ハリマヤスポーツ(ハリマヤ製作所)で父がオリンピックを目指していたことを辛作から聞いた五りん
徴兵され、満州に行った
五りん:その頃、慰問で行ってたんですよね?
■昭和14年 第二次世界大戦
ナチスはポーランドに侵攻
イギリス、フランスが宣戦布告
四三:
ヘルシンキでもやるまい 熊本に帰ったらどうだ?
神宮でやった「戦技競技会」はスポーツとは呼べん
(ん? 今でも続いているの?! ウィキ参照
辛作:
家賃もとらずに何年も置いてるのは
あんた(四三)がいると家の中が楽しいからだよ!
あんただけはバカみたいに笑ってなきゃダメなんだよ!
スヤ:
お父ちゃんもオリンピックが中止になった時、部屋で泣きよった
勝さんが東京に残りたい理由はそれだけじゃない ねえ、りくちゃん
りくにプロポーズする勝
もう家で簡素な祝言をあげる
鬼の形相の増野 スヤを亡くした時の哀しみを何度も訴える
小松は「大切にする」と言うけれども
その後すぐ徴兵されて戦死したんじゃ、結婚した意味がないものね・・・
翌年、五りんが産まれた 昭和15年秋 本名は小松金治
五りん:金メダルの金に、治五郎さんの治じゃないですか?
志ん生:金栗の金じゃないのか? 昭和15年はオレが志ん生を襲名した頃だな
志ん生という名前は短命だと心配するりん
りん:子どもが4人もいて 先代が亡くなった50まであと1年じゃないか
意識が戻っていることを知っているのは五りんだけ
りん:志ん生を名乗って22年 よく頑張ったよね/泣
夜中にお酒を飲んでいる志ん生
■昭和16年 東條内閣成立
「紺屋高尾」を演っている山崎松尾(後の三遊亭圓生)
寄席にまで兵隊がいて何かメモってる
「禁演落語一覧」が貼られる
志ん生:どこが“不謹慎”なんだ 冗談じゃねーや!
(この馬鹿馬鹿しさが分からなくなるのが戦争の本当の恐さ
■真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発
大本営からは「連戦連勝」と発表されたが
戦況が正確に伝わることはなかった
新聞社まで戦争一色「新聞も兵器なり」とある
村山:タバタ、ウソでも喜べ バンザーイ!!
箱根駅伝は2年連続中止
■昭和18年 靖国神社箱根神社間往復関東学徒鍛錬継走大会
小松も走ったが、「学徒出陣」に徴兵される
まだ学生で結婚したのか/驚
「学徒出陣」
兵力不足から20歳以上の文科系大学生が徴兵対象となる
♪自転車節 を歌ってる時のこの子が後の五りんか
増野:(娘を幸せにする)約束破ったな!! と小松を蹴るが子どもたちを見て
立派に戦ってくるんだぞ お国のために
千人針を渡すりく
小松:
金栗先生 この子(五りん)は体が弱かけん
3つになったら冷水浴をさせてください(だからか
みんなで泣きながら「バンザイ!!」
ワケの分からない息子も「バンザイ!!」
■昭和18年10月21日 出陣学徒壮行会@明治神宮
この恐ろしい統制っぷり 北朝鮮がどうとかって批判出来ない
日本もひと通りの同じ修羅の道を通ってきたんだ
皮肉にもカノウがオリンピックのために造った場所から若者が戦地に送り出された
タ:5万人しか入らんのじゃなかったのか?!
東龍太郎:出陣学徒が3万人 スタンドに5万
タ:こんなに入るならオリンピックが出来た!
河野を呼び止める
タ:これで満足か? 河野先生 オレは諦めん オリンピックをここでやる!
東條:天皇陛下 バンザイ!!
建設が進む新国立競技場@新宿区
2015年に解体された旧国立競技場の前身が明治神宮外苑競技場
日本初の大規模スタジアムでは、戦前、さまざまなスポーツ競技が行われた
戦中には2万5000人もの学生が雨の中、戦地に送られた
オリンピック出場経験のあるソネさんは戦没オリンピアの調査を続けている
現在確認できているのは39人
1920年~1936年までのオリンピック参加者が犠牲となった
ソネ:
オリンピックが開催されることを契機に
そういう時代があったということを
もう一度、みなさんに知ってほしいなということがあります
オリンピアンとかは関係なく召集令状が来る
それが戦争だと思います
ロスオリンピックで活躍した選手たちも戦死した