2002年初版
※「作家別」カテゴリー内「
酒井駒子」に追加します
※「小川未明まとめ」カテゴリー参照
酒井駒子:
1966年生まれ
着物など和物を中心としたテキスタイルデザインを手がけ
現在はフリーのイラストレーター
作者 小川未明
1882年新潟生まれ
早稲田大学英文科卒業
新聞、雑誌の記者を経て作家生活に入り
1910年童話集『赤い船』を刊行
童話創作に専念
日本児童文学者協会初代会長
1961年没 著作は多数
小川未明(おがわ みめい)
(1882-1961)新潟県高田の生れ。本名健作。早大英文科卒。
在学中に書いた小説「紅雲郷」が坪内逍遥に認められ、十数冊の短編小説集を刊行する。
大正デモクラシー時代は社会主義運動に参加する一方、童話を積極的に書くようになり、
『赤い蝋燭と人魚』(1921)など多くの童話集を出版。
戦前の日本児童文学界で最大の存在となる。
1953年文化功労者に選ばれる。
・小川未明さん|すぎなみ学倶楽部
この原画も展覧会で見てとても神秘的な絵に惹きこまれて
しばらく離れることが出来なかった
右開きの本て珍しくないかな?
読み始めてすぐ、古めかしい言葉遣いに
これは大人向けの絵本だなと気づいた
小川未明さんの他の本も読みたくなった
【内容抜粋メモ】
この本は『赤い蝋燭と人魚』大正10年を底本として校閲した
人権意識の上で不適切とされる表現があるが
作品の価値、著作人格権を考慮して原文のままとした
北の海に女の人魚が暮らしていた
自分の姿は底深い海の中に住んでいる気の荒い獣と比べたら
どれほど人間に心も姿も似ているかしれない
人間はこの世界で一番優しいと聞いている
かわいそうなものを決していじめたり苦しめたりせず
一度手にとって育ててくれたら
決して無慈悲に捨てることもあるまいと思われる
(そう思ってくれるのが嬉しくもあり哀しくもなる/涙
せめて自分の子供は美しい街で育てたい
もう再び我が子の顔を見ることができないのは悲しいが
子供が幸せになれば、私の喜びはそれに増したことはない
女の人魚は海岸の小さな町の陸に子供を産み落とす
お宮のある山の下に小さなろうそくを商う店があり
子供のいない年寄りの夫婦が住んでいる
おじいさんがろうそくを作って
おばあさんが店で売る
付近の漁師がお宮にお参りをする時
この店に立ち寄り、ろうそくを買って山へ登る
おばあさん:
私達がこうして暮らしているのも神様のおかげだ
そう思ったついでに山へ登ってお参りしてきます
その帰りに人魚の子供を見つけて
これはまさしく神様のお告げ子だから
大事に育てなければバチが当たると二人で育てる
人間の子ではないと知りながら大事に育てると
子供は美しい利口な娘に育つ
恥ずかしがって顔を出さないが
恩返しにろうそくに赤い絵の具で
魚や海や海草のようなものを描くととても上手い
絵を描いたろうそくをお宮にあげて
燃えさしを身につけて海に出ると
どんな大嵐の日でも決して船が転覆したり
溺れ死ぬ災難がないと噂になる
お宮様も綺麗なろうそくあげれば喜ぶのに決まっている
山も神社もろうそくの店も有名になったが
誰もその絵を描いている娘の事を知らない
娘は疲れて度々窓から顔を出して
遠い青い海を恋しがって涙ぐむことがあった
ある日、珍しいものを探して南の方の国へ持って行き
金儲けをする香具師(やし)が入ってくる
どこから聞きつけたのか人魚の子供を売ってくれないかと夫婦に申し出る
最初はバチが当たると承知しなかったが
人魚は昔から不吉なもので、今のうちに手放さないと
きっと悪いことがあると何度も言うので
それを信じて売ることに約束してしまう
それを知った娘は
どんなにも働きますからどうぞ売らないでください
と泣いて頼むが夫婦は哀れとも思わなかった
月の明るい晩、娘がろうそくに絵を描いていると
おじいさんとおばあさんが入ってきて
お前は行くのだと連れ出そうとする
急き立てられて持っていたろうそくを赤く塗って2、3本残して行く
穏やかな晩
色の白い女がろうそくを買いに来て
赤いろうそくを売る
女の黒い髪がびっしょり濡れていて
おばあさんはびっくりする
渡されたお金は貝殻で
騙されたと思い探すがもうどこにもいない
その夜、近頃にない大嵐となり
香具師が娘を檻に入れて南の国へ行く途中だったが
その夜難破した船は数え切れないほどだった
その後、赤い蝋燭が山のお宮に点ると
どんなに天気が良くてもたちまち大嵐になり
神様のバチが当たったと夫婦は蝋燭屋を辞めてしまう
世間にも噂が伝わり、誰も山の上のお宮に参詣するものもなくなり
何年かしてその町は滅びてなくなってしまう
人魚の娘は母親の元に戻ったのだろうか?
せっかく人間をとても優しいと思ってくれていたのに
お金、人の話に惑わされて裏切ったのが哀しい
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※「小川未明まとめ」カテゴリー参照
酒井駒子:
1966年生まれ
着物など和物を中心としたテキスタイルデザインを手がけ
現在はフリーのイラストレーター
作者 小川未明
1882年新潟生まれ
早稲田大学英文科卒業
新聞、雑誌の記者を経て作家生活に入り
1910年童話集『赤い船』を刊行
童話創作に専念
日本児童文学者協会初代会長
1961年没 著作は多数
小川未明(おがわ みめい)
(1882-1961)新潟県高田の生れ。本名健作。早大英文科卒。
在学中に書いた小説「紅雲郷」が坪内逍遥に認められ、十数冊の短編小説集を刊行する。
大正デモクラシー時代は社会主義運動に参加する一方、童話を積極的に書くようになり、
『赤い蝋燭と人魚』(1921)など多くの童話集を出版。
戦前の日本児童文学界で最大の存在となる。
1953年文化功労者に選ばれる。
・小川未明さん|すぎなみ学倶楽部
この原画も展覧会で見てとても神秘的な絵に惹きこまれて
しばらく離れることが出来なかった
右開きの本て珍しくないかな?
読み始めてすぐ、古めかしい言葉遣いに
これは大人向けの絵本だなと気づいた
小川未明さんの他の本も読みたくなった
【内容抜粋メモ】
この本は『赤い蝋燭と人魚』大正10年を底本として校閲した
人権意識の上で不適切とされる表現があるが
作品の価値、著作人格権を考慮して原文のままとした
北の海に女の人魚が暮らしていた
自分の姿は底深い海の中に住んでいる気の荒い獣と比べたら
どれほど人間に心も姿も似ているかしれない
人間はこの世界で一番優しいと聞いている
かわいそうなものを決していじめたり苦しめたりせず
一度手にとって育ててくれたら
決して無慈悲に捨てることもあるまいと思われる
(そう思ってくれるのが嬉しくもあり哀しくもなる/涙
せめて自分の子供は美しい街で育てたい
もう再び我が子の顔を見ることができないのは悲しいが
子供が幸せになれば、私の喜びはそれに増したことはない
女の人魚は海岸の小さな町の陸に子供を産み落とす
お宮のある山の下に小さなろうそくを商う店があり
子供のいない年寄りの夫婦が住んでいる
おじいさんがろうそくを作って
おばあさんが店で売る
付近の漁師がお宮にお参りをする時
この店に立ち寄り、ろうそくを買って山へ登る
おばあさん:
私達がこうして暮らしているのも神様のおかげだ
そう思ったついでに山へ登ってお参りしてきます
その帰りに人魚の子供を見つけて
これはまさしく神様のお告げ子だから
大事に育てなければバチが当たると二人で育てる
人間の子ではないと知りながら大事に育てると
子供は美しい利口な娘に育つ
恥ずかしがって顔を出さないが
恩返しにろうそくに赤い絵の具で
魚や海や海草のようなものを描くととても上手い
絵を描いたろうそくをお宮にあげて
燃えさしを身につけて海に出ると
どんな大嵐の日でも決して船が転覆したり
溺れ死ぬ災難がないと噂になる
お宮様も綺麗なろうそくあげれば喜ぶのに決まっている
山も神社もろうそくの店も有名になったが
誰もその絵を描いている娘の事を知らない
娘は疲れて度々窓から顔を出して
遠い青い海を恋しがって涙ぐむことがあった
ある日、珍しいものを探して南の方の国へ持って行き
金儲けをする香具師(やし)が入ってくる
どこから聞きつけたのか人魚の子供を売ってくれないかと夫婦に申し出る
最初はバチが当たると承知しなかったが
人魚は昔から不吉なもので、今のうちに手放さないと
きっと悪いことがあると何度も言うので
それを信じて売ることに約束してしまう
それを知った娘は
どんなにも働きますからどうぞ売らないでください
と泣いて頼むが夫婦は哀れとも思わなかった
月の明るい晩、娘がろうそくに絵を描いていると
おじいさんとおばあさんが入ってきて
お前は行くのだと連れ出そうとする
急き立てられて持っていたろうそくを赤く塗って2、3本残して行く
穏やかな晩
色の白い女がろうそくを買いに来て
赤いろうそくを売る
女の黒い髪がびっしょり濡れていて
おばあさんはびっくりする
渡されたお金は貝殻で
騙されたと思い探すがもうどこにもいない
その夜、近頃にない大嵐となり
香具師が娘を檻に入れて南の国へ行く途中だったが
その夜難破した船は数え切れないほどだった
その後、赤い蝋燭が山のお宮に点ると
どんなに天気が良くてもたちまち大嵐になり
神様のバチが当たったと夫婦は蝋燭屋を辞めてしまう
世間にも噂が伝わり、誰も山の上のお宮に参詣するものもなくなり
何年かしてその町は滅びてなくなってしまう
人魚の娘は母親の元に戻ったのだろうか?
せっかく人間をとても優しいと思ってくれていたのに
お金、人の話に惑わされて裏切ったのが哀しい