旅行から帰った翌日、娘のアパートに行き、最後に残っていた冷蔵庫と洗濯機、ソファーの梱包を手伝った。
翌朝9時に業者が来たが、荷物の状態を見て「こんなにきちんと梱包してある引っ越しは初めてだ。」と言われた。
また、何でも3月31日の引っ越しは特に混んでいて、娘が頼んだ4トントラックは無く、7トントラックが来たので、積み込み作業は楽だったようだ。
積み込み終了後、娘の車で3時間半の異動先の町へ走った。
実はその町は、私が長年働き、子ども達を育てた懐かしく、苦労の多かった町なのだ。その町に偶然、娘が異動したのだから驚きなのだ。
途中の険しい峠は雪が降っていて真っ白になっていて、道央との気候の違いを感じた。着くとすでにトラックは到着していた。
まず、どんな住まいか入って見た。3年ほど前に建て替えられたという外断熱、バリアフリー設計の広いアパートだった。独身者が独りで住むには本当に勿体ない様な近代的な家で驚いた。私が働いていた若い頃との違いを感じた。
積み卸しが終わった後、荷解きを手伝った。流石に旅の疲れと引っ越しの疲れが重なり、その晩は早めに休んだ。
翌朝、娘は早朝に初出勤したので、私は荷解きと片づけを頑張った。風が強く、凄く寒い。業者に新しい石油ストーブを付けて貰い、やっと人心地がついた。その晩早速、歓迎会があるといって、娘が帰宅したのは夜中だった。重たい荷物を持ち、立ち働いたので腰が痛み出した。持って行った湿布を貼ったが、効き目は今1つだ。
次の朝は、疲れを残しながら出勤する娘に、久し振りの弁当作りをした。
夜は、娘が生まれた後、産休明けから保育所に入れて貰うまでの1年間、昼間娘を見てくれた奥さんに二人で挨拶に行った。今は80才を越え、体調も悪いと言っていたが、とても喜んでくれた。
また、保育所に行くようになってから熱を出した時など、数度世話をしてくれた奥さんの所にも行った。すごく驚かれた。
ほぼ私のできる仕事が片づいたので、連絡をしておいた昔の友人達に会いに行った。ランチをしながら3人と旧交を温めた。最高齢者は82才だが、凄く元気で驚いた。72才の友人とは韓国ドラマの話で盛り上がった。チベット自治州は今後どうなるのだろうかという話や高齢化とがんの話も出た。
分かれてから別の友人との待ち合わせ場所に行き、お喋りを楽しんでから夕方帰宅した。
そして私は昨日、朝出発の「都市間バス」に乗って札幌に戻った。峠はやはり雪だった。
半月前に会う約束をした同業だった友人2人を待ち合わせ場所で待った。駅に隣接するレストラン街の店に入って、韓国料理ビビンパを注文した。熱く焼けた石鍋飯は美味しかったし、まだ現役で仕事を続けている2人の話は良い刺激になった。
昨夜はぐっすり眠った。引っ越し手伝いは疲れ果てたが、旧友に会う時間も持てて良かった。
娘には職業人として故郷の新しい職場で頑張って働いて欲しい。その町は遠いが、またその内、私も出掛けたいと思っている。