花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「インド旅行」(3)

2013年12月04日 | 海外旅行「南アジアⅠ」インド

≪首都「デリー」の観光≫

今回は、ほとんど毎日、国内便航空機に乗って次の都市に移動したので、ほぼ移動に半日(発着時間の2時間前には空港に行かなければならないため)、観光に半日という毎日だった。
今日は後半の首都「デリー」の観光から書くことにしたい。
「デリー」は、17世紀の中頃、ムガール帝国の首都として新たに建設された都市だ。
現在は人口1,500万人が住み、大統領府、国会議事堂、各国大使館などがあるインドの首都である。
ガイドの話では、近年急激に乗用車が増加し、今は750万台が走っているとの事。

私達が観光した日は、軍と警察が沢山出ていて、緊張感に溢れている感じだった。聴く所によると、日本から天皇、皇后が訪問する前日だったようだ。

①先ず、デリーのシンボルの「インド門」(高さ42m)を、車窓から見学した。
この門は、1803年にデリーに駐屯地と居留地を置き、1911年に英領イギリスの首都を「コルカタ」から「デリー」に移したイギリスが、その証として1931年に自国の建築家に建てさせた物で、第一次世界大戦のインド兵士9万人の慰霊碑である。その内の13,500人の名が刻印されている。
「インド門」を中心に「ニューデリー」が建設されて行った。
イギリスは戦争終結後のインドの独立を条件にインドに参戦させたが、その約束は果たされなかったのだ。

最近この傍で大きなデモがあったらしく、傍に近づくことが禁止されていた。

 

②世界遺産「クトゥプ・ミナール」
ミナールとはモスクの尖塔の事だ。これはインド初のイスラム王「クトゥプディーン・アイバク」が、ヒンズー教徒に勝利した記念に建てた塔だ。(1192年に着工したが1層目で死亡した。その後、後継者が建設を引き継いだ。14世紀までかかって建設されたという)
高さ72.5m、基部の直径は14.3mあり、砂岩と大理石などを組み合わせて造られ、コーランが刻印されている巨大な美しい塔だった。

  

傍に1188年に造られたというインド最古のモスク「クワトゥル・イスラーム・マスジット」の回廊が残っていた。
列柱の浮き彫りが美しかった。

 

間近に巨大な残骸の様なものがあった。それは「アラーイーの塔」で、スルタン、アラーイーが1312年に「クトゥプ・ミナール」よりも大きな塔を建てようと着工したが、途中で暗殺され、工事が中止されたものだという。権力者の果たせぬ夢の跡だった。

 

③世界遺産「フマユーン廟」は、ムガル帝国2代目皇帝「フマユーン」の妃が、1565年に夫の墓として建造したもので、中央にドームがある左右対称の形をしていた。
堂々とした立派な廟だが、妃は皇帝の残した巨大な遺産を資金として建てたのだろう。
妃亡き後、2つの棺が並んで置かれた。(写真の棺はダミーで、本物はこの下にあるらしい)

ここにはインドの小中高校生が教師に引率されて、大勢見学に来ていた。いずれも男子校、女子高らしかった。
生徒達は写真を撮られることが好きらしく、カメラを向けると直ぐに大勢が寄って来て笑顔を振り撒いてくれた。

  

  

④世界遺産「レッド・フォート」は、ムガール帝国の赤い砦だ。
第5代皇帝「シャー・ジャハーン」が1639~48年に建造した巨大な砦だが、その後の戦乱でかなりの部分が破壊されたらしい。
毎日行われる謁見式で、民衆が皇帝に直訴する「陳情書」があった。公開裁判では、罪人を象に踏ませたり、毒蛇に噛ませたり、剣で切る公開処刑が、ここで行われたらしい。
ここは外から写真撮影をしただけだった。

 

 




コメント (2)
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