≪「ダージリン」最後の日、また「カンチェンジュンガ」に出会えた≫
前に書いた様に私の部屋からは「カンチェンジュンガ」が見えなかったので、暖かい服装をして、夜明け前の5;50にホテルの門を開けて貰い、1人で外へ出た。
40m程坂を下ると前方が開けた場所があった。そこで朝日を待つことにした。
昨日の「タイガー・ヒル」よりも山に近いのか、朝焼けの太陽に照らされた「カンチェンジュンガ」がはっきりと浮かび上がった。
ところが電線が邪魔になって、写真をとるのにはどうも良くない。困ったと思っていたら、道路の下に建つ家の男性が、自分の家の庭に下りて来ないかと手招きしてくれた。
インドはレイプ多発国なので一瞬迷ったが、決心して男性が開けてくれた鉄の扉の内側に入った。
そのベランダ状の庭には邪魔になるものは何も無く、素晴らしい「カンチェンジュンガ」と下方に見える「ダージリン」の町の景色を堪能できた。
男性には「どこから来たのか」「どのホテルなのか」と聞かれた。やがて「椅子に座りなさい」「ティーを飲むか」「あなたの写真を撮って上げる」と凄く親切にいわれたが、私は写真だけ3枚撮ってもらった。
15分間程だったが、写真を10枚ほど撮った。その時は安全を考えて部屋にバックを置いて出たので、カメラしか持っていなかった。何もお礼ができなくて残念だったが、男性に心からお礼を言ってホテルに戻った。
4WDとバスを乗り継いで2000m以上の標高差があった山を降りる途中、「1000m以上の場所に生えている杉の木は、1800年代に日本から持って来た苗木を育てたものだ」とガイドが説明してくれた。途中、茶葉を摘んでいる光景にも出会った。
やっと「バグドグラ空港」に着いた。
空港の安全検査はとても厳しく、私がバックに持っていた印鑑を「出して見せなさい。」と言われた。X線では鉄砲の弾の様に写ったのかも知れない。
「ダージリン」は、「ネパール」「中国(チベット自治区)」「ブータン王国」「バングラディシュ」に国境を接した狭い高原地帯であるため、この近辺では時々外国の軍隊や反政府派がテロ事件を起こしているので、この空港の警備が厳しかったのだろうと思った。
現地ガイドが「デリー空港」に向かう航空機の右窓の座席を取ってくれていたので、窓から遥か遠方に白く輝くヒマラヤ山脈が見えた。
3年前に「タイ」から乗り継いで「ネパール」に行った時の事を思い出した。小さな窓から8000m級の山々がズラリと連なる光景を見ながら、遥か昔、「インド亜大陸」と「ユーラシア大陸」が移動して衝突し、ぶつかった時にその衝撃で「ヒマラヤ山脈」ができたという話が本当だと思えた。
インドの旅8日目の夜、「デリー空港」21;15発の「エアー・インディア」はエコノミー席の後方に空席があり、私は中央の3席を独り占めして横になる事ができた。お陰で6時間半位、ぐっすりと寝られた。
成田空港には翌朝8時前に着いたので、10;20の航空機で成田から新千歳空港に乗り継いだ。家には昼過ぎに無事帰宅できた。
広いインドの世界遺産の中で、もう少し見たい場所がある。折角苦労して取った6ヶ月有効のビザがあるので、その期間内に未だ見ぬ場所の良いツアーがあれば、もう一度行きたいと思っている所だ。
これで長かった旅行記を終えるが、読んでくれた皆さんに感謝しつつ、今回の記事を通してインドに更なる関心を持って戴けたら嬉しい。 (完)