今日はひな祭り。娘が生まれた時に求めた雛飾りの7段セットは、ここ数年飾っていない。転勤族の娘は、就職して以来、家を出て行ったので、私では飾ったとしても片付けるのが大変だからだ。
今日はお汁粉でも作って食べようかな。それとも滅多に造らない散らし寿司でも作ろうか。
明日は旧友と久し振りに会うことになっているので、手土産は何にしようか考えている。
《エローラ石窟寺院》
ついに旅行も8日目となって最終日を迎えた。
2泊した「アウランバード」のホテルに別れを告げ、スーツケースを積み込んだバスに乗った。
そこから西北西に60km程行くと、今回の旅のハイライト「エローラ石窟寺院」があるのだ。
途中バスが止まった。
降りると古い城跡が見えるという。写真撮影だけをしてバスに戻るよう言われた。
私がグループから少し離れた所で写真を写していた時、不意に絵葉書売りの男性に腕を捕まれ、1m程引っ張られたのでとても驚いた。
振り返って見たら、動物か何かの排泄物がどっさりあったのだ。その男性は、カメラを覗いていて排泄物に気づかない私を救ってくれたのだろう。
バスは直ぐに出発したが、もう少し時間があればその人の絵葉書を買ったのにと悔やんだ。
さらに数十キロ進むと小山が見えて来た。バスを降りて少し歩いた。
前日に「アジャンタ石窟寺院」で見たのと同様の石窟が見えて来た。ここには全部で34の石窟が1.5km程の岩山の壁面に掘られている。
その内の第1~12窟は「仏教石窟群」で、第13~29窟は「ヒンズー教石窟群」、第30~34窟は「ジャイナ教石窟群」なのだ。
「仏教石窟群」は7~8世紀に、「ヒンズー教石窟群」は6~9世紀に、「ジャイナ教石窟群」は9世紀頃に掘られたものらしい。
私達はその中のいくつかの代表的な石窟の内部を見た。
最初は「仏教石窟群」を見たが、内部に何も無い洞窟は、穀物などの食糧庫だったらしい。柱は岩山を支えるのではなく、単なる装飾として掘り出されて作られたものだ。
大勢のインド人観光客が来ていた。素敵なサリーを着ていた年配女性に、写真を撮らせてもらった。お礼に旅行中バッグに入れて持ち歩いている完成間近まで折った折り紙のツルを、手早く彼女の目の前で仕上げて差し出した。
その時、別の女性グループも寄って来て興味深そうに見ていたので、もう一つ仕上げて1人の人に渡したらとても喜んでくれた。
彼女達とはヒンズー教寺院でまた会ったので、写真を撮らせてもらった。
「ヒンズー教石窟群」は少し離れた所にあった。そこに行く途中に野生の猿がいた。
代表的な石窟寺院を見たが、やはり何と言っても驚いたのは第16窟「ヒンズー教石窟寺院」の「カイラーサナータ寺院」だった。
仏教が衰退する中、勢力を強めたヒンズー教だったが、僧達の修行の場ではなく、ヒンズーの神々を祀るために造られた寺院なのだ。
巨大な岩山を山の上と脇面から100年の歳月をかけて少しずつ内部に掘り進み、奥行き81m、幅47m、高さ(深さ)33mの空間内に、塔門、17mの柱頭、前殿、本殿などを掘り出して建造した寺院なのだった。
前殿の入り口から入り、明かりが無く暗い室を奥の本殿に進むと、狭い空間にヒンズー教が信仰する「リンガ」が置かれていた。
ガネーシャ神の乗り物の象も幾つもあった。スポンサーだった王達の財力と威信、そして百年間、巨大な岩山にノミ一つで挑戦し、数々の素晴らしい石造彫刻を作り出した人々の熱意、信仰心を想像し、圧倒された。
(山の上に行って、下の寺院全体を見たかったが予定に無く、叶わなかった。最後の写真は、入り口の裏側に作られていた「ベランダ」の上に行って撮ったものだ)
今日はお汁粉でも作って食べようかな。それとも滅多に造らない散らし寿司でも作ろうか。
明日は旧友と久し振りに会うことになっているので、手土産は何にしようか考えている。
《エローラ石窟寺院》
ついに旅行も8日目となって最終日を迎えた。
2泊した「アウランバード」のホテルに別れを告げ、スーツケースを積み込んだバスに乗った。
そこから西北西に60km程行くと、今回の旅のハイライト「エローラ石窟寺院」があるのだ。
途中バスが止まった。
降りると古い城跡が見えるという。写真撮影だけをしてバスに戻るよう言われた。
私がグループから少し離れた所で写真を写していた時、不意に絵葉書売りの男性に腕を捕まれ、1m程引っ張られたのでとても驚いた。
振り返って見たら、動物か何かの排泄物がどっさりあったのだ。その男性は、カメラを覗いていて排泄物に気づかない私を救ってくれたのだろう。
バスは直ぐに出発したが、もう少し時間があればその人の絵葉書を買ったのにと悔やんだ。
さらに数十キロ進むと小山が見えて来た。バスを降りて少し歩いた。
前日に「アジャンタ石窟寺院」で見たのと同様の石窟が見えて来た。ここには全部で34の石窟が1.5km程の岩山の壁面に掘られている。
その内の第1~12窟は「仏教石窟群」で、第13~29窟は「ヒンズー教石窟群」、第30~34窟は「ジャイナ教石窟群」なのだ。
「仏教石窟群」は7~8世紀に、「ヒンズー教石窟群」は6~9世紀に、「ジャイナ教石窟群」は9世紀頃に掘られたものらしい。
私達はその中のいくつかの代表的な石窟の内部を見た。
最初は「仏教石窟群」を見たが、内部に何も無い洞窟は、穀物などの食糧庫だったらしい。柱は岩山を支えるのではなく、単なる装飾として掘り出されて作られたものだ。
大勢のインド人観光客が来ていた。素敵なサリーを着ていた年配女性に、写真を撮らせてもらった。お礼に旅行中バッグに入れて持ち歩いている完成間近まで折った折り紙のツルを、手早く彼女の目の前で仕上げて差し出した。
その時、別の女性グループも寄って来て興味深そうに見ていたので、もう一つ仕上げて1人の人に渡したらとても喜んでくれた。
彼女達とはヒンズー教寺院でまた会ったので、写真を撮らせてもらった。
「ヒンズー教石窟群」は少し離れた所にあった。そこに行く途中に野生の猿がいた。
代表的な石窟寺院を見たが、やはり何と言っても驚いたのは第16窟「ヒンズー教石窟寺院」の「カイラーサナータ寺院」だった。
仏教が衰退する中、勢力を強めたヒンズー教だったが、僧達の修行の場ではなく、ヒンズーの神々を祀るために造られた寺院なのだ。
巨大な岩山を山の上と脇面から100年の歳月をかけて少しずつ内部に掘り進み、奥行き81m、幅47m、高さ(深さ)33mの空間内に、塔門、17mの柱頭、前殿、本殿などを掘り出して建造した寺院なのだった。
前殿の入り口から入り、明かりが無く暗い室を奥の本殿に進むと、狭い空間にヒンズー教が信仰する「リンガ」が置かれていた。
ガネーシャ神の乗り物の象も幾つもあった。スポンサーだった王達の財力と威信、そして百年間、巨大な岩山にノミ一つで挑戦し、数々の素晴らしい石造彫刻を作り出した人々の熱意、信仰心を想像し、圧倒された。
(山の上に行って、下の寺院全体を見たかったが予定に無く、叶わなかった。最後の写真は、入り口の裏側に作られていた「ベランダ」の上に行って撮ったものだ)