昨日は、夕方初めて宅急便が届いた時に外を見た。何と雪が10cmほど積もっているではないか。これでは長靴を履いていない来宅者なら、玄関前まで入って来られない。
慌てて今冬初めての除雪をした。
家に入った所に娘からメールが来た。「前にTV音も聞ける携帯ラジオを欲しがっていたけど、今もそうなの?」というものだった。
直ぐに「明日からの入院で必要だと思って、普通のラジオを昨日買ってしまった。」と返信した。その後は音沙汰なしだ。
今回は1日違いで損をしたかも知れないが、まあ仕方ない。
これからも娘に、普段から欲しいものを告げて置こうかな。年末ボーナスも出たのだろうし…
ところで先月末の土曜日、娘の誘いで「札幌芸術の森美術館」で開催されていた「藤城清治 影絵の世界展」に出かけたのだが、その時に駐車場の先に見つけたのが、「有島武郎記念館」だった。
彼は、「カインの末裔」「或る女」「うまれ出づる悩み」などの小説家として知られているが、札幌農学校(現北海道大学)を卒業し、米国に留学、欧米を旅行後、札幌農学校に勤務した。
その時に自分で設計して建てた家を解体移築した家がその家だった。今は無料で記念館として公開されていた。
彼が本格的な小説家になったのは大正5年だ。大正11年7月には「有島農場」の解放を宣言した。
大正12年(1923年)6月7日、軽井沢の別荘で雑誌記者「波多野秋子」と心中し、45歳で亡くなった。当時は随分話題になったらしい。
家は大正2年(1913年)8月に北12条西3丁目に自宅としてに建てられた二階建ての日本建築だが、西洋の住宅との和洋折衷式建築になっていて、屋根は腰折れ屋根(マンサード屋根)小屋裏を二階にして部屋数や窓が多く、部屋の1つ1つが広い作り方をした機能的な家になっていて流石だとおもった。洋風住宅の先駆けになったらしい。一時は学生寮としても使われたという。
内部には経歴や写真、執筆書なども展示されていて、興味が持てた。特に北大を出た娘は関心を引かれた様子だった。
慌てて今冬初めての除雪をした。
家に入った所に娘からメールが来た。「前にTV音も聞ける携帯ラジオを欲しがっていたけど、今もそうなの?」というものだった。
直ぐに「明日からの入院で必要だと思って、普通のラジオを昨日買ってしまった。」と返信した。その後は音沙汰なしだ。
今回は1日違いで損をしたかも知れないが、まあ仕方ない。
これからも娘に、普段から欲しいものを告げて置こうかな。年末ボーナスも出たのだろうし…
ところで先月末の土曜日、娘の誘いで「札幌芸術の森美術館」で開催されていた「藤城清治 影絵の世界展」に出かけたのだが、その時に駐車場の先に見つけたのが、「有島武郎記念館」だった。
彼は、「カインの末裔」「或る女」「うまれ出づる悩み」などの小説家として知られているが、札幌農学校(現北海道大学)を卒業し、米国に留学、欧米を旅行後、札幌農学校に勤務した。
その時に自分で設計して建てた家を解体移築した家がその家だった。今は無料で記念館として公開されていた。
彼が本格的な小説家になったのは大正5年だ。大正11年7月には「有島農場」の解放を宣言した。
大正12年(1923年)6月7日、軽井沢の別荘で雑誌記者「波多野秋子」と心中し、45歳で亡くなった。当時は随分話題になったらしい。
家は大正2年(1913年)8月に北12条西3丁目に自宅としてに建てられた二階建ての日本建築だが、西洋の住宅との和洋折衷式建築になっていて、屋根は腰折れ屋根(マンサード屋根)小屋裏を二階にして部屋数や窓が多く、部屋の1つ1つが広い作り方をした機能的な家になっていて流石だとおもった。洋風住宅の先駆けになったらしい。一時は学生寮としても使われたという。
内部には経歴や写真、執筆書なども展示されていて、興味が持てた。特に北大を出た娘は関心を引かれた様子だった。