花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

海外旅行「ニューヨーク・ワシントンの旅」(1)

2016年04月14日 | 海外旅行「北アメリカⅡ」ニューヨーク、ワシントン・ボストン

≪友人と行って来た≫

今回は4月7日早朝6時に家を出、午後16時40分発のANAで「ニューヨーク」に向った。
13日夜21時に帰国したが、その時間では新千歳に向う飛行機が無いので成田で後泊し、本日14日の10時の航空機で昼に帰宅した。

一緒に出かけた友人は、札幌の自宅から札幌駅6時発のJRに乗るのが難しいと言って、前日の夕方我が家に来て前泊したから、私よりも1日多い日程となった。(そのために私は、かの女の夕食の支度やら家の掃除などで、普段の出発時よりも働いた。お陰さまで余ったお菜をタッパーに詰めて持参し、出発当日の食事に間に合わせることができた)

アメリカ東海岸は、日本からは航空機で13時間以上かかるので、昔の狭いエコノミー席ならやり切れなかったが、今回乗ったANAの直行便は座席がゆったりしていて快適だった。
おまけに特に帰路の便は、たまたま25%しか乗客がいなかったので、足を伸ばしてしっかり寝ることができ、ラッキーだった。

私の今回の目的は、以前に行った時には見られなかった世界一の美術館「メトロポリタン美術館」を見ることだった。たっぷり4時間も鑑賞できた。
また、自由行動の半日は、地下鉄で「自然史博物館」に行って古代の恐竜の化石などの展示を堪能することができた。

事前にネットで天候予想を調べて行ったのだが、実際は花冷えの1週間で、ワシントンに行っていた日はみぞれが降り、気温は6~7℃ではないだろうかと思った程寒かった。
それで実は自宅から着て行った1枚のセーターを、数日間着続けた。上に薄いコートを着ていたので、下に何を着ているか分からなかったのが幸いだった。
あちこちにチューリップや水仙、梨の花が咲いていたが、桜は最盛期を過ぎていた。



             

ホテルは大概部屋が14畳程ある広さでベッドも大きくゆったりと過す事ができたが、あるホテルの傍には全く店らしきものが無かったにも拘わらず、7回もの食事が自由食だったので、はっきり言って大変だった。
旅行会社は表向きの費用を減らすために食事をカットしたのだろうが、参加者にとってはツアーのメリットが大きく失われる結果となった。
最終日はホテルを9時に出発するのにも拘わらず、自由食。レストランの朝食は2200円した。

そこで私達は、炊飯も湯沸しもできる「旅行用電気コンロ」と米を1合ずつ小分けにして持参した。また、家にあった魚介類の缶詰数缶、ふりかけ、のりなどを鞄に詰めて行き、2~3回は早朝にお握りを作るなどして凌いだ。
スーパーに行った時に「ミニトマト」や「キューリ」も買ったが、時期的なためか余り美味しくなかった。

そして極めつけは、アメリカの物価の高さだった。平均して日本の3~4倍の価格だったので私は手が出なかった。それで今回はほとんど物を買わなかった。
写真のオレンジジュースは、1.5L入りがスーパーで4.99ドル(620円)だったし、ミネラルウオーター0.5L入りのペットボトルは3.8ドル(456円)もした。空港内の軽食店では何も挟まっていない「ベーグル」1個が、340円程したし、日本なら1個150円程のチョコレートが400円以上だった。
現地ガイドの話では、ニューヨークでワンルームマンションを借りるのには、月50万円の家賃がかかるそうで、余程の収入がなければ暮らせ無いそうだ。それで自分は交通機関で2時間半かかる場所に住み、仕事があると早朝に家を出てやって来るのだと話していた。
ホームレスも数人見かけた。経済格差は日本よりもひどいのかも知れないと思った。

車が多く走るマンハッタンには、大小の屋台が並んでいた。しかもバスから見ていたら、古く低い建物の奥で昔ながらの個人経営の商店や町工場が経営を続けているようなのにも驚いた。日本ならとっくにシャッターを下ろしてしまう様に見えた商店が、何故続けて行けるのかを知りたいと思った。

これから疲れを取りながら、旅日記を少しずつ書こうと思う。

 





コメント (7)
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