≪「ヘレンド」の町の磁器工房≫
「ティハニ」の町を出て、北に25km程の場所に小さな村がある。世界的な磁器ブランドの工場と博物館がある「ヘレンド」だ。
先ず工房のレストランで昼食を採った。テーブルによって図柄が異なる洋皿とナフキン入れがセットされていた。どの洋皿の図柄も繊細緻密画が描かれていて素晴らしかった。
その洋皿に食事が出たが、どれも美味しかった。(写真はテーブルのセッティングの一つと、私に出されたデザートのケーキ)
その後、レストランの前にある「ヘレンド博物館」を見た。そこには1826年の創業以来の「ヘレンド」の歴史的な作品が展示されていた。
ガイドブックによると、1992年以来株式のほとんどは1000人程いる社員が持っていて、伝統的な製法やデザインを守っているそうだ。
(博物館入り口) (前庭に置かれていた置物)
さらに「ヘレンド・ミニ工場」で、繊細な磁器の製作と絵付けを見学した。立派な売店もあり、高価な食器などを買い求めた人もいた。
私は既に食器棚が一杯だし、これからの生活にはもう高価な食器を必要としないなと考えて買わなかった。
≪「ヴェスヴレーム」散策≫
「ヘレンド」を出発後、30分で東隣にある「ヴェスヴレーム」の町に到着した。
この町は「イシュトヴァーン王」が「ギゼラ王妃」のために城を築き、王妃を住まわせた所だ。
先ず「火の見塔」が目に付いた。基礎部分は中世のものだが、上部はオスマン帝国の攻撃や1848年からの独立戦争で破壊されたのを、19世紀に再建したもの。
かって城があった旧市街は小高い丘の上にあり、入り口に造られた「英雄の門」をくぐって登って行った。この門は、民族紛争の戦いを終えた兵士達を迎えるために造られたという。
その先端は断崖絶壁の「展望台」になっていて、そこに「イシュトヴァーン王とギゼラ王妃の像」が旧市街を見守るように建てられていた。そこから見える町並みは絶景だった。遥か下の道を課外学習か何かで列をなして歩く小学生を見た。
また10世紀末に「ハンガリー」最初の司教区が置かれた町だが、18世紀にハプスブルグ家の攻撃によって破壊された歴史がある。
「大聖堂」は歴史的に王妃の戴冠式をする場所でもあるそうだ。前の広場に「三位一体の像」が聳えていた。
その他、1765年に建てられた①「大司教の館」②「ピアリスタ教会」の建物に目を引かれた。③「市庁舎」にも歴史を感じた。
①
②
③
散策を終えてからその日のホテルがある首都「ブタペスト」まで、バスは北東に1時間半走った。
夕食はレストランだったが、ハンガリー料理の「グヤーシュ」(写真左)とデザートが供された。
書くのが遅くなったが「ハンガリー料理」の特徴は、「パプリカ」で味付けをする事だ。余り辛くない「パプリカ」の粉を使って、独特の風味を出した料理が多かった。
≪「バラトン湖」湖畔の町「ティハニ」散策≫
前日は「ヘーヴィーズ」という温泉リゾートのヘルススパホテルに泊まった。
部屋が4階の角部屋だったので特に見晴らしが良かった。朝6時過ぎの日の出と共に徐々に明るくなって来たら、鬱蒼とした深い森、そこにたなびく白い霧の光景が実に幻想的だった。
ところで「ハンガリー」の西部中央に細長い大きな湖がある。ヨーロッパ最大の湖「バラトン湖」で、77km×170kmあり、面積300k㎡もあるので「ハンガリーの海」とも言われる。
その湖にイボの様に突き出た半島にある町が「ティハニ」だ。「ヘーヴィーズ」からバスで1時間45分で着いた。
駐車場でバスから降りると細めの上り坂の道があった。途中には「ラベンダー」の乾燥した花で作った土産物や、名産「パプリカ」の粉などを売っていた。下の方に日本で6年間生活した事があるという女性の店もあった。
私の庭にも「ラベンダー」が植えてある。今までは花が終ったら切って捨てていたが、これからはその花殻を摘んで布の袋に入れ、「ラベンダー」の香りを楽しもうかなと思った。
その「バッチャーニ通り」には独特な藁葺き屋根の家が数軒あったので、写真を写した。
今までもあちこちの国で同じ様なデザインの茅葺き屋根を見てきた。この窓は藁葺き屋根の内部の換気口として造られたものだ。換気口の窓が、まるで眼のようにも見える面白いデザインだ。
さらに坂を上って行くと、頂上に「修道院教会」があった。教会の前の広場から右手下方に瓦斯に霞む「バラトン湖」と船着場が見えた。