昨日、娘と一緒に南空知の町三笠市の炭鉱の歴史的建築物と自然を訪ねる「三笠フットパス」に参加した。
北海道空知総合振興局が主催したこの会は13時からだったので、札幌を11時に車で出発し、途中岩見沢市で昼食を食べた。
集合場所の三笠市立博物館に着いたのは、5分前だった。
博物館前で受付をして、説明されているパンフレットと無料見学券を受け取った。(ブログの文はこの資料を活用した)
館内に入り、最初に三笠周辺の地形は、今から2000万年前の造山活動の際に1億年前の白亜紀の層がその上にあった5000年前の古第三紀層と共に押し上げられ、左右からの力で潰れて、直立に近い急傾斜の地層ができた国際的にも貴重な場所である事と、閉山前には「北炭幾春別炭鉱」と「住友奔別鉱」の二大炭鉱が操業をしていたという歴史を写真やスライドで説明された。
フットパスは2コースがあったが、最初に幾春別川に沿って作られた「錦立坑コース」2.6kmに向かった。
まず1885(明治18)年に開坑した北炭幾春別炭鉱の「錦立坑」の跡地を見学した。笹は刈ってあったが、滑りやすい山道を少し登った所に立坑が残されていた。
この立坑は1919(大正8)年に建設され、現在北海道に残る立坑としては最古のもので、やぐらの高さ10m、立坑深度195m、内径4.5mのものである。
1953(昭和28)年に採炭を止め、1957(昭和32)年に閉山したというから、この立坑は34年間日本のエネルギー生産の一翼を担い、多くの採炭夫を地下200mの採炭現場に下し、掘った石炭を地上に運んだ事になる。雑木に埋まっている大きな滑車と傍の変電所の廃屋に当時を偲んだ。
また少し歩いて行くと山肌に縦の地層が露出していた。砂岩の間に黒い石炭層があるのが分かった。ここの石炭層は数千万年前生えていたメタセコイアなどの巨木が倒木して地下で石炭ができ、2000万年前に地上に出て来たものなのだと言う。斜面に露出する石炭を掘ってできた「狸掘り」の穴もあった。
その先に「ひとまたぎ覆道」があり、入り口の場所が一跨ぎで5000万年異なる地層になるという神秘的なロマンあふれる所だった。
覆道の出口には、ずれた断層が露出している場所があった。
引き返してかっての国鉄幾春別駅があった所に出た。往時のコンクリートのホーム跡が雑草に埋もれていた。この辺りには商店街、歓楽街があり、当時はとても賑わっていたらしい。
実は小樽手宮~幌内間の鉄道は、全国で3番目、北海道では初めて1882(明治15)年に敷設された鉄道で、三笠~幾春別間は1888(明治21)年に石炭を搬出する鉄道として開通したものだった。そして1987(昭和62)年に人口減少に伴い廃止されたのである。(つづく)
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