≪ナスカで地上絵を観光後、帰国の途へ≫
「ナスカ」は太平洋岸から80km内陸に入った標高620mの高地にある。その乾燥地帯にA.C1200年頃から「地上絵」を描いた人々の「ナスカ文化」が存在したのだが、「地上絵」があることを世界が知ったのは1939年になってからである。
その後の調査研究よって分かった事は、乾燥した平原を覆っている黒い石や砂を除けて、白い地面を出す様にして巨大な一筆書きに似た線画が描かれている事位なのだ。
ホテルは、地上絵を見るための「遊覧飛行場」の傍だった。朝6時半にバスでホテルを出、飛行場に行って受付をした。
その際、1人々々体重を測られ、搭乗する時に前後左右の重量バランスが取れるようにグループ分けをされた。小型セスナ機1機に10人ずつ乗り込み、約1時間、広いナスカ上空を遊覧するのだ。私達より早く来て、すでに待っている人も少数いた。
私のグループは、2時間程待った所でやっと乗ることができた。
1つの絵の大きさが10~300mもある「地上絵」がこの地域に12あるらしい。操縦士が「右に〇〇が見える…」などと日本語らしき言葉で告げるが、私の目が悪いのか宇宙人、猿、ハチドリなど半分位は見えただろうか。上空からそのほとんどははっきりとは見えなかった。おまけにスピードのあるセスナ機のあまり綺麗とは言えない小さな窓から私の小型デジタルカメラで写真を撮ったが、あまりうまく行かなかった。しかし、上空から下を見て、ナスカがどんな風土の地域なのかは分かった。
すっきりしない不完全燃焼の気持ちのまま、1時間の遊覧飛行は終わった。
上空から下に飛行場や午後から行った「ミラドール」が見えた。
ホテルに戻って小休憩後、昼食を摂ってから、またバスで8時間かけてリマに引き返したのだが、その途中、パン・アメリカンハイウエイの傍に建つ「ミラドール」に寄った。
「地上絵」の研究に情熱を傾けて亡くなった「マリア・ライヘ」が建てた「ミラドール」に登ると、20m程の高さから傍に描かれている「木(97m大)」と「手(45m大)」、またハイウエーを挟んで反対側の「オウム(200m)」を見学できた。やはり絵はすごく大きいものだった。しかし、このパン・アメリカンハイウエイを建設する際も「地上絵」を工事でかなり傷つけたらしいし、強風が吹けば絵は風化してしまうのだろう。昔の人は時々修理していたのかも知れない。
何のために、どのようにしてこんな大きい絵を描いたのだろうか。謎ばかりだが、一説には「このナスカの地域に生きた人達は、神殿を建設する代わりに神に捧げる神聖なものとして巨大な「地上絵」を描いたのでは」と言われている。
バスからナスカの町で道路工事をしている人に会った。またナスカの光景をカメラに収めた。
リマには夜8時頃着いた。疲れ果てた体に日本食レストランで出たご飯と味噌汁が滲みた。
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セスナに乗るのに一人ひとり体重を計ると聞いて、
以前乗った沖縄の潜水艦「もぐりん」を思いだしました。
飛ぶのも、潜るのも、乗せる重さとバランスが大切なんですね。
地上絵は本当に不思議ですね。
ソナタさんの写真の中で岩?に描かれた絵を見て思わず、
「わぁ、ガチャピンだ~!」
とびっくり!!しました。
こんな絵があるの知りませんでした。
ますます、謎ですね~!?
折角はるばる行ったのですが、はっきりとは見えなかったのでガッカリしました。
それにしても南米は《不思議の国》だらけでしたよ。
ガチャピンさん、お早うございます♪♪
小さいセスナ機やヘリコプターは体重を測るみたいですね~。
山肌の絵は『宇宙人』と呼ばれています。
どの様にしてこんな大きい直線や平行線を描けたのか、本当に不思議ですよね!