≪コロンボ≫
象の孤児院見学後「ピンナワラ」から100km西方の「コロンボ」までバスは3時間かけて走った。
(スリランカの首都は「コロンボ」の西10km程離れた「スリー・ジャヤワルダナプラ」だ)
ガイドブックで「コロンボ」の歴史を見ると、「コロンボ」は15世紀までは「宝石」や「香料」が取れることが知られた小さい漁村だったそうだが、16世紀にポルトガル人が来て砦を築き、地名を「コロンボ」と付けた。
やがて17世紀にオランダ人たちが入植し出すと、シナモン交易の主導権を巡った争いが起き、ポルトガル人が去って、オランダ人がスリランカを植民地化した。
ところが1796年にイギリスがオランダに勝って植民地政策を進めた。
その頃、コーヒー栽培が上手く行かなくなっていた畑を、イギリスは紅茶畑に変える事に成功し、「コロンボ」は発展していった。
第二次世界大戦後の1948年、スリランカは「イギリス連邦内自治国」の「セイロン」として独立し、首都を「コロンボ」とした。その後、1984年にジャヤワルダナ大統領が首都を「スリー・ジャヤワルダナプラ」に移したという。
(1956年には、シンハラ語を公用語にした事に反発してタミル族が自治を要求。1972年に仏教を準国教的宗教に制定すると、タミル族は分離独立を要求し、若者達が武装闘争に入った。一方で東部のムスリムはこれに反発して来た。
そして遂に2009年5月に「スリランカ政府」と過激派組織「タミル・イーラム解放の虎」は内戦終結を宣言したのだ)
「コロンボ」市内に入ると、都市に特有の沢山の店、人、車が醸し出す賑やかな雰囲気が強くなった。
郊外は経済的には下町地域で、中心部に行くに連れて上流地域になるのは大体世界中そうだが、「コロンボ」はそれがはっきりしていた。
人々の足は、市内を走る飾り立てられた路線バスとオート三輪車の乗り合いタクシーが担っている様だった。バスは溢れるばかりの人を乗せて、ドアも閉めずに走っていた。
オート三輪車の大半は、中国製の車だそうだ。
大型バスもインド製が日本製のバスの1/3と価格が安いので、故障は多いが一番沢山走っているそうだ。
市内を一回りした後、インド洋に面した緑地「ゴール・フェイス・グリーン」でバスから降りた。傍に高級ホテルや政府観光局があった。
小学生の一団、ジョギングをしている警察官の一団に会った。
片手の先が無い障害者の男性乞食が、私達に近づいて来た。現地ガイドに聞くと、「内戦の地雷などで障害に陥った人には申請があれば国が手当てを給付するが、その他の手当ては無い。」と答えてくれた。
夕日がインド洋の地平線に沈んで行くのを見守った。この海の向こうは、最短距離で230km程しか離れていない「インド」なのだと思った。
日が沈んだ後、スーパーマーケットに寄り、買い物をした後、最後の夕食を中華料理店で食べた。頼んだパイナップルジュースに氷が入っていたので、ミネラルウオーターで作ったものかどうかを尋ねたらそうだったので安心して飲んだ。
飛行場に向かい、コロンボ発23;59のスリランカ航空で8時間20分飛んで、成田には時間通り6日目11;50に着陸した。
成田からはネットで調べておいた「京成成田スカイアクセス線」の直行便を初めて利用したが、1時間35分で羽田空港国内線ターミナルに着いた。これなら3000円かかるリムジンバスに頼らなくても良いと思った。
羽田空港から北海道新千歳空港に戻り、今回も無事18時に帰宅できた。居なかった間に、大分雪が少なくなっていた。
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仏教文化の素晴らしさを私も感じました。
特に岩肌に描かれたフレスコ画には驚きです。とても1500年も前のものとは思えない艶やかな色彩にはびっくりです。
話はかわりますが、BSの旅番組を録画して暇な時に見ています。先日トラベリックスⅢという番組でスリランカ特集をやっていました。
ソナタさんの旅行記に出てくる「象の孤児院」や「キャンディアン・ダンス」を映像で見て同じような体験(?)をしました(笑)。
コメント有難うございました。
私も昨年からは、TVの見たい番組はみな録画しておいて後でゆっくりと見ています。
「スリランカ」の番組も旅行に出る直前に見て行きました。それで全体像が何となく分っていたので、良かったです。
極小国なのにユネスコの世界遺産が8箇所もあるんです。今回は6箇所に行きましたが、遺跡は予想外の素晴らしさでした。
三度々々ビュッフェスタイルの食事に飽きてしまったので、最後の中華は美味しかったです。日本人は贅沢ですね。
スリランカの今後の開発と発展には興味が湧きました。