みなさん 明けましておめでとうございます。坂本龍一です。
これから二時間、坂本龍一ニュー・イヤー・スペシャルと題してお送り致します。
この番組はですね、えー毎年お正月に放送していまして、もう5回目なんですね、えーもーっと、色々やっていきます。えー去年、もう去年になてしまうんですね。2008年。えーは、公には「変」変化の変ですね。まあchange そういう年だったそうですね。まあ2007年は偽装の「偽」でしたかね。まあ雇用とか経済問題が大変ですから皆さん。変化を望んでいるという。まあ今年に期待するという変化の意味なのでしょうかね。
まあ、僕はね、年の区切りとかあんまり関係なく過ごして来てしまったんですけども、ま、ざっと去年を振り返ってみると個人的には、そうですねぇ、あのー高知に行ってね、四万十川の源流の山とご縁が出来てっていうのも変ですけど、more treesというね、植林の事業を始めたので、えー四万十川の源流に、あのー山をお借りしてね、手入れをして、沢山CO2を吸収して貰おうと、そういうことをやって、訪れたんですけど、とても良いところで、空気も美味しくて感激しました。それから、まあ2008年後半はずっとアルバムを作っていたんですが、その途中に、以前から約束していた旅行が入ってしまいましてね、それというのが北極圏への旅行なんですね。え、まあ一生に一度行くかどうか、行かない人も多分多いいわけですけど、自分でも行くとは思ってなかったんですけど、これが行ってみたらね、大変なとこで、(笑)、すごく衝撃を受けたんですけど、感動とは違うんですけど、やはり風景とか寒さとか、その膨大な水と氷ですね。そこには勿論暮らしもあるんですけど、本当人間は片隅にちょこっと生きているだけで、主役は水だなって思いましたね。改めて、私達が住んでいる地球っていうのは水の惑星だと。いうのを衝撃とともに新たに認識させられたというかね、まあアルバムの製作の途中で行ったものですから、やはりとても影響を受けてしまいまして、まあ良い影響だと思うんですけど。えーまた紹介するチャンスがあるかも判りませんけど、では早速本題に入りましょう。
ちなみに2005年から始めたのかな?クラッシックと特集したんですね。次の年は民族音楽、そして2007年は海外のポップス、そして昨年は歌謡曲やJ-POPもテーマにしたんですけど、今年はねJAZZですね。まあ二時間でジャズを語りきるのはとても難しい話なんですけどね、実は昨年の八月に夏にですね、僕が監修してシリーズで出しているスコラというねシリーズがあるんですけど、その第二弾としてジャズを取り上げていまして、僕がずっと以前から敬愛する尊敬している山下洋輔さん、それから評論家で音楽家でもあります大谷能生(よしお)さんのお二人をね、お迎えしてジャズの歴史、ジャズとは何かということを、あのーかなり掘り下げて、長時間話したんですね。4時間ぐらい話をしていたかな。非常に面白い話ができたんですね。そこから、その座談会を抜粋してお届けしたいと思います。えー僕は凄く面白かったんですね。長年、本当10代の頃からジャズとは何かということを知りたい知りたいと思って、えーここまで来てしまったんですけど、えーそのジャズ界のトップ中のトップの山下さんにイキナリ切り込んでジャズとは何かということをお聴きしたんで、僕もかなり納得したところがありますけど。えー非常に和やかに、話の途中で山下さんが小さい時から聴いてきたね、ジャズ、まあその聴いてきた、山下さんが聴いてきたジャズっていうのが、一つのジャズの歴史そのものでもある訳ですけど、それが個人的な体験、それから、大谷さんの非常にこう博識のジャズ史を巡る知識もってねですね、そういう音楽を聴いてきてですね、とても面白いものになったんですけども、えーこれをちょっとはしょってですね、聴いてみましょう。
1 KOKO♪坂本龍一
坂本(S):僕はあんまりジャズには詳しくないんですけどね、本日は山下洋輔教授に(笑)教えて頂くということになります。ドンドン疑問をぶつけていきますので教えて下さい。
山下(Y):坂本教授に問われちゃ大変ですけどね、私もジャズのことは良く知らないです。
S:あははは。はい。素晴らしい。じゃあジャズとは何でしょうか。
Y:そうですね、最近ね、あのー僕が考えているのは、そのジャズというのはアフリカとヨーロッパが新大陸で出会った結果生まれた文化の一つで、その音楽文化として、素晴らしいものが生まれた、アフリカとヨーロッパのまあこれは出会いというよりは、これは激突、衝突、クラッシュですよ。凄い人類の唯一あった悲劇的な奴隷貿易というアフリカ人をヨーロッパ人が新大陸に連れてきちゃうというえらい出来事の末にこの音楽が出来た。そのインパクトがあるからね、あの世界中にはやまって、未だに流行って未だにその力のある表現力を保ち続けているという風にね僕はもう思っています。つまり、その民族音楽として捉えてね、ある民族が作り出した、その独特の美意識によって作り出した音楽というのは世界中にあるわけです、ヨーロッパがそのアジアの民族と出会ったり、別の民族と出会って、ヨーロッパ音楽の構造がその民族に受け入れられて、そこから新しいものが生まれるというのは世界中で起きているという現象ですよね。ジャズをそう捉えることも出来るんだけど、それにしては力がありすぎ。例えば日本でそういうことが起きた歌謡曲であったり、昭和初期唱歌であったりするかもしれないが、
S:明治維新にそういうことが起きたわけですよね。
Y:それが世界中に、このようにして伝わっていくということはないですね。
S:そこまでの発信力はなかった。
Y:発信力はなかった、そりゃあまあ政治とかね
S:経済力とか覇権とか
Y:外国との違った国との力関係もあるんだろうけど、まずその中に内在している誕生のパワーがアフリカとヨーロッパを抱え込んじゃっているわけで、
S:大陸と大陸のぶつかりあいですよね、
Y:ぶつかり合いですよね。人種と人種のぶつかり合い。
S:しかもそれが新大陸で巨大な新大陸で
Y:新大陸というものがなければできてなかった。だからそういう意味でここ現代100年を象徴する最も力強い音楽だという風に、まず僕はジャズを言う時にそういう風に考えることにしています。
S:なるほどジャズとはそういうものであると、素晴らしい見方だと思うんですね。そのアメリカで生まれたジャズというものをヨーロッパ人や日本人である山下さんが、やっているという。これはジャズなんですかね?
Y:それはジャズでしょう。(笑) 色々な捉え方があるんだよね。
S:うーん。
Y:僕もアメリカで一人旅をした時にセントルイスで会ったうるさいレコード店主がいて、お前のことはよく知っていると、ニューポート ニューヨーク出た時も小山彰太と坂田明のグジャグジャのフリージャズですよね。凄い、お前の音楽は凄い。でもジャズではない、何故ならブルースを知らない。とこうきました。
S:なるほど、やっぱりね
Y:そういう見方もあるんです。
S:そうですね。
Y:一方では例えば、じゃあ、これは、文学ですか?絵画ですか?っていうのと同じでね。そこに自分の表現を全部 託せる現代の芸術形式だというふうに捉えちゃうことも出来る。
S:ふんふん。
Y:随分以前から僕はたぶんそうやってジャズのことをそういう風に捉えています。
S:うん、だからその、アフリカのルーツであるまあブルースから、こう離陸して離れていてもこれはジャズとしても成立しているんだと言うことですよね。
Y:それはね色々今、日本の大学でもジャズを教えていますけど、その時に何処までがジャズかっていうのは、いつもこう議論になるところなんですけど、まあその細かく決めていく必要があるかもしれませんね。例えば楽器編成がこうでなければジャズでないとか、例えばアドリブをするパートがなければダメだとか。ハーモニーが独特なんだからジャズだけで使ってきた歴史的ハーモニーがあるから、それを外してはジャズではないとか、色んなところでグレーゾーンがあって、あのーわからないんですよ。
S:何故こんなことを聞くかというとね。端的にそのジャズとは何かということが知りたいからなんですが、最初にそのアフリカとヨーロッパの強烈な衝突がアメリカで起こったその芸術形式がジャズと、で今度その、これクラシックの場合でも同じなんですけど、僕がねヨーロッパのクラッシック、ヨーロッパで生まれた音楽を土台にして今でも日本人の僕が音楽作っているというのも、やっぱり、良く考えると変なんだけども、そのアメリカでその衝突によって生まれたねジャズっていうものが日本人の山下さんがやっていて、それがジャズとしてやっているのか、ジャズなのかジャズじゃないのか、その考えることによって、ジャズとは何かということがね出てくると思うんで。それはまあジャズなんだと、そのジャズっていうのはアフリカのルーツから離陸してですね、違うものになっていっていっても、それはジャズなんだということで良いでしょうかね。
Y:これはね、だから、どう取り決めれば良いのかな。ドラムとベースと・・ベースがあるとジャズと言っても言わなきゃいけないかもしれないけど、ドラムセットがない音楽が違うかって言うと、ピアノソロでもジャズなんてものもありますしね。じゃあジャズのリズム感が残ってなけりゃいけないかというと、それも曖昧になってしまう場合もある。
S:まあフリージャズっていうのもあり得るわけだし、うん
Y:フリージャズ・・その一つ結論めいたものを言えば、即興演奏する のがあるのがジャズだって言いたいです。
S:それで今日ここに来るタクシーの中で、僕もジャズのことが本当にわからないので、色んなことを聞かなきゃなあと思って、浮かんできたのは、最初がジャズとは何か。次に山下さんはジャズをやっているのか。第三に重要な点がその即興なんですよ。即興ってのは何でしょう。即興は作曲ですかね。
Y:うん即興というは、昔はバッハだってモーツァルトだってベートーベンだって即興の腕比べをやったんですよ。
S:そうですね。
Y:それを喜ぶっていう音楽があった。ところが、作曲家の音楽になってしまったクラッシックが歴史の中で中々その演奏家がやっている今作っている音楽を聴く人が面白がって、あいつの方が面白い、こいつが面白い、こいつがこんなことやった、こいつがこんなことやったって楽しめる、そういう受容の仕方ができる音楽っていうのは現代に残っているのはジャズだけですよね。これはまた物凄く貴重なことだと思うんですよね。で、その即興のやり方っていうのは、これはどう発生したかっていうのは大谷さんが詳しいと思うけれども。まあ軍楽隊の真似であったとか、それから色々のヨーロッパの音楽をそのやっていた白人がやっているのを聴いた、そのそういう地位に居た黒人達ね、召使であるとか執事であるとか教養が高い人たち、特にフランス系は留学さしてもらったりするんですよね。それで音楽の教養を身につけて自分も真似してやってみたところおかしくなったという説があった。(笑)
S:変なものが生まれた
Y:どうしてもアメリカの感性で、タタタタタっていうのをタッタカッタターとやったりと
S:クッチャクルド・・・シンコペーション
Y:クッチャクルド、シンコペーションしてしまうと。これが面白い説得力があると思うんですね。
S:なるほどね
Y:で、あるメロディーを崩していくっていうことをやるじゃない。フェイクというね、あのやり方は先ず即興音楽の第一歩ですよね。
S:そういうものが、アフリカにあったんでしょうかね。
Y:そこは、どうですか大谷さん。
大谷(お):そうですね
S:アフリカの音楽って、わりと僕らが知っているのはかなりパターンが決まってない、あまり即興性はないように感じるんだけど
Y:そうなんだよ
お:かちっとしているものが多い。
S:ですよね。で永遠に繰り返すというということが多いじゃないですか。
お:そうですよね。たぶんそれが一回南米を経由しているんだと思うんですよ。そこからニューオリンズに入っていく、ニューオリンズが南米への第一の港みたいな形で栄えるんですけど、ニューオリンズも先ほど出たクレオール、フランス系の白人が混じっている黒人文化というものの中で例えばパーカッション自体は消えるんですけど、クラ―べ(キューバ音楽・サルサの基本となっているリズム)の形だとか、こっち側で誰かがリズムパターンを出すと、それに反応速度の違うパターンを重ねていくというような
S:アフリカ的な要素が
お:アフリカ的な要素がもうそこでメロディーの中で入っちゃっているという形でのシンコペーションの対応みたいなものでマーチが入ってきているという
S:ああそうか、じゃあそういうヨーロッパ音楽の単純なこう縦割りのものを、あたかもその複数のアフリカ人が合奏している複雑なモアレ効果(一群の曲線を、別の曲線群と45゚以下の角度で個々の曲線が交わるように重ねた時、両方の交差点を連ねた新しい一群の曲線が現れて来る効果)というか、
お:三種類四種類のビートのメロディをやる
S:それが出来ていくような、一人で例えばピアノなどで模倣し始めるというか
お:というのがラグタイムになっていくんじゃないかな
S:なるほどね、下手したらそのタイムも長さもちょっと違うようなズレを起こすようなねパターンを別々のクロックダウン(電子計算機の動作クロック周波数を下げる)を組み合わせて音楽にしていくことが今の現代のジャズにも何となく感覚として残っているような、あるいは僕はR&Bの中にもそれが残っているような気がしてきましたね。
Y:それは残ってます。もうジャズの強い遺伝子であって、それが魅力的だからって継承されますよ。
S:そうですよね。
お:一人ひとりがこう抱えているものがズレたまま一緒に出来るっていうのが、それが凄く・・
Y:あれが良いですよね。一人ひとりがドライブしてて一緒になって、しかもズレていると、もう物凄い強烈なドライブ感、スイング感が出来るという、
お:止まらないっていう・・
Y:そして、いくらやっても飽きない。あのジャズの秘密よね、例えばDマイナ、ワンコードで、エルビン(エルビン・ジョーンズ)とコルトレーンが永遠とやって・・・マッコイカイナーがいてジミー・ギャルソンが居てって、あれ何故飽きないかっていうと実に不思議だ。ヨーロッパ的にって考えて、和音はDマイナ(笑)、リズムは三拍子、何だこれ?おしまいって(笑)それが生きていつまでも気持ちよく動いていく。これはヨーロッパの考えじゃ説明できないでしょ?
S:出来ないですね。うん、うん。なるほど、そこが鍵かもしれないね。
Y:それでそこでやってる全員がインプロビゼーション(即興)している訳だが、それがつまりアフリカ起源のそのポリリズムの考えに辿り着くんだって、なるっていうのは僕も今初めてって気がするね。
S:とても説得力がありますね。
お:たぶん大事なのはたぶんフォークミュージックってではなくって都市の音楽とうか、誰が言って何やってるか分からない所で生まれた音楽だと、近代的な音楽だと思うんですジャズって言われたとき、アフリカ起源なのは間違いなくそうだと思うんですが、それが都市に入って、市民社会という形で、隣に居る人がどこから来ている人か判らないけれども一緒に出来るっていう。フォークミュージックだと同じ民族、同じコミューンでみんなが確認するために「俺達はこのリズムだな」ってやって終わりっていう形になると思うんですけど、みんながバラバラに持ち寄って違うよねって言いながらでも、この場に音楽があるよねっていう感じ。で、共演できるっていうのが凄い発見だったんじゃないかな。
Y:だから正にその新大陸でアフリカとヨーロッパが出会ったときが、もう都市の時代だからだったからこそ良かったんだね。別の時代だったら生まれてなかったかもしれない。急にだけど、こないだ、たまたまテレビを見ていたんだけど、スティーブ・ライヒ
S:はい、スティーブ・ライヒ
Y:あんなの完全にアフリカの音楽のアフリーですね。(笑)
S:ええパクリーですね(笑)、正に自分でも言ってるけどね。
Y:あ、言ってる?ドイツ人、ドイツユダヤ人がアフリカ音楽を構成しなおした時にあんなになるという、ちょっと恐るべき執着心だね。
S:アフリカ音楽を構成しなおし、しかもヨーロッパの楽器でやるということですよね。
Y:うーん。ある意味とてもジャズに似てはいるんだけども、即興性の問題でね、そこで違うんだと思うんだよね。
S:即興性はないですよね。
お:ぜんぜん違うものになってますよね。
Y:あれだけ同じ事をやって飽きないとすれば、アフリカのドライブ感ですよね。あれを上手く取り入れたっていうのはやはり凄い才能ですよね。
S:そうですよね。まあ、あのう現代の音楽としてチャンと成立しているから、それはそれで凄い才能なんだけれども、まあ僕から見れば本当に90%はアフリカ音楽ですよね。
Y:やっぱりそう思いましたか。そりゃあ良かった。坂本教授と意見が同じで。(笑)
S:そう思いますよ。
お:僕もそう思います。
Y:ああ、大谷さんとも一緒で良かった。
お:でも、それは凄い自分のユダヤ系アメリカ人の物語を語るために、そういう風なものを使っているという所が凄い頑固なっていうか、強力なエゴっていう
Y:強力なエゴだよね。
S:ある意味言ってみれば無時間的なアフリカ的なシステムを非常に一神教的な終わりに終身に向かってっていうね、事実そういうユダヤ教的なテキストの上でやってる音楽もだいぶ多くなってきましたからね彼も。
お:凄い取り込み方だなと思うんですけどね
S:全然違う方にアメリカを目にして(笑)、 そうですね。
Y:でもユダヤ人のジャズへの貢献っていうのも凄いんですよ、もう素晴らしい。ベニー・グッドマンを初めとして、殆どがユダヤ人ですよね。
お:リストなんかも・・・
S:あのねー世界の民族音楽を研究しているのをリードしているのもユダヤ人なんですよね。本当ですよ。
お:そのお話もこのリストの中で沢山出てくる
S:じゃあ、そろそろ、このリスト・・・ちょっと聴いてみましょうか
お:初期の方から
2 「ベイズン・ストリート・ブルース」 (ルイ・アームストロング&ヒズ・ホット・ファイブ)
S:これもうかなり様式が確立してますね。
お:そうですね。たぶん26年か27年の。
S:その西洋音楽の部分っていうのかな、ハーモニーの部分、これは教会音楽ですよね。言ってみればね。讃美歌ですよね
Y:物凄い勉強してますよね。完全にこなしてますよね西洋音楽を。西洋音楽に近づこうとしているような。感じがあるんだけど
お:ブルース・・・ブルースって、一応ブルースになおってますが、いわゆるブルース進行ではない。
Y:ではないですよね。
S:賛美歌みたいですよね。であのアドリブもちょっとそのコードのテンションなんかを取り入れたり微妙にコードなんかが移ると、その構成音を入れたりして(ピアノを弾く音)完全なものではないですね。
Y:でもハーモニー進行に対するメロディーの作り方の的確さって凄いよね。既成音楽、クラッシック音楽でもある進行なんだけれども、そこに付け加えるメロディーはやはりジャズの発明だと思いますね。
S:うんうん
お:どう聴いてもアメリカ音楽っていうか、教会音楽としはヨーロッパのものだとしても、メロディーラインはもう完全にアメリカのもの・・・
S:それにね、世界中にほらキリスト教の布教がいったわけじゃない。でその各地で色んな違う花が咲くわけね。南アフリカのものもやはり賛美歌とか教会音楽が元になっているけど全然違う開花の仕方をしている。あるいは、あのーポリネシアのあの辺のでもまあ、凄くキリスト教化されてね、現地の音楽が宗教音楽として、この変換されるんだけれども全然違うもの、南米でも勿論そうですけれども、その辺が面白いですよね。日本はあまりその影響を受けてないというのも面白いですよね。まあ、唱歌なんかはそうなのかな。
Y:そうでしょうね、唱歌に賛美歌的なものが多いですよね
S:ね、多いですよね。一番影響は唱歌に出ている。
Y:出てる。
S:そうかもしれないですよね。なるほど・・
お:ルイ・アームストロングまたは、この辺りの音楽というのは山下さんの思い入れっていうのは
Y:やっぱりこの人のメロディーの作り方が凄く、今聴いても的確ですよね。
S:山下さんは、でもこのジャズ史、時代順に聴いてきた訳ではないでしょう?
Y:ええとだいたい時代順なんですよ。
S:そうなんですか。そうなの。
Y:いたずら弾きをしていた時(中学3年生の頃)に兄が大学生時代にやっていたスイングバンドに入れてもらって、くっついて行って、弾けたんですね。あのー「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」という曲でしたけど、CからE7に行った時のそのEの上にただのGではなくてGシャープを入れた三和音が出来るんだ って発見したときの嬉しさっていうのがありましてね、そしてギターの人にコードネームっていうものを教えてもらって、そっから先は一直線
S:その進行はリストの有名な曲と同じだよね。
Y:I KNOW。それを言うともうジャズの要素は全てクラッシックのこっからだよっていう話が出てきちゃいますよね。
S:出てきますね。でもビートルズも多用するけど、あの進行ね、CからEってのはね。凄く気持ち良いですよね。
Y:凄く気持ち良い。それから1度から6度へのあの鋭さ加減っていう、あんなものはここずっと生涯付きまといますけれど、あははは・・・そのコードそれで始めた時にやはり、このこういう曲を聴いていたんですよ。
お:それはもう、最初はディキシー・スイング(ニューオリンズ黒人ジャズを手本にした白人ジャズ)の音楽から
Y:そうです兄のバンドはね。もうあのう、いったとしてスイングですね。ディキシーとスイングとの中間、エディー・コンドンの真似をしたんですよ。
お:シカゴ・スタイルの
Y:そうそうエディー・コンドン・オールスターズの録音をしょっちゅう聴いて
お:ジンクルパーとかですよね
Y:そう好きでね、真似をしようとして、だから本当にそのとき言ってましたよ。昨今はそのモダンジャズなどという変な音楽が流行ってる
S:うふふふふ(笑)
Y:ああゆうことをやる奴はダメだって、お前はなるなっていうような・・
S:あはっは(笑)
Y:言われれりゃあなるんだよね。
一同:あははは
S:けしかけてる。
Y:けしかけてる(笑)、本当にそういう台詞が兄達の間でありましたよ。
お:ベニー・グッドマントリオなどはコピーとかはされてたんですか。
Y:それはね、ちょっと出来なかった。チャイナ・ボーイってのが大好きで
3「チャイナ・ボーイ」 (ベニー・グッドマン・トリオ)
S:(聴きながら)左手が凄いね
Y:この時の左手の十度の連続。これをもう日本人が全員悩むんですよ。
S:ああそうですか。
Y:テディ・ウィルソン(白人クラリネット奏者ベニー・グッドマンの人種混成バンドに参加した黒人ピアニスト)の日本への紹介者の秋満義孝さんが何かのインタビューで言ってましたね。十度を連続していくからあのサウンドが出るのであって、到底それが出来ないので、そのそれを六度で代用するんだよ。ドミをミドに(笑)
S:なるほど。下に持ってきちゃう
Y:下に持ってきちゃう。色々クラッシックでも十度はね、みんな苦労するところなんだけど、それがこういうところにもあるんですよね。
S:うーん、凄く良い響きだよね。
お:これベースがあと、いないんですよ。テディ・ウィルソンが全部できちゃうから。あと、ジーン・クルーパーがバス・ドラムと。左手だけでぜんぜんビートが効くというトリオで。
S:うん。面白い。
お:この辺りが30年代の真ん中ぐらいで、ここら辺から、こういった形でのビートが効いているのを白人が表にたって、ドンドンやるようになっていくという時代ですね。
S:もう踊っているのも白人?
お:踊っているのも白人です。もうオール・アメリカン・ミュージックという形になってきて、これこそが我々の音楽だ。アメリカのミュージックだという
Y:ベリー・グッドマンという白人のスターが出てきたおかげですよね、それとラジオの普及で全国に広まった。
お:この人が初めてメジャーでは、自分のバンドに黒人を入れた人なんです。テディ・ウィルソンはブラック・ミュージシャンで、この後ライオネル・ハンプトンが入るんですけど、最初は絶対やめろってみんなに言われたみたいですね。
S:白人だけでやってたわけですか?その前は。
お:そうです。一緒にカラーは分けないとダメだったんです。どの場でも、基本的に。
S:黒人が入るのがいつごろですか?
お:ここですね35年。ここで初めてですね、こういうラジオとかにも出るのって、ラジオだと顔が見えないんで、(みんなの笑いに)本当そうらしいんですよ。レコードとかラジオだとあるんで、ミックスというのはあったらしんですけど、それで全国回るっで、ステージに乗るっていうのは
S:出ちゃいけなかったんだね。なるほどね。
Y:ありゃー。黒人は黒人で固まってデューク・エリントン、キャロル・スローン、カウント・ベイシーも
お:一緒にやっちゃダメっていうことが・・・でもここで初めて一緒にやれて、しかもそれがアメリカ全国的にヒットして認められたというので、後のスイング時代の白黒混合でも大丈夫だし、それこそむしろアメリカだという
S:じゃあそれまではアフロ・アメリカンの音楽だったのが、そこで初めてアメリカの音楽という風に認知されたという感じですかね。
お:そうですね、それまででもジャズと言われてたものとは、やっぱり一段低いというか、本当、酒場のガチャガチャした
S:まあジャズという言葉自体がそういうニュアンスをね
お:そういう汚い言葉。ここで言われても、これが違う音楽だと思われたらしいんですよジャズとは。スイングミュージックだと呼ばれてたらしいですよ、新しい音楽だと
S:ちょっと高級な
お:ちょっと高級な、ジャズっていう言葉はアウトで、これはスイングだ、新しく白人が発明した音楽だと言う風にみんなは思ったらしいんですよ。
S:僕もね、もう20年くらい前ですけど、アメリカのレコード会社と契約してね、アルバム作ったのね、そん中の一つの曲に、まあジャズっていう言葉を使ったわけ、そしたらねその白人の、80年代ですよ、現代の話ですよ、ジャズって言葉は使わない方が良いと言われましたよ。それで、まあそれほど、まだだから、それ程の説得力のある言葉っていうかね、ここまで生きているんだねジャズっていうのが、やっぱりネガティヴなイメージがあるみたいですよ。一般の人っていうかな
Y:なるほど、ちょっと、ちょっと狭い世界だっていう
S:って言うかまあ、あのー・・・ごちゃごちゃした汚いっみたいな。そういう最初の語感がまだ残ってるんだなーと思って、新鮮だったんだけど僕にとってはね。英語で言うとnastyなはず、汚いからね(笑)
Y:なるほど(笑)
お:そうですね、それがこのユダヤ系アメリカ人が表に出ることによってクリーンで凄い
S:INTELLIGENTな(笑)
お:しかもINTELLIGENT でHAPPYでHEALTHYな
S:プラス思考でね
お:でしかも このビッグバンドになってゴージャスになってって、アレンジも綺麗なんで、そんなごちゃごちゃしたその例えばリキシーとかは、こうラインが動いていくから、こう捕まえにくいっていうか。
S:白人が理解できない
お:理解できない、何かがちゃがちゃやっているっていう風なのをスッキリさせて、ブラストリードで、ぱーらーぱららー♪
S:ああゆう音でね、あれだったらわかるかけだ
お:のがこういう時期からで、それがアメリカで大受けしたといのがモダンジャズ前身っていうか歴史的に言うと
Y:当時のジャズクラブの後に例えば会館みたいになってて、行ったんですけどね、普通のアップライトピアノでカウント・ベーシーを弾いたって、みんなが弾いたって
S・お:おおー
Y:見たら、この辺の鍵盤全部えぐれてました。(一同静かに笑う)
S:もう剥がれちゃって
Y:もう剥がれて象牙か何かがもう下がえぐれて、よく使うキーのところは・・・
S:木の所が
Y:だから僕も手を置きましたよ。ベーシーがえぐった穴だ(一同で えへへへへ 笑)
お:危険じゃないんですか。ささくれとか。
Y:まあ危険ですね。危険だけど、ものともせずにやったんでしょうね。
お:おほほおー
S:うーん。象牙が飛んじゃうぐらい弾いてしまう、凄いね。
Y:けっこうずれていくんですね。
S:凄いですね。
Y:水が岩を穿つみたいになってるんですね。
S:凄いね。
お:当時、やっぱり弾かないとダンスミュージックは生まれなかった訳だから毎晩ずーと弾かれてたんでしょうね。
S:でしょうね。アンプリファイっていうかPAはないわけでしょう。
お:えーと基本的には無いですね
S:基本的にはね。ならガンガン弾くしかないですよね。
Y:そうだったろうね。
S:ドラムなんかの方がデカイ感じですからガンガン弾くしかないよね。
お:時代的に言うと、この後ちょうどカンザス出身のチャーリーパーカーが出てきて
S:そこが直ぐに来ちゃうんだね。
Y:こっからの飛躍が凄いよね。
S:凄いよね。
お:この後バンドミュージックから
4「コンファメーション」 (チャーリー・パーカー)
S:ここから前も、ここからもまあその飛躍するでしょうけど、ここへの飛躍も凄いじゃないですか。カウント・ベーシーからチャリー・パーカーへの。チャリー・パーカーだけじゃなく、その全体が凄い自由度が増している気がするんですけど、ドラムにしてもね。何でこういうことになちゃったんですか。
Y:うん、やっぱりハーモニーの、あるハーモニーに対するメロディー・ライン、アドリブのメロディー・ラインを凄く豊富にしちゃったってことですよね。スイング・ジャズのメロディーの作り方に比べて。
S:うんうんうん、で何がそうさしたんでしょうね。
Y:何が・・何でなんでしょうね、これだと現代のいわゆるモダン・ジャズと呼ばれているものと同じだよね。
お:完全に同じですね。多分その丁度、これ録音は53年で、もうパーカー晩年と言っていい時期だ、あと二年ぐらいで死んでしまう時なんですけど、出来たのはもう43年で、もう十年くらい前
S:戦争中だよね
お:戦争中だと思うんですが、やっぱりジャムセッション
Y:と言われてますね。ミトン・ハーツとか(?)
お:ミトン・ハーツ。それでみんなが俺こそ新しいものだとか、新しいものを持ち寄って脅かすという。
S:競って、そういう、その、何て言うのかな、拡大させたのかな、その語法を。
Y:ある意味、知的なサロンだったのかもしれないですね。
お:ジャム・セッションという考え方自体は実はジャズファン以外には分かりにくいのかもしれないですよね。
S:ああ、なるほどね。
お:まあ、ジャズミュージシャンはみなやることですけれども
S:あれはその例えばそのジャズクラブとかダンスホールとかお店が終わったあとに、みんなで明け方までやってたってことですかね。
お:そうですね、基本的にはこのパーカーが始めた時代がスイング・ミュージック全盛期なので、ビック・バンドでダンス音楽、アカペラ音楽を演奏して、その終わった後、夜三時とかくらいから、みんなで終わった人が集まってきて、曲は同じなんだけれどもメロディーラインがこんなに違うと
Y:なるほど、色々発明する、鬱憤晴らしで、譜面しかできないので
S:お仕事はね、譜面に沿ってね、やってるから
Y:やってるから、街のジャズクラブに暴れこむってよく、昔、パンナ・スイング・オーケストラの時は全員それをやってましたよ。(一同笑い)一応譜面で縛られてたので、どの街行っても、打ち上げからライブハウスへなだれ込んで暴れてました。
S:ちょっと気分をあげて、なだれ込むわけすね。
お:そこから新しい音楽を
Y:音楽(笑)いやあ、そこでね、知らない者同志、同じビックバンドのメンバーだけど知らない者同志が初めてコンボ奏者として出会ってね。面白い、今度一緒にやろうよ、なんてそんな話だって出来ますよね。おきてきましたから実際。だから、そんなものだと例えても良いのかな。
お:やっぱり、ずっと即興をやりたい、アドリブをやりたいという人が夜中に、とにかくドンドン、で、やはりソリストとバックという感じに構造がもうなってきていて、
Y:なってきた
お:し、あと少数精鋭というかですね、リフなんかも付けない訳ですよね、アレンジも無しで、
Y:そうですね。
お:なるばく一番軽い形で音楽をやるっていう方向にドンドンまとまっていくっていう。本当、もう結晶化っていう・・
S:さっき聞いたあのーカウント・ベーシーで非常に整備された伴奏部分がもう、とっとと取っちゃうってな
お:全部俺のソロみたいな
S:簡略化してものに突き進んじゃうという
Y:コードは複雑化するでしょう。いわゆるテンションの音がドンドン重なって。それで、そのメロディー・ラインも複雑化しますよね。そのー経過音が平気で入ってきたり、クロマチック・アプローチが出てきたり、それから、コード分割でもただのアルペジオじゃなくて、色々なラインを作ってくるね、あれがー今聴いても格好良いんだけど、あれを格好良いねーって皆で認めたセンスは素晴らしいよね。
お:そう、本当に素晴らしいと思いますね。
続く・・・・
Y:明らかにスイング・スタイルとは違うんですよ。スイング・スタイルはさっきのチャイナ・ボーイで、あのーテディ・ウィルソンのやつだけど、けっこうメロディーをリニアにパラパラ弾かないですよね。リズムっぽいのを弾いちゃうし、たまにメロディー・ラインをやってもアルペジオが多いですよね。
S:多いですね。こういうメロディーの作り方ってクラッシックには全然無いじゃない
Y:無いですかね。
S:面白いよね。
Y:バッハに凄い似ている気がするんですよ。
S:ああ、なるほどね。
Y:特に7thコードの3度からフラット9thに飛んで降りてくる
S:うーん
Y:ラリラリラリ♪ってやつ、あれはモダンジャズの初歩の初歩なんだけども。それこそC、A7、Dマイナ、A7の時にミレド ミソシラソファ♪ 僕のひどい音だけど(笑)、そんなフレーズをやると、あっ、こいつモダンジャズ出来るなって、最初の初歩的な証明になるんだけども、あんなのはバッハに似ていると思う。ただバッハを研究したからパーカーがそれを吹いたのか、僕はパーカーの方が先に知っていたから、インベンションの偽のインベンションのCマイナで、
S:僕が今、インベンションを言おうとしたんだけど似てますね、そう言われると
Y:うん。Cマイナでイキナリ出てきた時に。なぜバッハがパーカーに似ているのかって逆に。
S:パーカーがバッハを聴いていた可能性はありますか?
お:確実に聴いてはいたと思うんですよ。
S:聴いていた!
お:もともと南部出身のブルースの人間なので、後からでしょうね、彼が聴いたとしても。
Y:パーカーは最初は下手で、ジャムセッションの時に、後ろからシンバルを投げられたらしいよね。
お:先ほどのカウント・ベーシー楽団の、(教授は大笑い)ジョー・ジョーンズに投げられた。
Y:投げられた。
S:そう
Y:叩き出されて
お:ジャムセッションで出てきて、途中でもうグジャグジャになっちゃって、ダメって
S:うんうん
Y:ああゆうフレーズを勉強して編み出すんだよね。
お:らしいです。
Y:あれがイキナリ出来てきた訳じゃないですよね。
お:三ヶ月山に篭ってたって話も
Y:篭ってたっていう話もあるんだけど(笑)
S:あと夜も寝ないで、ジャムセッションが終わったら毎朝ばぁーと帰って来て、また、もう寝ないで練習していたって話があるよね。
Y:でも手本にした人がいるんだよね。
お:レスター・ヤングって
S:レスター・ヤング
お:それも先ほどのカウント・ベーシー楽団の
S:レスター・ヤングのフレーズを二倍早く弾いたっていう話だよね。
Y:なるほど
お:ちょっと75%上げると綺麗にあれぐらいのキーになるんですよ
S:なります。
お:bフラット
S:ああそうですね
お:すると凄い似てる
S:似てる
Y:なるほどね。じゃあ、そういう節の作り方ってレスター・ヤングが示唆しているんだ。
お:レスター・ヤングから聴き取って
S:あのね、本当にね、聴いて覚えて、それを帰って、早く、めちゃくちゃ早く弾けるように練習をしてたって聞きましたよね。
Y:やっぱり、そういう影響っていうのは
お:あると思いますね。ここは本当にもう凄いするどく変わってきた感じで、やはり、モダンの方が面白いって風に、ここで思われたわけですよね。
Y:思いましたね。あのースイング・・・同じアマチュア仲間があって、僕が一番最年少ですけどね。成蹊大学に上手いグループがあるっていうんで、聴きに行くんですよ。まだ高校生になったぐらい、それで、大学生のお兄さんが弾いているのを側でこうやって見てるのね。こうFの曲を始めて、何かメチャクチャ格好良いんですよ、サウンドが。ドミソじゃないから、そのうちに判ったんです。ブルースだって。
お:あ、なるほどね。それまでは判らなかった?
Y:聴き始めは判らなかった。あまりにサウンドが違うから、そしたら計ってたらF、bフラットいって帰ってきて、それで、ドミって行って帰って来てって判った時は嬉しくて、だからどんなに凄いことをやっているかが判った訳ですよ、そのFや普通のFやF7がこんな音になるんだ。今聴けば、物凄く単純かもしれないけど、僕はその当時、あのスイングだけだったからね。それでねー、演奏の途中なのに「あ、なんだ。ただのブルースだ!」って(笑)生意気な小僧だ、ただのブルースだって(教授も笑)、ただの発見の嬉しさに、「なーんだ」とか言っちゃったりして、でも心の中じゃ、物凄いビックリして、こんなことが、その人の名前が白井さんて言う、未だに覚えていますよ。衝撃でした。超えようって出して行くと、遂にテンション、謎に辿り着いていくですよね。
S:パーカーまで来ました。
Y:あとは、その落とし子たちですよね。
お:そうですね。ハンプトン・ホーズの「アイ・ガット・リズム」を
Y:これも衝撃的だったな。これも気持ちよかった。
5「アイ・ガット・リズム」ハンプトン・ホーズ
まだまだ続きます・・・
これから二時間、坂本龍一ニュー・イヤー・スペシャルと題してお送り致します。
この番組はですね、えー毎年お正月に放送していまして、もう5回目なんですね、えーもーっと、色々やっていきます。えー去年、もう去年になてしまうんですね。2008年。えーは、公には「変」変化の変ですね。まあchange そういう年だったそうですね。まあ2007年は偽装の「偽」でしたかね。まあ雇用とか経済問題が大変ですから皆さん。変化を望んでいるという。まあ今年に期待するという変化の意味なのでしょうかね。
まあ、僕はね、年の区切りとかあんまり関係なく過ごして来てしまったんですけども、ま、ざっと去年を振り返ってみると個人的には、そうですねぇ、あのー高知に行ってね、四万十川の源流の山とご縁が出来てっていうのも変ですけど、more treesというね、植林の事業を始めたので、えー四万十川の源流に、あのー山をお借りしてね、手入れをして、沢山CO2を吸収して貰おうと、そういうことをやって、訪れたんですけど、とても良いところで、空気も美味しくて感激しました。それから、まあ2008年後半はずっとアルバムを作っていたんですが、その途中に、以前から約束していた旅行が入ってしまいましてね、それというのが北極圏への旅行なんですね。え、まあ一生に一度行くかどうか、行かない人も多分多いいわけですけど、自分でも行くとは思ってなかったんですけど、これが行ってみたらね、大変なとこで、(笑)、すごく衝撃を受けたんですけど、感動とは違うんですけど、やはり風景とか寒さとか、その膨大な水と氷ですね。そこには勿論暮らしもあるんですけど、本当人間は片隅にちょこっと生きているだけで、主役は水だなって思いましたね。改めて、私達が住んでいる地球っていうのは水の惑星だと。いうのを衝撃とともに新たに認識させられたというかね、まあアルバムの製作の途中で行ったものですから、やはりとても影響を受けてしまいまして、まあ良い影響だと思うんですけど。えーまた紹介するチャンスがあるかも判りませんけど、では早速本題に入りましょう。
ちなみに2005年から始めたのかな?クラッシックと特集したんですね。次の年は民族音楽、そして2007年は海外のポップス、そして昨年は歌謡曲やJ-POPもテーマにしたんですけど、今年はねJAZZですね。まあ二時間でジャズを語りきるのはとても難しい話なんですけどね、実は昨年の八月に夏にですね、僕が監修してシリーズで出しているスコラというねシリーズがあるんですけど、その第二弾としてジャズを取り上げていまして、僕がずっと以前から敬愛する尊敬している山下洋輔さん、それから評論家で音楽家でもあります大谷能生(よしお)さんのお二人をね、お迎えしてジャズの歴史、ジャズとは何かということを、あのーかなり掘り下げて、長時間話したんですね。4時間ぐらい話をしていたかな。非常に面白い話ができたんですね。そこから、その座談会を抜粋してお届けしたいと思います。えー僕は凄く面白かったんですね。長年、本当10代の頃からジャズとは何かということを知りたい知りたいと思って、えーここまで来てしまったんですけど、えーそのジャズ界のトップ中のトップの山下さんにイキナリ切り込んでジャズとは何かということをお聴きしたんで、僕もかなり納得したところがありますけど。えー非常に和やかに、話の途中で山下さんが小さい時から聴いてきたね、ジャズ、まあその聴いてきた、山下さんが聴いてきたジャズっていうのが、一つのジャズの歴史そのものでもある訳ですけど、それが個人的な体験、それから、大谷さんの非常にこう博識のジャズ史を巡る知識もってねですね、そういう音楽を聴いてきてですね、とても面白いものになったんですけども、えーこれをちょっとはしょってですね、聴いてみましょう。
1 KOKO♪坂本龍一
坂本(S):僕はあんまりジャズには詳しくないんですけどね、本日は山下洋輔教授に(笑)教えて頂くということになります。ドンドン疑問をぶつけていきますので教えて下さい。
山下(Y):坂本教授に問われちゃ大変ですけどね、私もジャズのことは良く知らないです。
S:あははは。はい。素晴らしい。じゃあジャズとは何でしょうか。
Y:そうですね、最近ね、あのー僕が考えているのは、そのジャズというのはアフリカとヨーロッパが新大陸で出会った結果生まれた文化の一つで、その音楽文化として、素晴らしいものが生まれた、アフリカとヨーロッパのまあこれは出会いというよりは、これは激突、衝突、クラッシュですよ。凄い人類の唯一あった悲劇的な奴隷貿易というアフリカ人をヨーロッパ人が新大陸に連れてきちゃうというえらい出来事の末にこの音楽が出来た。そのインパクトがあるからね、あの世界中にはやまって、未だに流行って未だにその力のある表現力を保ち続けているという風にね僕はもう思っています。つまり、その民族音楽として捉えてね、ある民族が作り出した、その独特の美意識によって作り出した音楽というのは世界中にあるわけです、ヨーロッパがそのアジアの民族と出会ったり、別の民族と出会って、ヨーロッパ音楽の構造がその民族に受け入れられて、そこから新しいものが生まれるというのは世界中で起きているという現象ですよね。ジャズをそう捉えることも出来るんだけど、それにしては力がありすぎ。例えば日本でそういうことが起きた歌謡曲であったり、昭和初期唱歌であったりするかもしれないが、
S:明治維新にそういうことが起きたわけですよね。
Y:それが世界中に、このようにして伝わっていくということはないですね。
S:そこまでの発信力はなかった。
Y:発信力はなかった、そりゃあまあ政治とかね
S:経済力とか覇権とか
Y:外国との違った国との力関係もあるんだろうけど、まずその中に内在している誕生のパワーがアフリカとヨーロッパを抱え込んじゃっているわけで、
S:大陸と大陸のぶつかりあいですよね、
Y:ぶつかり合いですよね。人種と人種のぶつかり合い。
S:しかもそれが新大陸で巨大な新大陸で
Y:新大陸というものがなければできてなかった。だからそういう意味でここ現代100年を象徴する最も力強い音楽だという風に、まず僕はジャズを言う時にそういう風に考えることにしています。
S:なるほどジャズとはそういうものであると、素晴らしい見方だと思うんですね。そのアメリカで生まれたジャズというものをヨーロッパ人や日本人である山下さんが、やっているという。これはジャズなんですかね?
Y:それはジャズでしょう。(笑) 色々な捉え方があるんだよね。
S:うーん。
Y:僕もアメリカで一人旅をした時にセントルイスで会ったうるさいレコード店主がいて、お前のことはよく知っていると、ニューポート ニューヨーク出た時も小山彰太と坂田明のグジャグジャのフリージャズですよね。凄い、お前の音楽は凄い。でもジャズではない、何故ならブルースを知らない。とこうきました。
S:なるほど、やっぱりね
Y:そういう見方もあるんです。
S:そうですね。
Y:一方では例えば、じゃあ、これは、文学ですか?絵画ですか?っていうのと同じでね。そこに自分の表現を全部 託せる現代の芸術形式だというふうに捉えちゃうことも出来る。
S:ふんふん。
Y:随分以前から僕はたぶんそうやってジャズのことをそういう風に捉えています。
S:うん、だからその、アフリカのルーツであるまあブルースから、こう離陸して離れていてもこれはジャズとしても成立しているんだと言うことですよね。
Y:それはね色々今、日本の大学でもジャズを教えていますけど、その時に何処までがジャズかっていうのは、いつもこう議論になるところなんですけど、まあその細かく決めていく必要があるかもしれませんね。例えば楽器編成がこうでなければジャズでないとか、例えばアドリブをするパートがなければダメだとか。ハーモニーが独特なんだからジャズだけで使ってきた歴史的ハーモニーがあるから、それを外してはジャズではないとか、色んなところでグレーゾーンがあって、あのーわからないんですよ。
S:何故こんなことを聞くかというとね。端的にそのジャズとは何かということが知りたいからなんですが、最初にそのアフリカとヨーロッパの強烈な衝突がアメリカで起こったその芸術形式がジャズと、で今度その、これクラシックの場合でも同じなんですけど、僕がねヨーロッパのクラッシック、ヨーロッパで生まれた音楽を土台にして今でも日本人の僕が音楽作っているというのも、やっぱり、良く考えると変なんだけども、そのアメリカでその衝突によって生まれたねジャズっていうものが日本人の山下さんがやっていて、それがジャズとしてやっているのか、ジャズなのかジャズじゃないのか、その考えることによって、ジャズとは何かということがね出てくると思うんで。それはまあジャズなんだと、そのジャズっていうのはアフリカのルーツから離陸してですね、違うものになっていっていっても、それはジャズなんだということで良いでしょうかね。
Y:これはね、だから、どう取り決めれば良いのかな。ドラムとベースと・・ベースがあるとジャズと言っても言わなきゃいけないかもしれないけど、ドラムセットがない音楽が違うかって言うと、ピアノソロでもジャズなんてものもありますしね。じゃあジャズのリズム感が残ってなけりゃいけないかというと、それも曖昧になってしまう場合もある。
S:まあフリージャズっていうのもあり得るわけだし、うん
Y:フリージャズ・・その一つ結論めいたものを言えば、即興演奏する のがあるのがジャズだって言いたいです。
S:それで今日ここに来るタクシーの中で、僕もジャズのことが本当にわからないので、色んなことを聞かなきゃなあと思って、浮かんできたのは、最初がジャズとは何か。次に山下さんはジャズをやっているのか。第三に重要な点がその即興なんですよ。即興ってのは何でしょう。即興は作曲ですかね。
Y:うん即興というは、昔はバッハだってモーツァルトだってベートーベンだって即興の腕比べをやったんですよ。
S:そうですね。
Y:それを喜ぶっていう音楽があった。ところが、作曲家の音楽になってしまったクラッシックが歴史の中で中々その演奏家がやっている今作っている音楽を聴く人が面白がって、あいつの方が面白い、こいつが面白い、こいつがこんなことやった、こいつがこんなことやったって楽しめる、そういう受容の仕方ができる音楽っていうのは現代に残っているのはジャズだけですよね。これはまた物凄く貴重なことだと思うんですよね。で、その即興のやり方っていうのは、これはどう発生したかっていうのは大谷さんが詳しいと思うけれども。まあ軍楽隊の真似であったとか、それから色々のヨーロッパの音楽をそのやっていた白人がやっているのを聴いた、そのそういう地位に居た黒人達ね、召使であるとか執事であるとか教養が高い人たち、特にフランス系は留学さしてもらったりするんですよね。それで音楽の教養を身につけて自分も真似してやってみたところおかしくなったという説があった。(笑)
S:変なものが生まれた
Y:どうしてもアメリカの感性で、タタタタタっていうのをタッタカッタターとやったりと
S:クッチャクルド・・・シンコペーション
Y:クッチャクルド、シンコペーションしてしまうと。これが面白い説得力があると思うんですね。
S:なるほどね
Y:で、あるメロディーを崩していくっていうことをやるじゃない。フェイクというね、あのやり方は先ず即興音楽の第一歩ですよね。
S:そういうものが、アフリカにあったんでしょうかね。
Y:そこは、どうですか大谷さん。
大谷(お):そうですね
S:アフリカの音楽って、わりと僕らが知っているのはかなりパターンが決まってない、あまり即興性はないように感じるんだけど
Y:そうなんだよ
お:かちっとしているものが多い。
S:ですよね。で永遠に繰り返すというということが多いじゃないですか。
お:そうですよね。たぶんそれが一回南米を経由しているんだと思うんですよ。そこからニューオリンズに入っていく、ニューオリンズが南米への第一の港みたいな形で栄えるんですけど、ニューオリンズも先ほど出たクレオール、フランス系の白人が混じっている黒人文化というものの中で例えばパーカッション自体は消えるんですけど、クラ―べ(キューバ音楽・サルサの基本となっているリズム)の形だとか、こっち側で誰かがリズムパターンを出すと、それに反応速度の違うパターンを重ねていくというような
S:アフリカ的な要素が
お:アフリカ的な要素がもうそこでメロディーの中で入っちゃっているという形でのシンコペーションの対応みたいなものでマーチが入ってきているという
S:ああそうか、じゃあそういうヨーロッパ音楽の単純なこう縦割りのものを、あたかもその複数のアフリカ人が合奏している複雑なモアレ効果(一群の曲線を、別の曲線群と45゚以下の角度で個々の曲線が交わるように重ねた時、両方の交差点を連ねた新しい一群の曲線が現れて来る効果)というか、
お:三種類四種類のビートのメロディをやる
S:それが出来ていくような、一人で例えばピアノなどで模倣し始めるというか
お:というのがラグタイムになっていくんじゃないかな
S:なるほどね、下手したらそのタイムも長さもちょっと違うようなズレを起こすようなねパターンを別々のクロックダウン(電子計算機の動作クロック周波数を下げる)を組み合わせて音楽にしていくことが今の現代のジャズにも何となく感覚として残っているような、あるいは僕はR&Bの中にもそれが残っているような気がしてきましたね。
Y:それは残ってます。もうジャズの強い遺伝子であって、それが魅力的だからって継承されますよ。
S:そうですよね。
お:一人ひとりがこう抱えているものがズレたまま一緒に出来るっていうのが、それが凄く・・
Y:あれが良いですよね。一人ひとりがドライブしてて一緒になって、しかもズレていると、もう物凄い強烈なドライブ感、スイング感が出来るという、
お:止まらないっていう・・
Y:そして、いくらやっても飽きない。あのジャズの秘密よね、例えばDマイナ、ワンコードで、エルビン(エルビン・ジョーンズ)とコルトレーンが永遠とやって・・・マッコイカイナーがいてジミー・ギャルソンが居てって、あれ何故飽きないかっていうと実に不思議だ。ヨーロッパ的にって考えて、和音はDマイナ(笑)、リズムは三拍子、何だこれ?おしまいって(笑)それが生きていつまでも気持ちよく動いていく。これはヨーロッパの考えじゃ説明できないでしょ?
S:出来ないですね。うん、うん。なるほど、そこが鍵かもしれないね。
Y:それでそこでやってる全員がインプロビゼーション(即興)している訳だが、それがつまりアフリカ起源のそのポリリズムの考えに辿り着くんだって、なるっていうのは僕も今初めてって気がするね。
S:とても説得力がありますね。
お:たぶん大事なのはたぶんフォークミュージックってではなくって都市の音楽とうか、誰が言って何やってるか分からない所で生まれた音楽だと、近代的な音楽だと思うんですジャズって言われたとき、アフリカ起源なのは間違いなくそうだと思うんですが、それが都市に入って、市民社会という形で、隣に居る人がどこから来ている人か判らないけれども一緒に出来るっていう。フォークミュージックだと同じ民族、同じコミューンでみんなが確認するために「俺達はこのリズムだな」ってやって終わりっていう形になると思うんですけど、みんながバラバラに持ち寄って違うよねって言いながらでも、この場に音楽があるよねっていう感じ。で、共演できるっていうのが凄い発見だったんじゃないかな。
Y:だから正にその新大陸でアフリカとヨーロッパが出会ったときが、もう都市の時代だからだったからこそ良かったんだね。別の時代だったら生まれてなかったかもしれない。急にだけど、こないだ、たまたまテレビを見ていたんだけど、スティーブ・ライヒ
S:はい、スティーブ・ライヒ
Y:あんなの完全にアフリカの音楽のアフリーですね。(笑)
S:ええパクリーですね(笑)、正に自分でも言ってるけどね。
Y:あ、言ってる?ドイツ人、ドイツユダヤ人がアフリカ音楽を構成しなおした時にあんなになるという、ちょっと恐るべき執着心だね。
S:アフリカ音楽を構成しなおし、しかもヨーロッパの楽器でやるということですよね。
Y:うーん。ある意味とてもジャズに似てはいるんだけども、即興性の問題でね、そこで違うんだと思うんだよね。
S:即興性はないですよね。
お:ぜんぜん違うものになってますよね。
Y:あれだけ同じ事をやって飽きないとすれば、アフリカのドライブ感ですよね。あれを上手く取り入れたっていうのはやはり凄い才能ですよね。
S:そうですよね。まあ、あのう現代の音楽としてチャンと成立しているから、それはそれで凄い才能なんだけれども、まあ僕から見れば本当に90%はアフリカ音楽ですよね。
Y:やっぱりそう思いましたか。そりゃあ良かった。坂本教授と意見が同じで。(笑)
S:そう思いますよ。
お:僕もそう思います。
Y:ああ、大谷さんとも一緒で良かった。
お:でも、それは凄い自分のユダヤ系アメリカ人の物語を語るために、そういう風なものを使っているという所が凄い頑固なっていうか、強力なエゴっていう
Y:強力なエゴだよね。
S:ある意味言ってみれば無時間的なアフリカ的なシステムを非常に一神教的な終わりに終身に向かってっていうね、事実そういうユダヤ教的なテキストの上でやってる音楽もだいぶ多くなってきましたからね彼も。
お:凄い取り込み方だなと思うんですけどね
S:全然違う方にアメリカを目にして(笑)、 そうですね。
Y:でもユダヤ人のジャズへの貢献っていうのも凄いんですよ、もう素晴らしい。ベニー・グッドマンを初めとして、殆どがユダヤ人ですよね。
お:リストなんかも・・・
S:あのねー世界の民族音楽を研究しているのをリードしているのもユダヤ人なんですよね。本当ですよ。
お:そのお話もこのリストの中で沢山出てくる
S:じゃあ、そろそろ、このリスト・・・ちょっと聴いてみましょうか
お:初期の方から
2 「ベイズン・ストリート・ブルース」 (ルイ・アームストロング&ヒズ・ホット・ファイブ)
S:これもうかなり様式が確立してますね。
お:そうですね。たぶん26年か27年の。
S:その西洋音楽の部分っていうのかな、ハーモニーの部分、これは教会音楽ですよね。言ってみればね。讃美歌ですよね
Y:物凄い勉強してますよね。完全にこなしてますよね西洋音楽を。西洋音楽に近づこうとしているような。感じがあるんだけど
お:ブルース・・・ブルースって、一応ブルースになおってますが、いわゆるブルース進行ではない。
Y:ではないですよね。
S:賛美歌みたいですよね。であのアドリブもちょっとそのコードのテンションなんかを取り入れたり微妙にコードなんかが移ると、その構成音を入れたりして(ピアノを弾く音)完全なものではないですね。
Y:でもハーモニー進行に対するメロディーの作り方の的確さって凄いよね。既成音楽、クラッシック音楽でもある進行なんだけれども、そこに付け加えるメロディーはやはりジャズの発明だと思いますね。
S:うんうん
お:どう聴いてもアメリカ音楽っていうか、教会音楽としはヨーロッパのものだとしても、メロディーラインはもう完全にアメリカのもの・・・
S:それにね、世界中にほらキリスト教の布教がいったわけじゃない。でその各地で色んな違う花が咲くわけね。南アフリカのものもやはり賛美歌とか教会音楽が元になっているけど全然違う開花の仕方をしている。あるいは、あのーポリネシアのあの辺のでもまあ、凄くキリスト教化されてね、現地の音楽が宗教音楽として、この変換されるんだけれども全然違うもの、南米でも勿論そうですけれども、その辺が面白いですよね。日本はあまりその影響を受けてないというのも面白いですよね。まあ、唱歌なんかはそうなのかな。
Y:そうでしょうね、唱歌に賛美歌的なものが多いですよね
S:ね、多いですよね。一番影響は唱歌に出ている。
Y:出てる。
S:そうかもしれないですよね。なるほど・・
お:ルイ・アームストロングまたは、この辺りの音楽というのは山下さんの思い入れっていうのは
Y:やっぱりこの人のメロディーの作り方が凄く、今聴いても的確ですよね。
S:山下さんは、でもこのジャズ史、時代順に聴いてきた訳ではないでしょう?
Y:ええとだいたい時代順なんですよ。
S:そうなんですか。そうなの。
Y:いたずら弾きをしていた時(中学3年生の頃)に兄が大学生時代にやっていたスイングバンドに入れてもらって、くっついて行って、弾けたんですね。あのー「オン・ザ・サニー・サイド・オブ・ザ・ストリート」という曲でしたけど、CからE7に行った時のそのEの上にただのGではなくてGシャープを入れた三和音が出来るんだ って発見したときの嬉しさっていうのがありましてね、そしてギターの人にコードネームっていうものを教えてもらって、そっから先は一直線
S:その進行はリストの有名な曲と同じだよね。
Y:I KNOW。それを言うともうジャズの要素は全てクラッシックのこっからだよっていう話が出てきちゃいますよね。
S:出てきますね。でもビートルズも多用するけど、あの進行ね、CからEってのはね。凄く気持ち良いですよね。
Y:凄く気持ち良い。それから1度から6度へのあの鋭さ加減っていう、あんなものはここずっと生涯付きまといますけれど、あははは・・・そのコードそれで始めた時にやはり、このこういう曲を聴いていたんですよ。
お:それはもう、最初はディキシー・スイング(ニューオリンズ黒人ジャズを手本にした白人ジャズ)の音楽から
Y:そうです兄のバンドはね。もうあのう、いったとしてスイングですね。ディキシーとスイングとの中間、エディー・コンドンの真似をしたんですよ。
お:シカゴ・スタイルの
Y:そうそうエディー・コンドン・オールスターズの録音をしょっちゅう聴いて
お:ジンクルパーとかですよね
Y:そう好きでね、真似をしようとして、だから本当にそのとき言ってましたよ。昨今はそのモダンジャズなどという変な音楽が流行ってる
S:うふふふふ(笑)
Y:ああゆうことをやる奴はダメだって、お前はなるなっていうような・・
S:あはっは(笑)
Y:言われれりゃあなるんだよね。
一同:あははは
S:けしかけてる。
Y:けしかけてる(笑)、本当にそういう台詞が兄達の間でありましたよ。
お:ベニー・グッドマントリオなどはコピーとかはされてたんですか。
Y:それはね、ちょっと出来なかった。チャイナ・ボーイってのが大好きで
3「チャイナ・ボーイ」 (ベニー・グッドマン・トリオ)
S:(聴きながら)左手が凄いね
Y:この時の左手の十度の連続。これをもう日本人が全員悩むんですよ。
S:ああそうですか。
Y:テディ・ウィルソン(白人クラリネット奏者ベニー・グッドマンの人種混成バンドに参加した黒人ピアニスト)の日本への紹介者の秋満義孝さんが何かのインタビューで言ってましたね。十度を連続していくからあのサウンドが出るのであって、到底それが出来ないので、そのそれを六度で代用するんだよ。ドミをミドに(笑)
S:なるほど。下に持ってきちゃう
Y:下に持ってきちゃう。色々クラッシックでも十度はね、みんな苦労するところなんだけど、それがこういうところにもあるんですよね。
S:うーん、凄く良い響きだよね。
お:これベースがあと、いないんですよ。テディ・ウィルソンが全部できちゃうから。あと、ジーン・クルーパーがバス・ドラムと。左手だけでぜんぜんビートが効くというトリオで。
S:うん。面白い。
お:この辺りが30年代の真ん中ぐらいで、ここら辺から、こういった形でのビートが効いているのを白人が表にたって、ドンドンやるようになっていくという時代ですね。
S:もう踊っているのも白人?
お:踊っているのも白人です。もうオール・アメリカン・ミュージックという形になってきて、これこそが我々の音楽だ。アメリカのミュージックだという
Y:ベリー・グッドマンという白人のスターが出てきたおかげですよね、それとラジオの普及で全国に広まった。
お:この人が初めてメジャーでは、自分のバンドに黒人を入れた人なんです。テディ・ウィルソンはブラック・ミュージシャンで、この後ライオネル・ハンプトンが入るんですけど、最初は絶対やめろってみんなに言われたみたいですね。
S:白人だけでやってたわけですか?その前は。
お:そうです。一緒にカラーは分けないとダメだったんです。どの場でも、基本的に。
S:黒人が入るのがいつごろですか?
お:ここですね35年。ここで初めてですね、こういうラジオとかにも出るのって、ラジオだと顔が見えないんで、(みんなの笑いに)本当そうらしいんですよ。レコードとかラジオだとあるんで、ミックスというのはあったらしんですけど、それで全国回るっで、ステージに乗るっていうのは
S:出ちゃいけなかったんだね。なるほどね。
Y:ありゃー。黒人は黒人で固まってデューク・エリントン、キャロル・スローン、カウント・ベイシーも
お:一緒にやっちゃダメっていうことが・・・でもここで初めて一緒にやれて、しかもそれがアメリカ全国的にヒットして認められたというので、後のスイング時代の白黒混合でも大丈夫だし、それこそむしろアメリカだという
S:じゃあそれまではアフロ・アメリカンの音楽だったのが、そこで初めてアメリカの音楽という風に認知されたという感じですかね。
お:そうですね、それまででもジャズと言われてたものとは、やっぱり一段低いというか、本当、酒場のガチャガチャした
S:まあジャズという言葉自体がそういうニュアンスをね
お:そういう汚い言葉。ここで言われても、これが違う音楽だと思われたらしいんですよジャズとは。スイングミュージックだと呼ばれてたらしいですよ、新しい音楽だと
S:ちょっと高級な
お:ちょっと高級な、ジャズっていう言葉はアウトで、これはスイングだ、新しく白人が発明した音楽だと言う風にみんなは思ったらしいんですよ。
S:僕もね、もう20年くらい前ですけど、アメリカのレコード会社と契約してね、アルバム作ったのね、そん中の一つの曲に、まあジャズっていう言葉を使ったわけ、そしたらねその白人の、80年代ですよ、現代の話ですよ、ジャズって言葉は使わない方が良いと言われましたよ。それで、まあそれほど、まだだから、それ程の説得力のある言葉っていうかね、ここまで生きているんだねジャズっていうのが、やっぱりネガティヴなイメージがあるみたいですよ。一般の人っていうかな
Y:なるほど、ちょっと、ちょっと狭い世界だっていう
S:って言うかまあ、あのー・・・ごちゃごちゃした汚いっみたいな。そういう最初の語感がまだ残ってるんだなーと思って、新鮮だったんだけど僕にとってはね。英語で言うとnastyなはず、汚いからね(笑)
Y:なるほど(笑)
お:そうですね、それがこのユダヤ系アメリカ人が表に出ることによってクリーンで凄い
S:INTELLIGENTな(笑)
お:しかもINTELLIGENT でHAPPYでHEALTHYな
S:プラス思考でね
お:でしかも このビッグバンドになってゴージャスになってって、アレンジも綺麗なんで、そんなごちゃごちゃしたその例えばリキシーとかは、こうラインが動いていくから、こう捕まえにくいっていうか。
S:白人が理解できない
お:理解できない、何かがちゃがちゃやっているっていう風なのをスッキリさせて、ブラストリードで、ぱーらーぱららー♪
S:ああゆう音でね、あれだったらわかるかけだ
お:のがこういう時期からで、それがアメリカで大受けしたといのがモダンジャズ前身っていうか歴史的に言うと
Y:当時のジャズクラブの後に例えば会館みたいになってて、行ったんですけどね、普通のアップライトピアノでカウント・ベーシーを弾いたって、みんなが弾いたって
S・お:おおー
Y:見たら、この辺の鍵盤全部えぐれてました。(一同静かに笑う)
S:もう剥がれちゃって
Y:もう剥がれて象牙か何かがもう下がえぐれて、よく使うキーのところは・・・
S:木の所が
Y:だから僕も手を置きましたよ。ベーシーがえぐった穴だ(一同で えへへへへ 笑)
お:危険じゃないんですか。ささくれとか。
Y:まあ危険ですね。危険だけど、ものともせずにやったんでしょうね。
お:おほほおー
S:うーん。象牙が飛んじゃうぐらい弾いてしまう、凄いね。
Y:けっこうずれていくんですね。
S:凄いですね。
Y:水が岩を穿つみたいになってるんですね。
S:凄いね。
お:当時、やっぱり弾かないとダンスミュージックは生まれなかった訳だから毎晩ずーと弾かれてたんでしょうね。
S:でしょうね。アンプリファイっていうかPAはないわけでしょう。
お:えーと基本的には無いですね
S:基本的にはね。ならガンガン弾くしかないですよね。
Y:そうだったろうね。
S:ドラムなんかの方がデカイ感じですからガンガン弾くしかないよね。
お:時代的に言うと、この後ちょうどカンザス出身のチャーリーパーカーが出てきて
S:そこが直ぐに来ちゃうんだね。
Y:こっからの飛躍が凄いよね。
S:凄いよね。
お:この後バンドミュージックから
4「コンファメーション」 (チャーリー・パーカー)
S:ここから前も、ここからもまあその飛躍するでしょうけど、ここへの飛躍も凄いじゃないですか。カウント・ベーシーからチャリー・パーカーへの。チャリー・パーカーだけじゃなく、その全体が凄い自由度が増している気がするんですけど、ドラムにしてもね。何でこういうことになちゃったんですか。
Y:うん、やっぱりハーモニーの、あるハーモニーに対するメロディー・ライン、アドリブのメロディー・ラインを凄く豊富にしちゃったってことですよね。スイング・ジャズのメロディーの作り方に比べて。
S:うんうんうん、で何がそうさしたんでしょうね。
Y:何が・・何でなんでしょうね、これだと現代のいわゆるモダン・ジャズと呼ばれているものと同じだよね。
お:完全に同じですね。多分その丁度、これ録音は53年で、もうパーカー晩年と言っていい時期だ、あと二年ぐらいで死んでしまう時なんですけど、出来たのはもう43年で、もう十年くらい前
S:戦争中だよね
お:戦争中だと思うんですが、やっぱりジャムセッション
Y:と言われてますね。ミトン・ハーツとか(?)
お:ミトン・ハーツ。それでみんなが俺こそ新しいものだとか、新しいものを持ち寄って脅かすという。
S:競って、そういう、その、何て言うのかな、拡大させたのかな、その語法を。
Y:ある意味、知的なサロンだったのかもしれないですね。
お:ジャム・セッションという考え方自体は実はジャズファン以外には分かりにくいのかもしれないですよね。
S:ああ、なるほどね。
お:まあ、ジャズミュージシャンはみなやることですけれども
S:あれはその例えばそのジャズクラブとかダンスホールとかお店が終わったあとに、みんなで明け方までやってたってことですかね。
お:そうですね、基本的にはこのパーカーが始めた時代がスイング・ミュージック全盛期なので、ビック・バンドでダンス音楽、アカペラ音楽を演奏して、その終わった後、夜三時とかくらいから、みんなで終わった人が集まってきて、曲は同じなんだけれどもメロディーラインがこんなに違うと
Y:なるほど、色々発明する、鬱憤晴らしで、譜面しかできないので
S:お仕事はね、譜面に沿ってね、やってるから
Y:やってるから、街のジャズクラブに暴れこむってよく、昔、パンナ・スイング・オーケストラの時は全員それをやってましたよ。(一同笑い)一応譜面で縛られてたので、どの街行っても、打ち上げからライブハウスへなだれ込んで暴れてました。
S:ちょっと気分をあげて、なだれ込むわけすね。
お:そこから新しい音楽を
Y:音楽(笑)いやあ、そこでね、知らない者同志、同じビックバンドのメンバーだけど知らない者同志が初めてコンボ奏者として出会ってね。面白い、今度一緒にやろうよ、なんてそんな話だって出来ますよね。おきてきましたから実際。だから、そんなものだと例えても良いのかな。
お:やっぱり、ずっと即興をやりたい、アドリブをやりたいという人が夜中に、とにかくドンドン、で、やはりソリストとバックという感じに構造がもうなってきていて、
Y:なってきた
お:し、あと少数精鋭というかですね、リフなんかも付けない訳ですよね、アレンジも無しで、
Y:そうですね。
お:なるばく一番軽い形で音楽をやるっていう方向にドンドンまとまっていくっていう。本当、もう結晶化っていう・・
S:さっき聞いたあのーカウント・ベーシーで非常に整備された伴奏部分がもう、とっとと取っちゃうってな
お:全部俺のソロみたいな
S:簡略化してものに突き進んじゃうという
Y:コードは複雑化するでしょう。いわゆるテンションの音がドンドン重なって。それで、そのメロディー・ラインも複雑化しますよね。そのー経過音が平気で入ってきたり、クロマチック・アプローチが出てきたり、それから、コード分割でもただのアルペジオじゃなくて、色々なラインを作ってくるね、あれがー今聴いても格好良いんだけど、あれを格好良いねーって皆で認めたセンスは素晴らしいよね。
お:そう、本当に素晴らしいと思いますね。
続く・・・・
Y:明らかにスイング・スタイルとは違うんですよ。スイング・スタイルはさっきのチャイナ・ボーイで、あのーテディ・ウィルソンのやつだけど、けっこうメロディーをリニアにパラパラ弾かないですよね。リズムっぽいのを弾いちゃうし、たまにメロディー・ラインをやってもアルペジオが多いですよね。
S:多いですね。こういうメロディーの作り方ってクラッシックには全然無いじゃない
Y:無いですかね。
S:面白いよね。
Y:バッハに凄い似ている気がするんですよ。
S:ああ、なるほどね。
Y:特に7thコードの3度からフラット9thに飛んで降りてくる
S:うーん
Y:ラリラリラリ♪ってやつ、あれはモダンジャズの初歩の初歩なんだけども。それこそC、A7、Dマイナ、A7の時にミレド ミソシラソファ♪ 僕のひどい音だけど(笑)、そんなフレーズをやると、あっ、こいつモダンジャズ出来るなって、最初の初歩的な証明になるんだけども、あんなのはバッハに似ていると思う。ただバッハを研究したからパーカーがそれを吹いたのか、僕はパーカーの方が先に知っていたから、インベンションの偽のインベンションのCマイナで、
S:僕が今、インベンションを言おうとしたんだけど似てますね、そう言われると
Y:うん。Cマイナでイキナリ出てきた時に。なぜバッハがパーカーに似ているのかって逆に。
S:パーカーがバッハを聴いていた可能性はありますか?
お:確実に聴いてはいたと思うんですよ。
S:聴いていた!
お:もともと南部出身のブルースの人間なので、後からでしょうね、彼が聴いたとしても。
Y:パーカーは最初は下手で、ジャムセッションの時に、後ろからシンバルを投げられたらしいよね。
お:先ほどのカウント・ベーシー楽団の、(教授は大笑い)ジョー・ジョーンズに投げられた。
Y:投げられた。
S:そう
Y:叩き出されて
お:ジャムセッションで出てきて、途中でもうグジャグジャになっちゃって、ダメって
S:うんうん
Y:ああゆうフレーズを勉強して編み出すんだよね。
お:らしいです。
Y:あれがイキナリ出来てきた訳じゃないですよね。
お:三ヶ月山に篭ってたって話も
Y:篭ってたっていう話もあるんだけど(笑)
S:あと夜も寝ないで、ジャムセッションが終わったら毎朝ばぁーと帰って来て、また、もう寝ないで練習していたって話があるよね。
Y:でも手本にした人がいるんだよね。
お:レスター・ヤングって
S:レスター・ヤング
お:それも先ほどのカウント・ベーシー楽団の
S:レスター・ヤングのフレーズを二倍早く弾いたっていう話だよね。
Y:なるほど
お:ちょっと75%上げると綺麗にあれぐらいのキーになるんですよ
S:なります。
お:bフラット
S:ああそうですね
お:すると凄い似てる
S:似てる
Y:なるほどね。じゃあ、そういう節の作り方ってレスター・ヤングが示唆しているんだ。
お:レスター・ヤングから聴き取って
S:あのね、本当にね、聴いて覚えて、それを帰って、早く、めちゃくちゃ早く弾けるように練習をしてたって聞きましたよね。
Y:やっぱり、そういう影響っていうのは
お:あると思いますね。ここは本当にもう凄いするどく変わってきた感じで、やはり、モダンの方が面白いって風に、ここで思われたわけですよね。
Y:思いましたね。あのースイング・・・同じアマチュア仲間があって、僕が一番最年少ですけどね。成蹊大学に上手いグループがあるっていうんで、聴きに行くんですよ。まだ高校生になったぐらい、それで、大学生のお兄さんが弾いているのを側でこうやって見てるのね。こうFの曲を始めて、何かメチャクチャ格好良いんですよ、サウンドが。ドミソじゃないから、そのうちに判ったんです。ブルースだって。
お:あ、なるほどね。それまでは判らなかった?
Y:聴き始めは判らなかった。あまりにサウンドが違うから、そしたら計ってたらF、bフラットいって帰ってきて、それで、ドミって行って帰って来てって判った時は嬉しくて、だからどんなに凄いことをやっているかが判った訳ですよ、そのFや普通のFやF7がこんな音になるんだ。今聴けば、物凄く単純かもしれないけど、僕はその当時、あのスイングだけだったからね。それでねー、演奏の途中なのに「あ、なんだ。ただのブルースだ!」って(笑)生意気な小僧だ、ただのブルースだって(教授も笑)、ただの発見の嬉しさに、「なーんだ」とか言っちゃったりして、でも心の中じゃ、物凄いビックリして、こんなことが、その人の名前が白井さんて言う、未だに覚えていますよ。衝撃でした。超えようって出して行くと、遂にテンション、謎に辿り着いていくですよね。
S:パーカーまで来ました。
Y:あとは、その落とし子たちですよね。
お:そうですね。ハンプトン・ホーズの「アイ・ガット・リズム」を
Y:これも衝撃的だったな。これも気持ちよかった。
5「アイ・ガット・リズム」ハンプトン・ホーズ
まだまだ続きます・・・