存在する音楽

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実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

2014,2,4 元春レイディオショー

2014-02-04 22:55:27 | 佐野元春
火曜の夜11時 今晩は佐野元春です。
みなさん寛いでますか?元春レイディオショー
この番組は東京渋谷NHKのスタジオから届けています。
さて昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方もおられると思います。
謹んでお悔やみを申し上げます。70年代から現代まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップミュージックに一つの可能性を見出してきました。元春レイディオショーでは前回から4週に渡って、大滝詠一追悼特別番組「有難う大滝さん」を放送します。今回はその第2回目。80年代元春レイディオショーから現在まで過去30年間にわたる貴重なアーカイブを元にリスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。
DJ佐野元春。これからの1時間、どうぞ寛いでお聴きください。

大滝さんと言えば「ゴーゴーナイアガラ」
ミュージシャンとしてだけでなく、ディスクジョッキーとしても素晴らしい仕事をなさっていました。選曲、構成、そしてトーク。大滝さんの番組「ゴーゴーナイアガラ」は時代を超えて多くの音楽ファンを魅了しました。
最近では、ここNHK-fmで大滝詠一の「アメリカンポップス伝」という番組をやっていました。
エルビス・プレスリー デビュー前後から始まって60年代のポップスまで大滝さん独自の視点で米国ポップ音楽の歴史を追求していました。話によるとシリーズはこれからも続く予定だったということ。こうしてオールディーズを体系的に語れる人は今とても少なくなっています。それだけに大滝さんのDJがこれからも聞けないというのは、とても残念なことです。
さて、ラジオでってことで言うと大滝さんは、この元春レイディオショーとも深い縁がありました。1986年9月僕が海外レコーディングでどうしても番組に出られないときがありました。
そのとき、番組リスナーファンのために代理としてDJをやってくれたのが大滝さんでした。
大滝詠一追悼特集 ここで、元春レイディオショー1986年9月29日の放送からディスクジョッキー 大滝詠一
彼の名調子を振り返ってみたいと思います。

(1986,9,29)DJ大滝詠一
さて先週は60年代中期から60年代後半までのフォーク・ロックムーブメントのフラワームーブメントを中心にお送りしました。最初は我々「はっぴいえんど」というグループを作ってましたが、その はっぴいえんどのアイドルであったところのバッファロー・スプリングフィールドの曲を沢山かけましたけれども、その辺の流れが70年代に入ってどういう風に流れて行ったかのを本日は特集していこうと思います。

1 Woodstock : Crosby, Stills, Nash & Young

僕は丁度このへんが大学の時代でしたけれども、ですから個人的に言いますと僕の場合はエルビスでロックを知って、そしてビートルズを経て、ビートルズ・ジェネレーションでもあり、そしてウッドストック・ジェネレーションとも呼ばれるところの範疇に入っている訳ですけれども、っていうくらいまあ、このウッドストックのコンサートは凄かったということですよね。それでは、このニール・ヤングもCrosby, Stills, Nash & Youngにも参加したり、個人的にもアルバムをソロ・アルバムを出したりしていましたけれどもニール・ヤングの曲を聴いてみましょう。

2 The Loner : Neil Young

非常にかっこよい曲でねー これは はっぴいえんど時代に「春よ来い」という曲を作りました。この曲に影響されて(笑)えーという風にこの途中で入るストリングスなんかもロックの中で入ってくるというのは勿論ビートルズなんかも色々とやってましたけれどもね。でストリングス・アレンジャーとしてまたこれは僕が大好きなフィル・スペクターというおじさんが居ますが、そこでアレンジャーとして活躍していたジャック・ニッチェの名前をだいたい7・8年ぶりくらいに、このニール・ヤングのアルバムで見たというのも非常に感動したものでもありました。
さてCrosby, Stills, Nash & Youngの中で勿論リーダー格はStephen Stillsでした。バッファロー時代からでも彼がリーダーでしたけれども、彼もソロアルバムを出しております。では聴いてみましょう。

3 Love the One You're With : Stephen Stills

4 Take It Easy : Jackson Browne

ジャクソンブラウン
イーグルスのデビュー曲でした。この曲が物凄くヒットしていた頃というのは丁度このころは はっぴいえんどの解散する頃でしてイーグルスの曲はよくかかっていました。でイーグルスも最初はこのようにカントリー・ロック的な感じのデビューをしてますね。ウェストコーストグループに非常に特徴的なのはやはりコーラスがこう綺麗という感じがビーチボーイズ以降ずっとあるような感じがありますけれどもね、でイーグルスと言いますというと現在ではグレン・フライとかドン・ヘンリーこの人たちが在籍していたグループではありましたね。さてこういう風にグループから独立してソロ活動をするというのがだんだんのブームになっていった訳ですけれども、ソロ・シンガー、フォーク・シンガーもだんだん出てまいりまして、その人たちをシンガーソングライターと呼ぶようになりました。そしてシンガー・ソングライターの時代というのが来るわけです。それのこう一番代表曲という風になったのは多分この曲ではないかと思います。ジェームズ・テイラーの「君の友達」というタイトルです。第1位になります。

5 You've Got a Friend : James Taylor


(現在の佐野元春のコメント)
元春レイディオショー1986年9月29日放送から大滝さんのDJを振り返ってみました。
オンエアーした曲は当時、全て大滝さんが持ってきたアナログ盤でかけています。
途中プチプチプチというアナログ盤特有のノイズが聞こえていたと思います。まあ懐かしいですね。
元春レイディオショー
これまで何回か番組ではゲストとして大滝さんを招きました。
僕のつたない質問に大滝さんはいつも誠実に時折ユーモアを交えて優しく答えてくれました。
この放送は
1986年6月7日 「音楽の普遍性」について語っています。

大:どうなんだろうなーメロディーとしてさあ割に生きるものは長く残るんだよねえ
M:うーん。けっきょくね
大:リズムが強烈なのは時代に瞬間的に突き刺さるのは強いみたいだけれども、それもしかしメロディーとして残るか残らないかってのは一つのあれになるんだよね
M:うん。普遍性があるかどうかという証になるね。
大:それはその時代とともに変わっていく分を普遍性にさあ変わっていく分を取り入れるというのはおかしいとは思うけれども、普遍性の中にも少しずつ変わって行かざるを得ないものもあるわけでしょう?だからその時代その時代にどうよんでいるのかっていのは、ちょっとわかんないんだけれどもね。

6 乱れ髪 : 大滝詠一

(現在の佐野元春)
作詞 松本隆 作曲 大滝詠一
1972年リリース アルバム「大滝詠一」からの曲「乱れ髪」聴いてみました。
この後はナイアガラトライアングルについて語っています。

(過去のアーカイブスから)
大:大元はさぁ、洒落なんだけれど、ティーンエイジ・トライアングルってアルバムがあるのよ。それの模擬技芸でやったんだけれど、大元はねそういう3という数字で、3人寄れば文殊の知恵
M:長嶋ファンだしね、えへへへ
大:ああそうだね。でもね、あったのかもしれないな。その役割意識というのが誰が入ってもあるようなんだ。3という数字に。うん。一人が例えば一人が中心で右と左にっていうのがとても多いんじゃん。
杉:うん多い多い。
大:見た目の数としてもそうでしょう?だからそういう風なことで決して、前に居た人間の位置だというのではなくって、その3って限られた時の各々の役割というのがあるという分担の、そういうことなんじゃないのかな
M:あとトライアングルと力の関係なんかを見ると点が3点あるでしょ?その三人が全部上向きのベクトルがないと、どんなビッグなアーティストが集まっても、それなりの凄い力は出てこないっていうか。昔、弁証法みないなこともあってね三角が当てはまると思うんだけれども。
大滝:みんな軽く1くらいの力を出したつもりでも、三人で「せーの」でぴったり合ったりすると、なんだか重要なスクラムになったりとか
杉:あるあるあるよ。
大:うーん。
M:それはさ、他が10出してさ、一人マイナスのベクトルを持ってたりするとゼロもいかないんだよね。
大:うーん。
M:その20の力もなくなってしまうというぐらい怖いものなんだこれは。
大:そういう発想からこう下げてきた企画が欲しいよね。今だったら、あるものをどうしたら良いだろうかって企画しか出ないわけなんだよ。あんなんで全然発想なんて出る訳ないんだよ。これとこれしか居ないから何をやろうかって、そうじゃないんだよね。最初にこういうのがあったらどうだろうかっていうところからアイデアって持ってこなけりゃいけないんだよね。

7 A面で恋をして : ナイアガラ・トライアングル

(現在の佐野元春)
さて「ナイアガラ・トライアングルVOL.2」が出た同じ年、1982年、僕はアルバム「SOMEDAY」を出しました。
そのアルバム「SOMEDAY」リリース20周年の時に、大滝詠一さんから何かコメントを頂きたいと思って頼んだところ快く引き受けてくれました。このコメントを頂いた時は本当に嬉しかったです。僕の曲「SOMEDAY」について語ってくれています。ラジオをお聴きの皆さんにも紹介したいので是非聴いてみて下さい。


大滝詠一:えー佐野君、そして佐野元春ファンの皆様。大滝詠一でございます。えー先日は僕のラジオ・プログラム「スピーチ・バルーン」にゲストで出て頂きましてどうも有難うございました。実に久しぶりに杉君ともトライアングル対談を行いましたけれども、実に楽しいものでしたね。うーんなかなか音楽でも三人上手くコミュニケーションが上手く行きましたけれども、ああゆうトークでも我々は上手く行けるなって感じがしますよね。えーレッツゴー三匹の後も狙えるというか、例えが古かった。脱線トリオの後を狙えるかっていう更に古いですけれども(笑)さてそこで、トライアングルもそうでしたけれども、「SOMEDAY」も20周年ということでおめでとうございます。えーリマスタリングされたこのアルバム「SOMEDAY」を久々じっくり聴きましたけれども、この前の「スピーチ・バルーン」の中でも佐野君は、たまたま僕のセッションを見に来て云々という、まあ僕を立てて発言されておりましたけれども、「SOMEDAY」をまた聴きなおしましたが、やはり非常に佐野元春そのものが出ていると言いますか、多少のきっかけにはなりましたけれども、直接的には何の関係もなく、佐野元春がその中に眠っていたもの、それから常に思っていたものをこうしたいっていうのが、ま、この1曲に集約された、そういう時期だったんだなってことも思いますし、聴けば聴くほど名曲だと思いますね。で、まあアーティストっていうのはあんまり1曲について、それだけを飾られるというのはね、ある種の面はゆいのもあるんですけれども、それでも20年も経ったことを考えますと、でもう他の殆どの楽曲が消えつつあるというか、殆ど消えているものばりかですので、これは本当に80年代の名曲のベスト3に入る名曲だという風に思いますし、それはそれで本人もそうでしょうけれど、大事にしていきたと思っているでしょうし、大事にしていって欲しいなと思う楽曲です。大滝詠一でした。

(現在の佐野元春)
そうですね思い返せば「SOMEDAY」というこの曲も大滝さんのレコーディングを見学したことで曲のデザインが決まりました。まだ自分の経験が浅くて何もわからなかった時にレコーディングの方法を教えてくれたのが大滝さんでした。「SOMEDAY」という曲は大滝さんとの出会いがなければ生まれなかった曲だと思っています。

元春レイディオショー大滝詠一特集 続けます。
ではここで、再びDJ大滝詠一に登場願って、1986,10,6の放送から
はっぴいえんど時代の海外レコーディングについて、またヴァン・ダイク・パークとの出会いについて語っている貴重な証言と言って良いと思いますね。ちょっと聴いてみたいと思います。

(1986年10月6日のアーカイブから)
大滝詠一
さて先週、バッファロー・スプリングフィールドの第二世代ということでイーグルスをかけたりしましたけれど、他にも第二世代のグループが出てきまして、特に素晴らしかったのはリトル・フィートというグループでした。で、ちょうどこの時に はっぴいえんどが解散するために3枚目のアルバムを作るためにロスに行ったんですけれども、このリトルフィートがちょうど、この「Dixie Chicken」というアルバムを製作中でした。

8 Dixie Chicken : Little Feat

リトル・フィートでお送り致しました「Dixie Chicken」でした。名曲ですけれどもね。えーロスのクローバー・スタジオでしたかね、そこへ見に行った時にレコーディングをしていました。この曲ではなかったでんすけれども、まあそのレコーディングがこういう名作の名作中の名作と言われるアルバムにになるとは、そん時は気が付きませんでしたけれども、でもこのタイトなリズム隊とか、それからリードヴォーカルがロウエル・ジョージという人でしたけれども、この人の声とか、それからギターとか中々に見るからに凄いものがありました。で、あのうリトル・フィートのアルバムなどにはヴァン・ダイク・パークスの名前、クレジットなども見られまして、だいたいヴァン・ダイク・パークスという人はそういう風に色んなセッションにこう顔を出すというか、割合トラブル・メーカー的に色んなところに、お呼びでないのにしゃしゃり出るというパターンもけっこうあったようですけれども。まあ、しかしながらこのリトル・フィートはなかなか素晴らしく、で、伊藤銀次がグループのリーダーだったグループ、ココナツ・バンクというグループがありまして、そのグループはこのリトル・フィートをお手本にしようと、はっぴいえんどがバッファローをお手本にしたので、ココナツ・バンクはリトル・フィートをお手本にしてバンドのサウンド作りというのをやりました。さて、その当のヴァン・ダイク・パークスという人もちょっと前ぐらいにレコーディングを終えてまして、アルバムが出ておりました。それが「Discover America」という、これはまた名作中の名作で、マニアの間では非常に評判が高いアルバムですけれどもね。でもその当人のヴァン・ダイク・パークスのアルバムから1曲聴いてみましょう。「Occapella」。

9 Occapella : Van Dyke Parks

こういうふうにロスの音楽というのは割合NYに比べてノンビリした感じがありまして、で、やっぱりウッドストック以降は、どういうんですかね、進歩というかそういうのではなく、少しゆっくりしよう、みたいなのが全般的にありまして、レイドバックなどという言葉も流行ったりしました。さて、ちょうどこの頃にロサンゼルスのサンセット・サウンド・スタジオというとこへ行って、鈴木茂、松本隆、細野晴臣と最後のアルバムを作っていたんですけれども。えーみんな一人、茂と細野と僕と4曲ずつ書けば12曲になるというので、みんな分担が4曲というふうに決まったんですが、僕は曲がなかなかできなくて、2曲しかなくて3曲目を作ろうと、なんか色々セッションみたいなのをやっていたところにふらりと現れたのが、実はヴァン・ダイク・パークスがふらりと現れたわけなんです。それで急にその曲のプロデュースを突然始めたんですね。そこで、さっき「Do Re Me」という曲のアレンジャーで、カービー・ジョンソンという人がアレンジしてましたけれども、その人も突然現れて、えー突然セッションになったというのがこの曲でございました。はっぴいえんどの「さよならアメリカさよならニッポン」

10 さよならアメリカさよならニッポン:はっぴいえんど

こん時にスライドギターで、ライ・クーダーよりも上手いスライドギターがいると言うんで、えへ(笑)、えースタジオに来たのが、そのリトル・フィートのロウエル・ジョージでして。この曲でロウエル・ジョージがスライドを弾いてます。それからピアノはヴァン・ダイク・パークスが「リメンバー・パール・ハーバー」などと怒鳴りながら自分でひとりで弾いておりました。というようなことで、えー僕らはだからここで、まあヴァン・ダイク・パークスはブライアンなんかとも一緒にやってたわけですけれども。フィル・スペクターもロサンゼルスのスタジオでゴールド・スターというスタジオでやってましたし。ですからフィル・スペクターから、ブライアン・ウィルソンから、ヴァン・ダイク・パークスとこう、ロサンゼルスの一つの曲のプロデュースの仕方というか、そういうようなものが何か一線につながったというか、目の当たりにすることができたという、そういうあのう貴重な体験をこの はっぴいえんどの最後のアルバムですることができたわけでした。で、まあこのヴァン・ダイク・パークスの「Discover America」にしても、リトル・フィートの「Dixie Chicken」にしても、行く前に聴いてたんじゃなくて、帰って来てから、こんなに凄かったんだってな感じで聴いたわけです。

11 Iko Iko:Dr. John

Dr.ジョンでお送り致しました「Iko Iko」でした。Dr.ジョンという人も非常に活動が古い人でリトル・リチャードの頃に本名のマック・レベナックで色々とやっていた人ですけれどね。この70年代に出てきましたけれども。今のようなドラミング、このマーチのようなドラミングをセカンドライン・ドラミングと言いました。僕は未だにこのドラムが大好きです。さて、他にも沢山、ニューオーリンズには色んなR&Bのアーティストがいたわけですけれどもね。特にヒューイ・スミスとクラウンズという人たちは割合ニューオーリンズでは物凄く有名です。で、ポップ・チャートでの大ヒットはないんですけれども。その曲をカバーするという白人ロックンローラーが現れました。ジョニー・リバースという人でこの人は「Memphis」というヒット曲、チャック・ベリーの「Memphis」をカバーして出てきたロックンローラーですけれども。この人がヒューイ・スミスとクラウンズの「Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu」という非常に長いタイトルの曲をカバー致しました。Johnny Rivers !

12 Rockin' Pneumonia and the Boogie Woogie Flu : Johnny Rivers

でございましたーあ

(現在の佐野元春)
大滝さんの音楽と言えば、僕が感じるのはちょっとしたユーモアのセンスです。ご存知のとおり大滝さんはクレイジー・キャッツの研究家でもあります。実際「実年行進曲」というクレイジー・キャッツの曲を曲プロデュースしていました。大滝詠一音楽の中にある(かいぎゃく?)の精神ですよね。それがどこからきてるのかこんな風に語っています。

(アーカイブより)

M:僕が前から質問したいと思っていたんだけれども、一番その失敗したと思われる作品とうのは?
大:何だかって思うかってやつ?(笑い声)殆どね僕はそればっかり強調するみたいだからどうしても嫌だって思うかもわからないんだけれどもね。本当に成功の方が少ないんですよね。
M:そうなんですか?
大:本当に少ないんですよ。このナイアガラのヒストリーっていうのはね、失敗談だけで出来ているみたいなことだから。8割以上失敗談でしょ。まあ1,2割の成功もあまり成功と呼べるものでもないけど。失敗だけは凄いですよ。1個、1個についてこれはこう失敗したというのは全部明確にある。例えば1枚目のシュガーベイブの「SONGS」だったら、山下くんとぶつかって「あのーあそこメロディックにしたかったのにリズミックにした」と未だに怒られたりもするんだけどね。そういうところだとか、「Niagara Moon」だったら音をもうちょっと良くすればよかったとか、「Go Go Niagara!」は一晩で5曲、詩を作って歌入れてミックスしたとかいう、もう「Go Go Niagara!」の時が一番酷かったですね。
M:条件が厳しかった
大:ええ、そういう風なことがあるんです。例えば今、時間をかけて、お金もかけて、ふんだんにどうのこうのと言うけれども、一晩で5曲詩を書いて歌 歌ってミックスという あの悪夢はちょっと一生拭い去れるものではないですけれどね
M:逆に自分が一番成功したと思われるチューンというか
大:成功したというか、自分のものはあんまり成功はしないんですよね。
M:最近他の人をプロデュースしたのは小林旭さん?
大:クレイジーキャッツの「実年行進曲」というのをね今年1曲やった。それ今年それ1曲だけ。本当に1曲だけなんですよ、普通シングルカットB面も書いたりするでしょ?私は書かない。だからねー今年は、去年は1曲。小林旭のやつ。
M:なるほど、小林旭さん、それからクレイジー・キャッツ この二人というのは、大滝さんの個人的にかかわりのあった
大:非常にクレイジーキャッツがないと、こういう、ひねくれた精神にはならなかったと思うし、小林旭のような、ああいうこう歌うことの気持ち良さというかなあ、とにかく目いっぱい声出して張り上げて、それで両方とも共通してるのは、こうコミカルなものが半分。まあクレイジー・キャッツはメロディックなものは無いけれどもね、メロディックなのもあるしね、それで思想的な所もあれば、エンターテイメントみたいなところもあるし。そっちの方が面白いんですよ。

13 イエロー・サブマリン音頭: 金沢明子

大:ただねCD聴いてて思ったけども、レコードってすり減るでしょう?本も何度も見ると手あかが付いて真っ黒になるけれども、そういう種類のことが出来なくなるというのは寂しいというのは、あまりにもセンチメンタルな意見かなあって思いますけれどもね。
M:なるほど
大:レコードって何度も聴いてすり減って、俺はこれくらい聴いたとかさ。二枚目買い換えたとかいうのが
M:思い入れの度合いがビジュアルすぎる
大:そうそうそうそう(笑)自慢のネタだったんだけれども。これからも勿論思い入れの回数といのはあるんだろうけれどもね。CDに替わっていっても、そういうこと自体がいいか悪いかはまあ別にして、その種のある種の楽しみ方というのはひょっとすると残念なことにジェネレーション的なことになってしまうのかもしれないですね。
M:なるほど
大:常にね思い込みはあるんだからね。どんなジェネレーションにも思い込みはあるんだけれども、CD以降の人たちの思い込みというのは、どういう風なかたちとなって現れるのかなって
M:どんな
大:どんなのに
M:CDに指紋付けるとか
大:ウフフ(笑)なんか色々、何度か聴いていていくと変色するとかね。千回超えると、だんだんなんか光ってくるとか。何かそういうのがあるのかって思ったりしましたね。

(現在の佐野元春)
楽しい会話ですよね
1986年9月1日大滝さんをゲストに迎えた時の放送から聴いてみました。

CDの次の世代ということで、現在ではダウンローディングの時代ですよね。しかしどんなに時代が変わってもレコードは愛情を込めて作るもの、それを教えてくれたのも大滝さんでした。

大滝詠一追悼特集第二回目
70年代に出したナイアガラ・トライアングルVOL.1
山下達郎、伊藤銀次が参加しました。
このアルバムからシングルカットされたこの曲
伊藤銀次 作詞・作曲
達郎、銀次、大滝さんと 1小節ずつ交代でヴォーカルをとっています。今夜はこの曲を聴いてお別れです。

14 幸せにさよなら(シングルバージョン) : ナイアガラ・トライアングル

今夜の元春レイディオショー 楽しんでもらえましたか?
しかし不思議ですね。僕は未だに大滝さんにメールを出せば、いつものようにすぐ返信があるような気がしています。ですのでこうして追悼番組をやってるのが何か不思議な気がますね。

来週は引き続き、追悼番組「大滝さん有難う」第3回目をお送りしたいと思います。
DJ佐野元春ではまた来週。御機嫌よう。

コメント (2)
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