存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

2014,2,18 元春レイディオショー

2014-02-18 21:58:33 | 佐野元春
火曜の夜11時は今晩は佐野元春です。
みなさん寛いでますか?元春レイディオショー
この番組は東京渋谷NHKのスタジオから届けています。
さて昨年末、大滝詠一さんが亡くなりました。とても残念なことです。突然の訃報に驚いた方もおられると思います。
謹んでお悔やみを申し上げます。70年代から現代まで大滝さんは独特の美学と方法論を持って日本のポップミュージックに一つの可能性を見出してきました。これまで元春レイディオショーで4回に渡って、大滝詠一追悼特別番組「有難う大滝さん」を放送してきました。今回はその第4回目。80年代元春レイディオショーから現在まで過去30年間にわたる貴重なアーカイブを元にリスナーのみなさんと大滝さんの思い出を振り返ってみたいと思います。
DJ佐野元春。これからの1時間、どうぞ寛いでお聴きください。

大滝詠一追悼特集
今夜はその最終回、今夜の放送は先週に引き続いてミュージシャンとしてまたソングライターとしての大滝さんを振り返ってみたいと思います。
元春レイディオショー2011,4,12放送から大滝さんご自身のそれまでの音楽活動について はっぴいえんどのこと、そして曲作りのことを語っています。この時の放送を聴いてみたいと思います。

(アーカイブより)

佐野:
はっぴいえんどのレコードを聴いててわかるのは、僕なんか聴くと、あっ大瀧さんはロックンローラーだなぁって思うんですよね。で、何かの記事で読んだんですけれども、細野さんに「ロック・シンガーはシャウトだよ」って言われた。

大瀧:
ふふふー、細野さんが言ったよのね。

佐野:
「春よ来い」とかでは、しっかり大瀧さんシャウトして

大瀧:
シャウトはしているんだけれども、なんというか嬌声というか奇声というか、まあほらリトル・リチャードのような、ジョン・レノンも「Slow Down」とかさ、そういうようなときにやる、あのシャウトはまだやってないねって言うから。それで「びんぼう」のときに無理矢理入れたの。

佐野:
がぁーあー。ご機嫌なシャウトですよね。

1 春よ来い : はっぴいえんど
作詞 松本隆 作曲 大滝詠一 「春よ来い」聴いてみました。

佐野:
はっぴいえんど 三枚目と言えば、僕らのロックファンが聴けば、それまでの二枚に比べて、ちょっと失礼かもしれないけれど、格段に録音がしっかりしている。それからメンバーのそれぞれのソングライティングにそれぞれの個性が見え始めている。こういう風に僕なんかは見ているんですけれども。大瀧さんは はっぴいえんど この三枚目については御自身どういう風に聴いてますか。

大瀧:
ロサンゼルスの音が好きっていう、ね、やっぱりバッファローズ・スプリングフィールドとか ロサンゼルスのバンドの音を目指していた訳ですから、最後にそこで所謂本地でね、
「外はいい天気だよ」で使った音源は『Pet Sounds』のときにブライアン・ウィルソンが使ったオルガンだったんですよ。

佐野:
ああーそうだったんですかー

メインのスタジオではなくて、ダビングで良く使われるサンセット・サウンド・スタジオっていう所だったんですけれど、でーそこでやって来たんですね。エンジニアのウェイン・デイリーって人が直前にデイヴ・メイソンの『Headkeeper』というアルバムのエンジニアをしていた人で、僕が「田舎道」を歌ったら、「デイヴ・メイソンにそっくりだ」とかいうお世辞なんだか皮肉なんだかよくわからないことを言われて、その時にエンディングのレコーディングの仕方というのを僕は少し垣間見た。

佐野:
録音技術が

大瀧:
そうそうそう。あのーピアノ全部閉じてあるとかね。ドラムも全部セッティングして、釘で打ってあるっていうスタイルですよね。録音のやり方みたいなこともちょっと、ヘッドフォンでやってから、あの大きいスピーカーから出すとか、そういうスタイルでアルシュミッドというエンジニアで居るんだけれど、その人がそういうことやってました。

佐野:
一枚目二枚目と明らかにやはりドラムのサウンドだと思うんですけれど、ドラムなどのマイキングなんかも

大瀧:
ドラムセットなんかもそこにもうある

佐野:
ああそうですか(感心して)

大瀧:
スタジオセットである。・・・全セット持って行ってないですから。あそこのスタジオから出る音が同じようになるようなことの一つだなって思います。持ち込む人もいると思うけれど、セットを持っていくのはちょっとね。

佐野:
このアルバム(『HAPPY END』)ではアディショナルのミュージシャンとしてヴァン・ダイク・パークスも参加してましたけれども。僕、大瀧さんに伺いたいのは、大瀧さん、その後、あまり海外でのセッションというのは...

大瀧:
全くありません。あれが最初で最後。僕は個人的に。

佐野:
これは僕、大瀧さん、きっと独自の何か見解があるんじゃないかと思うんですけれども。日本でのレコーディングにこだわる理由というのは何かあるんですか?

大瀧:
う~ん。めんどくさいからね。飛行機嫌いだからね。

佐野:
あははは。ヴァン・モリソンと同しですね(笑)。


2 田舎道 : はっぴいえんど

3 外はいい天気 : はっぴいえんど

2曲聴いてみました。

以前僕はNHK Eテレで「ザ・ソングライターズ」という番組をやっていました。
優れたソングライターに曲作りについて、色んな話を聞いていくという内容でした。
番組ではそうそうたるソングライターの皆さんがゲスト出演してくれましたね
唯一 お話が出来なくて心残りだったのは 桑田佳祐 そして大滝さんの二人でした。
そうしたところ、後日大滝さんから嬉しい提案がありました。
自分はテレビ出演は苦手なんだけれども、ラジオだったらやっても良いよということで、何とこの元春レイディオショーで「ザ・ソングライターズ」ゲスト大滝詠一が実現することになりました。
今夜聴いて頂いているのは、その時の放送から抜粋したものです。大滝さんのソングライティングに対する考え方、物の見方、やはりとても個性的ですね。ちょっと聴いてみたいと思います。

(アーカイブから)


佐野:
まあそうした擬音だけではなく、大瀧さんソングライターとしても大瀧さんが選ぶ言葉というのは、心に引っかかりを持たせる言葉というんですか?濁音を使うのが非常に上手だなって思うんですよね。初期の仕事では「びんぼう」ですよね。びんぼうってこれ確実に濁音ですよね。

大瀧:
なるほど。

佐野:
これはロックのリズムに合います。

大瀧:
合いますよね。

佐野:
ピッタリというか。韻律を踏んでいるんです。この「びんぼう」という曲を書いた時の事を覚えていますか?

大瀧:
覚えてますよ。勿論。ジム・リーブスにあるんですよ。「Bimbo」。(ジェシカの歌を歌う)・・びんぼうびんぼう、これはびんぼうで行こうと

佐野:
あはははー(腹の底から笑ってます)

大瀧:
なんかホーボーとか、ああゆうねぇ、旅してあるいているとか、そういう人達の歌なんだよね、どう言うかわからない。それでこれは「bimbo」はおもしろいなぁと思って。たったそれだけ。あとは意味性、何にもないですよ。

佐野:
意味はあとから(笑)つけてってことですか?

大瀧:
もちろんです。意味はないんですよ。追及されるとひじょうに困る、ない(笑)。

佐野:
あー、宝くじ買って十時 あたって余った金がザクザク だけど びんぼう どうしてもびんぼう びんぼう びんぼう ひまだらけ

大瀧:
だから宝「くじ」だから「十時」にしただけでしょ。

佐野:
ふふふ。しかし、ここで韻律を踏んでるわけですよね。

大瀧:
まっ、言えばね(笑)。

佐野;
当時(笑)このようなライミングしてる人っていうのは、それほど

大瀧:
ライミングっていうの、これ(笑)。ふふふ。

佐野:
はははは。(腹の底から笑ってます)

大瀧:
駄洒落だよ、ただの(笑)。ふふふ(含み笑い)

4 びんぼう 大瀧詠一

佐野:
はっぴいえんどが解散間際だったでしょうかシングル盤で「空飛ぶくじら」これは

大瀧:
1972年5月くらい発売のシングル。ソロ(シングル)の第二弾でソロアルバム(『大瀧詠一』)が出る半年くらい前に出たんですよ。
佐野:
これは当時、よくラジオでかかったんですよ。

大瀧:
だよね。出版社をとある所に変えたので、僕は今でも未だにその出版社と続いてるんですけれど、それが第一号だったですよね。良くったってねー僕は二回ぐらいしか聴いてないですよ。

佐野:
あそうですか?僕、中学生ぐらいだったと思います。大瀧作品にしてはっていうと失礼なんですけれど、とっても分かり易くてポップなメロディーがありましたね。そして言葉も面白い。だから12歳くらいの僕も

大瀧:
楽しかったですか?

佐野:
楽しいって率直に思いましたね。

大瀧:
僕はジョン・レノンのファンで、まぁ、ポールも大好きなんだけれども、ポールのほうが一般的にわかられているという考え方だったのね。当時。ジョンはわかりにくいというブルース・コードが多いしね。ポールはいろんな、「Yesterday」とかわかりやすい音楽を作る人だというような印象があったので、ポールのような歌作りはしないっていうのが(笑)、はっぴいえんどのときの、なんとなく全員の不文律というか。

佐野:
やっぱりブルースだったらブルースであったり

大瀧:
うーん、別にジョンというわけでもないんだけれど、あんまりわかりやすい曲じゃないものをやろうというのが暗黙の了解であったと思いますよ。

佐野:
しかし大瀧さんの中にはそれをやりたいという気持ちがあった...

大瀧
そうじゃない。いやソロだから。ソロだから違ったことをやったほうがいいのではないかっていうことで、敢えてソロだからやったんですよ。だからB面の「五月雨」っていうのは適当な長唄で、ベース以外全部自分でやるとか、そういう遊びだったんですよ。多少、今にして思えばメロディメーカー的なものの端緒がそこであるのかもしれないけれど。なんせねぇ、曲を作って二年目だからね。幼稚さはご勘弁願いたいね(笑)。

佐野:
珍しい楽器を使ってたんです。クラリネットかなんかですよね。

大瀧
うん、あの頃はね。ポールが、ほら「Honey Pie」だとか。

佐野:
よくやってましたよね。ノスタルジックな響きがありました。「空飛ぶくじら」というのはね。

大瀧
また、あのクラ(クラリネット)の人上手かったんだよねー。

佐野:
スタジオ・ミュージシャンですか?

大瀧:
うん。佐野さんだったかな、上手い人だったなぁー

5 空飛ぶくじら : 大滝詠一

(現在の佐野元春)
1972年の曲を聴いてみました。
大滝さんの仕事を見てわかるのは、自分の憧れに向けたリスペクトがそこにあるということではないかと思います。自分が良い影響を受けたものに対する有難うという気持ちですよね。
フィル・スペクター、ジョン、ジャック・ミッチェル、バッファロー・スプリングフィールド、小林旭、そしてクレイジー・キャッツ、それは音楽だけではありません。野球の長島茂雄、落語の古今亭 志ん生(ここんてい しんしょう)、映画の成瀬巳喜男、とても研究熱心で、これだと思ったものについたものについてはとことん勉強していました。
自分の憧れにむけたリスペクト。実際、大滝さんの残した仕事の中で言うと、クレイジー・キャッツと一緒にやった「実年行進曲」がありますね。そして、1985年のレコード 作詞 阿久悠、作曲 大滝詠一 小林旭が歌ってヒットした「熱き心に」この二つのレコードが思い浮かびます。

大滝さんのそうした活動を見て僕も微力ながら最近、雪村いずみさんをプロデュースしました。
プロデュースにあたって、雪村さんの映像の資料を集めていたところ、
雪村さんが出演した昔の映像なら自分が持っているよっ、いつでも貸し出すよって言ってくれた大滝さんがいました。
雪村いずみさんとコラボレーションとした「トーキョー・シック」というレコードを今月出たばかりですけれども、誰よりも早く大滝さんに届けたかったです。
では、元春レイディオショー「ソングライターズ」ゲスト大滝詠一に戻って「歌謡曲」について聴いてみたいと思います。

(アーカイブより)

佐野:
しかし大瀧さんは日本の歌謡の歴史に詳しいことで知られてますよね。今更こういうことを言うまでもないんですけれども、大瀧さんの持論である、いわゆる「分母分子論」ですよね。これは日本のポップスを、世界史分の日本史で捉えた、なるほどなっていう理論だと思うんですけれども。この理論は発表されたのち、考え直しが入ったり、あるいは更新したりということは今あるんですか?

大瀧:
うーんそうですね。色んなものをやって・・・NHK FMで90年代に二回やったんですけれども、「日本ポップス伝」というものをね、湊プロデューサーのもとにやりましたけれども。あれは「分母分子論」のラジオ版だったっていうふうに思ってます。明治から1970年までってというようなことを二度に渡ってやったんですけれども、いろんなことをやろうと思えばまたやれると思うんですけれど、だいたい各論的に大筋はあんなもんなんですよ。だから部分部分のところを掘り下げるっいうようなことは必要だなっていうふうに思いました。それ以降、なんと演歌の大御所、船村徹さん、遠藤実さん、作詞家の星野哲郎さん、そのお三方にインタビューを試みました。それでまあ小林旭さんを中心に当時昭和30年代の歌謡がどういうものであったかというのを、直に私が質問しましたところ、「これは異種格闘技である」といわれました、うふん(笑)。確かに向こうの人は知らない訳ですよね、僕のことなんかんで、全く畑違いなわけだから、なんだけれども大先生は本当に懐が深いというかね、話を聞いてくれて、こっちの拙い質問もね、ちゃんと丁寧に答えてくれたんですけれども、そういうふうな各論に行くんだという風に思ってます。それからね、もうひとつはね、「日本ポップス伝」の前に「アメリカンポップス伝」というのを実は僕はやってるんです。ただそういう名前じゃなくて「Go! Go! Niagara」というラジオ番組が75年から3年間やりました。アレは実は「アメリカン・ポップス伝」だったんです。先に「アメリカン・ポップス伝」をやっていたので、次に「日本ポップス伝」をやったということなんです。

佐野:
その中では「Go! Go! Niagara」を聴いた人がいるかもしれません。1975年ラジオ関東から始まり、次はTBSに

大瀧:
TBSに移るんだよね80年代に。

佐野:
その後、アーカイブとしてラジオ・ニッポンで2001年までやりましたね。

大瀧:
2001年まで、はい。

佐野:
とー、これは、まあまあ「アメリカン・ポップス伝」というか、「アメリカン・ポップス伝」として理解していれば良いかと思うんですが、続きはあるんですか?

大瀧:
それで、ラジオ関東のときは「アメリカン・ポップス伝」って名はうってないんですね。途中で終わると思ってなかったので未完で終わってるんですよ。ですから「日本ポップス伝」のような「アメリカン・ポップス伝」をやろうとも思ってます。

佐野:
あーそれは興味深いですね。これはもうステーションとか決められてるんですか?

大瀧:
あの心の中では決めております。今晩、夜、個人的に誰かに発表するかもしれません。ふふふふ。まだ誰にも話しておりません。

佐野:
わかりました。大瀧さんの中では「Go! Go! Niagara」と「日本ポップス伝」というのは対象は違えども、論理の展開については、もう共通があると、こういう風に認識して良いわけなんですか?

大瀧:
認識しています。「分母分子論」の論になる前のものは、すでにそういう混沌とした形ではあったけれども提示していたと。で『NIAGARA CD BOOK 1』という今度ね、12枚組のボックスを出したんですけれどCDの、その中に入ってる12枚というのも、それが「分母分子論」なんですよ実は。作品の中に評論活動を入れたっていう、ちょっとかっこよく言えばの話ですけれど。言っときますよ、大した歌じゃないですよ。ここはね、強調しときますからね。真面目に聴いちゃあダメですよ。こういうのは聞き流すのがいちばんいいんですけれど、ただそういうつもりになっていますね。結果的にそうなってると思いました。

佐野:
まあ敢えてこの番組で、その「分母分子論」が何ぞやみたいなことを述べていると時間が長くなるので割愛しますけれど、今のインターネットの中でのソースの中で大瀧さんが大瀧さんの持論であるこの「分母分子論」これは本当にね、日本の歌謡のあり方を一つ独特な視点で捉えた素晴らしい論であると僕、思うので、興味ある人は是非自ら調べてみて下さい。

大瀧:
そんなにもう、お褒め頂いて。えへへへ。

佐野:
先ほど小林旭さんの話が出ました。大瀧さんと言えば。他のシンガーに曲を提供してますけどね、僕が大瀧さんが他のシンガーに書いた曲で好きなのは、やはりこの小林旭さんの「熱き心に」ですね。今でも小林旭さんご自身のコンサートのオープニングをこの曲を歌って

大瀧:
いまだにオープニングとクロージングは必ずこの曲を使っていただいてるんですよねー。

佐野:
光栄な話ですよねー。

大瀧:
本当に有り難いっていうか、身に余る光栄ですよ。だって1曲しか書いてないんですから。

佐野:
はい。大瀧さんの世代から見て小林旭さんといえばやはりスターという感じですか?

大瀧:
大スター

佐野:
それは日活の映画などを通じて

大瀧:
ええ。映画スターでもあるけれど僕は歌も好き。すごく好きだったんです。

佐野:
これは大瀧さんのほうからオファーしたんですか?

大瀧:
これは向こうから。向こうからって旭さんでもないのよ。CM。CM会社のその人がいて、やっぱりその旭さんを起用するっていうアイディアが絵のほうから出たと。音は誰かないだろうかってことで、それは僕がCMを最初にやったのは73年なんですけれども、73年からずっーと付き合ってるCMの会社があるんですね。で、そこの人が福生に来て録音なんかしていくわけですよね。来ると暇なのでいろんな話をするわけですよ。そのときに僕が編集した小林旭ビデオというのを見したり(笑)してたの。で、僕がファンだってのを、それを何年も前から彼は知ってたのね。で、ホントに85年だったか、になったときに、久々に現れて未だに忘れられない、「大瀧さん、今度は断れませんよ」って。あのひとことは忘れられないですよね~。あぁ、ようやく来たかーって感じでしたね。で、僕も全身全霊を込めて。で、僕が作ったっていうよりも、やっぱり旭さんとか、ソウタイのね、それまでの作家の人なんかのアレを全部たまたま代表してまとめることができたっていうようなことだと思いますよ。

6 熱き心に : 小林 旭

7 実年行進曲 : ハナ肇とクレイジー・キャッツ

大滝詠一プロデュース
ストリング・アレンジ 前田憲男さん
小林旭「熱き心に」
そして、今聴いてもらったのはクレイジー・キャッツ「実年行進曲」を聴いてみました

(アーカイブより)

佐野:
さて、『ロング・バケイション』30周年おめでとうございます。

大瀧:
有難うございます。

佐野:
このアルバムを聴いて僕が思うのは80年代の空気感ですよね、今聴いても思うんですけれど、言葉で言っちゃうと、ちょっと軽くなっちゃうかもしれないですけど80年代のあの景色を思い出していたところです、スキー場とか

大瀧:
佐野君のデビューは4月でしたか?80年の「アンジェリーナ」シングル

佐野:
は3月です。

大瀧:
3月。

佐野:
はい。アルバムが4月。

大瀧:
のデビューの時だから佐野君にとっては物凄い鮮烈に覚えている1980年じゃないですか?

佐野:
そうです。景色とか、海辺のドライヴとか、そういった景色を僕は思い出すんですよ。「ロング・バケイション」で思い出すんですよ。今回30周年アニバーサリーということですけれど、これは今のリマスタリングで提供しているという理解でいいんですよね?

大瀧:
これ以上のことはないというふうに思いました。最早。ええ。30年CDが出て、CD第一号にしてもらってね、たまたまCD第一号になってしまったのでCDとずっと付き合いましたけれども、そろそろCDという形態も終わるっていう噂もありますけれども(笑)、30年やってきて、大体行き着いたところはこんなもんだったなって感じですかね。

佐野:
そうですかえね。「ロング・バケイション」という、あの作品が持ってる質感について、ちょっと僕、お話したいんですけれども。正にその80年代初期の日本の景色を描いたのか、それとも「ロング・バケイション」があのような内容だったので、そのように日本の景色がなっていったのか、少しそこが定かじゃないんだけれども、今聴いてもですね、時代を凄く感じるんですよ。

大瀧:
ああ確かにそうだと思いますよ。80年にレコーディングのオケは全部80年の8月くらいにオケ撮り終っているんですよ4月に初めて。本来は80年の728に出る予定で作っていたんです。だから80年の景色ってんだか、そういうものがまあ缶詰されてる音だとは思いますね。リゾート法っていうのも79年だったらしいんだよね。社会的に。あとになって調べた話ですけれど。それがあるのと、あとは80年のウォークマンの登場というんですか、それが音楽が外に出たとか一般的な言い方をしましたけれど。

佐野:
たぶんリアルタイムでこの「ロング・バケイション」という傑作を聴いてる人はこの番組のリスナーの方にも多いと思うんですけれど。もう1曲目がはじまった途端にその時代の景色が甦るというか、非常にノスタルジーを喚起させる力が強いんですよね、「ロング・バケイション」という作品は。

大瀧:
最初出た時からという意味ですか? リアルタイムのときから?

佐野:
いや、リアルタイムのときは時代と並走しているから、あのー心地よく聴けたんですね。大瀧さんのメローなヴォーカル、心地よく聴けた。これが10年経つ、20年経つ、30年経って今聴くと、もう今の時代にはない独特の80年代のあの時代の雰囲気というものを強く喚起させるというか

大瀧:
そうですか。特別覚えてないですよ、佐野くんの「アンジェリーナ」だって80年だし、みんなあの頃の人たちいっぱい出してるから、共通なものなんじゃないですか?

佐野:
そうですよね~。なんだけれども「ロング・バケイション」の持ってる情緒性というんでしょうかね。もう何か良質なノスタルジーが最初からこうパックされていたかのようなね、

大瀧:
それが詩のせいだと思うよ。言葉だと思います。やっぱり言葉の力は強いんですよ。これは「あたりはに わかにか きくもり」と歌ってたらなんともなんないでしょう。

佐野:
ははは。はっぴいえんど時代とは全然違いますけれどもね(笑)。あのー吉田保さんと大瀧さんが構築した独特のその透明なリバーブ感というか、あのー

大瀧:
あのレコーディングはね、80年代にもう行われてないレコーディング方法をやったんですよ。12、1曲目と「君は天然色」、「Velvet Motel」、「カナリア(諸島にて)」、それから「(恋する)カレン」、「フォー・タイムス・ファン(FUN×4)」の5曲は一発録りなんです。ツーチャン(ネル)の一発録り。だから半分はツーチャン(ネル)で一発録りです。あとはバラード、「スピーチ・バルーン」とか「(雨の)ウェンズデイ」とかはマルチ、普通のマルチ録音ですけれど。それがちりばめられてるというのが、ひょっとしたら聴き飽きることのない音の関係性かもしれないと思いましたけれど。それは確信犯です。ツーチャン(ネル)で一発録りするということをやってみました。

佐野:
そうでしたか。ミュージシャンたくさんスタジオに集める。そこでレコーデットしている時点で、エンジニアである吉田保さんと大瀧さんは最終の音像みたいなものが確実にあったと、こういう理解ですか?

大瀧:
僕はナイアガラその前の5年間でエンジニアをずっーとやっていて、何度もトライしてるんですよ。それが「ナイアガラ・ボックス(NIAGARA CD BOOK 1)」でありますから聴いてください。自宅のスタジオで随分いろんなトライをしてるんですよ。その試行錯誤を大きなスタジオでやったということと、吉田保さんのようなプロのエンジニアが誰かいてくれると、僕のエンジニア部分の労力が代理でやってもらえるし、インチキな詩を書かなくていいしね、松本くんのいい詩がアレだしね。詩は松本くんに書いてもらう、エンジニアは吉田保さんにやってもらうということで、僕はふたつの重荷から解放されてるわけですよ。完璧にサウンドだけに集中することができたというのがこのアルバムなんですよ。あの頃はみんなマルチ録音で24になった。16チャンネルから更に24チャンネルになってるし、「(Niagara) Triangle 2」のあとの「Each Time」は24同期させてるんですよ。48でやってるんですけれど、そういうふうな時代だからこそツーチャン(ネル)一発録音のようなものが、福生でもやってるんですけれど、それを大きなスタジオでやろうということを長年構想としてですね、温めていたんですね。
佐野:
あのー「多羅尾伴内楽団」の演奏を聴いてみると確かに一発録りの何かこう筋の通った演奏感みたいなものは確かに感じますね。そう言われれば。ダビングして録ったんじゃないなという感じはありますね。全員で滑走しているという感じ。

大瀧 : そうそうそう。クールなものはダビングの、あの個別な音がクリアに聴こえるというようなものは、バラードなんかはいいんですけれども、やっぱりロックンロールはね、一気にやらないとダメですよ。だからリマスターしながら、遊びながら、「君は天然色」のアコースティックギターのだけっていうのがあるんですよ。ほれでね、後半すっごい音が大きくなってるの。(上原)ユカリ(裕)のドラムが乗ってきて、あの、かぶりがすっごい大きくなってるの。最初はすっごい小さいんですよ。で、アコースティックだけのって、アレがやっぱりねぇ、一発録りの良さですよね。で周りの演奏、盛り上がってきてるから、アコースティックの連中もかき鳴らし方が力が入ってくるわけですよ。そういう自然感も録音したかったというのがあって一発録りにしたんですけどね。そういうようなことで、もしね、中身よりも何度聴いても飽きない音だっていうふうに思われてもらえるなら、原因はそこにあるのかなぁっていうような気がするんですよね~。


佐野:
そうしたサウンドでいうと、よく大瀧詠一流フィル・スペクター・サウンド、ウォール・オブ・サウンドなんていうような説明の仕方もありましたけれども

大瀧:
「ロング・バケイション」の中では3曲しかないですけれどね、スペクター・サウンド(笑)。ふふふ。冬の歌あるしね(笑)。

佐野:
僕、不思議なのは、当時80年代、フィル・スペクターのレコーディングの現場などは、例えば今でいうとYouTubeなどに載ってますけれども、当時はそういう資料みたいなものは書物でしかなかったんじゃないですか?

大瀧:
ないですね。ありません。想像です。全部想像。

佐野:
あー(感嘆)

大瀧:
僕はアメリカはフィル・スペクター、イギリスはジョー・ミークというプロデューサーが好きで、「(さらば)シベリア鉄道」というのはジョー・ミークへのトリビュート・ソングなんですけど。その前に「多羅尾伴内楽団」でジョー・ミークにはもう何曲もトリビュートしてたんですね。で、最近、ジョー・ミークのところのライヴ・ビデオが出たんですよ。で、福生の鏡がないので、演奏者に行くときは戸を開けるんですよ。戸はね、二重になってるんですよね。音が洩れないように。で、開けて「あぁ、あのあそこのとこどう、これこう」と言って帰ってきて、それでエンジニアを閉じてやるというのを、ジョー・ミークがやってた。あの人も八畳ぐらいの狭い部屋だったのね。それでやっぱり閉じてて、ガラスがなくて、ほんでミュージシャンに指示するときに、いちいち戸を開けんの(笑)。それはね、同じだったのでびっくりして。それでベース、ドラムの音の代わりにバスタブに入って全員で足、ドーン、ドーン、ドーンっていうふうにやったとかね。

佐野:
バスタブのリバーヴを使った。

大瀧:
そうです。僕、「多羅尾伴内楽団」で4人にブーツ履かせて、木の板を踏ませましたけど(笑)。みんな、やってんですよねー。いやー驚きましたねぇ。でも、そういうの見てね、あぁ、やってんだっていうね。

佐野:
本当そうですよね~。昔はそういう手作りの録音でしたよねー。

大瀧:
そういうことしかできなかったのでね。自宅のスタジオの良さっていうのか、ああいうような、いろんなことを試すことができたので、ようやく「ロング・バケイション」のときにそれが生きたと思いましたね。

佐野:
結局、時代を経てみると、そういう手作り的な音、マニファクチュアな音のほうが人々に長く聴かれますよね。

大瀧:
と思いますよ、僕は。いろんな工芸品なんかとか、ああいう大量生産のものは、そのとき安かったり、大量に出たってものは残らないんじゃないですか。


(佐野元春)
思い返せば70年代当時 演歌、歌謡曲ばかりの中で 垢抜けた音楽を聴かせてくれた、そのセンス。その後の影響は70年代から始まり、僕の世代そして次の世代へと無言のまま受け継がれていっています。大滝詠一に連なる流れは決して痩せ細ることなく、支流と支流とが合流して大きな流れを作っていくことだろうと思います。その流れの先にナイアガラという大きな滝が形作られていくんだと思います。
そうですね大滝さんのことで僕は二回泣きました。
一回は
アシスタントから大滝さんが亡くなったという報せを聴いた時。
もう一回は、大滝さんの曲「カナリア諸島にて」を聴きながら一緒に歌った時でした。
しかし僕は気づきました。もう大滝さんを思い出して寂しくなることは無いんじゃないかって。
何故なら僕の音楽の中に大滝さんの音楽は生きているからです。
大滝さん 有難う

ではここで、80年代のヒットアルバム「ロング・バケーション」からこの曲を聴いて、大滝詠一追悼特集最後の曲にしたいと思います。

8 カナリア諸島にて : 大滝詠一

今夜の元春レイディオショー楽しんでもらえましたか?
番組ではwebサイトを用意しています。どうぞご覧になって曲のリクエストやご意見を下さい。待ってます。

さて残念なお知らせとなりますが、この元春レイディオショーこの番組は今年の3月をもって終了することになりました。先ずは長い間、この番組をご愛聴して下さった皆さんに心から感謝をしたいと思います。「どうもありがとう」
最終回までまだあと三回あります。最後まで楽しんで下さい。
DJ佐野元春 ではまた次回。御機嫌よう。



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