FM大阪のを聴いています。
ALL TOGETHER NOW
1985年に開かれたこのイベントをラジオ放送をカセットテープの残量を気にしながら、
そして、カセットをB面にひっくりかえして間髪いれないように録音を続けようと必死に録音しながら聴いていた。
アルフィー、アン・ルイス、イルカ、オフコース、加藤和彦、後藤次利、財津和夫(チューリップより選抜メンバーもいたはず)、坂本龍一、サザンオールスターズ、さだまさし、佐野元春with The Heartland、白井貴子、高中正義、高橋幸宏、武田鉄也、はっぴいえんど(大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂)、ブレッド&バター、松任谷由実、南こうせつ、山下久美子、吉田拓郎、ラッツ&スター
つまり、散開後のYMOが登場しており、
はっぴいえんど がこれだけのために再結成
坂本龍一、高中正義らが参加して松任谷由実・小田和正・財津和夫らが歌う「今だから」という凄い曲。
教授のアレンジでの「ダウンタウン・ボーイ」「アジアの片隅で」などなど
佐野元春やサザンが登場し、興奮のるつぼだった。
星野源がパーソナリティー
吉田拓郎がコメント
小田和正と二人でやろうって話をしていた。
当時はコラボレーションという言葉もなく、横のつながりもなかった。
僕とオフコースで何をやろうって
僕の曲「ロックンロール」をオフコースがやろう。オフコースの「YES-NO」を僕がやる。そういうことは奇跡ということが言えるくらいの夢のようなコンサートだったんだって今になって思いますね。
「yes-no」吉田拓郎&オフコース
「12月の雨の日」はっぴいえんど
ユーミンがゲストで登場
星野源とトーク
今ある音楽のひな形みたいなものがあったかもしれませんね。(ユーミン)
ライヴの機材とかモニタリングなんかも今の僕らが何気なくやっていることって、当時の人たちの試行錯誤があって出来ているんじゃないかなって思います(星野)
加藤和彦さんがサディスティック・ミカ・バンドを
サディスティック・ユーミン・バンドにしてやってくれた。
デビュー当時、ミカ・バンドと私が一緒になることがありました。オフコースや矢沢も一緒だったりしました。
ミカ・バンドのファッションとか大好きだった。
「ダウンタウン・ボーイ」「タイムマシーンにお願い」サディスティック・ミカ・バンド+ユーミン+坂本龍一
今年で40周年イヤー
トリは佐野元春だった
佐野元春よりコメント
1985年自分はNYから帰ってきたばかりでした。「VISITORS」ツアーの最中でした。
野外でしたね。出演者の中では最も若い世代でした。
新しいサウンド、新しいリリックを聴いてもらいたいという
僕たちの新しいスタイルを多くの人たちに知ってもらいたい。
NYで書いた
まだインターネットが現れてなかったですが、情報化が始まりかけている入り口に立っていたのが80年代半ばかなって思います。僕たちの思いを一番伝えてくれるメディアはラジオでしたね。
コラボのライブは
まとまりがなくて
共通点がなかった人が集まってやるのが面白いんであって(星野)
当時はラジオという媒体がとても大切で
僕はラジオが好きで
偶然という(普段は知らない曲を聞けたり、知らない人の話を聞けたり)
今日のラストは
「さよならアメリカ、さよなら日本」はっぴいえんど
ALL TOGETHER NOW
1985年に開かれたこのイベントをラジオ放送をカセットテープの残量を気にしながら、
そして、カセットをB面にひっくりかえして間髪いれないように録音を続けようと必死に録音しながら聴いていた。
アルフィー、アン・ルイス、イルカ、オフコース、加藤和彦、後藤次利、財津和夫(チューリップより選抜メンバーもいたはず)、坂本龍一、サザンオールスターズ、さだまさし、佐野元春with The Heartland、白井貴子、高中正義、高橋幸宏、武田鉄也、はっぴいえんど(大瀧詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂)、ブレッド&バター、松任谷由実、南こうせつ、山下久美子、吉田拓郎、ラッツ&スター
つまり、散開後のYMOが登場しており、
はっぴいえんど がこれだけのために再結成
坂本龍一、高中正義らが参加して松任谷由実・小田和正・財津和夫らが歌う「今だから」という凄い曲。
教授のアレンジでの「ダウンタウン・ボーイ」「アジアの片隅で」などなど
佐野元春やサザンが登場し、興奮のるつぼだった。
星野源がパーソナリティー
吉田拓郎がコメント
小田和正と二人でやろうって話をしていた。
当時はコラボレーションという言葉もなく、横のつながりもなかった。
僕とオフコースで何をやろうって
僕の曲「ロックンロール」をオフコースがやろう。オフコースの「YES-NO」を僕がやる。そういうことは奇跡ということが言えるくらいの夢のようなコンサートだったんだって今になって思いますね。
「yes-no」吉田拓郎&オフコース
「12月の雨の日」はっぴいえんど
ユーミンがゲストで登場
星野源とトーク
今ある音楽のひな形みたいなものがあったかもしれませんね。(ユーミン)
ライヴの機材とかモニタリングなんかも今の僕らが何気なくやっていることって、当時の人たちの試行錯誤があって出来ているんじゃないかなって思います(星野)
加藤和彦さんがサディスティック・ミカ・バンドを
サディスティック・ユーミン・バンドにしてやってくれた。
デビュー当時、ミカ・バンドと私が一緒になることがありました。オフコースや矢沢も一緒だったりしました。
ミカ・バンドのファッションとか大好きだった。
「ダウンタウン・ボーイ」「タイムマシーンにお願い」サディスティック・ミカ・バンド+ユーミン+坂本龍一
今年で40周年イヤー
トリは佐野元春だった
佐野元春よりコメント
1985年自分はNYから帰ってきたばかりでした。「VISITORS」ツアーの最中でした。
野外でしたね。出演者の中では最も若い世代でした。
新しいサウンド、新しいリリックを聴いてもらいたいという
僕たちの新しいスタイルを多くの人たちに知ってもらいたい。
NYで書いた
まだインターネットが現れてなかったですが、情報化が始まりかけている入り口に立っていたのが80年代半ばかなって思います。僕たちの思いを一番伝えてくれるメディアはラジオでしたね。
コラボのライブは
まとまりがなくて
共通点がなかった人が集まってやるのが面白いんであって(星野)
当時はラジオという媒体がとても大切で
僕はラジオが好きで
偶然という(普段は知らない曲を聞けたり、知らない人の話を聞けたり)
今日のラストは
「さよならアメリカ、さよなら日本」はっぴいえんど
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