ノルウェイの森は文庫上巻186頁だ。随分遅いようだが、読めば10頁や20頁はあっという間であるが、他に何もすることがなくてどうしようもないという時にちょこっとちょこっと読んでいるからまだ186頁だ。
この小説は短編集にしたほうがいいんじゃないか。いろんな女子学生とセックスをしました、ハイ終わりという話が女の名前を変えて延々と続く。
セックスは句読点だね、村上小説ではそれ以上の意味はないようだ。大体おなじパターンを辿る、別の言い方をすれば構造は同じである。「僕」は常に受け身である。女に引き回されて最後になんとなくセックスをする。それで第X話は終わりとなる。
そして大きな特徴の一つは性愛が愛憎問題として絶対にあとをひかないのである。便利なものである。これなども女性に受けるところではないか。
彼の小説はインテリぶったというか、自意識の高い女に人気がある仕掛けがいくつかある。村上氏が意識的に行っているかどうか不明であるが、とにかく毎回同じだからいやでも気が付く。以下順不同で行く。
セックスから始まる小説もあるが、彼のはセックスで終わるのである。セックス場面の描写も長くはない。せいぜい一頁というところだ。
しかし表現が非常に露骨で不快でなじめない(変ないいかただが)。何故だろうと思っていた。ポルノ小説というジャンルがある。村上氏の小説を読んでいて初めて気が付いたのだが、世に言うポルノ小説というのは若い(4、50歳くらまでの)男性を対象としているようだ。
村上氏の小説はそういう意味ではポルノではない。しかし表現は非常に直接的で露骨で生理的な反発を(男性には)感じさせる。そうか、これは女性同士が行う耳を覆いたくなるような露骨な猥談そのものではないか。村上氏が女性マーケットを意識してやっているなら「あっぱれ」マークを貼ってあげよう。
マーケッティングはうまくいっていると思う。つねに、女性がリードして女性の気に入るエロ表現で各挿話をしめる、そして後をひかない。妊娠もしない。理想的である、女性にとっては、というのが受けるのではないか。これはノルウェイの森的な小説のみでなくて、カフカとか1Q84とか村上作品のなかでもシリアスな作品についても同じだと思った。大分読んだ記憶は薄れているが。
さて、ノルウェイの森であるが、小説の作法からいくと最終章で直子再登場となるのだが、実際はどうなっているのかな。
繰り返しになるが彼の描く男女関係には納豆菌がまったくない。ようするにあとをひかないのである。これら諸々のことは女性が常に願望しているところなのだろう。村上氏の作品はドンピシャでインテリ30おんなのご要望に応えているのである。たぶん、この解釈は間違いではないだろう。