父親の残した写真は整理の手の付けようがなかった。これは残飯整理のようなものだな、と彼は気が付いた。父の遺品をきょうだいで分けるときに、てんでに勝手に我先にめいめいがいいところを持って行ってしまったときの様子を思い出した。
アルバムに貼って整理された写真は兄弟が分け合ってしまっていた。よく撮れたはっきりと写っている写真はめいめいが我先に取っていったのである。だから残っているのは父が撮ったと思われる素人写真が主であると推測された。ピントが合っていなかったり、どういう目的でとったか、被写体が分からないもの、現像に失敗したものがほとんどなのである。ようするに残った残飯を整理しているのと同じなのである。
とにかく系統的に分けなければ何が何だか分からない。かれは文房具屋に行って封筒を沢山買ってきた。A4では大きすぎるのではないかと考えてA5くらいの茶封筒を二十枚ほど買ってきた。
被写体の人物が一人でも分かっている写真は父方と母方に分けた。もちろん兄弟と一緒に映っていたりするのは別にした。つまり写真のなかで彼の知っている人物が入っている写真は、その人物に応じて父方と母方の写真に分ける。しかし父方とはっきりとわかる写真はほとんどない。何しろ父方の親戚で顔の分かっているのは父しかいないのだ。母方は祖父母、叔母たちやいとこなどの親戚はみな顔が分かっているから簡単である。父方はあきらかに会社や役所関係の人物と思われる写真は別にひとまとめにした。
遺品わけのときにきょうだいが争っていいところを持っていいってしまって、残っているものはピンぼけや素人の失敗写真などである。したがってピンぼけ、周囲が光線が入って白く感光しているもの、注釈の書いていないもので誰が写っているかわからないバラ写真ばかりだ。
そのほかに男で単独に映っている写真はおそらく父の田舎の親類だろうとおもわれる。
その他で多いのは若い、といっても30前後の女性の写真である。これが非常に多い。そのほか大体三人ほどに絞られる。中でもひとり何十枚も写真がある女性がいる。いかなる関係のあった人物か見当がつかない。この女性の写真は同一の写真の焼き増しが手札型のでも30枚以上ある。美人とは言えないが、肉感的で我の強そうな女である。その他にもこの女性単独の写真が十枚以上ある。まさか芸者のお披露目用の写真でもあるまい。着ている者からはそう判断しにくい。
ほかにかなりの数の二、三人で写っている写真がある。すこし年配、30過ぎくらいか、どうも素人とは思えないあまり品のない女が二人ほど父の被写体になっている。知っている顔ではなく、どういうかかわりのあった人物かまったく不明であるが、父の異母姉かもしれない。この種の写真が一番判断にまよう。これらはいずれも素人っぽい腕前で父が若いころの被写体と思われる。