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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



恒例となったビバ!サッカー講座ネタ。
今日6月25日のゲストは、元朝日新聞記者の中条一雄さんだった。今年79歳の超ベテランスポーツジャナリストにワールドカップの思い出を聞いた。中条さんが現地取材をされた1974年西ドイツ大会から2002年の日韓大会まで。途中、サッカーとはあまり関係ないお色気話など、普段は聞けないような話も。

そのなかで、1990年イタリア大会の思い出が、いきなり「ガエタノ・シレア」の名前から始まったことに、ちょっとびっくりした。

ガエタノ・シレア。元イタリア代表のディフェンダー。1978年アルゼンチン大会、1982年スペイン大会(優勝)、1986年メキシコ大会に出場。ちなみに、優勝したスペイン大会では、サッカーマガジンの大会ベスト11に選ばれている。1985年12月8日、欧州代表のユベントスの主将として、トヨタカップに出場するも、後半20分、肉離れをおこし交代退場。引退後の1989年9月3日、ユベントスのフロントとして訪れていたポーランド・ワルシャワで交通事故のため36歳で死去。

中条さんは、シレアと誕生日が同じということで、親近感をいだいていたそうだ。そして、イタリア大会のプレスセンターのオープニングイベントに訪れたときに、プレスセンターに「ガエタノ・シレア」と大きく書かれていたのに驚いたそうだ。

そう、イタリア大会のプレスセンターの名前は「ガエタノ・シレア・プレス・センター」だった。写真はその正面入り口である(クリックで拡大)。ぼくはというと、アディダス社の知り合いに、プレスセンターに隣接するスポンサービレッジに連れて行ってもらったときに、そのことに気づいた。

なんとも粋なはからい。若くして亡くなった母国のW杯戦士の名を、世界のサッカージャーナリストが集う場所の名前にするなんて。そんなところにも、イタリアらしさを、というか日本とは違うんだなぁと感じたことを、中条さんの話を聞きながら思い出した。

日本は来年のドイツW杯で3大会連続の出場。すでに自国でW杯も開催した。でも、世界のサッカー大国が長年養ってきたサッカー文化に肩を並べるのは、まだまだ先のことのような気がする。コンフェデ杯の試合内容に浮かれるなかで、イタリアW杯を思い出し、あらためてそう思った。

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