遠州七不思議の一つに数えられている『無間の鐘』は、粟ヶ岳山頂にあります。
(「茶」文字で知られる粟ヶ岳。無間の鐘は山頂に見える鉄塔の奥、阿波々神社の左手にあります)
【無間の鐘の云われ】
昔、山頂近くに観音寺というお寺がありました。山頂近くにあるお寺なので参拝者も少なく、ある日この寺に参拝に来た孝行息子が、日々の暮らしが少しでも良くなるように願いを込め鐘を撞きました。
次の日からは、何事も順調に進み、生活もどんどん良くなって行きました。これも観音寺の鐘のおかげと感謝しつつ仕事に精を出しました。
ある日これを聞いた村人は「私も観音寺をお参りし、鐘をついてこよう」と出かけご利益をさづかるのでした。観音寺の鐘は何でも願いをかなえてくれる。とのうわさで遠く遠州の地からも参拝者が増え、山はたいそう賑やかになりました。「わしは大金持ちになるんじゃ」と欲深い願いをするものも出ましたが不思議と願いがかなうのでした。「しかし、あの世とやらへ行くときには地獄へ落ちるよ」と言われましたが、「ああ結構、この世の今が大切さ」と言い、これを聞いた住職が「なんとおろかなことよ!本来貧しい者達を救う教えを何と心得る!」二度と鐘が撞けぬ様この鐘を井戸に埋めてしまえと、山頂の井戸に埋めてしまいました。この井戸が無間の井戸です。
今の世を大切に。欲を出すのもほどほどにせよとの住職の戒めの言葉とも思われる無限の鐘の伝説です。
(あずまや風の屋根の付いた無間の井戸のある風景)
(屋根の下にある無限の井戸)
(そこを除くと真っ暗。光をあてるとそこはがれきのようなもので埋められていました。)
上の小画像は粟ヶ岳。この茶文字の奥に無限の鐘があります。
(「茶」文字で知られる粟ヶ岳。無間の鐘は山頂に見える鉄塔の奥、阿波々神社の左手にあります)
【無間の鐘の云われ】
昔、山頂近くに観音寺というお寺がありました。山頂近くにあるお寺なので参拝者も少なく、ある日この寺に参拝に来た孝行息子が、日々の暮らしが少しでも良くなるように願いを込め鐘を撞きました。
次の日からは、何事も順調に進み、生活もどんどん良くなって行きました。これも観音寺の鐘のおかげと感謝しつつ仕事に精を出しました。
ある日これを聞いた村人は「私も観音寺をお参りし、鐘をついてこよう」と出かけご利益をさづかるのでした。観音寺の鐘は何でも願いをかなえてくれる。とのうわさで遠く遠州の地からも参拝者が増え、山はたいそう賑やかになりました。「わしは大金持ちになるんじゃ」と欲深い願いをするものも出ましたが不思議と願いがかなうのでした。「しかし、あの世とやらへ行くときには地獄へ落ちるよ」と言われましたが、「ああ結構、この世の今が大切さ」と言い、これを聞いた住職が「なんとおろかなことよ!本来貧しい者達を救う教えを何と心得る!」二度と鐘が撞けぬ様この鐘を井戸に埋めてしまえと、山頂の井戸に埋めてしまいました。この井戸が無間の井戸です。
今の世を大切に。欲を出すのもほどほどにせよとの住職の戒めの言葉とも思われる無限の鐘の伝説です。
(あずまや風の屋根の付いた無間の井戸のある風景)
(屋根の下にある無限の井戸)
(そこを除くと真っ暗。光をあてるとそこはがれきのようなもので埋められていました。)
上の小画像は粟ヶ岳。この茶文字の奥に無限の鐘があります。
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