『小説「津軽」の本を模した菓子箱のクッキーに、「走れメロンパン」、「生(うま)れて墨(すみ)ませんべい」……。太宰治(1909~48)の生誕100年にあわせて、生家のある青森県で太宰関連の土産物などが続々と登場している。関係者によると、今年の新商品だけでも20点、合計約100点にも及ぶ太宰関連グッズが県内で売られているという。 誕生日の6月19日に発売されたのは「斜陽館のレンガ」(4個入り1050円)。現在は「斜陽館」という記念館になっている太宰の生家のレンガがモチーフだ。青森市内の洋菓子店「キーファルンバウム」がリンゴジュース入りのキャラメルパイに仕立てた。手作りで1日150個ほどしか作れない。最初の3日間は連日完売で、その後も売れ行きは好調。店の看板商品になっている。 せんべいメーカーの八戸屋(同県むつ市)が売り出したのは「生れて墨ませんべい」(24枚入り893円)。小説「二十世紀旗手」の副題の「生れてすみません」をもじって名物のイカ墨せんべいの商品名にした。八戸信一社長は「ネーミングが当たったのか、修学旅行生がよく手にとってくれる」と話す。 1944年に太宰が発表した「津軽」の初版本そっくりの箱に入れ、商品名もそのままというクッキー(18枚入り、1千円)も登場した。製造元の「ラグノオささき」(同県弘前市)によると、3月の販売開始直後は生産が追いつかないほど売れた。本物の小説の文庫本とセットで買うファンが多いという。 ほかに「走れメロンパン」や「斜陽羹(かん)」なども。県は「太宰土産で地域の経済が少しでも浮揚できれば」と期待する。ただ、青森駅や青森空港で買えるのは「生れて墨ませんべい」と小説「津軽」のクッキーぐらい。小さなメーカーが多く、生産量や販売網が限られるのが悩みだ。 』
今の御時世先行きの見通しが全く付かず、未来に夢と希望も持てない未曾有の世界同時不況の日本で、太宰治の作風「デカダン」が、(御本人自身の批判されていますが)人気を呼んでいるのではと思います。何度も生と死を徘徊し、たくましさや強さないの人間の人間臭ささや人間の弱さを見つめたところに太宰治のヒューマニズムが有り、今の若い人達が皆共感するのかも分かりません。1944、昭和19年に太宰治が発表した「津軽」のクッキーも初版本そっくりの箱に入れられているそうですが。中学校の国語教科書にも採用されていた「走れメロス」メロンパンも、小説「二十世紀旗手」の副題の「生れてすみません」せんべいも皆、出版社に頼んで初版本そっくりの文庫本と一緒に販売すれば、出版不況中で本離れが叫ばれ今日でも本は関連性を持ち売れるのではないでしょか。太宰治の生家の斜陽館を見学し、本を読みながら作品縁のお菓子を食べて、太宰治の関連グッズを楽しみ、愛用する。太宰治文学の影響と思います。青森駅や青森空港で買えるのは「生れて墨・すみませんべい」と小説「津軽」の名前にちなんだクッキーぐらいではのお土産として商品数が少ないと思います。青森名物のお土産として小さなメーカーでも、商品を皆で協同体組織で分担して作り上げ、味と品質の向上を計りと生産量の増加と販売網も拡大を実現して下さい。青森県の文化普及と経済の活性化を目指して頑張って下さい。天国の太宰治さんに応援して貰って下さい。
☆ フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より一部引用
太宰 治 | |
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誕生 | 津島 修治(つしま しゅうじ) 1909年(明治42年)6月19日 青森県北津軽郡金木村 (現・青森県五所川原市) |
死没 | 1948年(昭和23年)6月13日 東京都北多摩郡三鷹町 (現・東京都三鷹市) |
職業 | 小説家、作家 |
国籍 | 日本 |
活動期間 | 1933 - 1948 |
ジャンル | 小説 |
文学活動 | 新戯作派、無頼派 |
代表作 | 走れメロス、斜陽、人間失格 |
処女作 | 列車 |
配偶者 | 津島美知子(1938 - 1948) |
子供 | 津島佑子(作家) 津島雄二(政治家) 太田治子(小説家) |
親族 | 津島文治(兄・政治家) |
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太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年)6月19日 - 1948年(昭和23年)6月13日)は、昭和を代表する日本の小説家。本名は津島修治(つしましゅうじ)。1933年(昭和8年)より小説の発表を始め、1935年(昭和10年)に「逆行」が第1回芥川賞候補となる。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』など。諧謔的、破滅的な作風で、織田作之助、坂口安吾、石川淳などともに新戯作派、無頼派とも称された。大学時代より自殺未遂、心中未遂を繰り返し、1948年(昭和23年)玉川上水にて山崎富栄とともに入水した。』