『 文部科学省の全国学力調査は今春から従来の全員対象を転換して約3割を抽出するサンプル調査に切り替わるが、「抽出から外れても全校で受けたい」と手を挙げる自治体が相次いでいる。文科省が「対象外の学校も希望があれば問題を無償で提供する」としているためだ。 こうした自主参加では採点や集計作業を自治体側が自らやらねばならないが、成績向上を求める保護者の強い声を背景に、継続的に学力を検証するために「従来通り」の実施に傾いているとみられる。 県内の全市町村で「希望する」というのは福岡県だ。「抽出調査の参加校だけで県内の学力を検証するのは不十分だ」という。鳥取県も「求めているのは個々の学校、生徒の課題を見つけるためのデータで、全員調査でこそ意味がある」とし、県内の市町村に「ぜひ希望して」と呼びかける。両県とも、採点や集計の費用を県の予算に盛り込む考えだ。 大阪市も「予算は未定だが、全校で参加したい」と利用を決めた。学力向上プランの基準の一つが全国学力調査だったからだ。 過去の学力調査で上位の常連になっている福井県も「なるべく希望を」と県内に呼びかけ、全小中学校が希望して参加することに。採点作業は各市町や学校に委ねるが、集計、分析のためのソフトを県教委で作って配る予定だ。「国などの結果と照らし合わせてもらうため」という。 一方で、参加を希望しない自治体もある。札幌、横浜、浜松の各市は市独自の学力調査を別途やっているため必要性が薄いという考えだ。神戸市は採点、集計などの負担がネックで希望しないという。 東京都は2千近い公立小中学校の意向を聞いたが、希望するという回答は小学校で54%、中学校では53%にとどまったという。都教育委員会としては予算措置が間に合わず、採点や集計を業者に委託できないといい、「現場の先生に統一した採点や分析を求めるのは厳しい。できればお願いします、としか言えない」という。 お茶の水女子大学の耳塚寛明教授(教育社会学)は「記述式問題は採点で迷うことが多く、学校の先生に任せると相当な負担増になる。採点基準を明確にし、統一性をとらないと信頼できる比較はできない」と話す。』2010年2月8日アサヒコム
全国学力テストの実施の問題は、子供達の目の高さに立って、教育現場の先生方の意見と考えを取り入れるべきです。船頭多くして、山に登るでは学校教育の本質から大きくヅレていると思います。本当に全国学力テストで子供達の学力が本当に計れるかとも思います。地方自治体も保護者も学力テストへの信奉や信頼が高い日本なのでしょうか。全国学力テストの子供達の成績順位で各都道府県の間の順位付けや競争意識を煽り、学力テストの試験の成績のみで各都道府県の学校教育の内容や日頃の教育活動や教育成果を問われたのでは教育現場の先生方もやりがいを失われます。『2007年から始まった全国学力テスト結果で、秋田県は小学生では2年続けて全国1位。中学生は2007年に全国3位、2008年には全国2位。高い学力に注目が集まったが秋田県でも今回成人式の妨害事件が起きています。学校教育の中での人格形成を忘れていませんか。全国学力テストの結果とは裏腹になぜか大学進学率が低い秋田県です。専門学校や短期大学などを含む大学等進学率は全国平均を約10ポイント下回る43%、4年制大学に絞ると30%強。都道府県別で40位だ。07年度の東京大學の合格者数は東北6県で最も少ない8人。東北大学合格者数も、東北勢が上位5位を占めるなか、秋田は10位に留まる。
本誌3月16日号でも報じたとおり、秋田の小中学生の高い学力を支えているのは、きめ細かい少人数教育だ。そのため下位層は薄く、中間層が厚い。結果として平均点は高くなる。だが、学年の進級とともに、学力が伸びなくなっている。因は何なのか。秋田ではまだ「高校浪人」をする生徒がわずかだがいる。高校受験熱は高いが、大学進学の風土が薄い。親世代に大卒者が少なく、高校受験が県民最大の関心事----。現地でそんな言葉をよく聞いた。今春から秋田市内のガス会社に就職したレイジさん(18)は、大学のイメージを、「まだ遊びたい人が行く場所」と話す。大学を卒業した大人のイメージは、「スーツを着る仕事をする人」レイジさんが特別なわけではない。県内の若者十数人と話したが、彼らが持つ大学生活のイメージは希薄だった。進学率と県民所得の相関関係で、進学率と経済的な要素は密接に関係している。1人当国公立大學への合格者数は高く無いと言う事も現実です。』AERA-netトップ・ アエラサマリ・大学進学「高い県 低い県」2009年04月19日 より一部引用。小学校や中学校の全国学力テストの成績結果のみで今後の学力伸びや大學への進学が決定される訳ではないと思います。人生そ有名私立校の参加も少なく、全国学力テストの成績だけで、各都道府県の真の子供達の学力が計れるとは思いませんし、地方自治体の長が、目くじらを立てて、成績順位向上を目指したり、学力テストの成績の悪かった地域の小学校や中学校への予算を減らしたり、教員の派遣を見送ったりすれば余計に地域の教育格差と教育差別を産むだけです。地域の学校間や地域住民の競争心や各都道府県の学力テストの成績の順位付けと学力向上の為に競争意識が芽生えたのではないでしょうか。小。中学校の全国学力テストの成績結果で、これからの子供達の学力水準が分かり、将来性が決まると考えるのは近視眼的発想で、小中学校の義務教育段階の教育の事しか考えていない発想では有りませんか。教育は、義務教育の6年間だけで評価するものではないと思います。早く咲き枯れる花よりも着実に伸びて行く大輪の花をく咲かせるべきでは無いでしょうか。当分試験崇拝主義が、今までのように日本にはびこるのでしょうか。