教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

高校受験:中3の6割塾通い 保護者の85%「教育費が負担」--第一生命研究所

2010年02月21日 15時54分12秒 | 受験・学校

『 高校受験を控えた中学3年生の59%が塾に通い、保護者の85%が教育費を負担と感じていることが、第一生命経済研究所の1月のインターネット調査で分かった。受験生の母親600人が回答した。 「中学の授業だけで志望校に合格できると思うか」という質問に対し、「どちらかと言えばそうは思わない」(33%)を含む63%が「そうは思わない」と答え、59%が子供を塾に通わせていた。 教育費については、45%が「かなり負担感がある」、40%が「少し負担感がある」と回答。捻出(ねんしゅつ)のための対策(複数回答)は、レジャーを控える(49%)▽衣食住の支出を控える(43%)▽夫の小遣いを減らした(8%)--などと倹約に努める様子がうかがえ、「自分が仕事に就いた」も16%いた。 日常生活で気を使っていること(複数回答)は「インフルエンザの予防接種」が48%で最多だったが、「合格祈願菓子を買う」(24%)や「『落ちる』『スベる』等の言葉を使わない」(10%)--といった「縁起を担ぐ」派も目立った。 子ども手当が支給された場合の使い道(複数回答)を聞いたところ、「将来の教育費のために貯蓄」が41%など大半の母親は教育への投資を挙げたが、「日常の生活費に使う」も11%いた。 』毎日新聞

高校受験を控えた中学3年生の59%が塾に通い、保護者の85%が教育費を負担と感じていることが、第一生命経済研究所dai-ichi-life.co.jpの1月のインターネット調査で分かった。受験生の母親600人が回答したのは、公立中学校に通っているお子さんを持つお母さんの調査なのでしょうか。記事に明記されていないので公立中学校に通学しているお子供さん達のお母さんと考えました。 「中学の授業だけで志望校に合格できると思うか」という質問に対し、「どちらかと言えばそうは思わない」(33%)を含む63%が「そうは思わない」と答えは、高校受験を控えたお母さん方の公立中学校の先生方への信頼感の喪失現象ではないでしょうか。公立小学校4年生から進学塾に行き、公立中学3年生まで進学塾に通わないと公立高校のトップ高校、進学塾では1番高校に合格出来ないのが現状です。未曾有の世界恐慌の今の日本で、進学塾への教育費が45%が「かなり負担感がある」、40%が「少し負担感がある」と回答しています。公立中学校の先生方が進学塾の先生より各教科の授業方法や教授力が劣っているとは思えませんが。各教科の研究会で授業研究や教科指導について研究し勉強して居られる先生方もおられます。今の日本の不況で苦しむ保護者の教育費の負担を減らす為に各中学校で、各教科のベテランの先生方による補習授業を実施するのが1番良い方法と思います。第一次ベビーブームの時代には各公立中学校では、学校が始業前の朝や放課後各教科の担当の先生方が、教材や問題集を選び補習授業をされていました。各専門教科の教員免許状を持ち、各都道府県の教員採用試験に合格した先生方です。ベテランの経験豊かな先生方も教育現場にはおられます。長年の教育経験が物を言うのが教育現場です。私立高校受験や公立高校受験の進路指導や情報分析、高校受験の為の学習指導がお出来にならない筈が有りません。進学塾の塾の先生より専門知識も授業方法も良くな、教科担当者としての教授力も無いとは思えません。学校の校舎を利用して進学塾の先生に高校受験の為の冬季講習会や特別授業をして貰うのはすじ違いでは有りませんか。教職のプロとして、誇りを持つて、父兄の期待と声に応えるべきだし思います。教員の資質の向上や教員免許の更新問題も公立中学校の先生への保護者の信頼感薄れていることに起因しているとも思います。保護者の声と期待に応えて、公立中学校の先生として誇りと自信を持つて、頑張っていただきたいと思います。ベテランの教育実践を積んだ経験豊かで、各教科の授業研究をされている教授力のお有りになる経験豊かなベテランの先生は、公立中学校にも公立高校にもおられると思います。保護者の意見や希望を取り入れ、教職のブロとして高校受験にも思う存分腕をふるって頂きたいと思います。

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お座敷列車目当て?「撮り鉄」また快速止める

2010年02月21日 13時21分18秒 | 社会・経済
読売新聞2010年2月20日(土)21:43

お座敷列車目当て?「撮り鉄」また快速止める
(読売新聞)

 『20日午後5時頃、滋賀県草津市のJR東海道線草津―南草津駅間で、フェンス(高さ1・8メートル)内の線路脇に三脚を立てた不審な男がいるのを、通りかかった網干発米原行き快速電車に乗っていたJR西日本の社員が気づき、運転士に知らせた。 電車は約100メートル通り過ぎて停止したが、男はすぐに立ち去ったという。 同社によると、お座敷列車「あすか」を連結した回送の団体臨時列車が通過する予定だったといい、列車の写真撮影を趣味とする「撮り鉄」と呼ばれる鉄道ファンが線路敷地内に入ったとみられる。 安全確認のため、快速電車が約6分間、現場で停止し、特急など上下6本が6~11分遅れ、約3500人に影響が出た。 あすかはこの日、「草津線全線開通120年」を記念したイベントで、草津―柘植、つげ(三重県)間を往復。草津駅で乗客を降ろし、京都方面に回送されることになっていた。あすかは運行回数が少ないため、鉄道ファンの人気が高い。14日にも大阪府柏原市のJR関西線で、ファンが線路敷地内に立ち入り、快速電車と普通電車の2本が相次いで停車するなど、トラブルがあったばかりだった。 』読売新聞

撮り鉄 、とりてつ とは、俗に鉄道ファンのうち,主に車両や駅などの撮影を楽しむ人のことを言いますが。撮り鉄でも線路内に入るのは、良くないと思います。列者の運行妨害です。鉄道ファンのマナーの悪さこの頃目立ち過ぎます。終いに鉄道事故になりかねません。安全確認のため、快速電車が約6分間、現場で停止し、特急など上下6本が6分から11分遅れ、約3500人人達に影響が出たのは本当に大迷惑では有りませんか。鉄道ファンなら鉄道の公共性を良く理解している筈です。撮り鉄 、とりてつ とは、俗に鉄道ファンのうち,主に車両や駅などの撮影を楽しむ人のことを言います利用者に迷惑を掛けた分撮り鉄として、鉄道愛好家として責任を取るべきでは有りませんか。撮り鉄ならぬ鉄道の大切な定刻時間を取る、鉄道の運行時間乱す単なる取り鉄です。JR西日本の列車に遅れを出したのです鉄道愛好家として許され無い行為です。良いアングルから自分のお気に入りの鉄道写真を撮りたい一心で自分さえ良ければ良い、鉄道利用者やJR西日本、鉄道会社に迷惑を掛けてもかまわないと言うモラルや公共心の無い撮り鉄は許されません。鉄道愛好家の風上にも置けない心無いなぜこの頃撮り鉄が増えたのでしょうか。JR西日本www.westjr.co.jpも安全第一に考えて毅然たる措置を取るべきです。線路内で人身事故が起こったり、列車の運行時間が遅れないように心無いマナーの悪い撮り鉄には、今後損害賠償を求めるなり、法律的に厳しく対処すべきでは有りませんか。

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火災、2階窓から4歳救出 通りかかった高3相撲部員

2010年02月21日 12時31分29秒 | 受験・学校

男児が救出された団地(2階部分)=京都市伏見区、竹山栄太郎撮影

 『20日午後1時50分ごろ、京都市伏見区醍醐中山町の醍醐中山団地(鉄筋コンクリート5階建て)の2階にある大西好子さん方付近から出火、約45平方メートルのうち17平方メートルが焼けた。大西さんの長男(4)が取り残されたが、京都府立鳥羽高校3年の杉本亨光さん(18)=伏見区=が2階によじのぼり、男児を窓から救出した。男児は煙を吸っているが、命に別条はないという。  山科署によると、出火当時は男児が1人で在宅していた。友人の木ノ下貴紀さん(18)宅に行く途中だった杉本さんは、取り残されている男児を発見。、1階の窓のさくを足場にして2階に登り、男児を肩にのせ、手で雨どいをつかみながら1階に下りたという京都府立鳥羽高校3年の杉本亨光さん(。同署は、杉本さんと、一緒に救助活動をした木ノ下さんに感謝状を贈る。 杉本さんは取材に「助けることができてほっとしました」と話した。高校相撲部に所属しており、男児を肩にのせるのは苦ではなかったという。』2010年2月20日21時28分 アサヒ・コム

京都府立鳥羽高校3年の杉本亨光さんが、残されている4歳の男の子を発見、1階の窓のさくを足場にして2階に登り、男児を肩にのせ、手で雨どいをつかみながら1階に下り見事救助に成功しました。救助した杉本亨光さんにも怪我も無く、 友人の木ノ下貴紀さんとの協力も有り4歳の男の子も怪我も無く 無事助け出せて本当に良かったですね。京都府立鳥羽高等学校www1.kyoto-be.ne.jp/toba-hsの相撲部で 、体を鍛えている杉本亨光さんが木ノ下貴紀さんの自宅に行く途中だったのも幸運でしたね。の日本世界同時不況下で、暗いニュースのが多いですが、『2月15日の午後9時15分頃、東京都杉並区のJR中央線高円寺駅の上り線ホームからお酒に酔っ た女性20歳が線路に転落し、都内に住む男性会社員24歳が、自分の危険も顧みずに女性を助けようと線路に飛び降りた。高尾発東京行き快速電車(10両編成)が迫り、女性が意識を失っていたため、男性は2本のレールの間(幅1メートル6センチ)に女性を寝かせ、自分はホーム下の待避壕(ごう)に駆け込んだ2月16日1時10分配信毎日新聞』の奇跡の救助活動も有り、人を助けよう、他人の為に尽くそうする若い人達が今の日本にいると言う心暖まるニュースです。自己中心的で、他人の迷惑は考えずに自分の事しか考えないな若い人が多い日本で、この三人は、本当勇気ある若者のです。お疲れ様でしたと心からお礼を申し上げます。

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医学部新設、3私立大が準備 認可なら79年以来

2010年02月21日 11時59分06秒 | 受験・学校

『医師不足が言われるなか、国内の三つの私立大学が、医学部新設を目指し、準備を進めていることが分かった。設置認可を国に申請する手続きのため、すでに学内に検討組織を立ち上げた大学もある。医学部新設は30年以上なく、認可されれば1979年以来となる。  医師増員を掲げる民主党は看護コースと病院を持つ大学の医学部新設を後押しするとしており、政権交代で機運が高まったかたちだ。医師養成学部・学科については、自民党政権時代の82年や97年の医学部定員削減の閣議決定を受け、新設の審査は行わない規定になっているが、今後撤廃されるとみられる。設置基準の緩和も進めば、他大学にも動きが広がる可能性がある。 設置を検討しているのは、国際医療福祉大(本校・栃木県大田原市)、北海道医療大(北海道当別町)、聖隷(せいれい)クリストファー大(浜松市)の3大学。いずれも看護や福祉系学部を持ち、大学病院や関連病院もある。  看護や薬学、福祉系の6学部を持つ国際医療福祉大は学内組織で、教員確保策や文部科学省への認可届け出の準備をしている。開設場所は大田原キャンパスなど複数案を検討。入学定員は、現在の設置基準の上限である120人程度を想定している。開設時期は未定だが、取りまとめ役の開原成允大学院長は「早ければ早いほどいい。可能なら2011年度を目指し、地域医療の担い手となる臨床医を養成したい」とする。 北海道医療大も今年1月に学内検討委員会を設けた。やはり地域医療に貢献できる医師の養成を目指し、定員は80人規模を想定。多様な人材を集めるため、学士編入枠も検討中という。小野正道経営企画部長は「これまで道内には私大の医学部がなかった。医療過疎解消に役立つ人材を育てたい」と話した。日本で初めてホスピスを開いた聖隷三方原病院と同グループの聖隷クリストファー大も、理事長がトップの検討委員会を設置。「医学部あるいはメディカルスクール(医師養成大学院)に向けて前向きに考えている」としている。  医学部は79年の琉球大の設置認可以来、新設はない。医師が供給過剰になるとの将来予測や、医療の質低下につながるとする日本医師会の抑制主張を受け、国は80年代初期から入学定員を削減し、全国79校全体でピーク時81年度の8280人から、2007年度には7625人にまで減った。しかし、地方の医師不足が深刻化したため、「骨太の方針2008」などに基づき増員策に転換。10年度の定員は8846人にまで増えた。 ただ、医学部新設には定員80人でも最低200億円弱の建設・設備費用が必要などハードルは多い。また、既存の大学や医療界からは「医師の質が保てない」「医療崩壊をかえって増幅する」との反発もある。22日には全国の大学の医学部長と付属病院長が集まり、医学部新設と定員増に「慎重な対応を求める」請願を政府に提出する予定だ。』  』2010年2月21日3時11分アサヒコム

北海道には、国立の北海道大學医学部と 旭川医科大学と公立の札幌医科大学の3大學あるのみで 、北海道の土地の広さは83452k㎡であり、東京都の土地の広さは2187k㎡です。雪深い北海道の地域医療と僻地での医師不足や医師数の確保を考えると私立の看護、薬学部、歯学部付属病院を持つ北海道医療大学www.iwate-med.ac.jpは、地域医療の貢献に寄与する医療系総合大学として第二の岩手医科大学を目指して頑張って下さい。岩手医科大学は、 岩手県盛岡市内丸19-1 TEL019-651-5111の本学のあゆみを拝見しますと 『創立者三田俊次郎は、岩手県における医療の貧困を憂い、明治30年(1897)に廃止された県立病院を収得して私立岩手病院を創設し、明治34年(1901)には岩手病院を実習場として東北・北海道初の私立岩手医学校を設立しました。
 しかし、この岩手医学校も創立11年目の明治45年(1912)、医育改革により廃校の止むなきに至りました。その後、大正末期から全国的に医学専門学校設立の気運が高まり、昭和3年(1928)2月、三田俊次郎の医学教育にかける情熱と努力が認められ、私立岩手医学専門学校が誕生しました。岩手医学専門学校は、三田俊次郎校長時代(1928~1942)から三田定則校長(1942~1950)まで二十有余年続きました。
 その後、戦後の教育改革により、昭和22年(1947)6月18日「岩手医科大学」に変更し、初代学長に三田定則が就任しました。さらに昭和26年、学校法人を設立して新制岩手医科大学が発足するに至り、地域医療に密着した私立医科大学としての揺るぎない地位を確立しました。

 昭和31年以降、設備拡充の5ヶ年計画・続5ヶ年計画と構想が次々に打ち出され、驚くほどの早さで飛躍的な拡充を実現しました。昭和35年(1960)大学院医学研究科設置、昭和40年(1965)歯学部・教養部設置と、教育・研究の内容を高める環境、条件が充足されました。
 昭和40年の歯学部設置は、東北大学歯学部と並んで北日本で最初の歯科医育成機関として認可されたもので、昭和42年の歯学部附属病院開設、昭和58年の大学院歯学研究科開設と、着実にその内容を充実させています。
 また、昭和55年(1980)11月、岩手県と共同で岩手県高次救急センターを開設。平成2年(1990)社団法人日本アイソトープ協会と共同で、日本でも数少ない陽電子核医学研究施設サイクロトロンセンターを開設。平成5年(1993)国からの移譲を受けて附属花巻温泉病院を開設。平成9年(1997)2月には、創立60周年記念事業として附属循環器医療センターが竣工。同年5月には循環器医療センターが、全国では3番目の高度先進専門病院として開設しました。
 さらに、平成11年(1999)には文部省(現:文部科学省)の私立大学ハイテク・リサーチ・センター整備事業を受け、医学部に先端医療研究センター、歯学部には先進歯科医療研究センターが開設されました。
 さらに平成19年(2007)4月には、矢巾新キャンパスの完成にともない、念願の薬学部を開設。医学・歯学・薬学に関する最高の設備と機能を備えるとともに、充実した教育スタッフを擁し、名実ともに屈指の医療系総合大学として新たな歴史の第一歩を踏み出しました。  本学の創立者・三田俊次郎先生は明治30年、県立岩手病院の払い下げを受け、盛岡市内丸に私立岩手病院を発足させた。同時に同病院敷地内に『附属医学講習所』と『産婆看護婦学校』を併設。岩手病院長には、東京帝国大学から杉立義郎を招聘し、医師2名、医学得業士16名、薬剤師3名、産婆15名、看護婦61名などにより運営された。  明治34年には医学講習所の組織を改め、名称を『岩手医学校』とし、文部省より正式に認可を受けた。しかし明治45年には医育制度の改革により、同校は廃止の止むなきに至った。
 医学校は廃止されたが、岩手病院は存続して隆盛を窮め、当時の集計を見ると連日患者で溢れていたことが分かる。この岩手病院を舞台に医学校が甦るが、これこそが昭和3年2月文部省より再度の認可を受けた岩手医学専門学校(現岩手医科大学)であった。
 新渡戸稲造は、昭和3年8月16日、下北半島の川内を訪ねた。川内は稲造の曾祖父・新渡戸維民が、盛岡藩から追放された土地である。翌17日、恐山を訪ね、旅館に宿泊したが、夜中に下痢症状を起こした。翌日も収まらなかったので、東北本線列車に乗って18日午後遅く、盛岡に着き、岩手病院に入院した。3日後に退院。21日午後1時、盛岡駅発列車に乗り、翌日長野県軽井沢の別荘に着いた。掲載した写真は、この時の入院中のものである。盛岡から軽井沢までは、東京女子医専学生・下斗米ミツさんが付き添った。
 岩手医大の前身・岩手医専が開学したのは、昭和3年6月18日である。ちょうど2ヵ月後、岩手医専の前途を確かめるかのように、やがて附属病院となる岩手病院に新渡戸稲造が入院する。
 年を経て、新渡戸稲造が留学した世界的医学部を持つ米国ジョンズ・ホプキンズ大学と岩手医大とが、友好大学として結ばれた。若手医師を中心に研究交流を重ねることになったのは、奇しき因縁というべきであろう。 岩手県花巻市出身の童話作家で詩人である宮沢賢治のことは、皆様もよくご存じのことと思います。その賢治の作品のなかに「岩手病院」という詩があります。
 1914年(大正3年)年4月、18歳の賢治は、肥厚性鼻炎手術のために岩手病院、すなわち、現在の岩手医科大学附属病院に入院しました。詩は晩年、入院当時のことを回想して書かれたものですが、実はこの岩手病院には、賢治にとって忘れられない思い出がありました。
 入院した賢治は、岩手病院の看護婦高橋ミネさんに恋をしてしまいました。賢治の初恋でした。このことは、賢治研究者の間でも知られていますが、恋の相手のミネさんの人となりについては、わずかな情報しかありません。
 賢治が岩手病院と縁があったことから、父兄会報の編集委員では、入院中に生まれた賢治の初恋を追って、父兄会報で皆様にお知らせすることにしました。過去の職員録の探索に始まって、盛岡在住の賢治研究者への問い合わせなど、様々な方向から賢治の初恋を探りました。ミネさんの写真でも見つかればいいのだが…。そんな思いで調べましたが、結局新しいことは分かりませんでした。 賢治の初恋について、賢治研究家で「宮澤賢治愛の宇宙」の著書がある牧野立雄さんは「賢治が一方的に思っていただけでしょう。でも両親には、ミネさんと結婚したいとまで言っている。賢治という人はなかなかの自信家ですから、自分一人で結婚するのだと決めていたんですよ」と話しています。同じく研究家の吉見正信さんは「ミネさんは北海道にお嫁に行って、その息子さんが札幌に住んでいます。息子さんに尋ねたところ、賢治については何も聞いていないそうです。恋心はあったのでしょうが、ただ詩のなかで謳っただけではないでしょうか」と分析しています。賢治の初恋やその相手について、もっと詳しく知りたいと思う方も少なくないと思います。しかし、その反対に、せっかくの初恋だからそっとしておきたいという気持ちも抱かせます。岩手医科大学父兄会報ー「啐啄」25より。と向き合う人材の育成拠点が、次代の声に応えます。2007年の春、6年制の薬学部が誕生したエポックを期に医学部・歯学部・薬学部という3学部体制で、あらたな歴史が綴られることになりました。
医師・歯科医師・薬剤師という医療人の育成に向け、それぞれの学部が高い自律性を発揮しています。また、学部の枠を超えて医・歯・薬の連携が深化している点も本学の大きな特徴です。
教育・研究の両面でリレーションが強まり、たゆまぬ協働の精神が具現化。さまざまな視点で培われる成果は、ひろがりと奥行きのある学びに結びつくでしょう。それぞれの分野で専門性を培うとともに多面的な探求へ邁進できる環境は、医療系の総合大学だからこそ実現できます。
さらに、20を超す診療科を擁する附属病院は、臨床での実践に即して学ぶ貴重な場とも位置づけられます。こうして教育力と研究力、そして臨床力が有機的に結びつき、先端的かつ学際的な指向をも育める。岩手医科大学の比類なき魅力は、この点に集約されます。 』とも書かれていますようにこれからは、医学部と薬学部の壁の隔たりを取りいた医療系総合大学の医療技術と薬理の専門性により地域医療に貢献する時代かも分かりません。

本学の目的と使命 には、岩手医科大学の創立者三田俊次郎先生の「医師である前に誠の人間たれ。」本学の目的は、医学教育、歯学教育及び薬学教育を通じて誠の人間を育成するにある。すなわち、まず人としての教養を高め、充分な知識と技術とを修得させ、更に進んでは専門の学理を究め、実地の修練を積み、出でては力を厚生済民に尽くし、入っては真摯な学者として、斯道の進歩発展に貢献させること、これが本学の使命とする所である。(学則/第1章・第1条) 」』

岩手医科大学の創立者三田俊次郎先生の「医師である前に誠の人間たれ。」の精神を地域医療と僻地の医師不足と医師数確保の為生かし、北海道に新しい医学部が認可されるべきです。国立の北海道大学医学部と旭川医科大学と公立の札幌医科大学の国立、公立大学の垣根を越えた相互連携と北海道庁の支援と協力でだ、医学部新設には定員80人でも最低200億円弱の建設・設備費用も解決出来、既存の大学や医療界からは「医師の質が保てない」「医療崩壊をかえって増幅する」との反発にも対処出来るのではないでしょうか。これからは、官民一体と地元の自治体との相互連携協定を結ばないと私立大学医学部の新設は難しいのではないでしょうか。新しい私立の新設医学部創設は、地域社会や地域住民とのグローカル化を目指す必要が有ると思います。地域医療、僻地医療の現実や医師不足も考えて私立大学の新設医学部の認可は考えるべきではないでしょうか。

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