新聞を見ていると気分が暗くなりそうです。
東日本大震災の悲惨な被害、日本経済の先行き、失業と貧困、
近隣国との難しい外交、沖縄の基地問題、少子高齢化など、
悲観的になる理由はいくらでもあります。
しかし、実をいうと私は日本の未来に楽観的です。
政治家は、最悪の事態を想定して危機感を持ちつつも、
適度に楽観的であるべきだと思っています。
危機管理という言葉をはやらせた佐々淳行氏(警察OB)は、
「悲観的に準備し、楽観的に対処せよ」と仰っています。
恐怖感をあおり暗い話ばかりして、国民を意気消沈させるのは、
政治家のやるべき仕事ではないと思っています。
何となく日本では、悲観的なことをいう人が知的で、
楽観的なことをいう人は、能天気な印象を持たれます。
しかし、大震災後だからこそ楽観性が大事だと思います。
適度な危機感は、団結してがんばるためのバネになりますが、
過度の悲観性は、あきらめにつながる恐れがあります。
あきらめないためには、将来の夢や希望が必要です。
夢や希望を持ちがんばるためには、適度の楽観性が必要です。
日本の未来に楽観的になれる理由はいくつもあります。
第二次大戦終了時の日本の人口は、約7,300万人でした。
戦争で亡くなった方は、約310万人にものぼりました。
大ざっぱにいえば、7,600万人のうち300万人が亡くなっても、
日本は立派に立ち直り、世界第二の経済大国になりました。
東日本大震災の死者・行方不明者は約2万4千人です。
第二次大戦と震災を比較するのは不謹慎かもしれませんが、
日本の人口は1億2,800万人ほどですから、被害の「割合」は、
第二次世界大戦の時よりはずっと低いわけです。
もちろん亡くなった方のご家族にとってみれば、
震災の犠牲者が10人であろうと、10万人であろうと、
かけがえのない家族が1人でも犠牲になれば大惨事です。
また、原発事故で故郷を追われた方々のことを考えると
第二次大戦との単純な比較は問題かもしれません。
福島の人たちのダメージは、被害額や被災者の人数では、
単純に計ることはできないのだと思います。
犠牲者の人数だけで単純比較するような冷血な発想は、
ほんとうは政治家としてはやってはいけないことです。
政治的に批判されることも覚悟しなくてはいけません。
しかし、マクロに見たインパクトを考えるために、
あえてごく大ざっぱに議論させていただくと、
第二次大戦のあの大惨禍から立ち直った日本が、
東日本大震災から立ち直れないはずはありません。
ルワンダは人口730万人のうち80~100万人が虐殺され、
死亡した人たちの人的損失や経済的打撃だけではなく、
国内の部族対立という根の深い問題を抱え続けましたが、
それでも復興し、「アフリカの奇跡」と呼ばれています。
紛争地の復興支援に関わってきた私としては、
東チモールやアフガニスタンといった悲惨な紛争地でも、
めげずにがんばっている人たちが多数いるのを見てきて、
同じことを日本人にできないはずがないと思います。
例えば、アフガニスタンで復興の妨げになる要因は、
水不足(砂漠みたいな土地が多い)や教育水準の低さ、
道路や通信といったインフラの不備等、多数あります。
しかし、日本は、水は豊富にあり、人材も豊富です。
生活や産業のインフラはダメージを受けましたが、
それを復旧する技術と資金は確保できます。
また、震災後の東北の被災者の皆さんの我慢強さや規律、
助け合いの精神は、世界で賞賛され、日本人に感動を与え、
日本人の強みを再認識させてくれました。
政治のだらしなさばかりが目立っていますが、
今は政治・行政の大改革のチャンスでもあります。
東電と経産省と政治家による政官業の癒着の問題が、
あらためてスポットライトを浴びるようになりました。
経産省から東電への天下りや東電労組の政治的影響力等が、
原発事故をきっかけに表に出てきました。
震災をきっかけに古い政官業のしがらみを断ち切り、
健全な政治・行政・経済の仕組みをつくる契機にすれば、
日本をより良い国にできると思います。
最悪の事態を想定して危機感と緊張感を持ちつつも、
未来に対して適度に楽観的になり、前向きに発想し、
新しい日本をつくっていくことが政治家の務めです。
そういう観点で次の総理を決めるべきだと思います。
単に数合わせやむき出しの権力闘争で総理を決めずに、
未来に対するビジョンや理念で総理を決めたいものです。