■日本語・日本食
万世一系・君が代
食料自給率アップ
世界保障通貨としての円(縁・円滑)
官僚制を崩し過ぎない
今日は、5つ。
何か、あなたがこれからお役に立てそうなことありますか
ニュースを読まねば様newsyomaneba.seesaa.netから送られて来ましたトラックバックを転載させて頂きました。御高覧下さいませ。
2011年06月21日 <グリーンピースが調べた福島市内のショッキングな放射線量あまりマスコミでは報道されなかったようだが、国際環境保護団体グリーンピースが2回に渡り福島第1原発の周辺の避難地域を調査し、その内1回目では日本政府と異なる見解を示し、2回目の調査では日本政府と異なる調査結果を出していた。
まず9日、グリーンピースは、福島第1原発から約60キロ圏内の放射線が高い地域から、少なくとも子どもと妊婦は避難させるべきであり、そのために日本政府は資金や輸送などのあらゆる支援を行うべきであるという調査結果を発表していた。
このときにグリーンピースが行った調査結果による放射線量の結果は、ほぼ日本政府の発表と同じだった。
しかし、その放射線が子どもや妊婦に与える危険についての見解は、全く異なっていた。
グリーンピースのクミ・ナイドゥ(Kumi Naidoo)事務局長は、放射線に汚染された表土を除去した後の保育施設を訪問して語った。
「福島の人びとは放射線と情報不足という2つの問題に直面している」
また、同じくグリーンピースのヤン・ベラネク(Jan Beranek)氏はチェルノブイリ原発事故の調査を行った人物だが、日本政府が子どもの年間被曝線量の上限を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに引き上げたことに対して、全く容認できない基準であり、正当化もできないものであると非難した。
ヤン・ベラネク氏は言う。
「チェルノブイリ原発事故後、当時のソ連政府は年間被ばく線量が5ミリシーベルトを超える地域に住む人の避難を決めた。」
この当時のソ連の基準の4倍もの基準を日本政府は設定したのだ。
特に成長期の子どもは放射線の影響を受けやすい。ヤン・ベラネク氏は、日本政府の基準で判断せず、マスクをし、風のある日は外出を控え、手に放射性物質が付着している可能性があるときは飲食しないことを訴えた。
そして、日本政府は正しい情報を提供すべきであると訴えた。
福島市在住の中手聖一氏(50歳)は、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」を結成し、その代表となっている。中手聖一氏は、政府が子どもの年間被曝線量の上限を1ミリシーベルトから20ミリシーベルトに突然引き上げたことに怒りが隠せない。
既に浪江町、飯舘村という福島第1原発の北西が汚染されていることは知られているが、福島市も危険ではないかという憶測は飛んでいた。
中手聖一氏は言う。
「浪江、飯舘のようにまんべんなく放射線量が高いのではなく、いわゆるホットスポット(突然数値が高くなる場所)があちこちに隠れているのが福島市なんです。でも政府が『安全だ』と言い張るから住民の危機意識が低い。そのことが事態をより深刻にしています」(2011年06月21日 週刊現代)
「直ちに問題はない。」といいながら対応を先延ばしにしてきた政府を信用できるはずもない。
「国が何もしてくれないなら、自分たちで考えて動くしかない」
中手聖一氏が「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」を結成したのはそのような切羽詰まった心情からだ。
そしてその思いを受けて動いたのが、再びグリーンピースだった。7日にグリーンピースのスタッフが福島市内の再調査を行った。
実はグリーンピースは早くも4月11日(つまり震災後1月後)には菅直人首相に次の要請を出していた。
「放射線量が依然として高く、人口も多い福島市や郡山市を含む地域を『特別管理地域』と指定し、汚染度の高い地区を除染するなど適切な措置を早急にとること」
結局、政府はこれを無視した。そういう政府である。
グリーンピース・ジャパンの佐藤潤一事務局長は指摘する。
「現在は学校の校庭や幼稚園、保育園の園庭の土壌汚染ばかりクローズアップされていますが、校庭・園庭が大丈夫なら安全といえるのでしょうかか。」
つまり、通園路、通学路の危険は全く無視されていることを指摘しているのだという。また、子どもたちが遊んでいる公園も危険だという。
そして保護者たちからの希望もあり、このたび再調査が行われるに至った。
グリーンピースとしては、日本政府が正確な情報を配信していないことに国際社会が納得していないことを上げ、このたびの調査にはグリーンピース本部のトップであるクミ・ナイドゥ事務局長が直々に参加した。また、チェルノブイリ調査も経験している前述の核・原子力問題担当部長のヤン・ベラネク氏も参加した。
彼らが如何に福島市の実態を危険視しているかが分かる。
調査結果を簡単に紹介したい。以下は2011年06月21日付けの「週刊現代」に掲載された調査結果の抜粋である。
まず、福島市役所から車で5分ほどの場所にある公園で調査を始めた。
公園の隅に盛られた土からは早速高い6.3マイクロシーベルト(毎時。以下同様)。
公園に積もっていた枯れ葉からは4.2マイクロシーベルト。
「こうして放置された枯れ葉が風で舞い散ると、汚染が拡大することになる」と言う。
トイレ裏の雑草からは9.1マイクロシーベルト。
トイレ入り口の排水路付近からは12.5マイクロシーベルト(!)。
以上の数値を知らされて、同行していた保護者たちが驚いた。もはや子供達を公園では遊ばせられないという。
そしてこの調査でグリーンピースが注目した結果が検出された。それは、セシウム134、セシウム137以外に、コバルト60が検出されたことだ。
原子力工学が専門の九州大学特任教授・工藤和彦氏はこの結果を重視する。
「コバルト60は自然界に存在しない人工の放射性物質で、半減期が5・3年と長い。60km離れた福島市で検出されたことは、原子炉のメルトダウンによって一定量のコバルト60が放出されたことを証明する、重大な事実です」(2011年06月21日 週刊現代)
グリーンピースのメンバーは続いて市立渡利中学校に向かっている。調査した公園の近くだ。
市立渡利中学校では工程の表土を削る作業が行われていた。削り取った表土は敷地内に穴を掘って埋めてある。
実は市立渡利中学校の土俵除染が始まる前に、中手聖一氏が独自で調べたときは、なんと一部の土からは360マイクロシーベルトの記録が出ていた。
それでは表土を削り、除染した後の土はどうか。
残念ながら45マイクロシーベルトが検出された。
この値は年間で240ミリシーベルトとなり、基準値の12倍となる。この段階でヤン・ベラネク氏は防護服を着用した。それだけ危険ということだ。しかしその向こうでは通常通り授業が行われていることが見えた。ヤン・ベラネク氏の防護服の方が大げさだと言わんばかりの風景になっている。
次に渡利中学校から約200m離れた私立保育園の通園路を測定した。
歩道の側溝は約2マイクロシーベルト。
保育園の正門が見える位置にある剣道場周辺で19.6マイクロシーベルト(!)。
ここは雨樋から水が流れ落ちる場所だった。この数値をヤン・ベラネク氏が解説する。
「一般的に汚染度が高いのは、植物の生えているところ、土がむき出しの地面、コンクリートやアスファルトの順番です。そしてもっとも危険なのが、雨どいの排水口の下なのです。それが溝などに繋がっていればまだマシですが、地面に垂れ流しになっていると危ない。屋根に降り積もった放射性物質が雨で流され、排水口の下にたまるんです。そこが土の地面だったり、植物が生えていたりすれば、数値はより高くなる。だが、福島の人々はその事実をほとんど知りません」(2011年06月21日 週刊現代)
先の剣道場玄関脇の雨どいの下、35マイクロシーベルト(!)。
以上の調査結果に対し、グリーンピースのクミ・ナイドゥ氏は語る。
「いまフクシマは、親が住むのに世界で一番つらい場所かもしれない。誰もサポートしてくれない。子供に何もしてやれない。私の出身地、南アフリカもそうでしたが、子供に危険が迫った時、守ってやれないのは親として悲しく切ないことです。今日はその現実を目のあたりにしました」(2011年06月21日 週刊現代)
この調査結果が示す数値は、福島市内が既にチェルノブイリでは避難区域に指定されていた地域並であることを示している。
しかし、日本政府はグリーンピースの警告に耳を傾けていない。
ブログ:桜和尚の震災復興応援歌”死を見つめ 今を生きる”
"岩手から全国に広がった樹木葬「これからのお墓を考える」こんなテーマでブログを始めましたが、3/11大変なことが起こりました。故郷石巻を中心に、こんな時僧侶として何ができるか?・・・を悩みながら書いています。
プロフィール
政府の復興原案に「鎮魂と追悼が復興の原点」とあるように、亡くなった多くの方々の魂を鎮め、冥福を祈るために”手合せ桜”を犠牲者の数だけ植樹し、復興を誓う活動です。
人と人との”縁”を結び手を合わせ、犠牲者への祈りと、復興を祈る桜を植え ていきましょう。 メルマガ始めました
◆緊張の糸が切れた時
被災者の一般的な心理変化の記事が、新聞に載っていた。
大きなストレスがあると、最初
①ぼう然自失期が来る。
これは、ショックでぼう然(気分は消極的、抑うつ的)
次に、②ハネムーン期(互いが強い連帯意識、積極的な気分、一見元気)
そして、③幻滅期(被害や復旧の差が出始める、無力感、疲労感、地域の連帯感が失われる)
最後に④再建期(現状を受け入れ将来のことを考えることが可能)
とてもよく理解できる心理変化のパターンである。
これを、自分に当てはめてみる。
①は、ラジオで「何々地区壊滅状態」と耳にしても、何のこと??ウソだ!と意味が分からない信じられない時期のことか?
②よし、炊き出しやるぞ!と意気に燃えたり、「何かの為に・・・しなければならない」という使命感のようなもの。
③は疲労感が出てきて、これだけやったんだから・・・もういいか。などという限界を自分で納得させる時期。
④受入れの時期。将来に向けて何をやらなければならないか?目標が定まる。
すべて自分にも当てはまるから不思議だ。
もっと早くこの心理がわかっていれば、自分で自分を今より冷静に観察できたかも知れない。
怒りも、悲しみも、人間の心理から来るものであれば、
「あー今自分は今、怒っている、悲しんで泣いている、ちょっと興奮しているナ」と気付くことで、客観的に自分を見ることができる。
織田裕二の名セリフ「き き きたー」の目薬のコマーシャルのごとく、自分で自分に怒りが来たーと思えば、自分を見失って異常に怒ることはない。怒りに燃えて自らを失うこともない。
涙が出るのも、アー自分は涙が出て悲しいんだ。
泣いている自分を、外から見ることで、落ち着くのだと思う。
そんなことは理屈でわかっていたとしても、現実は違う。
宮城の気仙沼市立病院にストレス外来が開設されたという。
緊張の糸が切れた時が怖い。
”東北の被災地に桜を植えよう”ということか?
2011年6月22日5時3分アサヒコム
『水産庁は21日、福島県沖の一部海域でのカツオ漁を認めると関連業界に伝えた。これまで原発事故による海洋汚染の影響がないかどうかを確認するまで自粛するよう求めていた。調査により、安全と判断した。 この時期に千葉沖から岩手沖にかけた常磐・三陸沖漁場を北上するカツオの水揚げは、宮城・気仙沼漁港の主要産業になってきた。漁港周辺では「カツオで復興を」と急ピッチの復旧作業が進んでおり、漁そのものが認められるかが注目されていた。 水産庁は、一本釣り船とまき網船の業界団体に対し、安全性が確認できるまで福島沖(北緯37度より北)での操業自粛を求めていた。同庁によると、沖合約880キロでのサンプル調査で採取したカツオから検出された放射性セシウムは5~5.5ベクレルで、基準(1キロあたり500ベクレル)の100分の1程度だった。放射性ヨウ素は出なかった。』
カツオも千葉沖から岩手沖にかけた常磐・三陸沖漁場を北上していますので、今後とも放射線物質の測定調査は必要と思います。沖合約880キロでのサンプル調査で採取したカツオから検出された放射性セシウムは5~5.5ベクレルで、基準1キロあたり500ベクレルの100分の1程度で、放射性ヨウ素は出なかったとしても水産庁が詳しい説明をしないと放射性セシウムは5から5.5ベクレルの数値の公表だけでは漁業関係者や消費者には実際分かりにくいと思います。宮城・気仙沼の漁業協同組合の皆さんが安全に漁が出来、消費者も安心しカツオや魚貝類が食べれますように水産庁は対策を立てて取組むべきです。秋の秋刀漁にも影響しますので、今後とも正確な継続調査を行うべきです。
国会延長70日間?
昨日は菅総理と執行部の意見調整に時間がかかり、
与野党幹事長会談は流れ、衆議院本会議も流れ、
菅総理ひとりに国会は振り回されています。
菅総理の断固とした意思としたたかな計略という強みは、
震災復興や原発事故対応、外交や安全保障政策ではなく、
自分自身の延命にしか活かされていません。残念です。
国会会期の延長が70日になったと報道されていますが、
それがやっと決まったのは、国会最終日の前夜でした。
こんなに混乱した国会会期末は初めてです。
国会が70日延長というのは、8月末までということです。
私個人としてはあまり経験したことのない延長幅です。
だいたい7月から9月までは国会は閉会というのが通例です。
通常国会が終わる7月から臨時国会の始まる9月にかけては、
国会議員にとっては地元の選挙区をひたすら歩く時期です。
お祭りとか、盆踊りとか、新盆回りとか、地元活動に集中し、
選挙区の人たちと触れ合う時期です。
しかし、百年に一度といわれる大災害のあった年ですから、
国会を閉じずに、いつでも国会で審議できる状態に保ち、
いつでも法改正や補正予算審議ができるようにすべきです。
今年の夏は国会に明け暮れることになりそうです。
みんなの党は以前から「通年国会」を要請してきたので、
政府・与党提案の国会会期延長には反対しません。
政府・与党が提案している国会延長期間の70日といわず、
次の通常国会まで国会を開いていてもよいくらいです。
大勢の被災者がまだ避難所にいるうちに国会を閉じるのは、
国会議員としてあまりかっこいいことではありません。
他の野党も国会延長については、政府・与党に協力すべきです。
■人に崇高な哲学を教えるより、その人にひげのそり方を教えたほうが
よっぽど、その人の人生の幸せに貢献することがあります。
☆そうベンジャミンフランクリンは言われてますが、本当に、現実的で
応用できる、実際に毎日の生活の中で役立つ話は必要なんです。
あなたは最近、難しい話ばかりしてませんか?
そういう話よりも、簡単で何か行動しやすい話し方はありませんか?
天木 直人
Naoto Amaki
2011年06月22日 テレビ番組の劣化、ここに極まれり
6月21日の日刊ゲンダイにおいて、上智大学の碓井広義(メディア
論)という教授が「テレビとはナンだ!」というコラムで次のように書い
ていた。
・・・土曜夜8時といえばゴールデンタイム。そのゴールデンタイムに
放映されているTBSの「奇跡ゲッター、ブットバース!!」の先週の
番組「芸人どん底月収ベストテン~夫を支える芸人いい妻№1決定戦」は
ひどかった。
もっとも低かった月収を「どん底月収」と名付け、ランキング形式で当
の芸人とその妻を紹介していくのだ。
芸人で収入が低いのは売れていないからで、視聴者は名前も顔も知らな
い芸人ばかりを見せられることになる。第3位はどん底月収9800円。
第2位は7500円。そして第1位がズバリ0円。これのどこを笑えと
いうのだろうか。
ちなみに、司会はネプチューンだが、彼らは立派な収入を得ているはず。
またこの番組のプロデューサー氏の父親はTBSの朝の番組を仕切るみの
もんたで、ギャラが高額なことで有名。
そういうスタッフ、出演者が、売れない芸人はそんなものだとして、低
収入ぶりを笑いのネタにしている。そのセンスが情けない。土曜8時が泣
いている・・・
近年久し振りに読む名記事だ。ジャーナリズム精神に溢れた記事だ。
それにしてもいつから日本のテレビ番組はこんなに低俗になってしま
ったのか。
それを許す視聴者である日本人はこんなに醜くなってしまったのか。
こんな淋しい日本になってしまったのだろう。
了
「天木直人のメールマガジン」は、特定のイデオロギーに偏すること
なく、既存政党から自立し、反権力、脱官僚、脱対米従属、平和外交、
判官びいきの立場からメディアの裏にある真実を追求しています。
さらば日米同盟! 平和国家日本を目指す最強の自主防衛政策 価格:¥ 1,575(税込) 発売日:2010-06-22 |
このとき、狙ったかのように、否、まさにこの日を狙って、米国対日工作担当の大ボスであるリチャード・アーミテージ元国務副長官が来日、駐日米大使館内「日本管理委員会」に常駐しているマイケル・ジョナサン・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長らが午前、民主党本部を訪れ、岡田克也幹事長と会談、午後には、首相官邸で枝野幸男官房長官と会談した。その後、自民党本部にも訪問している。
アーミテージ元国務副長官は、CSISが日米の経済界と連携して進めている「復興プロジェクト」の一員として来日した。
日本経済新聞は6月21日付け朝刊によると、岡田克也幹事長が、日米協力について「具体策を率直に意見交換したい」と話したのに対して、アーミテージ元国務副長官は、「どう手伝えるか意見を聞きたい」と応え、日米協力のロードマップ(工定表)について「10月、11月をメドに発表したい」と述べたという。
アーミテージ元国務副長官が、自民党本部を訪問した際の様子については、自民党がホームページ「LibDems」が6月20日、「石破政調会長がアーミテージ元米国務副長官らと意見交換」という見出しをつけて、以下のように報じている。 「
「石破茂政務調査会長、林芳正政調会長代理は20日、党本部で、アーミテージ元米国務副長官、マイケル・グリーンCSIS(米戦略国際問題研究所)日本部長らと東日本大震災の復興などをテーマに意見交換を行いました。石破政調会長は震災への米国の支援に『唯一の同盟国のありがたさを国民等しく感じている。今回の震災・大津波を契機にわが国は新しく生まれ変わらなければならない』と謝意を伝えました。アーミテージ氏は『日本が冷静に災害に対応する姿に感銘を受けた。素晴らしい模範を国際社会に示した』と述べました。意見交換では、復興庁の権限、復興財源、今後のわが国のエネルギー政策などについて話が及びました。両氏らはCSISが、経団連の協力を得て今秋に提言する『復興と未来のための日米パートナーシップ』の取りまとめ作業の一環として3日間の日程で来日しています。会談には、宮沢洋一政調副会長、小野寺五典外交部会長、加藤勝信副幹事長、齋藤健政調事務局長も同席しました」
◆さて、「復興と未来のための日米パートナーシップ」とは、聞こえはいいが、米国経済界側の狙いは、東日本大震災からの復興事業が、「20兆円~50兆円」規模になると予測されていることから、米国最大のゼネコンである「べクテル社」をはじめとする企業をこの世紀の巨大プロジェクトに参入させることにある。「べクテル社」は、米国最大財閥のデイビッド・ロックフェラー傘下のゼネコンであり、イラク戦争のときは、米軍の猛烈爆撃で破壊されたバクダッドの再建ビジネスを独占して大儲けした。だが、「べクテル社」を含めて米国企業の多くは、不況下にある米国経済のなかで、苦しい経営を強いられているだけに、この巨大プロジェクトに起死回生を賭けている。「3.11」の大震災の復旧作業を進めるのに当たり、米国のプレハブ業界から「仮設住宅建設に参加させて欲しい」という強い要請があり、日本側は、これを受け入れてきている。米国側は、「トモダチ作戦」と称して航空母艦「ロナルド・レーガン」や海兵隊を大量投入して、被災者の救出や支援物資の提供を積極的に展開してくれた。このため、復旧・復興事業から排除はできない。
◆もう1つ、忘れてはならないのは、デイビッド・ロックフェラーが策動していると言われる「東京電力の乗っ取り作戦」である。米CIA軍事部門の大ボスであるアーミテージ元国務副長官、部下であるマイケル・グリーン戦略国際問題研究所(CSIS)日本部長の「大親分」が、デイビッド・ロックフェラーであることにも、留意すべきである。東日本大震災からの復旧・復興事業のドサクサに紛れて、「東京電力の乗っ取り作戦」を着々と進めているという現実を直視する必要がある。「トモダチ作戦」の裏には、狡猾なビジネスが仕込まれていたということだ。
だが、米国側の「対日工作」は、こんなことだけに止まらない。もっと大事なモノを狙ってきているのである。以下、有料ブログにおいて解説しよう。
本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
ディビッド・ロックフェラーの子分で米CIA軍事部門大ボスのリチャード・アーミテージ元国務副長官が、日本銀行の「奥の院」に入るといい、その目的は?
◆〔特別情報①〕
米国最大財閥のディビッド・ロックフェラーの子分で米CIA軍事部門の大ボスであるリチャード・アーミテージ元国務副長官(ブッシュ政権1期目)が、来日しているのは隠された使命と目的がある。それは、日本郵政が保有している資金160兆円から、「40兆円~50兆円」を提供させることである。はっきり言えば、「よこせ」と強圧的に菅直人政権に要求してきているのだ。
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『自・社連合が小沢一郎への逆襲をはじめた』1994年7月30日刊
もくじ
2章 田中角栄門下生たちによる骨肉の争い
―自民党内の小沢一郎包囲網の暗躍
亀井静香がなりふり構わず集めた、細川護煕のダーティ情報
野党に転落した自民党は、一時、虚脱感に襲われていた。だが、しだいに元気を取戻し、平成六年に入ってから、檸猛なまでに政権奪還の意欲を示し、水面下で猛烈な工作を開始していた。このように、「平成動乱」の最中、自民党の核分裂は、とめどなく続いていたので、これを食い止め、組織防衛を図るためにも、たとえ、「汚い」と非難を浴びようとも、非常手段を使うしかなかった。
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四王天延孝陸軍中将の名著「猶太(ユダヤ)思想及運動」 No.118
第二章 第一世界大戦
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時事通信 6月22日(水)11時3分配信 【シカゴ時事】米国中部ミシガン州で母、義父と暮らす7歳の男児が20日午前、別居している実父に会いたい一心で義父の車を運転、自宅から約32キロ以上離れた道路で、地元警察に無事保護された。男児は時速80キロで走行していた。
地元メディアによれば、「子供が車を運転している」との通報を受けて現場に急行したパトカー2台が、前後から車を挟み込む形で減速、停止させた。男児は素足にパジャマ姿で、泣きじゃくりながら「パパの所に行きたい」と何度も訴えたという。 』
この男のお父さん好きだったのですね。パパを尋ねて約32キロですね。7歳の男児自動車の運転が上手なんですね。交通事故も起こさずにに良かったですね。アメリカでも子は、鎹と言われる通りと思いますが。
"ダイヤモンド・オンライン" 2011年6月22日(水)08:40 『ドライアイを「単なる目の乾き」「気にはなるけど、ほっとけば治る」なんて、気楽に考えている人はいませんか。確かにその名のとおり、ドライアイは目が乾いて起きる生理症状。それ自体は深刻なものではありませんが、だからといって決して甘く見ることもできません。
目が乾く理由の多くは涙の分泌量が減ってくるからですが、ほかにも原因はあります。たとえばまぶたの縁にある皮脂腺であるマイボーム腺がつまることで涙の質が低下して蒸発しやすくなる。あるいは、涙の量は正常でも排出が悪いと汚れた涙がたまり、涙目なのにドライアイ症状になることもあるようです。 乾いた目を濡らせば治るとばかり、市販の点眼薬のみで対処していても、なかなかよくならないのはそのため。ほかの病気同様、やはり原因を断たないと根治は難しいものがあるようです。症状が軽い、または初期の場合の対処法として多くの眼科専門医が推奨するのは「とにかく、目を温めること」。特にマイボーム腺梗塞がある場合には効果的といいます。 浴用タオルを濡らして絞り、ビニール袋に入れて電子レンジで1~2分温めてから数分目の上に置くだけでずいぶんスッキリします。』
- (読売新聞) 2011年06月21日 13時44分 『尾びれによって体内を自力で進むカプセル型の内視鏡を使い、人の胃や腸内部を撮影することに、大阪医大www.osaka-med.ac.jp/ ) や龍谷大などのチームが成功し、21日発表した。 消化管内を自由に動き回り、狙った患部を観察できる。数年以内の実用化を目指す。 長さ2・5センチ、直径1・2センチの錠剤型カプセル内視鏡に、磁石を内蔵した樹脂製の尾びれを装着。N極とS極を高速で入れ替えることでひれを動かす。胃の撮影では口からのみ込み、大腸では肛門から座薬のように入れる。尾びれの長さも部位によって変え、胃は2センチ、大腸は4センチ。 カプセル型内視鏡は既に実用化されている。だが、のみ込んだ後に腸のぜん動運動によって移動するだけなので、胃は撮影できず、大腸は到達するまでに10時間程度かかっていた。』
胃カメラの検査、上部 消化管内視鏡検査も検査を受ける側は、鼻から入れるようになり従来より性能が向上したと言われてもやはり技術の上手、下手も有りますし検査を受ける側は苦痛を感じます。長さ2・5センチ、直径1・2センチの錠剤型カプセル内視鏡、胃や大腸の検査が出来れば検査を受ける側も楽になります。大腸内視鏡検査は、検査する先生も検査を受ける人も大変です。前の日から食を断ち腸の洗浄する為に薬を大量に飲まなくてはなりませんし高齢者はトイレの往復で疲れます。検査をする医師も鼻の嗅覚が麻痺してしまったと伺いました。胃も大腸の検査も検査を受ける人も医師の負担も減れば。早期発見早期治療に繋がるのではないでしょうか。錠剤型カプセル内視鏡もこれから性能が向上し胃から飲み込めば直腸まで総て検査出来る時代が来るのではないでしょうか。医学と最新工学の共同研究の時代到来と言えます。
HOME > 自走式カプセル内視鏡がヒトでの撮影に成功。記者発表を実施。
2011年6月21日
龍谷大学(理工学部機械システム工学科・西原弘訓教授のグループ)、株式会社ミュー(代表取締役大塚尚武・龍谷大学名誉教授)、大阪医科大学(内科学第Ⅱ教室・樋口和秀教授のグループ)は、共同研究によりヒトにやさしい消化管内視鏡検査につき、自走式カプセル内視鏡と駆動装置の開発に取り組み、2009年に生体内(犬)での可動・撮影実験に成功し、国際専門雑誌に発表しました。その後、さらなる改良を加え、人体への応用を目指し研究を続けてまいりました。
このほど、自走式カプセル内視鏡を胃の場合は口から飲み、大腸の場合はお尻からの挿入でヒトでの可動・撮影実験に成功し、この成果を米国シカゴで開催された世界最大規模のDDW(米国消化器病週間)国際会議において2011年5月7・8日に学術発表いたしました。また、本学会のプレスカンファレンスでも取り上げられ注目を集めました。自走式カプセル内視鏡で大腸での人体実験は世界で初めてで、胃部も一部例はあるものの、マイクロマシンで自走するタイプでの人体実験は初めてで、将来人体内の全消化管の内視鏡検査に道を開くことができる画期的な実験が成功したと言えます。
<開発の背景>
小腸の観察が、これまでの通常内視鏡システムでは不十分なため、カプセル内視鏡が開発され臨床応用可能になりました。さらに、現在、胃・大腸内視鏡検査時に伴う患者の苦痛を軽減するため、飲み込むタイプのカプセル内視鏡でその代わりになれるように研究がなされています。しかし現在臨床で使用されているカプセル内視鏡は自走式ではなく消化管の蠕動(ぜんどう)運動によって移動するタイプであり、任意の位置や方向に制御することができず、胃のような空間の大きな臓器内を自在に観察することもできません。将来期待される一つのカプセルで全消化管を一度に検査するためにも、自走式カプセル内視鏡が必要です。
<自走式カプセル内視鏡の駆動装置・ヒトでの研究の概要>
開発中の自走式カプセル内視鏡の駆動装置は、交流の磁場を発生させ制御する装置、及び小型磁石とヒレを組み合わせたマイクロマシンで構成します。体外のジョイスティックでマイクロマシンの動く速さや方向を自由自在に変えて運動をコントロールすることができます。今回の研究は、前回の動物の実験に対して、駆動装置の改良で体内での推進力を向上するとともに、マイクロマシンの小型化、柔らかい材質への改善により、からだに優しい設計とし今回の人体実験が可能となったもので、自走式カプセル内視鏡を胃の場合は口から飲み、大腸の場合はお尻から挿入し、ヒトへの応用で胃・大腸内視鏡のように粘膜の観察・写真撮影ができるかを検討しました。まずは、臨床応用への第一段階をクリアーしましたので、本日の記者発表に至りました。
津波の巣――。いつしか人々は、岩手県から宮城県にかけての三陸地方をこう呼ぶようになった。三陸地方は、過去、地震に伴う大津波に何度も襲われたことで知られている。 今年3月11日、この三陸沖で世界観測史上5番目、日本観測史上最大となるマグニチュード9.0の大地震が発生し、沿岸の自治体を最大40.5mの巨大津波が襲った。岩手県と宮城県の死者・行方不明者・負傷者数は、今回の震災で発生した人的被害の9割近くを占め、2万5000人を越えた。
「津波は矢のように早い」「少しでも逃げ遅れたら命の保証はない」
1896年の「明治三陸大津波」や1933年の「昭和三陸津波」で多くの犠牲者が出たこの地域では、大津波の恐怖をこう語り継いで来た。その恐怖が風化しかかっていた21世紀、大津波は人々の記憶の隙間につけこむかのように、再び牙を剥いたのだ。 テレビニュースで津波が襲来する模様を見ていた全国の人々も、現地の人々と同じ恐怖を共有したに違いない。
津波発生当時、不気味な大渦が発生した大洗港。記者が訪れたときは、何事もなかったかのようにのどかな雰囲気だった。
その一方、今回の大震災に伴う津波で深刻な被害を被りながら、1人も犠牲者を出さなかった自治体をご存知だろうか。それが茨城県大洗町である。
被害規模が大きい東北三県(岩手、宮城、福島)の陰に隠れて目立たないものの、茨城県が被った被害は小さくない。家屋倒壊などの被害が多かった北茨城市に加え、この大洗町も津波の猛威に晒された。
しかし大洗町では、負傷者が6名出たものの、津波による行方不明者と死亡者はゼロだった(正確に言えば、地震により1名の死亡者が出ている)。同町は「過去に台風などによる浸水被害が出たことはあるが、津波を経験するのは今回が初めて」(町役場の職員)という。現在の住民に津波の経験がないのであれば、被害が拡大する可能性は高かった。にもかかわらず、犠牲者が1人も出なかったのは不幸中の幸いと言える。 県庁所在地の水戸から自動車で約30分、太平洋岸に位置する大洗町の人口は、約1万8300人。県内有数の漁業基地として知られ、夏季は50万人を超える海水浴客で賑う観光地としても知られている。』
1896年の「明治三陸大津波」や1933年の「昭和三陸津波」で多くの犠牲者が出たこの地域では、大津波の恐怖をこう語り継いで来たことが、津波から命を救ったと言うことです。昔の人の経験と教えは、尊重し、大切に語り継いでいかなければなら無いと言うことです。人生経験豊かなお年寄りからのお話や智恵に耳を傾ける必要が有ると思います。防災への教訓とも言えます。