いわき市の私立さかえ幼稚園の吉田元園長は「線量計はありがたいが、放射線量を下げる対策に財政支援がほしい」と訴える。
原発事故の後、保護者から「子供の成長に影響はないのか」と不安の声が多数寄せられた。窓を閉め切っていたため、園児に風邪が流行。外気を遮断し、内気を循環させるエアコンを導入しようとしたが、1000万円掛かるという。吉田園長は「転居や避難で園の収入が減った。とても厳しい」と頭を抱える。』こ時事通信 6月5日(日)14時43分配信
『 背後を気にしながら高台を目指す子供たち。小学生は、中学生に手をひかれている。これは東日本大震災の大津波から避難する岩手県釜石市の鵜住居小学校(361人)、釜石東中学校(222人)の避難の様子を、住民が撮影した貴重な写真だ。釜石市内の児童・生徒はほぼ全員が無事に逃げ延びた。「釜石の奇跡」といわれる避難はどのように行われたのか。南海地震の大津波に備える西日本にとって学ぶべきことは多い。
原則1「想定、とらわれるな」
海岸からわずか約1キロの鵜住居小では地震直後、校舎3階に児童が集まった。地震では建物自体は被害がなかったことや浸水想定区域外だったのが理由だった。海岸から近いにもかかわらず浸水想定区域外だったのは、明治、昭和の津波で被害がなかったからだ。 しかし、児童が3階に集まり始めたころ、隣接する釜石東中では生徒は校庭に駆け出していた。校内放送は停電のため使えなかったが、これを見た児童たちは日頃の同中との合同訓練を思い出して自らの判断で校庭に駆け出した。 児童・生徒ら約600人は、500メートル後方にある高台のグループホームまで避難。ここも指定避難場所だったが一息つく間もなく、裏側の崖が崩れるのを目撃する。危険を感じて児童生徒はさらに約500メートル先の高台にある介護福祉施設を目指した。その約30秒後、グループホームは津波にのまれた。
背後から聞こえる轟音と防潮堤にぶつかる白い波しぶきを見た児童・生徒はたどり着いた介護福祉施設からさらに高台へ駆けた。写真はまさにこの時の様子だ。津波は介護福祉施設の約100メートル手前で止まった。すべてが避難開始から10分足らずの出来事だった。
「間一髪で小学生全員が津波に巻き込まれるところだった」と、釜石市の小中学生の避難行動を調査した群馬大学大学院災害社会工学研究室の片田敏孝教授と金井昌信助教。もちろん津波は小中学校をのみ込み、鵜住居小では3階まで流されてきた自動車が突き刺さっていた。
原則3「率先し避難せよ」
釜石市教委は平成17年から片田教授らとともに防災教育に取り組んでいたが、翌年の千島列島沖地震の際には避難率は10%未満だった。このため、片田教授は子供たちにも登下校時の避難計画も立てさせた。津波の脅威を学ぶための授業も増やし、年間5~10数時間をあてた。そして、「避難3原則」を徹底してたたき込んだ。(1)想定にとらわれない(2)状況下において最善をつくす(3)率先避難者になる。今回の大津波で児童が校舎3階から校庭に駆け出して高台に向かったこと、中学生が率先避難者となって小学生を導いたことなどすべてが「避難3原則」にあてはまる。「 市内では、すでに7割の児童が下校していた釜石小学校(児童184人)もあったが、全員が無事だった。祖母と自宅にいた児童は、祖母を介助しながら避難▽指定避難所の公園にいた児童は津波の勢いの強さをみてさらに高台に避難するなど、ここでも「避難3原則」が生かされていた。』
<script language="JavaScript" src="http://seel.peevee.tv/img/pluginv1_hdsd.js"></script><script language="JavaScript" type="text/JavaScript"></script>【動画】「77年前の恩返し」 函館から三陸へ漁船228隻寄贈
岩手県の久慈港へ運搬するため、台船に積み込まれた漁船=4日午前10時49分、北海道函館市、朝日新聞社ヘリから、森井英二郎撮影
津波で多くの船を失った三陸へ、228隻の中古船が贈られる。北海道函館市の港から岩手県の久慈(くじ)港に向け、4日午後、台船に載せられて出発した。思いがけない応援に驚く久慈市漁協に、函館市は「77年前の恩返し」と説明している。 函館市東部にある椴法華(とどほっけ)漁港。乗組員らが出港前、小型漁船が台船にしっかり固定されているか最終確認した。 台船には「がんばれ東北!! がんばれ久慈!!」の横断幕。漁船集めに尽力した市内5漁協のうちの一つ「南かやべ漁協」の小川正毅専務理事は「漁師にとって船は命。同じ漁師として、何かしたいという思いが集まった。みんなの思いを込めて贈りたいです」と話した。 久慈市漁協は漁船617隻の93%を津波で失った。3月末、船で救援物資を久慈港へ届けた函館市から「何か出来ることはないか」と問われ、岩手県北部の同漁協は「6月にはウニの漁期を迎えるのに船がなくて出られない」と苦境を伝えた。ほどなく函館市から「中古の船を譲りたい」と返事が来た。「昭和9(1934)年の函館大火の恩返しです」 大火で2800人余りの死者・行方不明者が出た際、函館には久慈など岩手各地から義援金が贈られたという。「そんな昔の話、こちらで覚えている人はほとんどいないのに。ありがたい」と久慈市漁協の嵯峨松男参事は驚きながらも喜んだ。 』
東日本大震災の津波で多くの船を失った久慈市漁協に228隻の中古船が函館市漁協から贈られるのは心暖まるニュースです。昭和9(1934)年の函館大火で2800人余りの死者・行方不明者が出た時に函館には久慈など岩手各地から義援金が贈られたことを忘れずに77年目の忘れられていなかった恩返しです。函館大火の義捐金の事はずっと忘れられずに言い伝えられて来たと思います。平成の世になっても日本人の義理と人情も未だ廃れていないと言う函館市漁協からの久慈市漁協の皆さんへの船の贈り物です。昔から義理はお金では返せても、恩は、お金では返せないと言われています。函館市漁協の皆さんからの「がんばれ東北!! がんばれ久慈!!」の願いが込められた漁船で、今月はたくさん雲丹が取れますように心からお祈り申し上げます。
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YouTube: とんぼ 長渕 剛
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YouTube: 歌手の長淵剛さん、被災地の墓地、避難所、自衛隊基地訪問
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YouTube: 乾杯、、、、、長淵
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YouTube: 軍艦行進曲~旧海軍軍楽隊有志~
地理 | |
---|---|
場所 | 南シナ海 |
座標 | 北緯8度38分 東経111度55分 / 北緯8.633度 東経111.917度 / 8.633; 111.917座標: 北緯8度38分 東経111度55分 / 北緯8.633度 東経111.917度 / 8.633; 111.917 (南威島) |
島数 | 750 以上 |
主要な島 | 太平島 鴻庥島 北子島 景宏島 南子島 南威島 弾丸礁 中業島 西月島 |
面積 | 5 km2 (1.9 sq mi) 以下 |
海岸線長 | 926 km |
最高標高 | 4 メートル (13 ft) |
最高峰 | 南子島 |
国 | |
州 | サバ州 |
州 | パラワン州 |
省 | 海南省 |
直轄市 | 高雄市 |
省 | カインホア省 |
住民 | |
人口 | 原住民なし |
南沙諸島 | |||||||||||
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中国語 | |||||||||||
繁体字 | 南沙群島 | ||||||||||
簡体字 | 南沙群? | ||||||||||
| |||||||||||
英語 | |||||||||||
英語: | Spratly Islands | ||||||||||
フィリピン語 | |||||||||||
タガログ語 | Kapuluan ng Kalayaan | ||||||||||
マレー語 | |||||||||||
マレー語 | Kepulauan Spratly | ||||||||||
ベトナム語 | |||||||||||
クオック・グー | Qu?n Đ?o Tr??ng Sa | ||||||||||
チュニョ | 群島長沙 |
南沙諸島(なんさしょとう)、スプラトリー諸島(Spratly Islands)とは、南シナ海に浮かぶ約100の小さな島々。諸島全体は大変小さな島々で構成され、互いの距離は十数キロメートルから数十キロメートル程度で位置している。
一般の人が普通に居住できる環境ではなく、島そのものにはほとんど価値が無いが、海洋・海底資源が見込める。そのためベトナム、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、中華民国(台湾)、中華人民共和国が領有権を主張している。現在、島を実効支配しているのは中華民国(台湾)、中華人民共和国、フィリピン、ベトナム、マレーシアである。
インドシナ半島を植民地としていたフランスが1930年からいくつかの島々を実効支配していたが、1938年に日本が領有を宣言し、新南群島と命名。以降太平洋戦争終結まで支配していた[1]。
1951年のサンフランシスコ講和条約で領有権を放棄するまで、行政区分は昭和13年12月23日外甲第116号閣議決定により台湾の高雄市の一部としていた。リン鉱石の採取が主な産業で従事者が住んでいたが戦火の拡大により撤退した。
しかし、帰属先を明確にしなかったためにその後1949年にフィリピンが領有を宣言し1956年以降は南ベトナムがたびたび上陸。南ベトナム政府が1973年9月に同国フォクトイ省への編入を宣言したことに対し、中華人民共和国も翌年1月に抗議声明を出して領有権主張を本格化させていった。
1970年代後半に海底油田の存在が確認され、広大な排他的経済水域内の海底資源や漁業権の獲得のため、各国が相次いで領有を宣言している。また広大な地域に広がる島々は軍事的にも価値がある。中華人民共和国を含めたASEANでの会議で軍事介入はせず現状維持の取り決めが結ばれたが最近中華人民共和国の人民解放軍が建物を勝手に建設しマレーシアなどから非難を浴びている。
1983年にはドイツ人のアマチュア無線家のグループがキャンプを張っての移動運用(DXペディション)を試み、ベトナム軍の守備隊に銃撃されて死傷者が出る騒ぎになった。
1988年3月南沙諸島における領有権をめぐり中華人民共和国とベトナム両海軍が衝突(赤瓜礁海戦)し、中華人民共和国が勝利支配する。
1992年11月スービック海軍基地とクラーク空軍基地を返還し全ての米軍がフィリピンから撤退。
1995年、中華人民共和国軍の活動が活発化し、ミスチーフ礁等フィリピン主張の島を占領して建造物を構築した。この機会主義的行動が周辺諸国に中国の軍事的膨張に対する警戒心を呼び起こしたとされる。
2004年9月に、フィリピンと中華人民共和国が海底資源の共同探査で2国間合意成立。
2005年3月には、フィリピンと中華人民共和国の2ヶ国に続きベトナムも加わり、探査が行われている。
2007年11月、中華人民共和国の中国人民解放軍が西沙諸島の海域で軍事演習を行ったことや、同月中旬に中華人民共和国が中沙諸島だけでなく、南沙、西沙の両諸島にまで行政区「
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以下は今日配信した「天木直人のメールマガジン」の一部です。
「天木直人のメールマガジン」は、特定のイデオロギーに偏すること
なく、既存政党から自立し、反権力、脱官僚、脱対米従属、平和外交、
判官びいきの立場からメディアの裏にある真実を追求しています。
そのほかにも多くの政治テーマで毎日配信しています。
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定期購読申込と同時に当月配信のメルマガ全てがさかのぼって購読
できます。
◎2011年 5月配信分テーマ ⇒ http://bit.ly/lrgrEd
◎2011年 4月配信分テーマ ⇒ http://bit.ly/jPwGk1
◎2011年 3月配信分テーマ ⇒ http://bit.ly/ghVmSs
以下引用開始
□■□■【反骨の元外交官が世界と日本の真実をリアルタイム解説】
■□■
□■ 天木直人のメールマガジン2011年6月5日発行 第389号
■
===============================================================
せめて菅首相には鳩山首相の愚を繰り返さないでもらいたい
===============================================================
そのタイミングがいつであろうが権力者が辞任を口にしたとたん
終わりである。そう私は繰り返し書いてきた。
案の定わずか一日で菅首相は首相の座にしがみつくつもりはない
と「言わせられる」ハメに追い込まれた。
それでも未練がましく8月末の第二次補正にこだわっているよう
だが、おそらく6月中に辞めざるをえなくなるだろう。
いまの日本は統治者能力のなくなった者を2ヶ月も権力者の座に
遊ばせておく余裕はない。
どうせ引きずり降ろされるなら、せめて菅首相には鳩山首相の愚
を繰り返さないで貰いたい。
あの時鳩山首相は沖縄への置き土産として普天間移転の日米合意
を成立させて辞めた。
愚かだ。
米国を怒らせ、米国の圧力で辞めさせられたのだから、なぜ
「こんな日米合意など認められるか、オレは沖縄県民の側に立つ」、
と思いのたけをぶちまけて辞めなかったのか。
もしそうしていれば日本国民は目覚めたはずだ。
普天間基地問題はとっくに終わっていたはずだ。
いや対米従属の日米関係が自立に向かって歩み出していたかも
しれない。
いまそれと同じことが行なわれようとしている。今度は沖縄では
なくて原発だ。
今日(6月5日)の日経新聞は菅民主党政権は7日に予定する新
成長戦略実現会議(議長・菅直人首相)で原発政策を維持する姿勢を
示すと報じている。
愚かだ。
もはや辞める以上、しかも引きずりおろされる以上、何もおそれる
必要はないはずだ。
自らの信念に基づいて明確に脱原発を打ち出す指導力を発揮する
ことができるはずだ。
脱原発を否定できるものは今の日本に誰もいない。
いかなる政権がその後に出来ようとも、菅民主党政権で決定された
新エネルギー政策を覆すことのできる政権はあり得ない。
なぜ菅首相はせめて最後のチャンスを活かそうとしないのか。
ひょっとして菅首相は原発維持派なのか。
そうであればまさしく浜岡原発の停止要請は人気取りのパフォーマ
ンスであったというわけだ。
そのパフォーマンスが結局延命には何の役にも立たなかったとは
大いなる皮肉である。
了
引用終わり
以下は今日配信した「天木直人のメールマガジン」の一部です。
「天木直人のメールマガジン」は、特定のイデオロギーに偏すること
なく、既存政党から自立し、反権力、脱官僚、脱対米従属、平和外交、
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■□■
□■ 天木直人のメールマガジン2011年6月5日発行 第389号
■
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せめて菅首相には鳩山首相の愚を繰り返さないでもらいたい
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そのタイミングがいつであろうが権力者が辞任を口にしたとたん
終わりである。そう私は繰り返し書いてきた。
案の定わずか一日で菅首相は首相の座にしがみつくつもりはない
と「言わせられる」ハメに追い込まれた。
それでも未練がましく8月末の第二次補正にこだわっているよう
だが、おそらく6月中に辞めざるをえなくなるだろう。
いまの日本は統治者能力のなくなった者を2ヶ月も権力者の座に
遊ばせておく余裕はない。
どうせ引きずり降ろされるなら、せめて菅首相には鳩山首相の愚
を繰り返さないで貰いたい。
あの時鳩山首相は沖縄への置き土産として普天間移転の日米合意
を成立させて辞めた。
愚かだ。
米国を怒らせ、米国の圧力で辞めさせられたのだから、なぜ
「こんな日米合意など認められるか、オレは沖縄県民の側に立つ」、
と思いのたけをぶちまけて辞めなかったのか。
もしそうしていれば日本国民は目覚めたはずだ。
普天間基地問題はとっくに終わっていたはずだ。
いや対米従属の日米関係が自立に向かって歩み出していたかも
しれない。
いまそれと同じことが行なわれようとしている。今度は沖縄では
なくて原発だ。
今日(6月5日)の日経新聞は菅民主党政権は7日に予定する新
成長戦略実現会議(議長・菅直人首相)で原発政策を維持する姿勢を
示すと報じている。
愚かだ。
もはや辞める以上、しかも引きずりおろされる以上、何もおそれる
必要はないはずだ。
自らの信念に基づいて明確に脱原発を打ち出す指導力を発揮する
ことができるはずだ。
脱原発を否定できるものは今の日本に誰もいない。
いかなる政権がその後に出来ようとも、菅民主党政権で決定された
新エネルギー政策を覆すことのできる政権はあり得ない。
なぜ菅首相はせめて最後のチャンスを活かそうとしないのか。
ひょっとして菅首相は原発維持派なのか。
そうであればまさしく浜岡原発の停止要請は人気取りのパフォーマ
ンスであったというわけだ。
そのパフォーマンスが結局延命には何の役にも立たなかったとは
大いなる皮肉である。
了
キーワード:人は愛する人のためならがんばれる
解説:人間って、愛する人のためならがんばれるもんです。ハングリー精神
が強いとか、恨みの心は強いとか、ねたみの心は強いとか、いろいろ言いま
すけど、そんなのはウソです。
世の中で一番強いのは愛の力です。この力さえあればどんなときでもがんば
れるもんです。
愛は世界も救うし、貴方も救います。
追伸:【NEW】【1】斎藤一人さんの新刊『強運』
⇒ http://ameblo.jp/yokoyamatakeshi/entry-10913302026.html