教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

海水浴客、例年の1割に=関東の宿泊施設、悲鳴―夏の海「西高東低」

2011年07月17日 22時09分16秒 | 社会・経済

時事通信 7月17日(日)14時52分配信 『子供のはしゃぎ声が聞こえない、閑散とした砂浜―。茨城、千葉両県の海水浴客が激減している。福島第1原発事故の影響で、旅館などの宿泊予約は例年の1割程度。関係者からは「倒産するしかない」と悲鳴が上がる一方、西日本では増加の兆しも。夏の海に「西高東低」の傾向が出ている。
 「原発からの汚染水放出が最大の原因だ」。例年、7月上旬には夏休み期間(7月15日~8月末)中の予約が埋まる千葉県南房総市の老舗旅館。今年は宿泊料を約4000円下げた。県などの海水検査でも放射性物質は検出されなかったが、今も9割は埋まらないままだ。さらに値下げも検討しており、同旅館関係者は「経営はぎりぎり。このままでは倒産するしかない」とため息をついた。
 茨城県下で有数の海水浴場がある大洗町も「宿泊客は少なくとも半分以下になる」と深刻な見通しを示した。
 同町の民宿経営飯田功さん(67)らは首都圏の百貨店などで海の安全性や町の特産品をアピールしたが、客が戻る気配はない。飯田さんは「予約はガラガラ。この先どうなるか全く見通しが立たない」と声を落とす。
 一方、JTBは夏休み期間中の海水浴客は全体では昨年より3.9%減るが、和歌山県など西日本では増えると予測する。
 同県白浜町の白浜温泉旅館協同組合によると、5~6月の宿泊客は前年同期比で2~3%伸びた。関東を避けた旅行者が流入したと考えられるという。』 

福島第1原発事故の影響で、旅館などの宿泊予約は例年の1割程度。関係者からは「倒産するしかない」と悲鳴が上がる一方、西日本では増加の兆しも。夏の海に「西高東低」の傾向が出ているのは、不況が回復していない今、東日本大震災と福島第1原発事故の影響のダブルパンチで、茨城、千葉両県の地域経済にも陰を落としている。茨城、千葉両県の海水調査と正確な放射線測定を引き続き実施し、公表し安全性をアーピルする必要が有ると思います。思い起こせはぜ菅内閣が成立してから不況は回復せず、日本経済は低迷化し良いこと無しです。国民生活第一の民主党政権公約は破棄し、東日本大審震災の復旧も遅れに遅れ進まず。福島第1原発事故の収束も不透明ですし、猛暑の前に原子力発電所の耐性テストを思いつき原子力発電所の再稼動もままならず国民は熱中症の耐性テストに今や掛けられています。国民生活や国民の目線を忘れ政権維持を目指す尺取り虫作戦で粘るアカン貧乏神が、日本国家崩壊の厄病神を今や日本全国に撒き散らしています。八百万の神による大祓いと尺取りアカン虫の退治が肝心です。地方分権や地方主権も忘れられ地方経済は疲弊し、地盤沈下を生みその上消費税増税では、中小零細企業は値引き競争に敗れ倒産、廃業が今後増えます。10年以上日本経済は、不況から下手をすると回復しないと思います。東日本大震災復興構想会議は、今の現実の経済状況が全く理解していず庶民の生活も分からない政府の御用学者集まりで、経済学の門外漢が増税を提言すること自体百害有って、一利無しと言わざるを得ません。

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新人海女5人がデビュー=高・大卒の18~23歳―三重

2011年07月17日 20時36分29秒 | まち歩き

時事通信 7月17日(日)18時16分配信 『三重県鳥羽市の観光施設「ミキモト真珠島」で17日、観光海女の新人5人のデビュー式典が行われた。 「株式会社御木本真珠島」従業員の観光海女は、この日デビューした新人を含めて13人。真珠養殖を支えてきた海女の仕事を現代に伝えるため、海に潜ってアコヤ貝を取る様子を、今の季節は1日9回実演して見せている。 新人は18~23歳の高卒と大卒5人。同社経営企画室によると、新人のデビューは3年ぶりで、5人同時は35年ぶり。5人は2カ月にわたり、先輩から潜水などの指導を受けてきた。 この日は晴天に恵まれ、気温28度、水温22度と「彼女たちを祝うような、まさにデビュー日和」(同室の松崎功係長)。昔ながらの白い磯着を身に着けた新人海女は水深6メートルの海に潜って貝を取って見せ、観光客を楽しませた。』 

海女さんの潜水技術の継承と後継者の育成は大切です。男性より女性の方が海女さんに適していると昔から言われています。腹式呼吸が上手く出来るからだそうですが。海女さんの新人5人の皆さん、鳥羽市の観光と町興しと活性化の為に頑張って下さい。これからも三重県鳥羽市の観光施設「ミキモト真珠島」の伝統と技術を守って下さい。

ミキモト真珠島 〒517-8511三重県鳥羽市鳥羽1-7-1 〓(0599) 25-2028 Fax (0599)25-2655. Copyright 2001 Mikimoto Pearl Island Co.,Ltd.All rights Reserved.

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名古屋で米軍投下とみられる不発弾、無事撤去

2011年07月17日 20時13分22秒 | 社会・経済

読売新聞 7月17日(日)13時59分配信『 名古屋市千種区の鍋屋上野浄水場の工事現場で今月4日に見つかった不発弾の撤去作業が17日、陸上自衛隊などによって行われ、午前中に無事撤去された。 不発弾は、戦時中に米軍が投下したとみられる250キロ爆弾(直径36センチ、長さ120センチ)で、信管も2本入っていた。信管は現場で抜き取られ、不発弾とともに京都の駐屯地に運ばれた。 作業に際しては、現場から半径300メートルの範囲の1165世帯、2466人の住民に避難を求めた。家族3人で同区上野の上野コミュニティセンターに避難した同区茶屋が坂、会社員上松昇正さん(28)は「万一のことがあっては怖いと思って避難した。無事処理が終わってホッとした」と胸をなで下ろしていた。 』

戦時中落し物ですね。戦後65年もうすぐ66年ですが未だアメリカ軍機から落とされた不発弾が出で来る日本です。戦時中名古屋市千種区の鍋屋上野浄水場にもなぜ爆弾が落とされたのでしょうか。千種区の戦争中の歴史を調べて見ないと分かりませんね。下町には焼夷弾や油脂焼夷弾、その他施設や軍事工場や砲兵工廠には爆弾で名古屋市は、戦前三菱重工業名古屋製作所海軍航空隊のB29を迎撃する為に局地戦闘機雷電を製作していましたし軍事工場も多かったのでかなり爆弾が落とされたのでは有りませんか。戦争中の未だに工事現場から発見される危険な忘れ物と言えます。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三菱 J2M 雷電

試製雷電改(二一型の試作機)

試製雷電改(二一型の試作機)

雷電らいでん)は、大日本帝国海軍が開発し、太平洋戦争後半に実戦投入した局地戦闘機/乙戦。機体略号はJ2M1~7。アメリカ軍を中心とする連合国側のコードネームは「Jack」。

局地戦闘機(以下「局戦」と略)とは、航空母艦から運用される艦上戦闘機とは異なり、陸上基地からの運用を前提とした戦闘機を、また乙戦とは対爆撃機戦闘・迎撃戦闘を行う戦闘機を指す日本海軍独自の用語である[1]。「雷電」という名称は愛称ではなく制式名称であり、乙戦の場合は「雷」または「電」の字を含むことと定められていた。

開発の経緯

日中戦争時、中華民国空軍の爆撃機隊により少なくない被害を受けた海軍は、十二試艦上戦闘機(A6M1。後の零戦)試作一号機を領収した直後の昭和14年(1939年)9月に三菱単独指名で「十四試局地戦闘機」(以下、「十四試局戦」と略)を提示、翌昭和15年(1940年)4月に「十四試局地戦闘機計画要求書」を交付した。計画書に記載されていた海軍の要求値は、概ね以下の様なものであったとされる。

最高速度
高度6,000mにおいて325ノット(約601.9km/h)以上。340ノット(約629.7km/h)を目標とする。
上昇力
高度6,000mまで5分30秒以内。
航続力
最高速(高度6,000m)で0.7時間以上(正規)。
武装
20mm機銃2挺、7.7mm機銃2挺。
その他
操縦席背面に防弾板を装備すること。

これを受けた三菱では十二試艦戦に引き続き堀越二郎技師を設計主務者とした設計陣を組み、開発に取り組んだ。

概要

大型爆撃機迎撃を主任務の一つとする局戦に要求される性能は、敵爆撃機が飛行している高度に短時間で到達する上昇力と敵爆撃機に追い付く速力、そして一瞬のチャンスに敵爆撃機へ致命傷を与え得る火力の三つである。これらを重視して開発されたのが雷電である。

発動機

Planes of Fameの雷電二一型の紡錘形エンジンカウル。プロペラはブレードが付け根まで広い高高度用

速度と上昇力を確保するためには大馬力エンジンが必要だが、当時の日本には戦闘機に適した小型軽量の大馬力エンジンが存在しなかった。そのため、一式陸上攻撃機等の多発大型機用に開発された、エンジン直径が大きいが日本最大馬力(当時)を発揮する「火星」が選定されている。但し大直径を補うために採用された紡錘形の胴体(後述)に適合するよう、延長軸と強制冷却ファンを追加した火星一三型が十四試局戦用に開発されている。強制冷却ファンは、機首を絞ったことによるエンジン冷却用空気流入量の減少による冷却効率の悪化を補う為に装備されたが、冷却用空気流入量が減少する上昇時の冷却効率を上げる効果も期待されていた。

このような努力にも関わらず、十四試局戦の最高速度が要求性能を大きく割り込むと試算されたことから、昭和16年(1941年)7月に水メタノール噴射による出力向上を図ることが内定、同年12月に火星二三甲型に換装した十四試局地戦闘機(以下、十四試局戦改)として本格的に開発が開始された。昭和17年(1942年)2月に初飛行した十四試局戦の最高速度や上昇力が予想通り要求性能に達しなかったため、より大馬力の火星二三甲型を装備する十四試局戦改の開発が促進されることになった。

同年10月に初飛行した十四試局戦改(昭和18年(1943年)8月に試製雷電と改称)は、十四試局戦の要求性能をほぼ達成(十四試局戦改の要求性能は未達成)したものの、今度は最大出力発揮時に激しい振動が発生して大問題となった。この振動の原因はなかなか判明せず、防振ゴムの改良等の対策にも関わらず解消にはほど遠い状態であった。

延長軸の採用による振動の誘発は、事前に実機を使用した実験が行われたほど開発当初から懸念されており、十四試局戦改/試製雷電で振動問題が発生した際も真っ先に延長軸が疑われている。しかし、様々な分析からこの振動の原因は減速機構の振動とプロペラ強度不足による振動の共振であることが明らかになり、プロペラ減速比の変更とプロペラブレードの剛性向上によってほぼ解決されている[2]

この間、帆足工大尉が殉職する墜落事故が発生したこともあり、この振動問題が解決されるまでに1年以上の月日が経過し、雷電の実用化を大幅に遅らせることになった。

計画要求書交付から3年半近く経過した昭和18年(1943年)9月からようやく一一型の生産が開始されたが、部隊配備開始後、高高度において定格通りの出力が出ないという問題が起きたことから、高高度性能を向上させた火星二三丙型や火星二六型への換装型の開発が進められている。また、従来の火星二三甲型を装備する既存機や新造機の双方に対して、昭和19年(1944年)後半より高高度で有利(最高速度の面では不利)な付け根までブレードの太いプロペラに変更するという対策が施されている。

機体設計

搭載エンジンが大直径の割に低馬力であったため、空気抵抗を可能な限り減少させなければならなかった。そのため、当時最新の航空力学理論に基づき、機首を絞り込み全長の40パーセントが最も太くなる紡錘形の胴体が採用されている。この胴体形状ではエンジンが機首よりかなり後方に位置することから、上記したように延長軸を追加したエンジンをわざわざ開発する必要があり、操縦席部分が機首より太くなるため、背の低い風防と相まって、機首上げ時の前下方視界が極めて悪化するという弊害も招いた。このため、速力の低下を承知の上で風防上部の嵩上げが行われ、最終的には風防前部付近の胴体側面の削り落としまで行われている。

これは十四試局戦等の飛行試験結果から紡錘形の胴体形状がさほど効果がないことが判明した後に、強風から紫電改の様に細く絞った胴体へ再設計する案が三菱から提出されたが、量産に支障が出るという理由で却下されたため、既存の胴体形状のままで最大限可能な視界改善策が場当たり的に採用された結果である。また、風防に使用された曲面ガラスが視界を歪ませることも問題視され、平面ガラスに変更されている。

主翼については、1940年代当時抵抗軽減のため高速機に有利として着目されはじめていた層流翼の翼型を内翼側に採用した半層流翼を採用している。この主翼は零戦で問題となった中・高速域の横転性能が大幅に改善されており、280ノット(約518.6km/h)付近まで良好な横転性能を発揮できたとされている。また高速力の代償として主翼面積を抑えたことから、日本機としてはかなりの高翼面荷重となったため、フラップを九六式艦戦や零戦が装備した単純なスプリット式ではなく、高揚力装置としての能力が高く、また空戦フラップとしても利用できるファウラー式を採用している。

雷電と同時期以降に開発された日本海軍機に軒並み採用された層流翼は、当時の加工精度では設計で意図したほどの抵抗軽減効果は上げられなかった。また雷電の主翼は、限界領域での飛行特性に不安定な面があったようで、着陸速度付近での旋回時の失速による墜落事故も複数記録されている。このため雷電への搭乗を嫌う搭乗員もいた。急降下制限速度については、同時期に配備されていた五二甲型以降の零戦や紫電改と同じ400ノット(740.8km/h)だったが、これは雷電と比較されることの多い二式単戦「鍾馗」二型よりカタログ値で100km/h近く高い[3] ものだった。また、搭乗員にはパラシュートが標準装備されていた。

武装

一一型までの武装は零戦と同じく翼内に20mm機銃2挺、胴体に7.7mm機銃2挺であったが、二一型以降は九九式20mm機銃4挺を翼内に装備している。ところが二一型の開発時期と九九式20mm機銃の生産が短銃身の一号銃から長銃身の二号銃に移行する時期が重なり、二号銃を必要数確保出来ない恐れがあったことから、外翼部に一号銃、内翼部に二号銃をそれぞれ1挺ずつ混載するという妥協案が採られている(紫電改の前身である紫電一一型の初期生産型も、二号銃ではなく一号銃を装備している)。

一号銃と二号銃は同じ九九式ながら構造がかなり異なり、また弾薬包も互換性がないため、機銃そのものの整備や補給に支障をきたし、また弾道にバラツキが出るなどという結果となった。ただし、二号銃の生産が安定してからは九九式二号銃4挺に統一した型が作られた他、極少数ではあるが30mm機銃を装備した機体もあった。

戦歴

現存する唯一の雷電二一型(J2M3)

当時最新の航空力学に基づいた機体に大馬力エンジンを装備し、更に大火力を併せ持つ雷電は海軍の大きな期待を集め、1943年頃には零戦に替わる海軍の主力戦闘機として大増産計画が立てられた。この計画では雷電の増産に併せて零戦は減産し、昭和19年(1944年)には三菱は零戦の生産を終了(中島飛行機では空母搭載用の零戦を僅かに生産)して雷電のみを生産する予定だった。

しかし、上記の諸問題により実用化が遅れたことから計画は白紙に戻され、雷電はほぼ同時期に実戦投入された紫電改と比較されるようになった。

海軍における新型機の審査を受け持つ横須賀航空隊は、両者の試作機を比較テストした上「紫電改は対戦闘機戦闘も可能だが、雷電は零戦と組み合わせなければ性能を活かすのは難しい」と結論し、雷電の生産を中止して紫電改の生産に集中すべきだという報告書を航空本部に提出した。

しかし、期待された紫電改も誉発動機の不調に悩まされており、その解決に要する間隙を埋める機体が必要であったこと、また雷電の太い胴体はアメリカ空軍B-29爆撃機に対抗するために必須と考えられていた排気タービン過給器の搭載に有利と考えられたことから、少数ではあるが生産と改良型開発の継続が決定され、拠点防衛部隊を中心に配備されることになった。

最初の雷電配備部隊として、バリクパパンにある日本の油田防衛部隊である第三八一海軍航空隊が編成されたが、雷電の生産がはかどらないため零戦を配備してスピンガンに進出している。後にスピンガンへ空輸された雷電を受け取った第三八一航空隊は、油田から豊富に産出される高品質燃料を使って訓練を積み、短期間ではあるが油田攻撃に飛来するアメリカ軍やイギリス空軍B-24P-38P-47の迎撃戦を行い、少なくない戦果を挙げた。そのほかの部隊では、本土防空専任部隊として編成された第三〇二航空隊厚木)、第三三二航空隊岩国鳴尾)、第三五二航空隊大村)台湾の台南航空隊(台南)に主として配備された。

戦後

フィリピンで鹵獲された第三八一航空隊所属の二一型「81-124」号機(製造番号3008号機)がアメリカカリフォルニア州チノPlanes of Fame航空博物館に静的展示されている。塗装は戦後に再塗装されたもので、胴体は三五二空の青木義博中尉機の稲光マークを模した塗装が施されているが、機番は三〇二空所属を示す「ヨD-1158」になっている。

派生型

十四試局地戦闘機(J2M1)
火星一三型を搭載した試作型。初期は曲面ガラスを使用した背の低い風防を装備していたが、後に背を高くして視界を改善。武装は翼内20mm機銃2挺、胴体7.7mm機銃2挺。
十四試局地戦闘機改/試製雷電(J2M2)
水メタノール噴射装置と燃料噴射装置を追加した火星二三甲型に換装、排気管を集合式から推力式単排気管に変更し、20mm機銃を銃身の長い九九式二号銃三型に換装した型。主翼上下面に大型のドラム弾倉を覆うための涙滴型の突出部がある。
一一型(J2M2)
十四試局戦改/試製雷電の生産型。生産途中から機首下部の潤油冷却器用空気取入口、翼内タンクに自動消火装置を追加。20mm機銃を二式30mm機銃に換装した機体も少数存在する。
二一型(J2M3)
武装を翼内20mm機銃4挺(ベルト給弾)に強化、胴体タンクを防弾タンクに変更した主生産型。試作名称は「試製雷電改」。20mm機銃を二号銃に統一した二一甲型(J2M3a)も試作された。
三二型(J2M4)
排気タービン過給器付きの火星二三丙型に換装した高高度型。空技廠型と三菱型の二種類があり、三菱型は翼内の20mm機銃を2挺に削減する代わりに胴体に20mm斜銃2挺を装備。三菱型は試作のみだが、空技廠型は少数だが量産されて実戦配備。
三三型(J2M5)
高高度性能を向上させた火星二六型に換装、機首下部の潤油冷却器用空気取入口を半埋め込み式とし、風防上部の再嵩上げと胴体側面を削り視界改善を実施した型。高高度性能を確保するため、機械式過給器用の空気吸入通路が拡大されている。大戦末期に少数ながら三〇二空や三三二空等に配備された。二一型・三一型と同様、20mm機銃を二号銃に統一した三三甲型(J2M5a)も試作された他、20mm機銃4挺を五式30mm機銃2挺に換装した機体も少数存在する。
三一型(J2M6)
二一型に三三型と同じ視界改善だけを実施した型。昭和19年末以降の三菱生産機は主にこの型式。二一型・三三型と同様、20mm機銃を二号銃に統一した三一甲型(J2M6a)も試作された。
二三型(J2M7)
二一型のエンジンを火星二六型に換装した型。機首下部の潤油冷却器用空気取入口は半埋め込み式だが、風防と胴体形状は二一型と同じ。試作のみ。

諸元

制式名称雷電二一型雷電三三型
機体略号J2M3 J2M5
全幅10.8 m 同左
全長9.695 m 9.945 m
全高3.945 m 同左
主翼面積20 m2 同左
自重2,539 kg 2,510kg
正規全備重量3,507 kg 3,482 kg
翼面荷重175.35 kg/m2 174.1 kg/m2
発動機火星二三甲型(離昇1,800馬力) 火星二六型(離昇1,800馬力)
最高速度596.3 km/h(高度5,450 m) 614.5 km/h(高度6,585 m)
上昇力6,000 m まで5分38秒 8,000 m まで9分45秒
降下制限速度740.8 km/h 同左
航続性能2,519 km(増槽あり) 全力0.5時間 + 巡航2.4時間
武装20mm機銃4挺(携行弾数190~210発) 同左
爆装30~60kg爆弾2発 同左

欧米での評判

日本の搭乗員には評判が悪かったが、戦中戦後に実際にテスト飛行したアメリカ軍のパイロットには好評であった。日本では問題視された振動や着陸性能の悪さも、アメリカの基準ではさして問題とされなかった。

なお、フィリピンでアメリカ軍に接収された二一型初期生産機(製造番号3008号機)である捕獲機ナンバー”S12”を用いたテストでは、最高速度671km/h(高度5,060m)、上昇力5分10秒/高度6,100mと日本側のカタログ・データを大幅に上回る結果を残している(試験環境における燃料は、92オクタンの燃料に水メタノール噴射を組み合わせたものである。試験時の重量は、7,320lb(3,315kg)であり、これは180kgほど軽い。旧日本海軍でいう「軽荷重量」のデータである。増槽を装備した重量8,130lb(3,682kg)のOverload状態でも、385mph弱(383mphとして616km/h)と海軍航空本部の公称速度を上回る数値を出している)[4]

脚注

  1. ^ この他類別としては、主として制空任務に用いられる甲戦(零戦烈風など)、夜間戦闘任務に用いられる丙戦(月光極光など)があった。
  2. ^ 気化器装備で延長軸がない以外は火星二三甲型と基本的に同じエンジンである火星二一型を装備する一式陸上攻撃機二二型(G4M2)でも激しい振動が発生していることから、延長軸が振動を増幅していた可能性はあるが、主因ではないと考えられる。
  3. ^ 陸軍航空本部 『二式戦闘機(二型)取扱法』 116頁。ただし陸軍飛行第47戦隊の整備責任者だった刈谷正意大尉は、850km/h・12.6Gの急降下からの引き起こしにもビクともしなかった、と記事に書いている。
  4. ^ [1]

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ひたちなか海浜鉄道株式会社の全線開通日のお知らせ

2011年07月17日 16時55分08秒 | まち歩き

全線復旧記念イベント開催のお知らせ

 ひたちなか海浜鉄道は、全区間の営業運転再開を記念して、平成23年7月30日(土)午前10時から、那珂湊駅をメイン会場とする「湊線全線復旧記念イベント」を開催する運びとなりました。イベント当日は運行再開にご支援をいただいた皆様に感謝の気持ちを込め、様々な催し物をご用意いたしました。

1. 日時:平成23年7月30日(土)  10:00 ~ 15:00  (雨天決行)
2. 会場:那珂湊駅・阿字ヶ浦駅
3. イベント内容:
(1)当日は通常800円の1日フリーきっぷ(終日湊線乗り放題)を、500円(小人250円)で発売。
(2)ちびっこから大人まで楽しめる、鉄道ファン大喜びのイベントをご用意しております。
 ・レトロ車両3連結運行及び車内における飲み物の販売
 ・運転席で制服に着替えての記念写真撮影会
 ・当日限定の鉄道レアグッズを販売、記念乗車票の販売、鉄道模型の展示会の実施
 ・子供向けのミニSL乗車体験
(3)来て、見て、聞いて、楽しいイベントも盛りだくさん。食べておいしいお店も大集合。
 ・「ハッスル黄門」「ホーリーくん」「うーみん」など、人気のキャラクターが湊線に集結!!
 ・沿線の幼稚園児から大人の方まで、団体や愛好家の方々による演奏会を特設ステージで開催
 ・沿線のおいしい品(ひたちなかグルメ名産品)取扱い店舗による、特設店舗での販売会や試食会の開催
 ・JAひたちなか協力による茨城県産野菜の直売会の実施


全線復旧営業再開のご案内

ひたちなか海浜鉄道湊線は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災による影響で全線において運休を強いられました。
復旧工事の終了した区間から順次列車運転を再開しており、現在は勝田~平磯間で運転をしておりますが、
今般、残る不通区間である平磯~阿字ヶ浦間におきましても、まもなく復旧工事が完了する見込みとなりました。

つきましては、7月23日(土)より、「勝田~阿字ヶ浦」間全線の営業運転を再開いたします。

列車運行につきましては、平常通りの本数を予定しております。
(一部徐行区間がございます)
平磯~阿字ヶ浦間の列車代行バスの運行は22日(金)をもちまして終了いたします。
ご利用の皆さまには長らくご不便、ご迷惑をお掛けいたしましたが、引き続きご愛顧、ご利用下さいますようお願い申し上げます。

1.全線開通日:平成23年7月23日(土)
※23日は土曜日であるため、土休日ダイヤでの運行となります。
2.運行ダイヤ:ホームページや各駅掲示の時刻表等をご覧ください。
(1)平常(震災前)通りの運行本数となります。
(2)安全確認のため、一部徐行区間があります。そのため遅れが発生する場合がございます。
何卒ご了承くださいますようお願い申し上げます。


記念乗車票の再販売について

7月15日より那珂湊~中根間開通の記念乗車票の販売を再開いたします。
販売箇所は那珂湊駅窓口です。
また併せてネット販売でも受付いたします。

記念乗車票について
http://www.hitachinaka-rail.co.jp/blog/2011/06/18/%E8%A8%98%E5%BF%B5%E4%B9%97%E8%BB%8A%E7%A5%A8%E3%81%AE%E7%99%BA%E5%A3%B2%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/


新商品入荷のお知らせ

本日より湊線グッズの新商品が発売になりました。
販売場所は那珂湊駅窓口、ネット販売でも扱っております。
ぜひお求めください。

商品名:サボキーホルダー(ハートピンク)
    サボキーホルダー(ハート青)
価 格:各種500円(税込)

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小4考案「わかやまポンチ」 地元の梅使用、コンビニへ

2011年07月17日 14時59分33秒 | 受験・学校

写真:試作品の説明をする児童たち=和歌山市吹上1丁目拡大試作品の説明をする児童たち=和歌山市吹上1丁目

<script language="JavaScript" type="text/javascript"></script><script src="http://imp.asahi.com/bservers/AAMALL/acc_random=92461029/pageid=32872945/AAMB1/SITE=SOKUHOU/AREA=RECT3/AAMSZ=300X250/OENCJP=EUC"></script><script></script><script></script>

 『小学生が作った「わかやまポンチ」の優秀作品を選ぶコンペが8日、和歌山市吹上1丁目の和歌山大教育学部付属小学校であった。1位作品は期間限定で大手コンビニエンスストア「ファミリーマート」の関西地方の店舗で10月に発売される予定だ。  「わかやまポンチ」は和歌山県が飲食店経営者や学校関係者などと広めようとしているご当地スイーツ。県産の梅や果物を使うことになっている。 この日は、4年A組の30人が5人ずつの6グループに分かれ、それぞれ工夫を凝らしたデザートを約2時間かけて調理。県の職員や飲食店経営者ら4人が審査し、前舞(まえ・まい)さん(10)らのグループが作った「SRAポンチ」を1位に選んだ。  レアチーズケーキの上に梅ゼリー、すももなどを盛りつけた。前さんは「何度もグループでけんかしたけどがんばったかいがあった」とうれし泣きした。  ファミリーマートでは昨年度から、同小の4年生に考えてもらったデザートを商品化する取り組みを始め、第1弾は約1カ月間で約2万3千個が売れた。今年も10月に関西地方で約1カ月間、限定発売する予定だ。(加藤美帆)』

和歌山県の特産の南高梅から作られた梅ゼリーとすももは夏場に酸味も効いていて今年のような暑い夏にはもってこいの和歌山らしいめご当地スイーツ、「わかやまポンチ」と思いますが。今年10月からの限定販売、夏場は解け易いからですか。和歌山大教育学部付属小学校前舞さんらのグループが作った「SRAポンチ」を1位に選ばれたのはみんなの意見の集約したデザート作品ですね。SRAとはどんな意味が有るのでしょうか。名前の由来を説明して欲しいと思います。  

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120日後の現実、消える滑走路「これではマイナスだ」

2011年07月17日 14時05分25秒 | 社会・経済
産経新聞2011年7月16日(土)08:00

120日後の現実、消える滑走路「これではマイナスだ」
(産経新聞)

 「これでは復旧でも復興でもない。マイナスだ」 6月15日午後、仙台空港ビル3階の会議室から出てきた男性は唇をかんだ。 この日は、国土交通省から空港復旧計画案の説明を受けるために空港南側「サウス地区」で小型飛行機やヘリを運用する民間事業者や個人利用者が集まっていた。男性はその一人だ。 サウス地区は東日本大震災前から大雨になると冠水し、治水対策は彼らにとって20年来の悲願だった。それだけに、復旧計画にはその方策が盛り込まれることを確信していた。 だが、配布された「南側地区復旧計画ゾーニング(案)」には予想もしていない構想が記されていた。自分たちが利用していたサブ滑走路の半分ほどが調整池になっているのだ。 それは仙台空港が持つV字滑走路2本のうち、1本をなくし、メーン滑走路のみにしてしまう案だった。冠水対策は滑走路消滅という形をとっていた。 3月11日、海岸線から約1キロに位置する仙台空港に津波が到達したのは、地震発生から約1時間後の午後4時前だった。すさまじい勢いで真っ黒な水の塊が押し寄せ、滑走路を覆った。小型機や車両が流され、ターミナルビルに突き刺さった。人々は2、3階や屋上に逃げるしかなかった。 壊滅した空港機能回復の立役者は米軍だった。「トモダチ作戦」で海から強襲揚陸艦、空からパラシュートで空港に乗り込んだ彼らは、スコップで泥をかき出し、持ち込んだ自前の重機でがれきと車を片付け、管制機材もセットした。 4月13日、民間機が発着を再開したとき、大坪守・空港長は「米軍はじめ皆さんの協力で普通の空港のようになった。こんなに早くね」と話していた。 ところが、震災から120日以上が過ぎた今はどうか。ターミナルビルの電気は回復していない。3機の自家発電機ではエスカレーターも動かせず、2階以上は閉鎖状態だ。 ターミナルビルの完全復旧は9月末。耐震強度を担保するために震災前から建設が進められてきた新しい管制塔の運用開始も当初予定の10月から来年度以降にずれ込む見通しだ。 日米友情の証しであり、復旧・復興のシンボルだった仙台空港は、今では逆に、復旧の遅れを象徴しかねない状態になっている。 関係者を失望させた仙台空港復旧計画案を示した国土交通省の言い分は、こうである。 同空港のメーン滑走路とサブ滑走路の利用頻度は9対1と大きな差がある。そのうえ、2つの滑走路はクロスしているため同時運用もできない。それならば、サブをつぶして、その分の利用をすべてメーンに回したとしても、何も支障がない。 確かに、低地で冠水に悩まされていたサウス地区は、震災でさらに50センチ近く地盤沈下した。抜本的な水防対策として、いったん調整池に水を集めて、その後ポンプを使って、空港脇を通って北の名取川につながる運河「貞山堀(ていざんぼり)」に流す構想だ。「これまで水に弱いとされてきた仙台空港の弱点を一気に改善できる」といい、そのためには1200メートルのサブ滑走路を犠牲にしてもやむをえない、というわけである。 もっとも、そのために失うものは多い。 東西に延びるメーン滑走路はジャンボ機が離着陸できる3千メートル。サブ滑走路はメーン滑走路から南東に突き出ている。メーンは旅客機、サブは小型機やヘリがもっぱら使用してきた。 東北唯一の複数滑走路は仙台空港のステータスであるだけでなかった。実用面でも、ヘリのホバリングチェックやプロペラの小型旅客機のエンジン出力テストなどにサブ滑走路は欠かせない。 2本の滑走路には危機管理上の利点もあるという。小型機は車輪の脚部分の故障が多いとされ、胴体着陸を想定しなければならない。ある航空事業者は「胴体着陸は滑走路のダメージが大きい。サブがなくなって1本しかないメーン滑走路で胴体着陸でもされたら、相当期間使えなくなる。旅客機の運航に大きな影響が出るだろう」と危惧する。 調整池にするというのにも問題がある。池に水鳥が集まり、バードストライク(航空機と鳥の衝突)の危険性が高まるのである。 説明会に参加した事業者は、「復旧案は補正予算に組み込むことができる」と強調した国交省担当者の言葉が引っかかった、と話している。「裏を返せば、この案をのまなければ、将来的にも予算計上は難しいというニュアンスに聞こえた」というのだ。 そして、何より彼らを戸惑わせたのは、国交省の出先機関である仙台空港事務所が復旧計画案を当初知らなかったことだ。専門的な航空管制が主な業務であるということを割り引いても、空港側の窓口役の地元出先機関を頭越しにした打診に違和感を覚えても無理はない。 この点になると、仙台空港事務所は「詳しくは本省に尋ねてほしい」と口が重くなる。所管する国交省空港施設課も「あくまでも構想段階だ。県とも協議しなければならず、震災後も貞山堀が有効なのか、調整池の規模も含めて何も決まっていない」と歯切れが悪くなる。 まだある。仙台空港の大津波対策は白紙に近い。空港敷地の半分を占める岩沼市は、がれきを再利用して多重防御の津波対策を採用する方針だ。県も同市を含む仙台平野南部を災害に強いまちづくり「宮城モデル」の中に盛り込んで、積極的に後押しする考えを示している。 ところが、そのがれき処理をめぐって地元は疑心暗鬼に陥っているのだ。国は「処理費用を100%負担する」としてきた。それが、ふたを開けてみると、国庫補助9割、地方交付税措置1割になっていた。問題は後者だ。地方交付税措置分は、地元市町村が一時的に立て替えなければならなくなる。 1割といっても今震災で発生したがれきの量は、宮城県内だけでも、23年分に相当する1800万トンに上る。被災市町村は、費用立て替えだけで財政破綻の危機にさらされる恐れがあるのだ。 東北の空の玄関口、仙台空港。原発事故の風評も追い打ちをかけて、中国国際航空と中国南方航空、韓国のアシアナ航空の国際定期便再開のめども立っていない。(石田征広)』

『壊滅した空港機能回復の立役者は米軍だった。「トモダチ作戦」で海から強襲揚陸艦、空からパラシュートで空港に乗り込んだ彼らは、スコップで泥をかき出し、持ち込んだ自前の重機でがれきと車を片付け、管制機材もセットした。 4月13日、民間機が発着を再開したとき、大坪守・空港長は「米軍はじめ皆さんの協力で普通の空港のようになった。こんなに早くね」と話していた。 ところが、震災から120日以上が過ぎた今はどうか。ターミナルビルの電気は回復していない。3機の自家発電機ではエスカレーターも動かせず、2階以上は閉鎖状態だ。 ターミナルビルの完全復旧は9月末。耐震強度を担保するために震災前から建設が進められてきた新しい管制塔の運用開始も当初予定の10月から来年度以降にずれ込む見通しだ。 日米友情の証しであり、復旧・復興のシンボルだった仙台空港は、今では逆に、復旧の遅れを象徴しかねない状態になっている。』早く仙台空港の復旧をすべきです。台風シーズンが来ない内に復旧を完了しないと又風水害で完全復旧が遅れるのでは有りませんか。日本の優れた建築、土木技術と建設機械で、サブ滑走路を調整池にせず安全な国際空港に早急に復興すべきです。今後どのような災害が起こるとは限りません。壊滅した空港機能回復の立役者は米軍の好意をむにせずに国際定期便再開の目途を立てる為に早く仙台空港の復興工事に取り掛かるべきです。

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「もうやっていけない」=売り上げ半減、精肉店悲鳴―セシウム汚染牛

2011年07月17日 13時13分15秒 | まち歩き

時事通信 7月16日(土)14時57分配信 『暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された肉牛が各地に出荷されていたことが相次いで発覚し、精肉店や牛肉を扱う飲食店が苦境に陥っている。売り上げが半減した店もあり、「もうやっていけない」と悲鳴も上がる。 食肉卸売市場関係者によると、福島県産の牛肉から、食品衛生法の暫定規制値を超えるセシウムが初めて検出された8日以降、東京都の食肉市場では同県産の牛肉価格が暴落。従来の3分の1で落札されたり、値が付かないケースも出ている。この関係者は「最近は福島産以外の価格も落ちてきている。打撃は大きい」と話す。 小売店や飲食店への影響はさらに深刻だ。東京都杉並区で精肉店を営む男性(70)は「福島近県のものでも嫌がって買わない人もいる。牛肉の売り上げは以前の半分。もうどうしようもない」と諦めた様子。茨城県つくば市の焼き肉店従業員太田雄三さん(27)は「子ども連れの客がぱたっと来なくなった。生肉の食中毒問題でも売り上げは減ったが、今回はそれ以上。本当に苦しい」と漏らす。
 消費者の中には、国産牛肉そのものを敬遠する人もいる。2歳の娘がいる新宿区の主婦(37)は「放射能汚染がどこまで広がっているか分からない。質は落ちるが外国産を買うようにしている」と話す。小6の娘と小2の息子を持つ同区の主婦(39)も「あまり心配はしていないが、落ち着くまでは国産は買わない」と話す一方で、「畜産農家も被害者。政府が安全なものとそうでないのをしっかり区別していかないと、風評被害は広がってしまう」と国の対応に不満を示した。』

暫定規制値を超える放射性セシウムが検出された肉牛が各地に出荷されていたことが相次いで発覚し、小売精肉店や牛肉を扱う飲食店の売り上げが減りが困り、消費者は、福島県産の牛肉と他の国産牛肉との産地の区別が付かなくなるのでを買わなくなり、轢いては国産牛肉の売り上げが全体的に減る結果になると思います。国産牛肉の販売の安全性が問題化しています。小売精肉店や牛肉を扱う飲食店や消費者のことを国が考え早急に対策を立てないとやがて畜産農家にも経済的な影響が出ます。今回のことで福島県産の国産牛肉としてのブランドへの信頼も損なわれたと思います。不況と東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所による事故で日本の景気が後退している今日、消費者や精肉店でも安全でおいしいと言われ信頼され来た国産牛肉の売り上げ減少し今後経営不振や倒産に陥る小売生肉店や牛肉を扱う飲食店が出ないように消費庁は安心して国産牛肉を生肉店で販売出来、消費者も買えるように流通過程からの安全チェックと産地表示の明確化による対応方法を考えるべきです。

流通先、33都道府県に拡大=餌汚染の牛42頭―福島

時事通信 7月17日(日)0時29分配信

 『福島県浅川町の農家が肉牛に餌として与えた稲わらから放射性セシウムが検出された問題で、この農家が出荷した肉牛42頭の流通先は33都道府県に拡大したことが16日、分かった。埼玉県内で保管されていた牛肉からは、食品衛生法に基づく暫定規制値(1キロ当たり500ベクレル)の4倍を超える2100ベクレルのセシウムが検出された。
 東京都も同日、東京食肉市場(港区)で競り売りされた21頭のうち、2頭の牛肉から暫定規制値を超える670ベクレルと610ベクレルのセシウムが検出されたと発表した。一部は都内と埼玉、静岡両県の業者に販売されていた。この他、山梨県に流通した牛肉から680ベクレル、岐阜県で保管されていた牛肉から630ベクレル、青森県で保管されていた牛肉から1050ベクレルのセシウムが検出された。
 この日は、北海道、新潟県、京都府、和歌山県などで牛肉が流通していたことが新たに確認された。北海道では、札幌市の食肉卸業者が、芦別市の食肉販売業者と恵庭市の飲食店に計12.3キロを販売。新潟県では5月に約22キロが新潟市内のホテルで調理され、全て消費された。京都府では5月に約85キロが府内の飲食店に販売され、全て調理して客に提供された。』
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米マイケル・グリーンは、大型原子力潜水艦で潜航活動、これが理解できなければ国際政治は理解不能だ

2011年07月17日 12時26分04秒 | 国際・政治

板垣 英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」~ニュースにブログ~

2011年07月16日 22時18分54秒 | 政治
◆小沢一郎元代表が2010年7月18日夕、空路、八丈島に渡り、その夜、米国対日工作担当者のマイケル・ジョナサン・グリーン戦略国際問題研究所日本部長と密会して、早いもので丸1年になる。マイケル・グリーンは、神奈川県横須賀市の米海軍基地から原子力潜水艦に乗艦して、八丈島にやってきた。しかも、連合の古賀伸明会長を同伴していた。
 この情報を当ブログに掲載したところ、「原子力潜水艦でやってくるとは、信じられない。ガセネタだ」「原子力潜水艦でやつてきて、どうやって八丈島に上陸するのか」などと誹謗中傷のコメントが、いろいろな情報サイトやツィッターで寄せられた。現在でもインターネット検索すると、この原子力潜水艦の話がトップに出てきて、私に対する中傷が、未だに消えていない。
 当時、このことをある大手出販社の雑誌担当記者に話したところ、「貴重な情報でもネット上に無料で読めるように掲載すると、何かといろんなことを言われるものなんです。しかし、それではもったいない。肝心なところからは、有料にするといいですよ。記事の価値を理解する人に読まれるので、ネット上で中傷されることはないようです」とアドバイスされ、真剣に検討した結果、昨年の9月中旬ごろから、このブログともう一つの「情報局」というプログの2つの記事の掲載に踏み切った。こちらのブログは主にニュースに対する評論と解説。もうひとつの「情報局」(有料)は、ニュースで報道されない特別情報を掲載している。
 その後、小沢一郎元代表とマイケル・グリーン、あるいは、米国CIA軍事部門の資金担当の大ポスであるリチャード・アーミテージ元国務副長官、カート・キャンベル国務次官補などとの関係について、その都度、あらゆる情報源を駆使して情報収集し、記事にしてきた。
 その結果、いかに日本国民の多くが、「平和ボケ」して暮らしているかに改めて、気づかされた。国際政治、経済、軍事分野では、裏工作やスパイ活動が当たり前の如く行われている。
 米国は、スパイ活動専門の原子力潜水艦を世界中で展開している。マイケル・グリーンが八丈島にやってくるのに乗艦した米軍原子力潜水艦オハイオ(18750トン、全長170.68m、幅12.8m)は、最新式の大型原子力潜水艦である。デッキに20人乗りと、3人乗りの特殊部隊上陸艇を2隻~4隻搭載。この特殊部隊上陸艇は、米国の要人が日本の要人との極秘会談に、利用されいている。マスコミを避けるために、離島で行われることが多く、どこでも接岸上陸できる。
 時事通信が7月14日午後7時30分、「ミサイル原潜「オハイオ』公開」という見出しをつけて、次のように配信した。「米海軍横須賀基地で公開された巡航ミサイル原子力潜水艦オハイオ(写真上)。下はハッチを開けた巡航ミサイル「トマホーク」の発射口。巡航ミサイルを100発以上搭載でき特殊部隊の母艦としても使用される=14日【時事通信社】」
 ところが、「平和ボケ」している多くの日本国民には、スパイ映画のようなシーンが、現実のものとは、容易に理解できず、想像もつかないのである。自分たちの日常生活の範囲でしか、受容できず、理解力の枠を超えた情報を「ガセネタ」と決め付けて、一蹴するのである。そもそも情報や記事、原稿は「タダ」という感覚がどこかにあるようだ。ネット社会になるとさらにその価値を低く考えがちだ。しかし本来、重要情報はタダで入手できるものではない。相応のコストとリスクか伴っている。
 従って、二種類のブログ記事の内容も、それぞれに、違いがでてくるのは、当然である。「情報局」の記事をそのままフリーの記事に書いてまうと、わざわざ記事を買って下さっている読者に、叱られてしまうので、なかなかこの場の質問に答えられないケースも出てきてしまう。
 広くこのブログを読んで下さっている方には、誠に申し訳ないが、その先に疑問を感じられるときは、「情報局」の記事をご一読いただきたい。メルマガのほうなら記事単位ごとの購入もできるので、お試しいただきたい。
◆7月14日付けの「板垣英憲情報局」に掲載した「菅直人首相は、米国リチャード・アーミテージ元国務副長官から『米国債1000兆円分をチャラにする署名』を迫られ、マイケル・グリーンにも責め立てられて苦しんでいる」 とい見出しの記事について、一般読者の方から「署名すればいいだはないか」というコメントが寄せられていた。
 しかし、菅直人首相が、なぜ「苦しんでいる」のか、その理由は、「有料」部分を読まないとわからなくしてある。そして、わからなくしてあることの理由も、隠している。ここに、国際政治にかかわる重要部分があるので、一般向けにオープンにするわけにはいかないのである。ギリギリ、オープンにできるのは、次の部分である。
 「〔特別情報①〕菅直人首相が、苦しい立場に立たされている。といっても、与野党からの「退陣要求」に対してではない。米国からの『無理難題』を突きつけられて、どうすべきかに苦しんでいるというのだ。その「無理難題」とは、日本が米国から購入している米国債を『チャラにしてくれ。ついては、そのための署名をして欲しい』という要求である」
 ということで、今後も、スパイ大作戦のような情報を追って、国際政治、経済、軍事分野において、マスメディアに書かれていない、あるいは、書かれない深層情報を掘り起こして、お伝えしたい。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」
米国最大財閥ディビッド・ロックフェラーは、米国債を「デフォルト」させ、借金をチャラにし、世界最大「金の保有国ジパング」の資金で「第3次世界大戦」を勃発させる画策

◆〔特別情報①〕
 「投資家は、安全資産とされる金(ゴールド)に殺到し、指標となる8月渡し価格は13日に一時、1トロイ・オンス(約31グラム)=1588・90ドルまで上昇し、約2か月ぶりに史上最高値を更新した。米為替取引会社GFTのキャシー・リエン氏は『もはやドルは《究極の安全資産》と認識されない』と話す」
 これは、読売新聞の7月15日付け朝刊「総合面」(3面)の「『国債格下げ』米に警告 ムーディーズ検討」「財政協議停滞を懸念」という見出しがついた記事の1つの行である。

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『自・社連合が小沢一郎への逆襲をはじめた』1994年7月30日刊



もくじ

2章 田中角栄門下生たちによる骨肉の争い
  ―自民党内の小沢一郎包囲網の暗躍

細川に「武村を切れ」と命じた小沢一郎の真意

 新党さきがけの武村正義官房長官(現在、蔵相)との暗闘は、熾烈だった。これは、実は、武村正義官房長官が、東大(経済学部卒)出身で、かつ旧内務省の嫡流意識がもっとも強いと見られている自治省の高級官僚出身者であるという経歴と無関係ではない。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

四王天延孝陸軍中将の名著「猶太(ユダヤ)思想及運動」 No.122

第二章 第一世界大戦

前回からの続き

此の大戦の眼目の中に、前世紀末來の東歌羅巴のユダヤ人解放の問題が包藏せられあることは既に繰返し説術した所であるが今開戦後實現せる幾多の事實を列挙して、終にロシア革命を決行せる真相の把握に資する。

つづきはこちら→「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」*有料サイト(申し込み日から月額1000円)

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原子力潜水艦オハイオ」を横須賀基地で公開(11/07/15)? - YouTube
  • 米原子力潜水艦「オハイオ」を横須賀基地で公開(11/07/15)

    神奈川県の横須賀基地で、アメリカ軍の原子力潜水艦「オハイオ」が報道陣に公開されました。 ・・・記事の続き、その他のニュースはコチラから! 

    • 投稿日:2011年7月15日
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復興への道 ガレキ処理はもっとスピードアップできる 国直轄処理は遅れている復興の逆転打になるか?

2011年07月17日 12時15分39秒 | ニュース
日経ビジネスオンライン2011年7月16日(土)09:00

 『災害廃棄物の撤去を市町村に代わって国が行うことができるようにする「ガレキ特措法」を自民党など野党が7月1日に共同提案し、与党民主党もこれを丸飲みする法案を8日に閣議決定して、開催中の国会に提出することになった。6月初めに廃案になったばかりの災害廃棄物の国直轄処理が1カ月もしないで復活した形だ。  ガレキ処理の遅れが復興の遅れにつながっているとの見方も出始めているおりから、はたして国直轄処理は逆転の一打になるのだろうか。

撤去の遅れが目立つ石巻市

 被害が大きかった東北地方の沿岸部37市町村の災害廃棄物発生量は6月27日現在の環境省集計で2183万トン、仮置場への撤去率は32%となっている。1カ月あたり約10%ずつ進捗しているので、このペースでいけば約1年で仮置場への搬入を終えることになる。  県別には岩手県(発生量446万トン、撤去率47%、以下同じ)、宮城県(1509万トン、29%)、福島県(228万トン、23%)で、福島県の遅れが目立っている。 市町村別には発生量の多い順に石巻市(616万トン、14%)、東松島市(166万トン、21%)、気仙沼市(137万トン、44%)、仙台市(135万トン、18%)、いわき市(88万トン、30%)、陸前高田市(87万トン、27%)、宮古市(86万トン、42%)、亘理町(81万トン、71%)、釜石市(76万トン、26%)、大船渡市(76万トン、44%)となっている。この上位10市町村で発生量の7割をしめており、撤去率は平均より6ポイント低い26%である。  岩手県北部の田野畑村など5市町村では撤去率100%、福島県の双葉町など5市町村では放射能汚染のために撤去率0%であり、市町村の撤去率には大きな格差が生じている。中でも、最大被災地の石巻市の遅れが目立っている。

狭い仮置き場に高く積み上げられた廃棄物

 撤去が進むにつれ、仮置場の不足や、仮置場の管理状況の悪化が問題になり始めている。 
 仮置場の飽和状況を数値化してみるため、市町村ごとの撤去量を仮置場面積で除して平均保管高を算出すると、6月27日現在で名取市(53万トン、91%)が5.6メートル、田野畑村(14万トン、100%)が5.1メートルと、2市村ではすでに5メートルを超えている。実際の保管高はその2~3倍以上になっていると考えられるので、保管高は10~15メートル以上ということになる。平均保管高が2.5メートルを超えているのは8市町村で、撤去率は平均の2倍の60%である。撤去が進んだ市町村では狭い仮置場に災害廃棄物を高く積み上げている状況がうかがえる。  仮置場の面積をこれ以上増やさずに100%撤去した場合、放射能避難地区の5市町村を除く3県のすべての仮置場の平均保管高は約4メートルになる。七里ガ浜町(33万トン、42%)と女川町(44万トン、32%)は10メートルを超えてしまい、実際保管高は20~30メートル以上となってしまう。名取市閖上漁港仮置場では高さ30mに積み上けられている。(6月8日)

自然発火すれば有害ガスを発生し長時間燃え続けることに

 自然発火による火災の危険を回避するには保管高を5メートル以下にする必要があるので、安全性を確保しながら撤去を進めるには仮置場面積を平均して現在の2倍にしなければならない。  現在保管中の災害廃棄物ですでに何件かボヤが報告されており、温度上昇、一酸化炭素濃度上昇、酸素濃度低下など、大規模火災の前触れの現象も観測されている。保管期間が長期化すれば温度上昇が続き、火災の危険が高まっていく。  千葉県の大規模不法投棄現場火災の経験からは、廃棄物の温度が60度(表面から1メートル下)、一酸化炭素濃度が50PPMを超えたらイエローゾーン、70度、100PPMではレッドゾーンである。いったん仮置場で火災が発生したら放水しても消えず、塩化水素、二酸化硫黄、一酸化炭素などの有害ガスを大量に発生しながら長時間燃え続ける。火災発生を防止するためには、保管高などの基準を守ることと、長期間保管しないことが大切である。  ガレキとは別に津波によって海から運ばれたヘドロが岩手県から茨城県までの4県合計で最大1600万トン堆積していると推定されている。この撤去はまだほとんど進んでいない。』

『災害廃棄物の撤去を市町村に代わって国が行うことができるようにする「ガレキ特措法」を自民党など野党が7月1日に共同提案し、与党民主党もこれを丸飲みする法案を8日に閣議決定して、開催中の国会に提出することになった。6月初めに廃案になったばかりの災害廃棄物の国直轄処理が1カ月もしないで復活した形』ですが、東日本大震災が起こってもう四ヶ月以上も被災地に瓦礫が放置されたままです。マンマンデー呑気過ぎる菅内閣です。狭い仮置き場に高く積み上げられた瓦礫自然発火による火災の危険を回避するには保管高を5メートル以下にする必要があるので、安全性を確保しながら撤去を進めるには仮置場面積を平均して現在の2倍にしなければならない。 今年のよう那猛暑で気温が上昇、一酸化炭素濃度上昇、酸素濃度低下など、大規模火災の危険も有る。現在保管中の災害廃棄物ですでに何件かボヤが報告されており、温度上昇、一酸化炭素濃度上昇、酸素濃度低下など、大規模火災の前触れの現象も観測されているともこの記事で現実を指摘される。保管期間が長期化すれば温度上昇が続き、火災の危険が高まっていくいったん仮置場で火災が発生したら放水しても消えず、塩化水素、二酸化硫黄、一酸化炭素などの有害ガスを大量に発生しながら長時間燃え続けることなったら大変です。ガレキ処理の遅れが復興の遅れにつながっているとの見方も出始めているおりから、はたして国直轄処理で、瓦礫やヘドロの処理が果たして進むのでしょうか。国には、優れた処理の技術が有るのでしょうか。菅内閣は、政権維持だけを考えて東北各県の被災地の皆さんの生活や健康と安全を忘れているのではないでしょうか。

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岩手県の景勝地巡る遊覧船再開 船長が守った1隻で再起

2011年07月17日 11時19分00秒 | 旅行記
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写真:「たくさんの人に乗りに来て欲しい」と話す、船長の坂本繁行さん=岩手県宮古市拡大「たくさんの人に乗りに来て欲しい」と話す、船長の坂本繁行さん=岩手県宮古市

写真:出港する遊覧船=16日午前10時5分、岩手県宮古市の浄土ケ浜拡大出港する遊覧船=16日午前10時5分、岩手県宮古市の浄土ケ浜

写真:再開第一便の遊覧船に乗り込む観光客ら=16日午前9時53分、岩手県宮古市の浄土ケ浜拡大再開第一便の遊覧船に乗り込む観光客ら=16日午前9時53分、岩手県宮古市の浄土ケ浜

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 岩手県を代表する景勝地で陸中海岸国立公園の「浄土ケ浜」(宮古市)を巡る遊覧船が16日、震災後4カ月ぶりに再開した。3隻あった遊覧船のうち2隻は津波で廃船に。1隻を守りきった坂本繁行船長(62)がかじを取った。  再開第1便には、40人が乗り込んだ。定刻を5分ほど過ぎ、汽笛を響かせて出発。東京から来た税理士の男性(51)は「遊覧船の復活を聞いて予定をキャンセルしてきた。被災も含めて見てもらうことが大事じゃないか」と話した。  浄土ケ浜は、青く澄んだ海にとがった白い岩々が点在し、かつて訪れた僧侶が「さながら極楽浄土のごとし」と語ったとされる。 』

岩手県を代表する景勝地で陸中海岸国立公園の「浄土ケ浜」宮古市を巡る遊覧船が7月16日、震災後4カ月ぶりに再開されたのは良かったです。3隻あった遊覧船のうち2隻は津波で廃船に1隻を守りきった坂本繁行船長は、船乗りとして立派です。自粛、自粛では地元産業が萎縮してしまい地域産業が、観光業は衰退しまし地域経済も疲弊します。戦前の勝つまでは欲しがりませんの戦前的な発想による時代錯誤の経済観念では、日本の長引いている今の不況と東日本大震災からの景気後退からも脱却出来ません。地元地域からの町興し日本全体の景気の底上げが大切です。東京から来た税理士の男性が「遊覧船の復活を聞いて予定をキャンセルしてきた。被災も含めて見てもらうことが大事じゃないか」と話されたのも1つの道理です。浄土ケ浜は、青く澄んだ海にとがった白い岩々が点在し、かつて訪れた僧侶が「さながら極楽浄土のごとし」と語ったとされる綺麗な風景を観光船から見て、今の荒んだ心も清められ癒されるのではないでしょうか。

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YouTube: 宮古市、浄土ヶ浜の青の洞窟。津波後も遊覧再開!

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石巻専修大が地域間連携に一役 水産加工再生へ橋渡し

2011年07月17日 10時22分32秒 | 受験・学校

河北新報 7月17日(日)6時10分配信 『東日本大震災の津波で被害を受けた石巻市の水産加工業再生に向け、同市の石巻専修大の仲介による地域間連携が動き始めた。連携は同業者への製造委託や、技術者を招いた建物や設備の被害調査が柱。同大の石原慎士准教授(41)=地域産業論=は「生産拠点が地域外に流出したり、廃業したりするのを防ぎたい」と話している。 生産委託を計画するのはいずれも石巻市に本社がある金華サバの缶詰が主力商品の「木の屋石巻水産」と、煮魚や練り製品を手掛ける「山徳平塚水産」。八戸大の勤務経験がある石原准教授の橋渡しで、青森県八戸市の複数の企業と交渉している。委託先の企業は両社のレシピを基に製品を造り、それぞれの味を守る。
 山徳平塚は津波で工場の設備が損壊。生産再開のめどが立たず、やむなく従業員約30人を解雇した。平塚隆一郎社長(51)は「生産委託が実現すれば、検品やラベル貼りで少しでも雇用をつくり出せる。サバ漁が本格化する秋口には、八戸で造られた製品で販売を再開したい」と意気込む。 一方、群馬県高崎市や高崎経済大でつくる「東北地方被災地企業連携支援研究会」は石巻専修大の協力で7月11日、石巻市の水産加工施設8カ所を訪問した。6月に続き2回目で、高崎市などの土木や冷凍・冷蔵設備の会社関係者らが各施設の状態を調べた。 修理が可能かどうかなどの調査結果を各施設に伝え、再建方針に生かしてもらう狙い。はりがゆがんだ建物でも鉄骨で補強すれば仮設の加工場として使えることなどを確認した。 研究会は被災地のものづくり企業の生産を、一時的に高崎市などの企業が代行する支援も想定している。 地域間連携について石原准教授は「支援する側も新技術を得られたり、取引先を広げられたりと双方にメリットがある。行政の支援を待つだけではなく、企業が具体的に行動することが必要だ」と強調する。』

東日本大震災の津波で被害を受けた石巻市の水産加工業再生に向け、同市の石巻専修大の仲介による地域間連携が動き始めたのは、今後地元地域に密着した地方の大学のこれからの姿です。地元地域の地場産業の貢献と地域経済の発展を担う中核として地元大学のグローカル化時代の1つの役割と思います。地元大学の石巻市の水産加工業再生の為の仲介や支援で、経営の合理化と近代化で消費者が安全で安心して食べれる水産加工品を提供出来るではないでしょうか東日本大震災で被害を受けた漁業、水産加工業、養殖業、地元商店街、地場産業の再建の為にも群馬県高崎市や高崎経済大学でつくる「東北地方被災地企業連携支援研究会」を窓口に東北地方の各大学の国公立、私立大学の各大学の枠組みを越え各大学が連携し、東北大學総連合体で東北各県の被災地の産業と経済の復興を目指すべきと思います。東北各県の今遅れている復旧と復興の為にも地元大學が、地元産業の復興の為の発信基地の役割が有ると思います。各地域にある大学の学部の特色と専門性や学問研究の成果と研究開発した最新技術を東北地方の復興と再建の為に生かす時ではないでしょうか。東日本大震災でキャンパスが破壊され閉鎖した大學も文部科学省や地方自治体の支援と協力で、是非元通り大學キャンパスを再建し地元地域復興のハブとしての役割を果して欲しいと思います。東北地方の各大学の連携と協力で、10年掛かると言われています復興と再建を計画も叡智と最新技術力で早めることが出来るのではないでしょうか。

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【いいこと】斎藤一人語録317

2011年07月17日 08時54分29秒 | 悩み

【いいこと】斎藤一人語録317

キーワード:いいことは分けてあげる みんな喜ぶから

解説:愚痴やいやなことがあったときは人に聞いてもらいたいのに、
良いことがあったときには人に分けてあげようとしない。

いやなことがあったときはしばらくたてば忘れてしまうのに人に話したがる。
そんな事より良いことがあった時にいっぱいいっぱい人に分けてあげよう。
もともと貴方はそういう優しい人だもの。

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