教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

いまこそ小泉訪朝と日朝平壌宣言の原点に立ち返るときだ new!!

2013年02月13日 23時02分23秒 | 国際・政治

新刊発売のお知らせ
2013年1月19日発売KKベストセラーズから、
田母神元航空幕僚長との共著を発売します。

new release

天木直人
天木 直人

今度の北朝鮮の核実験強行で日朝協議はさらに遠のき、拉致問題の早期解決はほとんど絶望的になった。そう拉致被害者家族は嘆き、北朝鮮への強硬路線を主張する産経新聞は今度の北朝鮮の核実験強行をどの新聞よりも強く非難する。確かに日朝協議は遠のき、従ってまた拉致問題の解決は遠のいたと思う。拉致問題の解決を願う一人として、私もまた残念でならない。しかし、私が繰り返して書いてきたように、そもそも北朝鮮の核実験問題と拉致被害者救済問題を結びつけるようになった時点で、拉致問題解決はインポッシブル・ミッションとなったのだ小泉首相の電撃的訪朝と日朝平壌宣言の署名の時点ではそうではなかった。それどころかあの時は、小泉首相は、核兵器開発を続け国際的非難を浴びていた北朝鮮との国交正常化を優先し、日朝国交正常化と同時に拉致問題の決着を図ろうとした。その結果が日朝平壌宣言であった。小泉電撃訪朝は衝撃をもって評価され、日朝平壌宣言は歓迎された。その日朝平壌宣言は今も生きている。それが公式に否定されたことにはなっていない。しかし、いつの間にか北朝鮮の核問題が全面に出るようになり、日朝協議より6カ国協議が優先されるようになった。 このなし崩し的日本外交の転換が行なわれた時点で、拉致問題の解決は遠のき、日朝国交正常化は頓挫した。そして小泉首相も、その小泉首相に同行して訪朝して一部始終を目撃してきた安倍首相も、その政策転換について口を閉ざして語らない。果たしてその外交転換の本当の理由はどこにあるのか。その理由は拉致問題の不完全な解決にあると一般的には思われている。すなわち数名の被害者の帰国は実現したが多くの被害者の死亡が伝えられた。その衝撃のあまり世論は北朝鮮に怒り、こんないい加減な解決で国交正常化を進めることは許されないと反発した。私もその一人だった。その世論の怒りに押されて小泉首相はたじろぎ、小泉首相の熱意は冷める。確かに拉致問題は日朝国交正常化の大きな障害である。しかしそれだけで小泉首相は日朝国交正常化をあきらめただろうか。違う。もし彼に本気で拉致問題を解決する覚悟があり、そのために日朝国交正常化を実現するという強い政治的決意があれば、世論の反発をものともせず突き進むことは出来たはずだ。それだけの国民的人気は彼にはあった。彼が国交正常化に向けての日朝協議をあきらめた本当の理由は米国の怒りがあったからだ。すなわち米国にとっては北朝鮮の核開発問題が解決しない限り米朝国交正常化はありえない。米朝国交正常化の前に日本が北朝鮮との国交正常化を実現して出し抜くことは許さない。そんな米国を逆撫でするかのように、小泉首相は田中均外務審議官(当時)の助言に従って米国の十分な了解を取らないまま北朝鮮との極秘協議に走った。日朝平壌宣言を知って腰を抜かした米国は怒り狂って北朝鮮の核開発問題を世界に公表し、日本の先走りにストップをかけた。以来、拉致問題よりも北朝鮮の核問題が優先され、日朝協議よりも6カ国協議の場が優先されるようになる。
 その裏には田中均と谷内正太郎という同期の外務官僚の出世争いがあった。小泉首相の後ろ盾を失った田中は外務省を去り、対米重視の谷内は次官になってその後の外交を取り仕切る。その谷内は安倍政権の参与となって対米従属の安倍外交を裏で振つけるようになる。
 私は当時小泉、田中の電撃訪朝と日韓平壌宣言外交を強く非難した。それは彼らが拉致被害者たちの命を軽視して日朝国交正常化実現とい
う名誉に飛びついたからだ。動機が不純で役者が悪かったからだ。正しい歴史認識に基づいた日朝国交正常化を果たすという政治的覚悟
を見る事が出来なかったからだ。そして結果として拉致問題の解決も日朝国交正常化も遠ざけてしまった。日本外交はいまこそ仕切り直して再出発すべきである。北朝鮮の核の前になすべき策を誰ももてない中で、実はカギを握っているのは日本なのである。日本の経済力であり技術力である。そして平和憲法9条である。そんな日本が日朝協議を本気で行なえば拉致問題も北朝鮮の核の脅威も解決する。日本は、正しい歴史認識を持ち、正しい平和外交を貫けば、米国や中国や韓国はもとより世界のどの国よりも北朝鮮に対して強い立場に立てるのである。
 対米従属外交から決別し、平和国家として日朝国交正常化を迫り、その過程で拉致問題も核問題も解決する。これを主唱する政治家が一人も出てこないところに日本外交の限界がある。目の前の絶好球を見逃し三振している(了)。

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北朝鮮3回目の核実験。山内康一『蟷螂の斧』

2013年02月13日 22時48分53秒 | 国際・政治

北朝鮮が三度目の核実験を強行しました。
日本にとっても、東アジアの安定にとっても
大きな影響を与える大事件です。

イラクなんて核開発の疑いを持たれただけで、
アメリカに攻められ、占領されました。
しかし、北朝鮮は国家として存続しています。

北朝鮮とイラクのちがいは、中国という後ろ盾、
石油の有無、イスラエルの存在でしょうか。

北朝鮮はイランやシリアの核開発も支援しており、
世界中に核やミサイルの技術を拡散しています。
国内の人権侵害や飢餓もひどい状況です。

中国がいなければ、とっくにアメリカが攻撃し、
韓国に武力で統一されていたかもしれません。
いや、おそらくそうなっていたでしょう。

北朝鮮の核武装は日本にとって大問題です。
同時にそれにあおられて韓国が核開発に進んだり、
日本国内の核武装論者が勢いづくのも危険です。

日本もミサイル防衛システムのようなハード整備と、
情報収集・分析能力の向上、有事即応体制の整備など
やるべきことがたくさんあります。

防衛省関係でも、非効率で不正の多い調達システム、
陸自に偏った人員や装備、多すぎる戦車などを見直し、
海自と空自にもっと予算と人員を回すべきです。
防衛費を増やさなくてもできることは多々あります。

同時に外交に力を入れてこなかった点も反省が必要で、
ODAを減らし続け、外務省の人員は不足気味だし、
インテリジェンスや広報外交にもお金をかけていません。

外交・安全保障に関してあまりにもお金をケチり、
国内のことばかりに集中し、集中しているわりに、
国内問題への対処もうまく行っていません。

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【予告】2月23日 小出裕章さん講演会「美しいふるさとを子どもたちへ。今、私たちに何ができるか」@神

2013年02月13日 22時30分20秒 | ブログ

小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ

京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏による情報

小出裕章講演会

神奈川新聞社のバザール:カナロコページに小出裕章さん講演会の情報が投稿されていましたので、その記事を転載致します。

▼バザール : カナロコ ? 神奈川新聞社
小出裕章講演会(厚木)

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<北朝鮮核実験>米「挑発的」と強く非難

2013年02月13日 18時55分01秒 | 国際・政治

毎日新聞 2月12日(火)22時31分配信

 【ワシントン白戸圭一】オバマ米大統領は12日未明(日本時間同日午後)、北朝鮮による3度目の核実験を受けて声明を発表し、「地域の安全を脅かす極めて挑発的な行為だ」と北朝鮮を強く非難。パネッタ国防長官は「米国に対する深刻な脅威だ」と警戒を示した。
 米政府は日韓など同盟国や国連安保理理事国と連携を強化。国連安保理での新たな制裁決議採択を目指すとともに、米単独の金融制裁や大規模な米韓合同軍事演習などを通じて北朝鮮への圧力を強める構えを見せている。
 オバマ大統領は12日夜(日本時間13日午前)に、1年間の政策方針を示す一般教書演説を控えている。北朝鮮の核実験はそのタイミングをにらんだとの見方もあり、大統領は断固たる姿勢を打ち出すとみられる。
 オバマ政権は昨年、北朝鮮に「核・ミサイル計画を放棄すれば米国は手を差し伸べる」と繰り返し呼びかけ、対話の可能性を追求した。政権2期目の国務長官に交渉重視のケリー氏が就任したこともあり、米国が北朝鮮との交渉路線にかじを切る可能性も指摘されていたが、国際社会の自制要求を無視した核実験で、当面は圧力路線が確定的になった。
 ワシントン外交筋によると、米国は国連安保理で、北朝鮮向け貨物船に対する臨検体制の強化や武器輸出入関連の金融取引に関する規制強化を目指す。米単独の制裁では、北朝鮮が口座を持つ中国などの金融機関と取引する企業に対し、米市場での営業禁止などの制裁を検討しているという。
 ただ、国連安保理や米単独の制裁の効果を疑問視する声もある。米シンクタンク「米国社会科学研究評議会」のレオン・シーガル北東アジア安全保障プロジェクト部長は毎日新聞に「中国は安保理決議を通じて北朝鮮に一過性の制裁を科すことはあっても、金正恩体制を不安定化させるほどの制裁には利益を感じない」と指摘。米主導の金融制裁についても「効果的な制裁は少ない」と語り、オバマ政権がいずれ北朝鮮との対話に戻らざるを得ないと予測する。
 次期米国防長官に指名されたヘーゲル元上院議員は「北朝鮮は脅威を超えて実質的な核保有国だ」と警戒心をあらわにする一方、北朝鮮との対話は「賢明」な手法であり窓口を完全に閉ざすのは得策ではないとも強調した。』

北朝鮮は、アメリカ全土を標的に出来る長距離ミサイルの開発に成功し、核実験を繰り返すとアメリカ相手に脅かし、得意の外交カードとして使っているのでしょうが。アメリカは北朝鮮の脅しに乗るような大国アメリカでは有りません。終いには、先制攻撃として北朝鮮に核ミサイルを打つ込むと反対に警告するかも分かりません。アメリカ政府も長年に渡る堪忍袋の緒が切れて、本気になれば北朝鮮への軍事行動に出ることは必定です。中国も沖縄県沖石垣市尖閣諸島事件で、日本には嫌がらせと喧嘩腰ですが、間接的にアメリカ政府にも喧嘩を売り、日米安保条約に揺さぶりを掛けといる中国と言えます。北朝鮮の後ろで操る中国と社会主義体制が崩壊したとは言え、北朝鮮と中国と今なお裏では親密な関係のロシアと極東情勢は、軍事大国化しアメリカやロシアと肩を並べる中国と人民の生活の安定よりも核や長距離ミサイルの開発最優先で、水爆の開発まで成功したと言われている北朝鮮と極東情勢は予断の許さない緊迫して来た状況の2025年と言えます。

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韓国、弾道ミサイル実戦配備へ 北朝鮮全域を射程に

2013年02月13日 17時05分53秒 | 国際・政治

朝日新聞デジタル 2月13日(水)12時5分配信

 【ソウル=貝瀬秋彦】韓国国防省は13日、北朝鮮の核実験を受け、射程800キロの弾道ミサイルを新たに実戦配備する計画を明らかにした。北朝鮮の全域が射程に入ることになり、朝鮮半島の緊張が一段と高まるのは必至だ。韓国政府は北朝鮮のさらなる核実験への警戒も強めている。 韓国国防省報道官は13日の会見で、すでに配備している巡航ミサイルに加え、昨年10月の「米韓ミサイル指針」改定で射程制限が300キロから800キロに緩和された弾道ミサイルの開発を加速し、800キロでの実戦配備を進めるとした。
 報道官はまた、北朝鮮のさらなる核実験についても「動向を綿密に監視している」と述べた。北朝鮮の核実験の狙いは核爆弾の「小型化」や「多様化」にあるとみられ、今回の成果が不十分だったり、違う型の爆弾を試す必要があったりする場合には、追加的な実験も十分にあり得ると見ているためだ。 韓国政府は、北朝鮮が今回、どんな材料を使ったかを調べるため航空機で大気中の物質の収集を進めるなど、実験の「成果」の分析を急いでいる。』

北朝鮮の核実験により、朝鮮半島の緊張が高まったと言えます。韓国政府は、今回行われた核実験における大気中の物質の収集を飛行機で進め分析していますので、どのような核実験だったのかが、判明すると思います。北朝鮮の核開発がかなり進んで来た状況で、核実験の規模の分析結果によっては韓国国内の核開発の必要性の声が高まり、核武装論が再燃すると思います。

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世界遺産目指す「富士山」名称変更要請…なぜ?

2013年02月13日 16時01分45秒 | アート・文化
読売新聞2013年2月13日(水)08:55『 『国や山梨、静岡両県が世界文化遺産登録を目指す「富士山」について、文化庁は12日、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)から、資産名称を変更するよう、要請があったと発表した。イコモスは、文化庁からの回答を踏まえ、5月上旬に登録の可否を勧告する予定。 要請では、構成する25か所のうち

三保松原

(

みほのまつばら

)

の除外も求めた。文化庁は、「富士山」を盛り込んだ形での名称変更は検討するが、除外要請については「理由がわからない」として応じない方針。

 もう一つの今年の推薦候補「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)には、要請はなかった。両候補は、6月にカンボジアで開かれる世界遺産委員会で、イコモス勧告に基づき、登録するかどうか審議される。 もう一つの今年の推薦候補「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)には、要請はなかった。両候補は、6月にカンボジアで開かれる世界遺産委員会で、イコモス勧告に基づき、登録するかどうか審議される。』(2013年2月13日08時55分  読売新聞

国や山梨、静岡両県が世界文化遺産登録を目指す「富士山」について、文化庁は12日、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)から、資産名称を変更するよう、要請があったと発表しましたが、日本の伝統と歴史に基づくシンボル、
国民の心のシンボルであり、古代より霊峰と言われる「富士山」の名称を変えてまで、世界文化遺産登録する必要は無いと思います。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用
富士山
富士山
富士山 富士市より
標高3,776.24[1][2] m
所在地

日本の旗 日本
静岡県富士宮市裾野市富士市

御殿場市駿東郡小山町
山梨県富士吉田市南都留郡鳴沢村
位置北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.360628度 東経138.727365度 / 35.360628; 138.727365座標: 北緯35度21分38秒 東経138度43分39秒 / 北緯35.360628度 東経138.727365度 / 35.360628; 138.727365[2]
山系独立峰
種類活火山ランクB[3]成層火山
初登頂663年(役小角
富士山の位置

富士山(ふじさん、英語表記:Mount Fuji)は、静岡県富士宮市裾野市富士市御殿場市駿東郡小山町)と山梨県富士吉田市南都留郡鳴沢村)に跨る活火山である。

標高3,776 m日本最高峰剣ヶ峰[注釈 1]であるとともに、日本三名山三霊山)、日本百名山[4]日本の地質百選に選定されている。また、1936年(昭和11年)富士箱根伊豆国立公園に指定されている[注釈 2]1952年(昭和27年)に特別名勝に指定され、2011年(平成23年)には史跡に指定された。

概要

国際宇宙ステーションから見た富士山(2001年5月27日 アメリカ航空宇宙局

富士山は日本最高峰の独立峰で、その優美な風貌は日本国内のみならず日本国外でも日本象徴として広く知られている。数多くの芸術作品の題材とされ、芸術面でも大きな影響を与えた。懸垂曲線の山容を有した玄武岩質成層火山で構成され、その山体は駿河湾の海岸まで及ぶ。

古来より霊峰とされ、特に浅間大神が鎮座するとされた山頂部は神聖視された。噴火を沈静化するため律令国家により浅間神社が祭祀され、浅間信仰が確立された。また、富士山修験道の開祖とされる富士上人により修験道の側面が築かれ、登拝が行われるようになった。これら富士信仰は時代により多様化し、村山修験富士講といった一派を形成するに至る。現在、富士山麓周辺には観光名所が多くある他、夏季には富士登山が盛んである。

地質学上の富士山

山梨県側(河口湖から)

地質学上の富士山は典型的な成層火山であり、この種の火山特有の美しい稜線を持つ。

現在の富士山の山体の形成は、大きく四段階に分かれる。

  1. 先小御岳
  2. 小御岳
  3. 古富士
  4. 新富士

この中で先小御岳が最も古く、数十万年前の更新世にできた火山である。東京大学地震研究所2004年4月に行ったボーリング調査によって、小御岳の下にさらに古い山体があることが判明した。安山岩を主体とするこの第4の山体は「先小御岳」と名付けられた。

古富士は8万年前頃から1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで、標高3,000m弱まで成長した。山頂は宝永火口の北側1?2kmのところにあったと考えられている。

2009年10月に、GPSによる富士山の観測で地殻変動が確認された。これは1996年4月の観測開始以来初めてのことである。この地殻変動により最大2センチの変化が現れ、富士宮市-富士吉田市間で約2cm伸びた。これはマグマが蓄積している(活火山である)現れとされている。

富士山の噴火

最終氷期が終了した約1万1千年前、古富士の山頂の西側で噴火が始まり、溶岩を大量に噴出した。この溶岩によって、現在の富士山の山体である新富士が形成された。その後、古富士の山頂が新富士の山頂の東側に顔を出しているような状態となっていたと見られるが、約2,500?2,800年前、風化が進んだ古富士の山頂部が大規模な山体崩壊(「御殿場岩なだれ」)を起こして崩壊してしまった。

新富士の山頂から溶岩が噴出していたのは、約1万1千年前?約8,000年前の3,000年間と、約4,500年前?約3,200年前の1,300年間と考えられている。これ以降、山頂部からの噴火は無いが、長尾山や宝永山などの側火山からの噴火が断続的に発生している。

延暦19年 - 21年(800年 - 802年)に延暦噴火、貞観6年(864年)に青木が原溶岩を噴出した貞観大噴火。最後に富士山が噴火したのは宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、噴煙は成層圏まで到達し、江戸では約4cmの火山灰が降り積もった。また、宝永大噴火によって富士山の山体に宝永山が形成された。その後も火山性の地震や噴気が観測されており、今後も噴火の可能性が残されている。

宝永大噴火以来300年にわたって噴火を起こしていないこともあり、1990年代まで小学校などでは富士山は休火山と教えられていた。しかし先述の通り富士山にはいまだ活発な活動が観測されており、また気象庁が休火山という区分を廃止したことも重なり、現在は活火山に区分されている。

噴火に関する記録

噴火の年代が考証できる最も古い記録は、『続日本紀』に記述されている、天応元年(781年)に富士山より降灰があったくだりである。平安時代初期に成立した『竹取物語』にも、富士山が作品成立の頃、活動期であったことを窺わせる記述がある。平安時代の歴史書『日本三代実録』には貞観大噴火の状況が迫力ある文体で記載され、平安時代中期の『更級日記』には、富士山の噴気や火映現象を表した描写がある。

宝永大噴火についての記録は、新井白石による『折りたく柴の記』をはじめとした文書、絵図等により多数残されている。
その後も、噴煙や鳴動の記録は多く残されているが、記述から見て短期間かつ小規模な活動で終わったものと推測される。