■「リミッツ・オブ・コントロール」(2009年・スペイン=アメリカ=日本)
監督=ジム・ジャームッシュ
主演=イザック・ド・バンコレ ティルダ・スウィントン 工藤夕貴 ジョン・ハート ガエル・ガルシア・ベルナル ビル・マーレイ
好き嫌いがはっきりと分かれる映画だ。殺し屋と思われる主人公が「自分こそが偉大だと思っているヤツを墓場に葬れ」との指令を受けて、スペイン中を移動し続けるロードムービー。殺し屋にも「待つ」という日常がある以上、淡々と日々が過ぎていくこともあるだろう。この映画はその「待つ」様子を2時間綴っていく。マッチ箱に入った指令が届いて、2杯のエスプレッソ飲んで、ホテルで寝て、朝の太極拳・・・。延々とそれが繰り返される。おそらく嫌いな人にはとんでもなく退屈な映画だろうし、その訳がわからない中にかっこよさを見つけ出す人も一方ではいることだろう。僕は・・・どちらかと言えば後者だった。
僕はジャームッシュ監督作品は「ミステリートレイン」しか観たことがない。だからこの映画がジャームッシュの集大成みたいに宣伝されているのが、ピンとこなかった。彼の作風を理解している訳ではないにせよ、この映画はストーリーを読み取るよりも、あるがままに受け入れて解釈をする映画だと思う。文章で言うならば、詳細に書かれた説明文を読むのではなく、「詩」を読んでいる感覚だ。しかも韻を踏みまくって、それぞれの節が少しずつ変化しているような定型詩。エスプレッソ、太極拳、ベッドでごろ寝が「韻」ならば、主人公の前に現れるエージェントらしき登場人物たちが「節の変化」だ。エージェントたちが好き勝手に彼に語る言葉は、ジャームッシュの芸術論や人生観なのかもしれない。美術館で主人公が見つめる絵画の一つ一つにも隠喩みたいなものが含まれているのだろう。それに明快な答えを導き出すことは僕にはできないけれど、そこに込められたであろう監督のこだわりは感じることができる。
「想像力を使え」と最初に言われる。部屋で待っている全裸の女性とか「男の願望」(裸に透明レインコート!エッチでしたねぇ♪)なのかもしれないし、標的であるビル・マーレイのアジトに潜入するラストのあっけなさも「想像」故なんだろうし。理屈で語れないのがこの映画の特徴だし、魅力でもある。そこを受け入れられるかどうかが好き嫌いになるのでしょうな。最後の最後まで、マッチ箱のメッセージをエスプレッソで飲み込んでいるのは何故?あれはコインロッカーの暗唱番号か何かなんだろうか。日本のバンドであるボリスが演奏するスコアも印象的。純白の衣装を着たティルダ・スウィントンが語る映画論も興味深い。