◼️「名探偵ポアロ ベネチアの亡霊/A Haunting In Venice」(2023年・アメリカ)
監督=ケネス・ブラナー
主演=ケネス・ブラナー ミシェル・ヨー ティナ・フェイ ジェイミー・ドーナン
アガサ・クリスティの「ハロウィーン・パーティ」を原作とする、ケネス・ブラナー=ポアロの第3作。前作の「ナイル殺人事件」がセット撮影や仰々しい演出だったから、次作はどうなるのかと案じていたのだけれど、オープニングからベネチアの美しい風景を満喫できる。コロナ禍がひと段落したこともあるのだろうか。
それにしても「ハロウィーン・パーティ」を舞台を変え、さらに「ベネチアの幽霊」とタイトルまで変えてホラー映画テイストにする趣向。ブラナー先生、ご乱心?。何を狙っているのかと心配になっていた。原作は未読だが、デビッド・スーシェのドラマ版は鑑賞済み。
ミステリー作家の女性から降霊会へと誘われるポアロ。彼女は霊媒師がすごいが、トリックがわからないと言う。その降霊会の後、霊媒師が殺害され、ポアロも危険に晒された。嵐が吹き荒れる中、屋敷に残された人々。彼らは屋敷にまつわる痛ましい過去から亡霊の仕業だと騒ぎ出す。果たしてポアロは犯人を見つけ出すことができるのか。
作家先生がドラマ版とは違って、前半はポアロの助手的な立場で事件に関わる。ポアロを世界で自分の次に頭のいい人物と言う、なんとも高飛車で自意識過剰な女性なのだが、後半は独自の推論を口にしてポアロの推理を混乱させる。しかしポアロにとっては、彼女も容疑者の一人。ドラマ版では、解決へのアイディアを出し、自分の推論を語って「小説ではありませんぞ!」と叱られる存在。
アップルボビングやハチミツなど原作にある要素を配置する一方で、登場人物の立ち位置や関係性は大きく改変されている。ドラマ版で印象的だった男と女の愛憎劇はなく、その代わりに心に残るのはホラー映画的な演出による全編の怪奇ムード。それでも人間関係を複雑に絡ませて、クリスティぽく仕上げているから、結末の謎解きは楽しめる。ドラマ版では、登場しないのに散々悪く言われる失踪中のメイドや、殺しの疑いをかけられる子供が本作では同名で登場するが、むしろ好意的な役柄に改変。ブラナー先生や脚本家は彼らに思い入れがあったのだろか。
医師親子を演じているのは、ブラナーの前作「ベルファスト」でも親子を演じたジェイミー・ドーナンとジュード・ヒル。霊媒師を堂々と演ずるのはミシェル・ヨー。こうしたこじんまりした舞台のクリスティ作品もいいけれど、「ABC殺人事件」や「死との約束」(「死海殺人事件」原作)を、ブラナーのポアロで観てみたい。
それにしても「ハロウィーン・パーティ」を舞台を変え、さらに「ベネチアの幽霊」とタイトルまで変えてホラー映画テイストにする趣向。ブラナー先生、ご乱心?。何を狙っているのかと心配になっていた。原作は未読だが、デビッド・スーシェのドラマ版は鑑賞済み。
ミステリー作家の女性から降霊会へと誘われるポアロ。彼女は霊媒師がすごいが、トリックがわからないと言う。その降霊会の後、霊媒師が殺害され、ポアロも危険に晒された。嵐が吹き荒れる中、屋敷に残された人々。彼らは屋敷にまつわる痛ましい過去から亡霊の仕業だと騒ぎ出す。果たしてポアロは犯人を見つけ出すことができるのか。
作家先生がドラマ版とは違って、前半はポアロの助手的な立場で事件に関わる。ポアロを世界で自分の次に頭のいい人物と言う、なんとも高飛車で自意識過剰な女性なのだが、後半は独自の推論を口にしてポアロの推理を混乱させる。しかしポアロにとっては、彼女も容疑者の一人。ドラマ版では、解決へのアイディアを出し、自分の推論を語って「小説ではありませんぞ!」と叱られる存在。
アップルボビングやハチミツなど原作にある要素を配置する一方で、登場人物の立ち位置や関係性は大きく改変されている。ドラマ版で印象的だった男と女の愛憎劇はなく、その代わりに心に残るのはホラー映画的な演出による全編の怪奇ムード。それでも人間関係を複雑に絡ませて、クリスティぽく仕上げているから、結末の謎解きは楽しめる。ドラマ版では、登場しないのに散々悪く言われる失踪中のメイドや、殺しの疑いをかけられる子供が本作では同名で登場するが、むしろ好意的な役柄に改変。ブラナー先生や脚本家は彼らに思い入れがあったのだろか。
医師親子を演じているのは、ブラナーの前作「ベルファスト」でも親子を演じたジェイミー・ドーナンとジュード・ヒル。霊媒師を堂々と演ずるのはミシェル・ヨー。こうしたこじんまりした舞台のクリスティ作品もいいけれど、「ABC殺人事件」や「死との約束」(「死海殺人事件」原作)を、ブラナーのポアロで観てみたい。