Some Like It Hot

お熱いのがお好きな映画ファンtakのつぶやき。
キネマ旬報社主催映画検定2級合格。

ロック・オブ・エイジズ

2013-01-01 | 映画(ら行)

■「ロック・オブ・エイジズ/Rock Of Ages」(2012年・アメリカ)

監督=アダム・シャンクマン
主演=ジュリアン・ハフ ディエゴ・ボネータ トム・クルーズ キャサリン・ゼダ・ジョーンズ アレック・ボールドウィン

 80年代の洋楽は、今どきはどうも笑いの対象に見られがち。ファッションも髪型もPVもド派手なMTV時代。ジョン・ボン・ジョヴィでさえ、子供にその頃の自分の映像を見せないようにしてるんだとか。いや確かに変わった時代でしたよ。白塗り少年やら、爆発したよな髪型やら、ホラー映画のようなPVやら、大義を掲げて大勢で集まったり、スゴ腕のメンバーなんだけどやたらポップな曲やってたりとか。他の時代にはなかったバブリーな雰囲気。そんな時代真っ只中、僕らはビルボードのチャートが載ってるFMfan片手にラジオにかじりついてたんだゼ。1987年を舞台にしたこのロックミュージカル映画、アメリカでも興収は今イチのようだし、おすぎにゴミ呼ばわりされたらしいし、やっぱり80年代は笑いのネタ。だけど、今もカヴァーされ愛される楽曲が多いのも80年代。音楽の嗜好や方向性が多様化した現代の楽曲で、果たしてこういう映画や舞台が作れるかと言えばそれは無理だろう。同時代でくくるだけで、こんな素敵なエンターテイメントができあがる。スゲぇだろ、80年代!。

 物語は田舎町からロサンゼルスに主人公シェリーがやって来るところから始まる。この数分間がまず圧巻。Paradise City~Sister Christian~Just Like Paradiseと続くメドレーに、一気に心は舞台の1987年へ。ロックの殿堂たるライブハウスと、その存続を阻もうとする女性団体との対立が主軸のお話。キャサリン・ゼダ・ジョーンズ扮する市長夫人がご婦人方を率いてパット・ベネターを歌い、若い主人公二人はフォリナーを歌いながら愛を確かめる。もともとこういう使われ方を想定してないはずなのにしっくりくるのは選曲の妙だし、楽曲の良さ。何よりも話題はロックスター役のトム・クルーズ。僕ら世代はどうしても「トップガン」で下手くそなライチャス・ブラザースを歌うイメージがあるもんで、今回歌手役と聞いて正直マジか?またええかっこしいやん!と思った。カッコいいこと言ってるようで訳がわからない役柄なれど、Wanted Dead Or Aliveを歌う場面などなかなかではないか。出てくる女性の髪型は中村あゆみかボニー・タイラーにしか見えなかったし。

 80年代育ちには楽しくてたまらない映画。ジャーニーファンの僕はクライマックスのDon't Stop Believin'に涙しそうになってしまった(恥)。サントラ欲しいー!これは一人で観る映画じゃないね。80年代育ち限定で盛り上がって観たい!できれば「マンマ・ミーア!」のときみたいに歌詞の字幕付きで!



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お目出たき人

2013-01-01 | 読書
武者小路実篤というと、何を思い浮かべるだろう。僕が真っ先に思い浮かべるのが”野菜の絵の人”なのね。「仲良きことは・・・」ってやつ。幼い頃に住んでいた家にもその絵が飾られていた記憶がある。

高校時代に「友情」を読んだことがある。確か読書感想文の宿題で課題図書のひとつだったのだが、愛情と友情の間に揺れる主人公の姿に僕は自分を重ねてしまった。
「これ、オレの恋愛の末路じゃねぇのか・・?」
とページをめくるごとに不安と驚きに震えたもんだ(のめり込み過ぎです)。



さて、以前に古本市で手に入れていた「お目出たき人」を読んでみた。なんとなく手に入れたものだったが、これがなんとも面白い。短かったこともあるが、夢中になってしまい、すぐに読み終わってしまった。





簡単に言っちゃえば、思いこみが激しい主人公が、勝手に近所の女の子に惚れて、妄想を膨らます・・・というお話。冒頭いきなり
「自分は女に餓えている」
と1ページに3度も記されているし、”伏せ字”で欲望の処理方法にまで触れる部分も・・・。明治の終わりにこんな文章がかかれていたのかぁ、と驚いてしまう。彼が恋する近所に住む鶴チャンは気だてのいい女学生。主人公はろくに話もしたことがないのに、勝手に結婚するなら鶴チャン!と決めて、家族も説き伏せ、知人に縁談をもちかけてもらう。その一方的な考えや言動に読み進めていくうちにだんだんと呆れてくるのだが、全編ずーっと主人公が心の中でぼやき続けるのが何とも言えず面白い。そう、ウディ・アレン映画の自嘲的なナレーションにも似た雰囲気。だけど同じ内容を現在に置き換えちゃうと、筋金入りのストーカー物語になっちゃいそうだ。

この小説のクライマックスは、1年以上鶴チャンに会ってないなぁ、と考えながら、彼女の住む街を通りかかる場面。電車の同じ車両に鶴チャンが乗ってくる。彼女は自分に気づいて間をおいている。向かいの席に座れなかったことを悔しく思ったり、電車を降りるときに彼女に続いて降りようとして背中に触れたり。そして改札口を出るところで、鶴チャンに先を譲ってもらって「夫の威厳をもって」通ったり、しばらく後を鶴チャンが歩いているだけでもう有頂天・・・。はぁ、何と嬉しそうな。ただそれだけなのに、「鶴は僕を恋しているのだ」とまぁ思いこみが激しいたらありゃしない。この場面の文章がそれまでの”ぼやき”から一変、主人公のドキドキが伝わってくる。結末は・・・ここでは書かずにおこう。この主人公の恋がどうなるのかは是非読んで確かめて欲しい!。

最近僕が真剣に見ている韓流ドラマ「恋愛時代」の第2回は、「愛と執着はどう違うのだろう」がテーマ。”明治末期の男の執着”を読むことができるのが「お目出たき人」だ。でもその感情は、きっと今の世でも変わらない。ただ度を超すとさすがに問題がある訳だが。

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ローラーガールズ・ダイアリー

2013-01-01 | 映画(ら行)

■「ローラーガールズ・ダイアリー/Whip It」(2009年・アメリカ)
監督=ドリュー・バリモア
主演=エレン・ペイジ マーシャ・ゲイ・ハーデン クリスティン・ウィグ ジュリエット・ルイス ダニエル・スターン

 ドリュー・バリモアが初監督を務めた青春映画は、後味のよいキャンディみたいな映画だった。何を言ってる?と思うかもしれないけど、エンドクレジットを迎えて僕の頭にふっと浮かんだ言葉はそれだった。ご存じの通り「E.T.」の子役で注目されたドリュー・バリモア。あのグレタ・ガルボとも共演している大叔父さんもいる俳優一家の出身。今回の監督業進出もそうした血筋故なのかな。実際に観る前は、お気軽に観られる青春映画のイメージを持っていた。ところがどうして、主人公の成長物語だけでなく、家族の絆、チームメイトの成長、それにアメリカ地方都市の閉塞感にも似た空気をもバランスよく描いた映画に仕上がっている。いい意味で期待を裏切られたと言っていいだろう。

 主人公ブリスは、ミスコンに執念を燃やす母親に違和感を感じながらもそれに従う日々を送っていた。ある日ローラゲームのチラシを目にしたことがきっかけで、彼女は実際の年齢を隠してチームの選抜試験を受ける。ルールも知らない初心者されど、彼女の滑るスピードは群を抜いていた。そして親に隠れてローラーゲームの試合に出場することになる。万年リーグ最下位でなげやりだったチームメイトが、ブリスの活躍で勝利の味を知ってからは大奮闘。リーグ優勝を争えるところまでやってきた。ところが、一緒に試合に来ていた友人が未成年の飲酒で逮捕されたことから親にばれてしまい・・・。

 「JUNO」のエレン・ペイジが健気に頑張る女の子を熱演。彼女は悩みながらも自分を見つけ出す成長物語がよく似合うね。悪役となるローラーゲームの選手には大好きだったジュリエット・ルイス!。30歳過ぎでやっと自分の活躍の場を見いだしたのに、17歳の小娘に負けられない。単なる悪役ではなくて、そんな懸命さが伝わるいい演技だった。また、子持ちであることを隠しながらも頑張っているチームの先輩クリスティン・ウィグの存在が、主人公が親心を理解させるきっかけになる伏線もいい。ローラゲームに賭ける女性達の本音や生き様も丁寧に描いている。一方で、ドリュー・バリモア監督は、チーム内でのいちばんかっこ悪い役柄で引き立て役に回っているのもナイス。映画ファンには「ホームアローン」こそ泥だったダニエル・スターンやタランティーノ映画のスタントウーマンであるゾーイ・ベルの出演も実に嬉しい。

 アメリカのド田舎で、娘のステップアップの為ミスコンに賭ける人々が描かれた映画というと、キルスティン・ダンスト主演の「私が美しくなった100の秘密」がある。カースティ・アレイ扮する母親が娘を優勝させるべく執念を燃やす姿はとても印象に残った。「ローラーガールズ~」の母親マーシャ・ゲイ・ハーデンもその一人。カースティ・アレイのクールな美しさとはちがって表情がキツい女優さんだけに(?)、その分だけ執念の強さが感じられた。主人公ブリスが何も言えずにいたことや。本当に夢中になれることを見つけたのに、打ち明けられなかったのもすごくよくわかる。またその妻にやはり圧迫を感じているのは夫も然り。ミスコン向けのお堅い保守的な家庭を演出しようとするあまりに、自分を出せない姿にはあわれを感じずにいられない(共感?)。母親が好きだったバンドが、キリストを賛美するクリスチャンロックの代表的存在であるストライパーというのも、うまい小ネタの使い方だなぁと思う。また、いかにもテキサスの田舎で流れていそうなカントリー(ドリー・パートンのジョリーン)の替え歌で、都会への憧れを歌う場面も面白いね。でも・・・どうして最下位チームの選手に感動してしまったのか、店に入ってきたチラシや初めて観たローラーゲームの試合がどれだけ彼女にとって衝撃だったのかは、ちょっと理解に苦しむ。それでも映画全体は楽しいし、よくできている。うむ。ラブシーンはどうしてここまで少女趣味?と思えるくらいにロマンティック。



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ゲッタウェイ

2013-01-01 | 映画(か行)

■「ゲッタウェイ/The Getaway」(1972年・アメリカ)

監督=サム・ペキンパー
主演=スティーブ・マックイーン アリ・マックグロー ベン・ジョンソン

スティーブ・マックィーンは男の憧れだ。タフでクールな不屈の男というのが一般的に僕らが抱くイメージ。マックィーンが亡くなったのは1980年で、遺作の「ハンター」がちょうど公開されていたのもリアルタイムで覚えている。当時、民放地上波の映画番組はマックィーン追悼番組を編成、幸運にも僕らは集中して代表作を観ることができた。僕はまさに外国映画にかぶれ始めた時期。「パピヨン」「大脱走」「荒野の七人」「栄光のル・マン」「華麗なる賭け」・・・スティーブ・マックィーンはすぐに僕らにとってのヒーローとなっていく。代表作のひとつ「ゲッタウェイ」もまさにそんな時期に初めて観た。

監督はバイオレンス映画の巨匠と言われたサム・ペキンパー、脚本も後に様々なアクション映画の監督で活躍するウォルター・ヒル。彼らにとっても代表作である。主人公ドク・マッコイは、地方の有力者ベニオン(ベン・ジョンソン)の指示で銀行強盗を実行する。途中でメンバーの裏切りに遭い、金を持って妻(アリ・マックグロー)と共に追われる身に。自分が刑務所から出られたのは、妻がベニオンと関係をもったからだと知ることに。ベニオンを射殺した妻と二人で逃亡を続けるが、お互い心穏やかではない。やがて追っ手が彼らの元に迫ってくる・・・。

初めて観たのは多分高校生の頃。ホテルの階段でドクがショットガンをブッ放ち、悪党がスローモーションで倒れていくペキンパーらしい描写。愛する女を抱きながら銃を手にするマックィーンに、これが男だぜ!と思ったものだ。しかし。この年齢で改めて「ゲッタウェイ」を観ると印象が違う。ドク・マッコイは決してかっこよくない。妻がベニオンと寝てドクを刑務所から出したことを知ると、いつまでもそのことで恨み辛みを口にする(気持ちはわかるけど)。妻にベニオンに会うように言ったのはドク自身であることを反論されると、もう黙って何も言えない。しまいには「いつまでもウジウジしないの!」みたいに言われてしまう。気のいいオヤジからトラックを買おうとするラストでも、気前よく払おうとするのは妻だ。クールでタフ・・・と僕が長年この映画のマックィーンに抱いていたイメージとは違うのだ。

きっとそれは年齢を重ねて、この映画を単にサスペンスだけでなく、男と女の物語として観る視野を僕が身につけたということか。お互いの足りないところを補い合える、信頼できる存在が夫婦。それをペキンパーの暴力映画で考えるって、なんか面白いじゃない。メキシコ国境を越えるラスト、トラックのオヤジに二人の関係を問われる場面。「あんたたちは夫婦かい?。そりゃよかった。近頃の男と女ときたら・・・」と語られる二人。男と女が助け合うこと、信頼しあうこと、一緒に物事を成し遂げること。実はいちばん言いたかったのはこれかもしれない。撮影当時、マックィーンとアリ・マックグローは実際に夫婦だった。後に製作されたリメイク(1994)は、アレック・ボールドウィンとキム・ベイシンガー夫妻が主演だった。リチャード・マークスの主題歌と、二人の本気(!)のベッドシーンが話題だったっけ。ともかく、この「ゲッタウェイ」という物語は単なる活劇エンターテイメントではない。アル・レッティエリに妻を寝取られる獣医師も含めて、男と女の関係について考えさせる物語なのである。




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裸足の1500マイル

2013-01-01 | 映画(は行)

■「裸足の1500マイル/Rabbit Proof Fence」(2002年・オーストラリア)

●2002年ナショナル・ボード・オブ・レビュー 監督賞・表現の自由賞
●2002年豪アカデミー賞 作品賞・音楽賞・音響賞

監督=フィリップ・ノイス
主演=エヴァーリン・サンビ ローラ・モナガン

 オーストラリアにおける「白豪主義」政策とはどんなものだったのか、そして先住民族アボリジニーの生活や習慣を正面から取りあげている点で、実に貴重なフィルムだ。純血のアボリジニーは隔離して数を減らすに任せ、白人との混血は施設に入れて職業訓練を施す。8代もすると民族の特徴はなくなる・・・とまあここまで白人はつけあがっていたのか!と怒りを覚えること必至。そんな考え方が70年代初めまでまかり通っていたとは!。そんなオーストラリアの歴史を少し予習しておくと、感想はまた違ったものになることだろう。

 しかし、この映画が伝えたいのはそうした政治的な告発ではなくて、親と子の絆。子供たちの母親に会いたいと思う気持ちは、途方もなく遠い道のりをも乗り越えさせた。実話の映画化というと、観客は意識してしまって”映画以外のところで”感動させられることがしばしばある。この映画は観客に涙を誘う為に作られた、いわゆる感動作とは違う。監督を始めオーストラリア出身のスタッフが、現実を伝えよう、親子の姿を伝えよう、とその一心で作った誠実さが感じられるのだ。

 正直これまでのフィリップ・ノイス監督作は嫌いだ。初めて観た「ラスト・ジゴロ」といい、「パトリオット・ゲーム」といい、「硝子の塔」といい、どれもつまらない映画ばかり。でもこれは全く違う。監督の出身国への思い入れがあるせいなのだろうか。また、同じくオーストラリア出身のクリストファー・ドイルのカメラがまた絶品。追っ手を逃れて少女たちが走る夜明けの空。砂漠の陽炎に揺れる少女たちの陰影。何もない広大な大地。自然の美しさと、歩き続ける少女たちには絶望的にも感ずる広大さを、カメラは見事に描き出す。ピーター・ガブリエルの音楽も強く印象に残る。憎まれ役ケネス・ブラナーも好助演。



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今日の映画台詞・「キル・ビルvol.2」(2004)

2013-01-01 | 今日の映画台詞
11:25 from web
今日の映画台詞◆

「スーパーマンとバットマンの違いが何か知ってるか?」 
「キル・ビルvol.2」(2004)


◆スーパーマンはそもそも超人であるが、バットマンの正体はブルース・ウェインという人間。帰るべき姿があるのかないのか。主人公が”生まれついての殺し屋”であることを表現したもの。
by t_somelikeithot on Twitter

タランティーノ監督が手がけた脚本にはアメコミやテレビ番組の話題がよく登場する。これもそのひとつ。「vol.2」のクライマックス、いよいよ仇ビルと向き合う主人公。そもそもビルの配下の殺し屋だった主人公にビルが、自分もお前も生まれついての殺し屋(ナチュラルボーン・キラー)だ、と説く場面で登場する台詞。この台詞は単なるおふざけでなく、「キル・ビル」全編に通じるテーマをうまく表現して印象に残る。

キル・ビル Vol.2 [DVD]


Kill Bill Vol. 2 - Trailer



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おにいちゃんのハナビ

2013-01-01 | 映画(あ行)

■「おにいちゃんのハナビ」(2010年・日本)

監督=国本雅弘
主演=高良健吾 谷村美月 宮崎美子 大杉漣 早織

 白血病の妹の為に、引きこもっていた兄貴が頑張るお話・・・と聞いて、難病ものかぁ・・・お涙ちょうだいな映画なんやろ、と正直期待せずに劇場へ。多くの人がこの映画について言うように、まさに「ベタ」な映画だ。気丈で兄貴思いの妹、そんな妹には逆らえずに次第に心を開いていく兄貴。映画半ばで死んでしまった妹の為に、一念発起する兄貴。ここまで読んで、「難病もの+成長物語」の王道みたいに多くの方々は思うことだろう。でもね、この「ベタ」さが全然あざとくない。作り手が観客泣かそうとあの手この手で迫ってくる映画ではないのだ。むしろ僕らは、その「ベタ」さを観客席で素直に受け止められる。エンドクレジットの藤井フミヤの主題歌はさすがに「泣かせ」ようとするスタッフの意思を感じたが(笑)、それでもクレジットの途中で席を立とうとは決して思わなかった。「ベタ」だが、決してダサくない。素直に泣ける映画だ。

 妹の療養の為に、東京から新潟に引っ越してきた須藤一家。妹華(はな)が退院すると高校の卒業式以来兄が引きこもっていた。華は兄を立ち直らせようとあの手この手で励まし続ける。そんな妹に頑なだった兄は次第に心を開き始める。

 一家が暮らす片貝町は、ギネスにも認定された世界一の大玉花火を打ち上げる花火大会で知られる。それだけでなく、この花火大会の資金は町民が持ち寄り、人生の節目の祝いや供養の為に奉納という形で花火を打ち上げる。嬉しさや悲しさを花火で分かち合う。そんな町なのだ。何て素敵な風習だろう。地元中学出身でその年に成人となる人々が集まる会も、その花火大会で自分たちの花火を打ち上げようと企画を練っていた。華は兄にその会に入ってみんなで花火を打ち上げて欲しいと願う。しかしよそ者だし人間関係を苦手とする彼は、苦労するが次第に会に受け入れられていく。そんな折、華の病気が再発。彼女は病床でも明るく振る舞い、「おにいちゃんの花火が見たい」を繰り返す。そして病状は深刻に・・・。

 ここまで読んで結末見えた!って思うでしょ。結末はその通りと言っていい。しかし、最初にも述べたようにその「ベタ」な展開が不自然に感じないし、無理してるとも思えない。それは、キャスティングや演技の巧さがあるんじゃないだろうか。高良健吾クンが次第に笑顔を取り戻す様子も、苦悩する表情も、人と会話できない様子も、わざとらしさは感じない。妹の死後にメッセージが届く重要な場面での号泣する姿。主演男優と思えないほどに、かっこ悪いくらいにボロボロ泣く。でも、きっと誰もがあんな涙を見せるだろうと思えるのだ。
 
 宮崎美子扮する母親の笑顔を絶やさない気丈さと、その裏で堪えている姿。口数の少ない不器用な父親を演ずる大杉漣。その中で過剰?とも思えるくらいの兄妹の仲の良さ!谷村美月の健気さは、まるで教育映画?と思えるくらいに理想的妹像(笑)。繰り返すがこれくらい「ベタ」な感動を素直にさせてくれる映画はなかなかないと思うぞ。難を言えば、ラストの花火大会で成人会のみんなに親が頭下げるのはいかんと思う。そこはちょっと腹立たしかった。だが、そこを腹立たしく思うほど自分がこの映画を真剣に観ていってことでもあるか。映画館で観る際はできるだけ前で、部屋で観るならクライマックスは電気を消してご覧あれ!。花火大会は感動するよ。



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女性上位時代

2013-01-01 | 映画(さ行)

■「女性上位時代/La Matriarca」(1968年・イタリア)

監督=パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
主演=カトリーヌ・スパーク ジャン・ルイ・トランティニャン ガブリエル・フェルゼッティ

※注意・結末に触れています。
ピチカートファイヴのアルバムタイトルにも使われ、3代目ヴォーカルの野宮真貴が好きな映画と公言していたイタリア映画。ひと言で表現すればセックスコメディなのだが、アルマンド・トロバヨーリの音楽と美しいカトリーヌ・スパークが身にまとう色とりどりのファッションの数々で、実にお洒落な映画に仕上がっている。お話はとんでもないけれど、男性として繰り返し観たくなる気持ちも、女性がこの映画に感じる面白さも納得できる。

映画冒頭。画面に等間隔に並んだ黒い椅子。それが葬儀場で、主人公ミミが未亡人となったことが観客に紹介される。「ぜんぜん悲しくないのよね。退屈な葬儀。」と心の声がナレーションとして流れる数分間でヒロインの置かれた状況と夫との関係が観客に示される。弁護士から夫がセカンドハウスを持っていたことを知らされる。彼女はそこで夫が他の女性と密会を重ね、変態じみた性の饗宴を繰り広げていたことを知ることになる。彼女はそれを機会に自分も性の世界を楽しむと心に決め、次から次へと男性関係を重ねていく。暴力的な男の男もいればマゾ趣味の男もいる。夫の友人でもあった弁護士にアバンチュールもほどほどにと忠告されるが、彼女の暴走を止められない。そんなとき真面目そうな放射線科の医師が彼女の前に現れる・・・。

人と違う性癖があることは、それぞれの好みだし恥じることではない。主人公ミミもこの経験を通して男性におんぶしてもらうことの快感を知ることになるという結末。結婚を申し込み、彼女の遍歴を知った後。それでも彼女を受けとめるという彼に屈服する主人公。ラストシーンで、ジャン・ルイ・トランティニャンの背中にカトリーヌ・スパークがまたがる場面は可笑しくもあり、微笑ましくもあり。男と女も結局お互いが好むことを受け入れられるかがうまくいく秘訣なんだろう。淫らな物語でありながら、男と女についてちょっと考えさせる大人の為の映画。男と女って、深いねぇ。




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もすかう

2013-01-01 | 音楽
空耳ソング、今度は「もすかう」 (日刊スポーツ) - goo ニュース
「恋のマイアヒ」の後を追って、ネットで話題となっていた「もすかう」がついにリリース!。・・・ってジンギスカンのヒット曲2曲がカップリングで再発売ということなんですな。原曲を聴こう!っていうベクトルなら賛同するんだけど、アーティストが
「ボートでヘーコラホー」名義
ってのがやっぱり「ゆ~るせへん」(笑)

正直言うと空耳ソング好きなのね。だけど「マイアヒ」がそうだったように、楽曲のイメージがねじ曲げられて世間に伝わっていることがいかんと思うのだ。おまけにエイベックスが”のまネコ”キャラクター化したことも便乗商法以外の何者でもない。だから今回は、純粋にジンギスカンのリバイバルヒットってことで盛り上がって欲しいのね。DVD付きで販売するようなことはやって欲しくないっす!。・・・といいながらもあのフラッシュムービー自体はお気に入り。でもあれは、あり余る才能をああいうおふざけフラッシュに傾けたことに感動するのであって、あれが商業ベースにのるのはやはり違うと思うのね。

・・・という訳でこちらがジンギスカンのアルバム。これを聴きませう。もちろん恋のダンスサイトの元ネタである「ジンギスカン」も、「もすかう」こと「めざせモスクワ」も収録していますよ。


「サムライ」・・・ってどんな曲だったっけ?聴きなおしてみよう。

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マネーボール

2013-01-01 | 映画(ま行)

■「マネーボール/Moneyball」(2011年・アメリカ)

監督=ベネット・ミラー
主演=ブラッド・ピット ジョナ・ヒル フィリップ・シーモア・ホフマン ロビン・ライト

●2011年NY批評家協会賞 主演男優賞・脚本賞

人は野球に夢を見る。この「マネーボール」の中に出てくる台詞。これまでもアメリカ映画は数々の野球映画を製作してきた。「プリティリーグ」や「ナチュラル」は大好きな映画だし、毛色は違うけど「フィールド・オブ・ドリームス」はまさに野球に夢を見る映画。野球の主人公はやはりフィールドの中にいる選手たち。僕らは当然彼らの活躍を観るために球場に行くし、そこで生まれたあまたのドラマに感動し、勇気をもらう。そして僕らの生活は(個人差こそあれ)元気をもらうんだ。しかし、球団を運営する側であるマネージャーを描いた映画はこれまでになかった。「マネーボール」は低迷するオークランド・アスレチックスを、独自の理論で改革したGMビリー・ビーンの実話を映画化したものだ。そんな企画はこれまでになかった。

野球が好きで選手達の華麗で懸命なプレイをこの映画に期待するなら、それは間違いだ。この映画はそこを主眼には置いていない。クリス・プラット演ずる元捕手が劇的なホームランを打つ場面こそ感動的だけど、この映画では見せたかったところではない。旧態依然とした野球界で、現状を打開すべく新たな試みに挑戦する男の姿が主眼。あくまでこれはマネジメント側の映画だ。マネーボール理論がオールマイティに有効な手法かという結論を映画は示していない。映画で再三繰り返されるように予算のない球団だからこそ挑めた手法だろうし、リッチな球団ならそんなことはきっと考えなかった。だが、そこに挑んだからこそ伝説となる成果をあげることができたのだ。相棒となるピーターも経済学を専攻した人で、選手から一歩引いたところからフィールドを見ることができる人物。様々なビジネスの業界でも、その事業からかけ離れた仕事をしていた人が手がけたことでそれまでにない成功をする例はみられる。「マネーボール」もそうした一つとして観るのがよいのかもしれない。例えば村上龍氏の番組「カンブリア宮殿」を見るつもりで。

とは言ってもこれは映画だ。エンターテイメントでなければならないし、主人公が成功にたどり着くまでの起伏もきっちり物語として描くことが必要だ。よくあるハリウッドならば、きっとこの話を美談としてド派手な映画になっていたことだろう。ビリーの提案を受け入れない監督や球団のお歴々が涙するような結末。ファンファーレのような音楽がホームランと共に鳴り響き、主人公は選手とともに涙する・・・。ところがこの映画はとことん地味だ。抑えめな演出。大げさな台詞もない。音楽だって静かなものだ。主人公が周囲に理解されないながらも懸命に頑張る姿。理解者はピーターくらいで、娘が歌うカントリーぽい曲に勇気づけられる。・・・こういう人って周りにいないだろうか。もしかしたら自分自身もビリーと同じように周囲に理解されないながらも、戦い続けていないだろうか。僕自身も、仕事で現場の意見や事情をまったく聴こうともしない人々に刃向かってきたことがある。会社内部は認めてくれないけど、世間は僕らがやってきた成果を認めて選んでくれた。そんな気持ちを思い出させてくれた。映画の終盤、レッドソックスから声をかけられるビリー。それはやっと球界に認めてもらえた瞬間だ。しかし彼はその道を選ばない。信念を貫く男の姿。フィールド内の歓喜の声の陰にこういう人々の努力がある。オリンピックの陰で、人知れずガッツポーズをした「炎のランナー」のイアン・ホルムみたいに。世知辛い世の中だけど、オレも頑張ろう。そんな気持ちで映画館を後にできた。

ブラッド・ピットは、ますますロバート・レッドフォードに似てきたよね。他の主演作みたいにキレず、暴れず、狂わないブラッド・ピット。でも僕はこういう彼を望んでいた気がする。本業はコメディアンというジョナ・ヒルもいい仕事。




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