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山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

穏やかな秋をゆるりと生き抜く

2022-10-31 19:09:55 | 市民活動・まち育て

 昨日は、プレイパークの遊具づくりの助っ人に行く。5日に県の公園で行う冒険遊び場に使う遊具を作るという。今まのプレイパークは、人がある程度集まると近隣から苦情もあり、個人の場所ではなかなかその確保が難しい。地方では開けた平地がないこともあるし、人もどんどん少なくなっている。地域で子育てする担い手が激減している現実。子どもも大人もマイホームという洞穴に封じ込められるから、そのストレスやもやもやが人格解体を引き起こし、事件にも「拡大」してきている。

         

 そんななか、幼児を持つ30代の親を中心にプレイパークを準備・運営するというのだ。渋谷に行けばひまな若者がわんさといるというのに。ここでは8人ほどの大人が大工仕事や炊事に汗をかいている。

 オイラは様子を見て、遊具そのものの制作は若者の発想に任せて、側面からのフォローに徹することにした。若い親や幼児たちの腹ごしらえのために、大量にいただいていた「里芋」をダッチオーブンで蒸すことにした。さいわい、近くに乾いた樹の根っこや枝の山があったので、「薪」には苦労しなかったのがうれしい。

           

 アルミホイルで焦げるのを防止した効果があったようで、強力な火力にもかかわらず焦げつくのはあまりなかったのが幸いだった(画像は蒸す前)。ただし、アルミホイルを二重にした「焼き芋」は取り出すのが遅かったせいか、おこげが多くなってしまった。いっぽう、七輪で沸かしたお湯で「コーヒー」を楽しむのは定番となった。中心のフキちゃん夫婦らは、忙しい合間に薪で炊いた羽釜のご飯と野菜たっぷりのみそ汁をお昼に作ってくれた。

   

 子どもたちは慣れたもので作られてきた部品でさっそく遊びを創造している。ゴルフボールを流して木琴や鉄琴の音やコースを外れた意外性を楽しんでいた。この緩やかな空間には、韓国の群衆雪崩の悲劇もロシアの一方的な地域抹消・人間の殺戮もない。日本の真綿に絞められたような軋轢やストレスは、仮装で表現するしかないのだろうか。それでしか注目されない若者の「孤独」を感じる。

        

 「書を捨て、街に行こう」ではなく、「都会を捨て、田舎に行こう」が最も先駆的なクールとなった。穏やかな秋空の下、ここでは同じ若夫婦のつながりがある。そこには緩やかな信頼・やりがいの共有がある。さらにそこへ、高齢のエンジニア・山猿さんも豊富な経験値を側面から投げつけてくれる。 

 そこへ、徘徊している鶏が食べているご飯を狙ってくる。傍らにご飯を置くとあっという間に群がってくる。油断ならないが人懐っこい。攻撃的でないので子どもたちもひょいと抱きかかえる。この山に囲まれた風景に溶け込んでいる。

          

 この褐色の鶏の品種は「もみじ」というらしい。茶色の卵を産む。肉や骨はラーメンや中華料理のスープの材料としている。この足部分を甘辛く煮込んだ大分県日田市の郷土料理にもなっている。この足が「もみじ」の葉に似ているから命名された。この鶏の「種」の94%を輸入に頼っているという。輸入がストップされると日本の養鶏は壊滅的な被害がある。したがって、国産は6%だから、ここでも食料自給率が問われる。 

 そんな背景は別にして、「もみじ」諸君の食欲は旺盛だ。それでも、野放しの「諸君」を見ていると心が穏やかになってくいく。のんびりやの鶏諸君・汗を流していた親子の諸君。これらの光景を共有していく日本にならなければならないとつくづく思う。壁は韓国や渋谷のハロウィンの圧殺のようにそれは残酷であるのが現実だ。それでも、ここの空気と空間には希望に満ち満ちている。    

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炎天下のプレイパーク

2022-05-30 23:42:04 | 市民活動・まち育て

 熱中症が心配になったが、「春野人めぐり」という市民活動の一環を担った野外活動が開催された。その一つである、小橋さんのキャンピングと西田さんのプレイパークとのコラボが原っぱで行われた。オイラはそれらの活動を勝手に応援することになった。いつものように、小橋さんの飼っているヤギはこの場所を象徴する癒し効果がある。

 

 また、西田さんが飼っているニワトリを持参したのも存在感がある。アメリカ原産の「プリマスロック」という品種のようだ。大根の葉などをあげている親子がみられた。また、参加者が連れてきた白い超大型犬にも近くにいた人が次々と群がった。ピレネー山脈の番犬で有名なフランス原産の「グレートピレニーズ」か。ウクライナ侵略の殺伐としたニュースが氾濫する中で、この原っぱで展開される世界は、なんと豊かさに満ちていることだろう。

  

 オイラはフライパンでコーヒーの生豆を焙煎するというコーナーをやってみた。すると、参加者の何人かが焙煎やその豆を三人がかりでミルを挽く風景が見事だった。焙煎はムラができてしまい片手間ではうまくいかない。それでも、自分が挽いたコーヒーの味は格別だったようだ。プレイパークを開拓してきた先人たちからすれば、とんでもないコーナーかもしれないが、子どもだけでなく大人自身も楽しむプレイパークにすべきというのがオイラの考えだ。 

 

 前日に収穫したアンデス原産の新ジャガイモを焚き火にダッチオーブンを投入して焼いてみた。アルミホイルで覆ったので焦げる芋は回避された。お昼どきだったせいかそのほくほくが好評だった。かなりの量があったもののほぼ完食となった。

 また、けん玉もはまってしまったおとなもいた。今までできなくて避けていたが、生まれて初めて皿に乗せられることができ、しかも、「剣先すべり」という高度な早業も成功、病みつきになりそうとしばらく続けていた。

   

 前回も行われていた七輪にビー玉を投入して、「クラックビー玉」を挑戦していた。アクセサリーやインテリアにもなる。熱したビー玉を冷たい水に入れると意外なひび割れができるのが面白い。

         

 さらに、参加者が持参したゲーム、ボーリングのようなボッチャのようなゲーム「モルック」も人気があった。フィンランドで開発されたスポーツだ。12本のピンをモルックという棒を投げて得点を争うチーム対抗の競技。倒れた本数が得点というのが基本だが、1本だけ倒したときはピンに書かれた数字が得点だという。50点を先取したほうが勝ちだが、それを越えると半分の25点になってしまうので、頭を使うルールとなっている。

    

 なお、今回から簡易トイレが設置された。スタッフ肝いりの手作りトイレ。はじめは宿泊用の「ティピ」テントかと思っていたが、近寄ってみたらトイレだった。

 原っぱは草刈りした跡もあり事前準備が大変だったのがわかる。おかげで、乾燥した草を焚き火に利用できたのも特筆したい。とにかく、炎天下だったので早々に退散したのが老兵にはよかった。もし、夕方までいたら熱中症になったのが予想できた。二日連続のイベントだったが、若い主催者の動きが素晴らしい。倒れなければと願わずにはいられない。

 

 

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地域マガジン「第5号」を発行

2022-04-15 21:40:55 | 市民活動・まち育て

 10所帯しかないわが集落の超ミニ地域マガジン『小さな山里のアナザーワールド』第5号を発行する。毎回パソコンやプリンターのトラブルで手こずっていたが、今回はプリンターが比較的「お利口さん」してくれたので、先月末に100部ほどを印刷することができた。

 内容は、自分が住んでいる地域の植物・生きものの紹介と地元の歴史の証言を編集している。郷土史は図書館で見られるものの、その中心はやはり町の中心部だけの資料しかないのが現状だ。しかも、植物や動物・昆虫などの地元の記録はゼロに等しい。

   

 歴史も人物も自然も、都会や町にしか資料が残されていない。それは大河ドラマと同じじゃぁないか。歴史に翻弄されたフツーの人間ドラマや忘れられたような動植物を残すのも大切だと2018年創刊する。A4判5枚裏表のミニ情報誌で、1年に1回のスローペースで無理なく手作りの編集・印刷をしてきた。

             

 おかげで、カンパや切手をはじめメール・お手紙を毎回のようにいただいている。ときには直接お電話をかけてくださるかたもいる。とくに、故郷を離れたかたの思い入れが熱い。これらをバネに命が続けば第10号まではなんとか到達していきたいものだ。

 ところで、この小さな冊子を綴じるにあたって、中国製のステープラーの質の悪さに毎回地団太を踏む。針がすぐ折れてやり直すことたびたび。購入した時は中国製であることを確認しなかったせいもあるが。また、印刷インク代が高くてしかもすぐ無くなってしまう。安いインクを使うとトラブルも少なくない。というわけで、毎回の苦闘を経て発行があるのだが、それらを読み取る受け手が少ないのが残念。でも、毎回楽しく作業をしていることだけは間違いない。

 

   

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大晦日に「プレイパーク」アゲイン

2021-12-31 16:54:15 | 市民活動・まち育て

 五日前に行なったプレイパークの打ち上げもどきを、きょうの大晦日にやるという。朝起きて間もなくのわが家周辺には雪が積もっていたので、こりゃコンディションが悪いのではないかとしばし様子を見る。天気予報では雪がやむはずだというので、雪が降りしきるなか会場に恐る恐る向かう。

  

 するとなんてこった、近くの道路も現地にも雪の面影がない。遠くの山々はうっすらと積雪が確認できたが会場の原っぱには若い参加者の熱気の炎によって雪が霧散してしまったようだった。しかも、会場にはいろいろな仕掛けが転がっているのも主催者側の配慮や準備の跡が見逃せない。

   

 その仕掛けの一端では、前回のヤギさんはもちろんアメリカのブロイラーの主流だった「プリマスロック」が広い網の中で公開され、子どもたちはしばらく餌やりを楽しんでいた。また、タイヤブランコやシーソーの定番の遊びも体験しつつ、焚き火で暖をとりながらまわりにある枯草を投入していた。

  

 お昼を過ぎたころ、ピザや釜で炊いたご飯のカレーライスもできあがり、さらには、山猿さん親子が作った豚汁がお腹も心も温めてくれた。鍋からはみ出るほどの具たくさんの豚汁も後半にはわずかしか残っていなかったところから、お代りした人が続出したわけだ。それもそのはず。味噌は山猿さんが作った麹たっぷりの味噌だったからね。オイラは前回と同様焙煎したエチオピアモカコーヒーとギンナンを用意して参入。

  

 そしてなんと、全裸の少年がドラム缶風呂に入るというではないか。さすがに入る前はブルブル震えてはいたが、風呂につかると「♪いい湯だな」というわけだ。こんな体験を大晦日にやるっていう発想は神社めぐりを超えた未来を感じる。

  

 その近くには、行水をしてしまった幼児もいた。焚き火の煙や粉雪がときどき襲ってきたようだが、それもなんのその風流を優先したのだった。なんという豊かさがこの時空にはあるのだろうか。「縮小する日本」の現実をただす希望がここにはある。それも、自然体で展開する親子の穏やかな空気がいい。これらを大切にしていけば、世知辛い現実の世界をうまく泳ぎ切るに違いない。

 

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過疎地でのプレイパーク 2

2021-12-24 21:03:28 | 市民活動・まち育て

 感動は収まらない。プレイパークは、いわゆる行政が作った公園とは違って、住民とボランティアとが運営する市民運動でもある。場所が公立の公園の一部である場合もあるが、行政と住民との「協働」で事業が行われる場合が多い。今回は行政に頼らず自前でやりきっているのが素晴らしい。フキちゃんの想いを支える夫や地元の移住者たちの全面的な協力、さらにはよそのプレイパーク関係者との連携が大きい。

   

 「冒険遊び場」と呼んでいる場合もある。「自分の責任で自由に遊ぶ」ことをモットーに、子どもの好奇心と主体性を伸ばすのが目的だ。そのスタッフとしてプレイワーカーが常駐したいところだが、それを支える財源の確保は行政の支援なしには難しい。

 今回のプレイパークはフェイスブック情報で近県からの応援で成り立っている。とはいえ、地元の若い移住者の想いが十分反映されている。耕作放棄地の原っぱには、音楽あり、ドラム缶風呂あり、手作りシーソーあり、焚き火場あり、サーキット場ありと、手作りの環境づくりにあふれている。

   

 子どもがまだ小さいので親の出番や役割がはっきりしている。しかし、子どもが小学生になってくると矛盾も増えていく。プレイパーク運動の成り立ちの頃は、「親や大人は邪魔だ」みたいなおとな不信のニュアンスを創始者たちからしばしば感じられた。言い換えれば、いかに口出ししないで子どもを見守れるかということ、おとなも育たないと伴走者にもなれないというわけだ。オイラはおとなと子どものゾーンを別にしてそれぞれ好きなことをやることで自立していく連帯を重視したいという立場だ。

    

 会場では、マシュマロを焼いている親子がいて、その子どもは慣れた手つきで次々焼いていく姿が印象的だった。親子の今までの経験値が生かされいる。また、お昼には焼きおにぎりを楽しんだり、ビー玉を七輪で焼いて「クラックビー玉」のアクセサリーを作ったり、おとなの優れた経験値があることも発見だった。

              

 近くのニワトリ小屋には、皮膚・肉・骨が黒い「烏骨鶏」や白と黒の縞々模様の「プリマスロック」が飼われていた。また、焼いたばかりの「たこ焼き」の差し入れが何回も回ってくるのも心をホッとさせてくれる。都会のプレイパークとは一味違う過疎地らしい持ち味を発揮させてくれた一日だった。

 それでも、煙を出すことや知らない人の出入りがあることで、近隣からの理解は難しい。来年はここでの開催ではない方向を模索中のようだ。それは当初のプレイパーク運動が必ず直面する課題でもある。その意味で、まわりの住民にとってオアシスともなる場にしていく柔軟性が求められる。正しいこと、意味あることは、必ずしも受け入れられないのは世の常でもある。それを突破していくには継続や実績とともに地域の信頼関係の構築という地味なしたたかさが求められる。

 

 

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過疎地でのプレイパーク 1

2021-12-22 21:48:36 | 市民活動・まち育て

 この間の日曜日。フキちゃんの呼びかけで昨年に引き続き2回目のプレイパークが始まった。子ども自体が少ない過疎地でのプレイパークは果たして実現するのだろうかというオイラの杞憂は見事に外れた。東京・神奈川のプレイパークを見に行ってきたフキちゃんの情熱は形となって実現したのだった。

      

 近県からもやってきた参加者約30組くらいの親子はのびのびと原っぱでくつろいでいく。セイタカアワダチソウの枯枝を刈り取りながら荒地はどんどんめくるめくプレイパークへと変身していった。ホステスのヤギさんがみんなを迎えてくれた。子どもたちのほとんどは就学前の幼児だった。プレイパークといえば都会の公園で実施していることが多いものの、それを過疎地で実現させようとする志は高い。

   

 リタイヤ組もちらほら応援に出かける。山猿さんはコーヒーの焙煎をフライパンを使って生豆からやってくれた。時間はかかるが緑っぽい豆から茶色になっていく過程が面白い。オイラは拾ってきたギンナンを炒って食べてもらう。コーヒーもギンナンも好評だった。楽しむのは子どもだけではつまらない。

    

 会場の一角で草刈りをやる人や土を固める人がいた。はじめは何をしているのかわからなかったが、そこに転がっているカラフルな自転車に意味があった。

   

 ちょっとしたサーキット場が手作りで完成。ペダルとブレーキのないランニング自転車「ストライダー」のサーキットが耕作放棄地にできたのだった。さすがみんな若いママパパの発想だ。サーキットづくりをはじめ何も言われなくても自主的にやり切っている姿が素晴らしい。そんな輪のなかに子どもたちがいる。

 移住して数年しかたっていないフキちゃん夫婦だが、自分の切実な想いを実現してしまったパワーには脱帽するしかない。これからは地域の人をいかに参加してもらうかという本来的な課題がつきまとう。そのハードルはかなり難関だが、のんびりやり続けることによって希望がやってくる。

 オイラのパソコンもやっと機嫌を直してくれた。やれやれ(>_<)

 

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耕作放棄地再生を掲げる心意気

2021-07-09 21:44:46 | 市民活動・まち育て

 害獣のせいでトウモロコシ栽培を断念しているが、その味は忘れられない。そのため、農協の直売所に行ったときはトウモロコシを買うことにしている。先日買ったのは、耕作放棄地を再生しようとする地元の若手農家と学生サークルらが結成した「春野耕作隊」が栽培した「スウィートコーン」。

 その品種は、「サカタのタネ」が開発した「ゴールドラッシュ」だった。そこそこ甘みが充満する。しかし、何回か買ってみるが味や食感にばらつきがある。隣の森町の「かんかん娘」にはまだ届かないが今後を期待するしかない。

       

 「春野耕作隊」は、2014年ごろから活動を開始している。そのころから注目していたが情報がなかなかつかめない。HPをひらいても最新の情報も出てこないことが多かった。いつもながらだが、崇高な初心を貫くには持続的な発信という心意気を醸成することが肝要だとかねがね思う。目的は素晴らしいがそれを日々のくらしの中で積み上げていくことがいかに難しいことかと、人ごとながら振り返る。

 まずは農協やコンビニでトウモロコシを手にできるくらい身近になったという進歩を喜びたい。

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焚き火を囲んでプレイパークを語る

2021-05-13 22:52:28 | 市民活動・まち育て

 わが家に若いママや夫婦が話に来るというので、山猿さんにまた応援を仰いだ。雨模様だったが、雨でも対応できるよう準備しながら山猿さんにはドラム缶コンロのたき火をお願いした。おかげで、熾火がいつもありまた終日雨も降らず、話にも飲食にも専念?できた。

                       

 山猿さんがスーパーで買い占めてきためざしも焼いていく。熾火が大活躍。コーヒーや昨日摘み取った茶葉を煎茶にして飲んだりしながら久しぶりに語り合う空間がもどる。ふきちゃん夫婦は数年前に移住したばかり。幼児もかわいい盛りだ。子育てしながら「プレイパーク・冒険遊び場」に興味を持ち地元で活動を始めたいという。若いのにガスを使わず、囲炉裏で炊事をしている一徹が頼もしい。

                 

 そこに、以前自然学校もどきの活動をしていた先輩ママもやってきてアドバイスをさりげなく伝える。心配していた雨も降らずにのんびりと交流をしていく。ソーシャルディスタンスも適度にとっているのもさすがだ。

 また、和宮様が作ったタケノコおこわや畑の野菜で作ったサラダもいただく。幼児のピュアな振る舞いにときおり話が中断しながらも、子ども中心の暮しの潤いを実感する。ふきちゃん夫婦をフォローしようとする周りの若いママが何人かいることが心強い。

 

                 

 都会のプレイパークは強いニーズがあるが、中山間地では子どもそのものが少ない。それを実現するにはかなりハードルが高いことは間違いない。その意味で、子どもだけに特化するのではなくて子どもを中心にしながら青年・高齢者・主婦・地域にとっても集まりたくなるような仕組み・支援・地域づくりが必要だという話が出された。

 それ以上に、定期的に持続すること、発信すること、ネットワークを大切にすることなどが明らかになったが、それは若い夫婦にはじゅうぶん理解しているようだった。

 

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観光バスが通れる国道を

2021-03-02 21:40:20 | 市民活動・まち育て

 どんどんさびれていく中山間地にとって国道は生命線となっている。しかも、オイラの地域は鉄道もない。つまり駅がない。その代わりバスは来ているがそれも一日に数えるほどだ。その意味で、国道の流通は地域活性化の「要」となっている。しかし、最近は周りの樹木が伸びてきて観光バスに枝が触れてしまう現状になっている。会社や運転手にとっては避けたいコースだ。それほどに、幅の狭い国道でもあるが自然が豊かである証左でもある。

     

 そんなとき、朝早くからチェンソーの轟音がこだまする。森林組合の若手が暗くなった国道の枝を伐っていたのだった。近所の暗いカーブもすっかり明るくなった。これなら観光バスも通行できる。ただし、バスも乗用車もスルーするだけで地域に経済効果は生まれない、というのがオイラの持論だ。

 観光地でもない所は人は集まらない。でも、魅力的な人間力がある所や発信地にはじわじわと人が集まっていく。そういう地域力を形成していくことが中山間地の課題だと思う。そこを抜きにハード面ばかりを当局に要請するのは疑問だ。この追い詰められた過疎地でできることはじつは足元の人間のネットワークにあるのではないかと思うのだ。

 

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古民家ギャラリー・マルカワの蔵の灯

2019-12-23 22:37:15 | 市民活動・まち育て

 久々に浜松市二俣にある古民家ギャラリー「マルカワの蔵」を訪れる。いつもよりひっそりとしていたがガラス戸を開けると旧知の本島慎一郎さんが出てきた。年末で今は休館しているという。室内のストーブのそばまで案内してくれて久しぶりのお話を聞くことができた。

      

 同時にたまたま水窪の「サンタさん」の訪問もあったので、奥さんが特別に展示を一緒に見せてくれた。旧酒蔵だったせいか、大型の看板が目の前にあった。ビールは明治にはすでに競争が激化していたらしく、「特約店」制度があったようでその名残が看板に出ている。看板の字が右から始まっているのでこれはレトロとはいえ戦後間もなくのものかもしれない。真ん中の旭日旗と波のロゴも今では採用されていない。

             

 そのすぐ隣にも、「清酒大関」のシンプルな大型看板も鎮座していた。歌舞伎座の入口正面に掲げられた役者絵のように、むかしは酒屋の入口上段に設置されていたものに違いない。いずれも銅板でできているように思えた。大相撲の懸賞金アナウンスでは「灘の酒・清酒大関」と紹介されているお馴染みの酒だが、「大関」の創業は正徳元年(1711年)だ。新井白石が活躍していた江戸中期の頃だ。

    

             

 館内には、連鶴や竹製品の作品などがまだ展示されていた。こうしてかかわった作家が今まで通算すると500人くらいにもなるという。今では作家同士がつながり始めたという。これは大いなる財産であり資源だと語った。そうしたアーティストが活躍できるような場を発展するよう発信している本島夫妻のコンビネーションも見事だ。以前はNPO運営だった酒蔵が今は本島夫妻による運営に特化している。お二人の熱い情熱に発破をかけられたひとときだった。

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