山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

今年も芋汁をいただき お礼にキクイモ

2025-01-13 22:16:11 | 出会い・近隣

  お正月になってまもなく、近所からことしも ヤマノイモ(自然薯)の芋汁をいただく。さっそく麦飯に芋汁をかけて飲み込むようにいただく。こだわりがあるようですり鉢で何度もすり潰すという。だから粒が感じられないほど細かくスープのようにのど越しがいい。昨年の年末には、里芋をダンボールいっぱいにもらったばかりだった。

  

 芋汁をいただいたたとき、たまたま掘り出したキクイモで唐揚げを料理したばかりだった。なんとタイミングがいいことか。酒・ニンニク・醤油・片栗粉・トウバンジャン・ごま油の中にキクイモを投入する。それをサラダ油の中に少しずついれて揚げていく。レシピどおりやらない・やれないのがオラの流儀だ。でも面白いようにキクイモの唐揚げができていく。食べてみると衣はカリカリ中身はホクホクで甘い。これなら喜んでもらえそうだと芋汁への返礼品に化けた。

 

 そういえば、10月の半ばにキクイモを試掘してみて、まだ収穫には早いと様子をみることにした。成長が早いのでいつもびくびくしながら大量に出ませんようにとも思いつつその収穫を期待する。

 

 12月上旬になってついに本格的な収穫となる。久しぶりのキクイモの収穫だ。かつては食べきれなくて困っていたが、冬場の食材が不足気味だったので栽培を再開したのだった。いつもは凍えながら水洗いして泥を落としていたが、今回は陽当たりの良い所へ移動してやったので寒さに震えることはクリアする。そしてこれら大量の収穫物は糖尿病予備軍兵士に贈られることになった。さて、そろそろ次の収穫を急がないと霜にやられてしまう。体には抜群のキクイモだが手間がかかるのでスーパーなどでは市販されないことが多い。キクイモさまさまになりそうな冬になりそうだ。

 

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風雪穏やかにして茅舎(ボウシャ)に春

2025-01-01 00:14:20 | 出会い・近隣

 明治末に作られたらしいわが古民家もだいぶガタがきていて、われらの体のガタつきとともにその風雪の足跡を共有しているところです。

 そんななか、360度山に囲まれた風景に心を洗われ、生き物に翻弄させられたり好奇心をかりたてられたり、自ら育てた野菜や近所・朋友からのいただきものに元気を回復したり、いま生きていることのありがたさを感じ入ることばかりです。

 この気持ちが今年も持続するよう祈るとともに、つたないブログにいつも変わらぬ応援やら見守っていただいている皆様に感謝いたします。

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年末に心づくしの玉手箱が届く

2024-12-30 22:44:05 | 出会い・近隣

 寒さが応える日々の年末に近隣や大都会からの心づくしの贈り物が届いた。まずは近所からは、わが玄関先に散乱する挿し木の植木鉢を整理すべく、「これ使ってみないか」と外用の植木棚を持ってきてくれた。これなら水をかけても安心だし、省スペースも進められる。もう一台は後日持ってくるという。

  

 さらに、ダンボール箱いっぱいの掘り出した「里芋」も運んでくれた。サトイモやサツマイモはイノシシにやられるのでこのところ栽培していないのを知っていたのだ。これらの葉っぱはシカの好物でせっかく芽が出ても食べられてしまう。同じ近隣でも土地の環境の違いなのか栽培者の心得の違いなのか、この差にいつも考えさせられる。まずは、半分を冬に食べるものとして水洗いし、あとの半分は段ボール箱におが粉を入れそこに里芋を保存することにした。

 

 そして、都会に住む老紳士のシティーボーイから福袋ならぬ「福箱」いや「玉手箱」が届いた。箱を開けたら煙こそ出なかったので一気に白髪ジイジにはならなかった。そこには、健康食品・コーヒー豆がありカレンダー・台所グッズなどもぎっしり詰め込まれ、それにオラが好きそうな本も同梱されていた。いやーこれは、心身の衰えが進行しているオラがもっとパワーをためて来年に備えよとの応援・叱咤グッズに違いない。

 ここ数年、いろいろな集まりにも顔を出さず、買い物や病院通い以外はほとんど外出せず、家と菜園だけの引きこもり状態が続いている。それでも、こうした「玉手箱」などを届けてくれるのは大いに生きる意欲を駆り立ててくれる。ありがたい。おかげで、引きこもりではあるものの、孤立や孤独を感じずに人とのつながりの中に自分がいることを実感することができている。

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イヌの「干し芋」が新米10kgに変身!?

2024-10-30 22:12:37 | 出会い・近隣

   先日スーパーに買物に行き、安かった値引きの干し芋をゲット!! さっそく、家で齧りついたら柔らかいはずの干し芋がかなり硬い干し芋だった。値引きだったから硬いのもしょうがないかと思いながら、改めてその袋を見たら犬用の餌だった。これにはさすがにキャイーーン

 だもんで、近所にいるお犬様に献上することにした。そしたらその後、お犬様からなんと地元の田んぼで採れたばかりの新米をいただいたのだった。

 

 わが家は玄米食という近隣では考えられない食事をしているので、お犬様はわざわざ玄米を、それも10kgもお返しとして進呈してくれたのだった。これにもキャイーーンだ。最近は米作りの後継者がいなくて田んぼが危ないと危機感を持っているようだが、打つ手はいつもながら内輪での解決のみ、というのが実態だ。

 

 5~6年前までは、田んぼの真ん中で神社の注連縄を作るのが恒例だったが、コロナ禍を引き金に作らなくなり、今では高価なビニール製の注連縄となった。それは同時に、地域を中心に担っていた団塊世代前後の高齢化とその体調の減退が目に余る。といっても、かく言うオラはまもなく80歳代にお呼びがかかり戦力にならない。つまり、日本全体がそんな社会になり活力の行方がもどかしい現状だ。こうした失態を長らく放置してきた政治家や経営者の責任は大きい、そしてそれをボォーとしてきたオラや国民の無関心のツケが今に来ている、と痛感する。

 

 稲刈りが終わった田んぼを見に行ったら、イノシシ除けの電柵が張りめぐされ人間も通ることができない。心の癒しを育む散歩コースは人間も動物もログアウトしてしまう真空地帯となった。とはいえ、そのおかげで、今回は害獣からの被害はなく、無事稲刈りを完了し、そのおこぼれがわが家にもやってきたというわけだ。今は手を合わせてこの玄米をおいしくいただき、日々いのちを持続させてくれる食物に感謝の念を捧げるばかりだ。

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そして祭りは終わった!?

2024-10-21 20:57:26 | 出会い・近隣

 昨日は地元地区の祭りだった。コロナなどの影響で祭りは神事だけだったりだが、若者パワーで祭りを再現し、山車も繰り出した。その前日は、わが部落の神社で神主をお呼びした神事が行われた。コロナ前は部落で神事の後に「直会(ナオライ)」を盛大に開催し、過疎でもささやかな晩餐を共にしたものだった。

 しかし、コロナを引き金にして急速に後期高齢者の疲れが噴出するとともに、部落の老朽のお宮の鳥居を鉄パイプにしたり、幟も新調せざるを得なくなった。それ以上に、田んぼの稲藁で毎年作っていた注連縄もやめてビニール製の注連縄を購入した。体が重くなり足を引きずっているような年金生活者にとっては年金の一部でそれらをパスしてもらおうというわけか。

 

  また、神社の神饌物に部落から柿が寄進されたが、今年は夏の酷暑の影響やカラス・野鳥の食害で集まらなかった。わが家には2本の甘柿があるがそれぞれ1個だけという惨憺たる結果だった。かように、自然も神社も人間も社会も後期高齢者と化した。これからの日本の活力の源泉は教育による人間力しかないと思われる。

 

 来たる選挙の要望は、いつもながら景気や経済を第1位にあげるけれど、それは表面的なムードでしかない。日本の将来を考えると少子化に歯止めをかけ、教育費に予算をかけていくことが国家の計だ。すぐ効果は現れないけどね。それは自然エネルギーの開発やIT事業の戦略などにかかわる。なにしろ、食料自給率の酷さはもちろん、国産のパソコンが事実上全くないという体たらくだ。それらを放置して利権にいそしむ今までの政治屋の責任は大きい。オリンピックや万博の祭りに群がる利権屋の思惑を喝破する太刀を磨かなければならない。場末の神社の「きんぞく」疲労はそんな災厄の結果なのだ。

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林道の亀裂を補修する

2024-08-07 22:48:51 | 出会い・近隣

 水源地に通じる林道が昨年の台風の影響で亀裂を生じていた。ちょうど一年前の夏、大量の砂袋を作りブルーシートを張り巡らして亀裂が拡大しないよう地元が応急処置をしていたものだ。行政の協力により一昨日、生コンが支給され地元が補修することになった。

 

 林道の一部には土砂や枝が散乱しており、生コン車が滑ってしまうので最初にこれらをジョレンで片付けていく。そういうことにすぐ気づく地元民の感覚が素晴らしい。軽トラでやっと通れる林道で、バイクだと転倒してしまうという。

 この林道は水源地への重要なルートとなっているので、7・8年前だったかやはり生コンの提供を受けて手製のコンクリート道にしたものだ。それでも、一部に土砂崩れにあったり、オラの車が谷に落ちそうになったり、危険な場所でもある。

 

 大型のミキサー車は途中まで来てくれて、その生コンを地元で用意したユンボで受け取り、現場までピストン輸送する。地元にプロがいるので、機器や資材それに人員の確保が身近かであるのも心強い。とはいえ、高齢者が多くなりこうした共同作業が年々頭数が少なくなってきているのも現実だ。

 

 さいわい、杉木立に囲まれた林道なので日本列島を襲っている熱波の洗礼は軽減される。今はやりのファン付き空調服を着ている人もいる。全員がジョレンを持参しているのも驚きだが、コンクリートを丁寧に塗る「コテ」を持ってきて実際使っていたのも素晴らしい。生コンは基本的に亀裂した穴に打ち込み、棒で突きながら周囲を固めていく。

 

 そこそこ参集した頭数もそろったようで、数時間強で完了する。午後は大雨が来そうなのでお昼ごろブルーシートをかけなおすという。このような共同作業は都会ではとてもできない。オラも大都会から闖入してきたので、こうした作業の中に住民自治の原点を発見する感動があった。平川克美氏が指摘するように、「あまりにも長い間、会社というものが社会の中心に座り続け」てきたため、こうした「結」のような共同作業が失われていった現代史がある。人間同士の絆が破壊される歴史がズカズカ侵攻している。

 

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朋有り、遠方より来たる また楽しからずや!!

2024-07-06 22:00:52 | 出会い・近隣

  先日、関東からはるばるわが過疎の山里へ畏友がやってきた。U君とは十数年来の再会である。その友人のM君は、和宮様と偶然同郷であったのにびっくり。U君とは同じ職場関連での出会いだった。オラは、一人暮らしの母親の安心を確保するため急遽実家へUターンし、職場をあちこち探したが見つからず、なんとか年齢制限ぎりぎりで滑り込んだ職場だった。児童福祉の専門職とは言いながら、関心も興味も全くなかったなかでの恥ずかしい進路変更だった。

 

  U君が入職した同期生には、国立大卒の専門家や遊び・アートの名人が多かった。そのためもあって、オラも一から勉強を始め出したというわけだ。その師匠がU君だった。彼とは、時間外に内外の有志とともに研究会を創って幅広く教えてもらった。まさに、第二に青春が来たような、第二の寺子屋でもあった。その実践編として、地域の子ども会をつくりそれなりに広く紹介されるなど、それらに関連した時間外対応で帰宅はいつも10時を越えていた。

  

 そんな状況でも伴走してくれたのがU君だった。「朋」とは同じ師匠について学ぶ友人たちだが、『論語』によれば、そうした同門らが集まっていろいろ語り合い学び合う喜びが「楽しからずや」というわけである。過疎地にいるとつい人との関係が途切れてしまいがちで、話題も同質に染まりがちだ。その意味でも、久しぶりに、世界を日本を地域を老後の今を風のように話題にしていくのは快感だ。

 

 M君は、和宮様と懐かしそうにローカルな話題で盛り上がっていた。郊外の地にありながらそこだけの地域に染まらず市民運動へも足を運んでいるのがすごい。そのうえで、これからの農家をじっくり捉えようとしている大地主の好青年でもある。

 

 帰り際、U君はドキュメンタリー映画のチラシとチケットを置いていった。映画監督の原村政樹氏は、山形高畠町の有機農法の軌跡を描いた「いのち耕す人々」や最近作の「若者は山里をめざす」などの話題作を製作しているが、残念ながらまだ見てはいない。時流にこびず農村で黙々と生きる姿を追った映画作りに定評がある監督だ。しかしながら、開催される自主上映会の情報がなかなか届かない現状に、いつもマスメディアの目立てばいい不条理を思わずにはいられない。

 

 U君が相変わらず市民の側に立つ活動にこだわっている姿がかっこいい。後期高齢者になってもなお市民活動に熱い視線を送り、いまだ活動に参画していることにあらためて敬意を送りたい。

  

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トマトは毒リンゴと言われた

2024-05-27 22:21:58 | 出会い・近隣

 和宮様のご令嬢夫妻が先日お忍びでわが家にやってきた。素晴らしいことにわが家がなかなか手が行き届かない惨状を察していて、ちょっとした援農を二人でやってくれる。これはもちろん私的な行為なので広くオープンにしていない。さっそくやってくれたのは、トマトハウスの建設だった。骨組みだけはオイラがなんとかやっていたものの、バランスが悪くてパイプが浮いてしまい、強度が心配だった。しかし、彼の技術力によって次々解決していく。ありあわせの中古資材をつなげながらあっという間に完成する。

  

 家庭菜園なのでトマトは4本しか植えなかった。うまくいけば、少し大きくなった脇芽で増やしていくという企みでもある。なんだかんだで、かつては自前分くらいのトマトは確保してきた。

 そういえばトマトは、大航海時代の16世紀にスペイン人によって南米アンデス山脈からヨーロッパに伝えられたが、毒草に似ていたとか、裕福な貴族が使用していた食器にはが多く含まれ、トマトの酸味で鉛中毒なったとかで、食用としてはなかなか広まらなかったようだ。そのため当時、トマトは「poison appleリンゴとも言われていた。そんなことから生食より「煮る」のが世界の主流になっているのではないかと思う。そういう経過を経ながら、現在では欧米も日本もトマトはなくてはならない食材になっていく。

 

 トマトハウス完成後は、今では地域が消滅した「京丸」の伝統野菜の大豆の種まきやナスの苗などを植えてもらう。それでも若いカップルは余裕があったようなので、1年前に挿し木で増やした10~20cmくらいの小さな「ツツジ」と「ボケ」群の周りにはびこっている雑草の除去をしてもらう。これがなかなかの曲者で、座り込んで除草をするので腰や足に負担がかかる。オイラがやるとすれば腰を気にしながら三日はかかってしまう。それを1時間くらいで終了となった。

 

 そのうえさらに、除草したところにマルチをやってきょうの終了とする。その材料は、近所にはびこっているススキを草刈り機で刈って、それを運搬して雑草除けのマルチにするというものだ。竹の支柱がある所に小さなツツジやボケなどが植わっているが、どっさり運んできたススキマルチでよく見えない。

 

 ついでに、余ったススキをホウレンソウや水菜・ニンジンなどの畝の両側にもススキマルチを施す。もちろん、これは雑草の繁茂を防止するばかりでなく、数年後の肥料にしていくためのものだ。本当は、枯れたススキをやれるといいのだがそううまくはことは運ばないのが常だ。おかげで随分と援農効果は一週間分以上の作業効率を上げた。

 その日の、ディナーパーティーは焚き火や七輪で、クサヤ・エビ・焼き芋をはじめ餃子・焼きそばが食卓を飾った。しかし、さすがに二人の疲労は極限に達したようで、食後は爆睡の世界へと突入した。申し訳ないほどの労働強制をしてしまったと、後日当局に始末書を提出する。

 

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そして「ルバーブ」に「あまりん」に

2024-05-15 22:34:58 | 出会い・近隣

 先日、近隣から「ルバーブ」の苗をいただく。以前、栽培したこともあるが失敗している。今回いただいた苗は、根っこが木のようにがっしりしたものだった。これなら失敗はないと安心して、株分けしてすぐ畝に植え付ける。

 ルバーブの和名は食用大黄(ダイオウ)。一度植えれば4~5年間は収穫できるが、収穫は2年目から始まる。利用するのは葉柄部分だが、それでも酸味とえぐみが強いため、砂糖で煮てジャムやお菓子に利用するのが一般的だという。

  

 一本だけ花ができたが花は食用にならないうえ、根株から栄養を奪うので摘み取らなければならない。また、葉にはシュウ酸が多く含まれているので食用にはならない。ルバーブは植物繊維が多いので肉食の多い欧米ではふつうに摂取されているという。さて、レシピは何がいいのか宿題となった。

 

 

 和宮様のご令嬢から母の日プレゼントとして「あまりん」というイチゴが届く。さっそく、ご相伴に招かれうやうやしくいただく。もちろん旨かったのは言うまでもない。それもそのはず、「あまりん」は「かおりん」とともに、埼玉県オリジナルいちご品種として、埼玉県農業技術研究センターで育成され、令和6年2月、日本野菜ソムリエ協会主催の「第2回全国いちご選手権」で、「あまりん」が最高金賞受賞したという。

 しかし、あっという間にイチゴがなくなってしまったのはどういうわけだろうか。このところ、和宮様への献上品は春たけなわとともにラッシュ状態となっている。

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「まやく卵」を進呈する

2024-05-13 21:47:40 | 出会い・近隣

 鶏を飼っている近所から和宮様にたくさんの卵が献上された。数えてみると40個もあった。こんなに大きな卵ケースは見たこともないし、その数も半端ではない。今までときどきいただいていた卵は和宮様じきじきのご手製の「まやく卵」が作られた。今回は卵の数が多かったが、謝意を込めてすべてを「まやく卵」にして近所や関係者に進呈した。

   

「まやく卵」は、刻んだ香味野菜にしょうゆなどの調味料に半熟ゆで卵を漬けたもの。 食べだすと次々に食べてしまうという病みつきの一品。SNSで話題となり爆発的に広まった韓国版味付け卵だ。

  

 半熟卵を漬けるタレがポイントだが、最近では、「麻薬卵のタレ」というのも販売されるというほどの人気だ。たしかに、このタレをご飯にかけるだけでもおかずはいらないくらいだ。また、ちょっとした時間におやつもどきの舌鼓・お茶の友としても味わえる。近所のご厚意が続く春。その春たけなわとともにひたすら深謝するばかりの日々だった。 

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