山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

年末に心づくしの玉手箱が届く

2024-12-30 22:44:05 | 出会い・近隣

 寒さが応える日々の年末に近隣や大都会からの心づくしの贈り物が届いた。まずは近所からは、わが玄関先に散乱する挿し木の植木鉢を整理すべく、「これ使ってみないか」と外用の植木棚を持ってきてくれた。これなら水をかけても安心だし、省スペースも進められる。もう一台は後日持ってくるという。

  

 さらに、ダンボール箱いっぱいの掘り出した「里芋」も運んでくれた。サトイモやサツマイモはイノシシにやられるのでこのところ栽培していないのを知っていたのだ。これらの葉っぱはシカの好物でせっかく芽が出ても食べられてしまう。同じ近隣でも土地の環境の違いなのか栽培者の心得の違いなのか、この差にいつも考えさせられる。まずは、半分を冬に食べるものとして水洗いし、あとの半分は段ボール箱におが粉を入れそこに里芋を保存することにした。

 

 そして、都会に住む老紳士のシティーボーイから福袋ならぬ「福箱」いや「玉手箱」が届いた。箱を開けたら煙こそ出なかったので一気に白髪ジイジにはならなかった。そこには、健康食品・コーヒー豆がありカレンダー・台所グッズなどもぎっしり詰め込まれ、それにオラが好きそうな本も同梱されていた。いやーこれは、心身の衰えが進行しているオラがもっとパワーをためて来年に備えよとの応援・叱咤グッズに違いない。

 ここ数年、いろいろな集まりにも顔を出さず、買い物や病院通い以外はほとんど外出せず、家と菜園だけの引きこもり状態が続いている。それでも、こうした「玉手箱」などを届けてくれるのは大いに生きる意欲を駆り立ててくれる。ありがたい。おかげで、引きこもりではあるものの、孤立や孤独を感じずに人とのつながりの中に自分がいることを実感することができている。

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「二十億光年の孤独」を感じた青年は

2024-12-27 17:27:59 | 読書

 今年の11月に日本を代表する詩人・谷川俊太郎が老衰で亡くなった。詩集を読むのが好きだったオラにも俊太郎は生きる喜びを与え続けてくれた。というのも、ほかの作家の詩は解読が難しかったり、独りよがりだったりするなか、俊太郎の詩は構えずにしてその世界をふらりと入れてくれる。彼のデビュー作『二十億光年の孤独』(集英社文庫、2008.2)を再度取りよせて読んでみる。「二十億光年」とは当時言われていた宇宙の直径である。現在では900億光年を上回るという。

 

 「二十億光年の孤独」の詩は、たった16行しかない詩だ。「 万有引力とは ひき合う孤独の力である / 宇宙はひずんでいる それ故みんなはもとめ合う / 宇宙はどんどん膨らんでいく それ故みんなは不安である / 二十億光年の孤独に 僕は思わずくしゃみをした 」といったフレ-ズのリズムは終生変わらなかった気がする。17歳で詩作を初め、21歳で本詩集を刊行したこの青年はそのまんま変わらず老詩人となり、92歳で大往生を遂げる。海外でも人気がある俊太郎だが、本書には英訳付きの初文庫化と18歳の時の自筆ノートを収録している。

    (好学社)

 オラの子どもにもなんどともなく読み聞かせをしたのが、絵本の『スイミー』だったり、『もこもこ』だった。俊太郎は、哲学者の谷川徹三の一人息子として恵まれた環境に産まれ、不登校のときは模型飛行機づくりやラジオ組み立てに没頭するのが、本書の手記にも出てくる。だから、一人っ子の孤独を引きずりながらも、より広く宇宙の中での孤独や不安をも感じ取る。でも、最後はくしゃみしてしまう。そこに、俊太郎の真骨頂が仕組まれている。俊太郎青年はそんな孤独を感じつつもそれを越える「面白さ」や「好奇心」を発揮した青春にも踏み込んでいったのだった。

   (文研出版)

 その才能を見抜いた父は当時の大御所・三好達治に俊太郎の詩を見せたら、「穴ぼこだらけの東京に 若者らしく哀切に 悲哀に於いて快活に ーーーげに快活に思ひあまった嘆息に ときにくさめを放つのだこの若者は ああこの若者は 冬のさなかに永らく待たれたものとして 突忽とはるかな国からやってきた」と、絶賛した序詩を寄せている。

 都会のTシャツを愛する『世間シラズ』の甘ったれ坊ちゃんは、恵まれた環境を十分に生かして言葉の連続革命を引き起こした。詩壇のビートルズだと思う。存命中にノーベル賞を与えても良かった逸材だ。

 

 

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二本の角がかわゆいんだけど

2024-12-25 21:34:41 | 生き物

 オラの玄関近くの柿の木のすぐ隣に、いつの間にか「エノキ」の木が伸びていた。バタフライガーデンにエノキは必須の樹木だが、先日、そこにもエノキが生えているのを確認したので、柿の木の栄養を吸っていた大木にもなるエノキは駆除することにした。そこで、オオムラサキの幼虫がいないかと念のためエノキの枝を点検したところ、伐った枝に見慣れない2本の角のある可愛らしい幼虫を発見した。

 

 ひょっとするとオオムラサキかとも思ったが、どうやら、図鑑には掲載されていないことが多い「アカボシゴマダラ」のようだった。4年前の2020年7月24日のブログに成虫を掲載したことがあるが、本種は人為的に放蝶された外来の蝶で、外来生物法に基づく『特定外来生物』に指定されており、飼育・放蝶・譲渡することなどは禁止されている。

   

 本種はいわゆる「ゴマダラチョウ」に赤い斑点が目立つ魅力的な蝶である。この蝶がオラの町にもわが庭にも侵出を確認したわけだけど、その幼虫がわが庭にいたことはすでに定住が始まっているという証左でもある。内心穏やかではないが、本音はゴマダラ風のデザインといい赤い斑点の見事さといいうれしさは隠せない。

  

 庭に来た本種に近づいても警戒感はあまりないのも人気の秘密があるのかもしれない。それ以上に、国蝶のオオムラサキのカラフルなデザインはさすがに見事だ。だから、エノキの木があるとついオオムラサキを探索してしまう。かれらの食事はエノキに限られており、春~秋までは樹上で過ごし冬になると幹を伝い地際の落ち葉の裏で越冬するというが、今までそれを見たことはなかった。

  

 エノキには、オオムラサキ・ゴマダラチョウ・アカボシゴマダラが常連だが、競合が懸念されるため外来種が排除の対象となるのはいたしかたない。とりあえず、それぞれの幼虫の違いは背面の突起が3対か4対かということと、尾端の尻尾が開いているか閉じているかで見わける。

 上の画像は、オラが愛用している小学館の『イモムシとケムシ/チョウ・ガの幼虫図鑑』からの引用だ。これほどわかりやすく図解してくれる図鑑はなかなかない。こんな図鑑がほしいとかねがね思っていたのを出版した小学館の英断に敬意を表したい。売れないのではないかと心配していたが、なんと子どもから大人まで広くヒットした図鑑となった。従来から一般的によくある上から目線の図鑑ではなく、専門用語を少なくし、小学生にもジイジにもわかりやすく案内してくれる昆虫愛があふれている。

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ドイツのクリスマスパンが届いた

2024-12-23 21:00:41 | できごと・事件

 先日、キノコの師匠から大きな段ボールに満載の炭とプレ・クリスマスプレゼントが届いた。「七輪党」幹事長(闇党員はいるが党員はゼロ)を自称するオラが、七輪や焚き火をこよなく愛しているのを知って、どっさり送ってくれたのだった。このところ、空気が乾燥していて各地で火事が多いので、火の使用を自制している日が続いている。風も強く、風力2以下なら焚き火再開を予定していたが、このところなかなかそんな日が来ない。

 

 さらに続けて、ドイツのクリスマスパンの「シュトーレン」と和宮様へのプレゼントが贈られてきた。「シュトーレン」の食べ方は、端から食べていくのではなく、中央部分から薄くスライスして少しづつ食べてクリスマスを迎えるというのだ。知らなかったー。

 

 食いしん坊のオラは、始めはセーブしたつもりだったがあまりにも旨いのでクリスマスを待たずに完食してしまった。生地は洋酒に漬けたドライフルーツやナッツが練られ、甘さを抑えつつ粉砂糖を振りつけて食べるのだが、本当は、時間をかけて少しづつ食べることで味の変化を楽しみながらクリスマスを待つというのだ。

 それと一緒に、ブラボーさんからいただいたコーヒー豆を挽いてソフトなテイストをちびりと飲むのも定番となってしまった。最近、「都市を終わらせる」ことを標榜しているオラとしては都会の洗練された味にはコメントを控え、沈黙することにしているが。師匠、豪勢で繊細で多様な贈り物、ありがとうございました。 

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こころの傷をバネに辺境を渡る

2024-12-20 21:55:00 | 読書

 ひょんなことから、井上光晴『井上光晴詩集』(思潮社、1971.7)を読み始めた。前半は青年らしい正義感あふれる社会への異議申し立ての詩に溢れている。それが後半になると、言葉をこね回し難解になっていく。しかし、魅力は常に底辺に生きる人への共感だった。

  

 井上光晴の詩や小説は、絵描きの父が家にいなかったり、母が家出したりで祖母の手で育ったことがルーツのようだ。幼少期から「嘘つきみっちゃん」と呼ばれていたように、彼が言う生い立ちや経歴は虚構であることが多い。また瀬戸内寂聴と愛人関係にあったことは有名でもあった。寂聴が出家したのもその関係にケリをつけるためということだった。娘の直木賞作家・井上荒野(アレノ)は、父の虚構癖や寂聴と母との親戚のような関係を小説にしている。

  

 その娘の実話小説『あちらにいる鬼』(監督・廣木隆一)が映画化され、光晴が豊川悦司、寂聴が寺島しのぶ、母が広末涼子が演じている。原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」にもそうした証言や晩年の光晴のナマの姿を描いている。

 

 本詩集から、「金網の張ってある掲示板に 父の名前は見えなかった 父は何度も爪吉の頭をなでながら がっかりしたように笑っていた --ー爪吉、活動でもみろか ーーーうん、父ちゃん試験に落ちたのか

 たぶん冬だったろう ほこりをたてた風が二人の足もとで 悲しく巻いていた  ーーー心配せんでいいよ、爪吉  落っこちることはハンマー振った時 とうからわかっていた ーーー父ちゃん、力がないからなあ 

 眼に入った爪吉のごみを舌でとりながら 弱々しく父は言った  ーーーうん、父ちゃん、本当に力がないからなあ」 という詩は、ぐっときた。 これは詩というより散文ではないかとさえ思えてしまうが。

 

 本詩集は、やや厚めの紙からなり、約3cmほどの重厚な製本となっている。 表紙やそれをめくるとシュールな円形の造形が次々出てくる。その意味は分からなかったが、著者のやるせない空虚を表現しているように思えた。それは、1970年代の三里塚・沖縄闘争、赤軍派のハイジャック、ウーマンリブ運動、日米安保条約の自動延長、光化学スモッグ発生、三島由紀夫割腹事件、チッソ・イタイイタイ病事件など、高度成長経済の歪みとともに社会不安が増大していく時期と著者の心の表現でもあったのかもしれない。

 

 本書の作品は、現実と虚構にある辺境をあぶりだすものではあるものの、全体としては詩集のもつ情感とか余白とかリズムとかが熟成しないままの印象が残った。ここから、作者は虚構の小説の世界に入っていくところに居場所を見つけたようだ。

 

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「いま」をそのまま受けいれることから始まる

2024-12-18 22:26:07 | 読書

 十数年前に読んでからわが座右の書ともなった本は、英米文学者・加島祥造『求めない』という詩集だった。一人暮らしをしている兄にこの本の贈ったらぴんと来なかったようだったが。翻訳者としても有名だった加島氏はすべてを捨てて山奥に移住する。そうして、「伊那谷の老子」とも言われ、そこで出会った外国人女性と意気投合する。しかし、そのパートナーの死に直面しふさぎこんでいたが、彼女の骨を庭に散骨することでようやくそれを受け容れるようになる。その様子はNHKで ”Alone, but not lonely.として放映された。そうして、続編『受いれる』(小学館、2012.7)も刊行された。

 

 そのあとがきで、「私のいちばん近くにいて絶えず支えてくれた人を失いました。私にはどうすることもできない別離でした」という絶望的状況の中で、「こんな私を彼女が望んでいるわけはない」と思い直してから、「受いれる」という言葉にたどり着いたという。不条理がまかり通る世の現実や経験則から、「受け入れる」という言葉はオラには禁句でもあった。

 

 著者は、「現代に生きる人は 社会の自分にばかり支配されて 心は固くなり 柔らかな命の自分を 受いれることが 難しくなっていく  それがすべての苦しみの 原点だと言えるんだ」と指摘する。だ が、尖ったオラの心はいまだに「伊那谷の仙人」の境地には達していない。日本も世界も殺戮や収奪をやっている権力者・財界やフツーの「善人」が少なくない。そうした現実に対して加島さんのお坊ちゃん体質がぷんぷんしてならなかったのだが。

    

 それでも著者は宣言する。「人は陽を背に負い 陰を胸に抱いて 和に向かって進む」と、老子の言葉を引用する。さまざまな苦難に直面してその結果伊那谷の山奥に「逃避」したくらい、絶望と対峙していた英米文学者は東洋の「老荘」に出会う。そこから、ベストセラーともなる『求めない』の境地に至る。そして、出会った女性を看取って『受いれる』の境地に達する。そこには、本書に出てくる「はじめの自分」が発揮されている。

   

 つまり、そこには社会に出た「次の自分」の蒙昧を脱した少年がいた。どんなに苦難が襲うとも「はじめの自分」を温存していたということだろうか。「はじめの自分に還って 自分は自然の一部、 大きな力につながっている、と思えば はじめの自分は息をふきかえすんだ」と、覚醒する。だから、「天と地につながる目で見ると 歴史上の英雄は みんな 大たわけさ」と喝破する。

 

 なるほど、英雄好みのおじさんの「博識」は絶好の視聴率獲得の餌食にもなる、ってわけさ。「悲しみを受いれるとき 苦しみを受いれるとき <受いれる>ことの ほんとうの価値を知る」ことになる。「すると、運命の流れが変わる」という達観した仙人になれるわけだ。

 いっぽう、今話題ともなっている「政治とカネ」や闇バイト・通り魔殺人事件なんかにもつながっている現実も無視できない。オラも尖ってしまった牙をソフトな入れ歯にするつもりだけどね。

 

 
    

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ハサミがあるかないか

2024-12-16 18:51:41 | 生き物

  わが家庭菜園ではハサミムシによく出会う。野菜のすぐそばにいることが多いので害虫ではないかと思っていた。そのハサミムシがのこのこ家の中にやってきた。そこで捕獲して改めて調べてみると、ハサミムシは「科」ではなく「目」の名前だということを初めて知る。つまり種類がそれほど多いというわけだった。画像の虫は山地性のハサミムシの「コブハサミムシ」のようだった。

 

 コブハサミムシは背中に複雑に折り畳まれた後翅があり、羽化や越冬前の時期に突如飛翔するらしいが、見たことはない。尾の鋏が大きく湾曲するものをオスのアルマン型、長く真っ直ぐに伸びるメスをルイス型という。繁殖を終えるとオスは死んでしまうが、産卵したメスは幼虫になるまで卵を外敵から守り続けるばかりでなく、幼虫に自らの体を食料として提供する。壮絶な子育てである。

 ハサミムシは害虫を食べてくれたり、腐った植物を食べてくれる生態系に寄与する分解者でもあるということだ。見方を変えなくちゃー。

 

 その一週間前に、ハサミムシに似た虫もやってきていた。形から尾っぽにハサミもなかったので「ハネカクシ」ではないかと推定した。世界では6万種はあると言われるほどの膨大な量があり、未同定の種類が未だある。したがってその研究者も少ない。しかし、ハネカクシの翅の収納の最大の特徴は折りたたみパターンが左右非対称の複雑な折りたたみ方ということで人工衛星にも参考にされているらしい。偶然にもコブハサミムシと同じような翅の収納だ。

 

 いっぽう、7~8年前に林の樹皮で見た橙色がある「アオバアリガタハネカクシ」は、「空飛ぶ硫酸」とか「やけど虫」とも言われていて、素手で触るとその体液でやけど症状になる害虫だった。捕獲したハネカクシは「オオハネカクシ」に似ている。危険なハネカクシもいるがこの膨大な量の昆虫に対して、研究によっては人間に貢献する可能性もあるわけで日本の教育研究費を充実するべきだ。無駄な国家予算があまりに多い。

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栄華と陰謀の王朝を生きた女性の凛然

2024-12-14 08:42:02 | 読書

 大河ドラマ「光る君へ」が明日で最終回。ドラマは主演・脚本・制作統括・演出をすべて女性が担当するのは史上初という。その時代考証を担当している倉本一弘氏の『藤原道長の権力と欲望・紫式部の時代』(文春新書、2023.8)をあわてて読み終える。本書を読むと、脚本家の大石静さんがかなりこれを参考にしているのが伝わってくる。(画像の殆どは、山川出版社、「詳説日本史図録」、2008.11から)

  

 道長の日記「御堂関白記」は、ユネスコの「世界の記憶」遺産として2013年6月に登録された。為政者が自ら日記を書くのは世界でも稀であり、千年前の日記が多く残されている日本はきわめて特殊だと著者は指摘する。本書では、道長の「御堂関白記」、優れた官僚の藤原実資(サネスケ)「小右記」、能書家で有名な藤原行成「権記」(ゴンキ)らの日記とともに、道長の人物像を立体的に描いているのが特徴だ。

 

 そうした描写が、道長が単なる独裁者ではなく自己矛盾と対峙したり、一条天皇や三条天皇との確執を耐えたり画策したり、弱点も表した人物像にしている。それがドラマの脚本には大いに参考になったことと推察する。道長と紫式部とが直接出会ったかどうかについては歴史的証拠はまだないようだが、著者は道長の娘・中宮の彰子のために紫式部を採用し、一条天皇の心を取り入れるために「源氏物語」を書かせたとする。というのも、当時の和紙の料紙は民間では入手できない貴重で高価なものだったことから、道長が筆・墨・硯等を含めた執筆依頼・支援なしには書けなかったと推定している。

 (画像は刀剣ワールドwebから)

 また、王朝内での権力闘争や愛憎の絡む政権内での藤原 実資のリアルで冷静な対応をしていた事例が本書で幾度も取り上げられている。道長を一番批判していた実資ではあるものの天皇や女房らの取次役・相談役としても信頼されていたのも実資だった。同時に、政権を担う公卿・政治家は、漢文・和歌・楽器・踊りなどの文化的嗜みも求められていたのも、現代の政治家の金権体質に対する提起ともなっている。

  

 大河ドラマでもそうだったが、次々と登場する藤原一族の名前を覚えるのは一苦労だった。それに、天皇の外戚になろうと画策させられる女性の名前も覚えきれない。視聴率が低かったのも単純な戦国ものとはひと味違うドラマに戸惑いがあったのかもしれない。道長の頂点を極めた政権の座は、自らの心身の不安定さとともにまもなく揺らいでいく。大河ドラマの最後のセリフは式部の「嵐が来るわ」だった。武士の時代がじわじわとやってきていた。

 ついでながら、失意のまひろに、従者で短い台詞しかなかった乙丸(矢部太郎)が、「私を置いていかないでください。どこまでもお供しとうございます」とか、一緒に「都に帰りたーい」と、何度も連呼する初めての自己主要シーンは画期的だった。貴族社会だけの描写ではない配慮に脚本が光る。 

 

 「おわりに」で著者は、「道長は確かに、日本の歴史上、最高度の権力を手に入れた。しかしだからといって、最高度に幸福であったかは、誰も知ることのできないことである」と、結んでいる。息子の頼道は平等院に阿弥陀堂を落成したのはせめてもの権力者の平和的な祈願と信仰の賜物であり、その文化遺産は現代にも燦然と佇立している。

 

 

 

 

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そうだ冬の花を探しに行こう!!

2024-12-11 23:06:18 | 植物

 世の中は暗いニュース満載だ。ノーベル賞をもらった被団協受賞の意味は大きいが、政府がいまだに核廃棄に後ろ向きなのは戦後政治を経済成長神話路線をいまだ払拭できない象徴とも言える。「平和より金」路線が国民の頽廃と劣化を促進してとどまることを知らない日々だ。

 平安貴族の権力者は和歌を産み出す感性が問われた。戦国・室町時代では能・茶道・書道などに精通していることが指導者のステータスだった。江戸になると、庶民が浄瑠璃・歌舞伎・自然崇拝・人情などで自らを鼓舞した。それらが日本文化の基層となってきた。しかしそれが現代では解体過程にある。

 だから、内田樹氏ではないが、あえて身近な花を探そうとわが園内を歩いてみた。意外だったのは、アジサイの「墨田の花火」の花だった。一年中花を見られる優れものだ。夏にも秋にも冬にも花を見せてくれる八重咲きのガクアジサイだが、隅田川の「隅」か、 墨田区の「墨」か混乱がある。「墨」のほうが使用率が高いらしいが、隅田川の花火が有名だから「隅」が正しいのではと思う。

 

 アジサイの木は30本近くはあるが、そのほとんどは挿し木で増やし小さなもので、管理も悪く品種がわからないものが多くなってしまった。さすがにこの数日の霜で葉も花も萎れてしまった。アジサイの葉は毒だと言われているが、シカは食べている。シカの食害の犠牲者となっている。

 

 茶畑を伐根したら凄まじい勢いで芽を出してきたのが「ノリウツギ」だった。今は当初のみずみずしい純白の花は退化しているが桜のように散るのを見たことがない。花の形はほかのアジサイとは違い、円錐形で「ピラミッドアジサイ」とも呼ばれている。開花はほかのアジサイの花が咲き終わった夏頃に咲き始める。

 

 ネットで入手した「シロバナタンポポ」の綿毛を埋めたら、1本だけ花が咲いた。ここ数年そこから白い花を見せてくれる。もっと増やしたいが、遠慮がちな日本在来種である。もともと西日本にしか生育していなかったが、地球温暖化のせいか次第に関東、東北へと勢力を拡大しているという。

 

 ジャングル状態の花壇にもかかわらず、今年もそこそこ花を見せてくれる「カンツバキ」。背の高さも1mくらいにはなってきた。肥料をやっていないのに毎年しっかり花をつけてくれるのに頭が下がる。カンツバキの花は「花弁と雄蕊が合着している」「花びらが多く14枚以上」「しわしわにならない」という特徴があり、山茶花の花は「花びらが少なく5~10枚」「しわができるものが多い」という特徴があり、カンツバキの花は山茶花のようにばらばらに落ちる。

 

 葉が病気になってしまったが、いつもどおり花を見せてくれた「アケボノソウ」。プランターで栽培しているがほぼ放任甚だしい。それでも律儀に毎年花を咲かせてくれる生命力にホッとする。来年には地植えで増やしていきたい。かように、冬でもちらほらと花を見られるのはうれしい限りだ。アケボノソウは2年草で、1年目はオオバコに似た根生葉を広げ、2年目に茎や枝の先に花を多数咲かせる。

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山並み見ながら古民家カフェ

2024-12-09 21:06:16 | 市民活動・まち育て

 昨日は、山並みが素晴らしい市内砂川(いさがわ)にある「風香(ふうか)つきみ亭」を初めて訪れる。昨年11月に開業した古民家カフェである。お昼近くだったせいかお客が10人以上もいて30分ほど待ってしまった。場所はオラがいつも気に入っている一等地にあるビューポイントだった。カフェの裏側は、数百年にもなる風格ある「カゴノキ」が鎮座し、その隣に公民館・元寺院が控えている。もちろん、目の前はこの地区で一番風光明媚な高台にある。雨上がりの山並みの雲海にははたと見とれてしまう。

 

 急峻な斜面には端正な茶畑が山並みと競うように緑の模様を形成する。しかも、この茶畑は先験的な「有機 JAS認定農地」となっている。そうした魂は、若い入植者を呼びおこし市内の静かなムーブメントともなっている。その雄大な自然背景とみずみずしい人間のネットワークは、荒廃し無気力になっている日本や地域の資源ともいうべきものだ。「カフェ風香」はそんな息吹に囲まれているわけで、ぜひ成功させたい交流スペースだ。

 

 「風香」の正面は、お店というより民家そのものだった。休みは水・木曜日、営業時間は8時~18時まで。オラはお弁当を注文した。残念ながらその撮影を忘れてしまったが、幕の内弁当のようなデザインでとくに地元野菜を使った混ぜご飯は味のコクが沁みてうまかった。冬でなければ、山の景観を楽しみながら外でお弁当をほおばるのが最高に違いない。

 

 店の中は、テーブル・イスもあり、座卓もある。天井は手を伸ばせば触れる高さにあった。きっと、高台にあるので風よけのために天井を低くしてあるのかもしれない。天井の仕様はわが家のボロ家と同じだった。所々に、陶器や置物があり、ゆったりくつろげるように工夫されていた。

 

 奥には、見事な和ダンスが鎮座していた。欅の模様だろうか日本らしい木目模様が生かされている。また、タンスの隅金具も手が込んだ職人技が光る。周りの障子やガラス格子戸も昭和レトロを感じさせるインテリアとなっていた。築100年を越す古民家はここで育った若い柔軟な発想を持つ女性の手で見事に改装・復活していた。コンサートも主催していたり、新聞にも紹介されたようで今のところ客足は順調のようだ。 

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