山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

外来植物をとりこんだ江戸の「里うみ」!?

2022-07-29 22:42:36 | 読書

「 近世の<外来種>が生態系に与えたインパクトとは」という書籍の帯が眼に止まり、佐野静代『外来植物が変えた江戸時代』(吉川弘文館、2021.8)を読みだす。裏表紙に本書の要約が出ていた。

 「人間活動を含んだ水辺の生態系を里うみ(里湖・里海)と呼ぶ。そこで採られた水産肥料の主な対象は、木綿やサトウキビなど近世の外来植物だった。山地の環境変化や都市の消費需要も視野に入れ、人為的な<自然>の実像に迫る」と。

         

 最近よく使われる言葉に「里うみ」がある。世界を驚愕させた自然と人間との生態系を持続させてきた日本の「里山」主義に連携した言葉だ。著者は、歴史地理学を専攻してきただけに各地域の古文書を丁寧に読み込み、充分解明されていなかった水辺の環境史から、近世の外来植物の導入をきっかけに「里うみ」の生態系が維持されてきたことを明らかにした。

          

 それを、琵琶湖・八郎潟・浜名湖・三河湾・瀬戸内海・奄美大島などの事例をあげて具体的に解明していった地道な努力が素晴らしい。水草や海藻を畑の肥料として採取することは、水辺の停滞を改善することで水質浄化を実現し、その栄養素を陸に還元していった。

            

 とりわけ、木綿・サトウキビ・サツマイモ・菜種などの外来植物は、都市消費の需要が巨大であったにもかかわらず江戸のエコロジーの真価を発揮していった経過には驚きだった。サトウキビが奄美だけでなく都市周辺の水辺の開墾地で展開していたというのも初耳だった。

 どうりで、静岡各地に和菓子屋がいまだに多いのにびっくりしていたが、本書でその理由がわかった。さらには、同じ「かんしょ」でも、「甘藷」はサツマイモ、「甘蔗」はサトウキビであるのを教えられた。

   

 もちろん、その過程では、薩摩藩の力によるサトウキビ栽培の強制によって山野を改廃してしまう環境負荷などの問題をはらみつつも、総枠として、循環的な資源利用システムが確立していったことは特筆してよいことに違いない。

  

 そのことで従来、生糸・木綿・砂糖は中国からの輸入品に頼っていたものが自前で生産できるようになったことも画期的だった。これは現代の食糧自給率を考えるうえでも学ぶべき課題が内包している。また、食糧や物品を特定の他国に依存する危うさも俎上にあげるべき課題だ。

 「零細的に見えた各地の肥料藻取り」が、じつは需要の大きい商品作物を供給し、国際商品の国産化をも実現させた基底的生業であったことに刮目させられる。本書は著者の真摯で謙虚な探求心の賜物であることに励まされる。       

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「梅干し」は日本だけのものか??

2022-07-27 22:25:19 | 食彩・山菜・きのこ

 和宮様の「梅仕事」がなんとか終了した。梅雨のような雨天続きの合間に晴れた日を見つけて梅を干したのだった。この時期はいつも天気との格闘だ。梅干しを一つひとつ並べるのは修行僧のようだ。

  

 梅は中国から伝来したというのが定説だが、最近、縄文遺跡から梅の実が発見されて、梅の在来説が浮上してきた。とはいえ、飛鳥・平安時代には鑑賞用・薬用として注目される。なにしろ、万葉集には桜が42首に対して、梅は118首というから、梅を愛でるのは貴族らの中国(外国)通のステータスを誇示するものであったかもしれない。

     

 戦国時代では、食中毒予防・傷の手当など戦場に携帯する優れた食品だった。それが庶民に行き渡るのはやはり江戸時代以降だ。そのことで、日本は梅の消費大国であり、梅干しとして国民的に食用にするのは日本だけと言っていい。

 明日から、また暑苦しい日々が復活しそうだ。和宮様お手製の梅干しをうやうやしくいただきながら、この暑さを、この気候変動の地球の痛みをなんとか乗り越えていきたいものだ。

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ブルーベリーをいっぱい食べてきたのに…

2022-07-25 22:10:48 | できごと・事件

 心配していたブルーベリーがたわわになってきた。甘味のある黒い実がじわじわと出ている。一斉に実らないのがいいのかどうか。じわじわ熟していくのは桑の実に似ている。黒いと言ってもじつに微妙な色合いなので収穫の見極めが難しい。収穫しても酸っぱいものもある。商品化されているものは多くが甘いが、それを判断するのは素人ではかなりの勘がいる。

 

 きのう一日でこれくらいは収穫できた。20粒くらいを一気に食べる醍醐味も味わえる。なかには1円玉くらいの大きさもあった。それは皮が薄くて甘いとくる。食べ出すと止めるのに勇気がいる。しかも、従来からブルーベリーは眼に効能があるというので、最近視力が衰えつつあるのでついアントシアニンの実をぐいぐい口に入れてしまう。

  

 そんななか、眼科医に行ったら、白内障の症状がはじまっていると宣告される。毎年、ブルーベリーの生食をはじめ、野菜ジュースにもたっぷり入れているというのに。そのうえさらに、和宮様も同じ初期の白内障だという。白内障は伝染するのだろうか。「華麗」なる高齢化を前進しているというのに。「加齢」が原因かー。

 

 

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手が届かない「幻のトウモロコシ」!?

2022-07-22 21:56:20 | 食彩・山菜・きのこ

 久しぶりに森町の農協に行く。その直売所が魅力的だからだ。というのは、野菜や花の苗が素朴だから。いかにも素人っぽい農家が栽培したもので、同じものでもそれぞれ個性があるし、安い。ほかの直売所は、スーパーと変わらないような品質の苗が華麗に並んでいる。しかし、生産者の思いが工場のラインのような等質なものを感じる。

 森町の直売所の手書きの表示名を見ると、多くの農家に支えられているのが伝わってくる。きょうはそこでそろそろ晩期を迎えるトウモロコシを買う。

            

「幻のトウモロコシ」の「甘々娘(カンカンムスメ)」は当然入手できない。朝の6時には行列ができて売り切れになるほどなのだ。メロンに匹敵する糖度と栽培の難しさで市場には出まわらない。高いものは1本千円近くもする。

 したがって、その弟と言われる「甘太郎」を買うことになる。5本で千円ほどだが皮が薄くしっかりした粒と糖度はしっかり保持している。さすがだ。

          

 生で食べられるというが、やはり焼いて食べたい。「甘々娘」は5月末から6月末までの早生だが、「甘太郎」は晩生の7月まで。つまりそろそろ終盤ということになる。黄色と白とが3:1で混生している「バイカラー種」でもある。戦国時代、ポルトガルの宣教師が伝えたとされるトウモロコシはいまでは飼料用のものになっているらしく、われわれがふだん食べるトウモロコシは品種改良の努力のたまものだ。きょうの夕飯はこれで決まり!!

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今年もやってきた律義者!?

2022-07-20 23:19:57 | 生き物

 きょうの朝、雨で濡れていた大地から吸水をしにきたのだろうか、「カラスアゲハ」がやってきた。青のメタリックなカラーからしてカラスアゲハらしい。グリーンのメタリックな色だとミヤマカラスアゲハだ。昨日は久しぶりの晴れ間が見えたので急遽、溜まっていた生ごみや雑草を燃やしつつ焚き火を愉しんだところだった。連日の雨模様のせいで木材も湿気があって燃やしていくのが大変だった。そんな匂いを察知したのか、カラスアゲハがドラムカンのカマドの周りをしばらくうろうろしながら吸水行動をしていた。

    

 後ろの翅の赤斑があったのでこれはどうやらメスらしい。体もメスらしいふくよかな体型だ。昨年は5月に来た春型。一昨年は、5・7・9月と3回もやってきた。香川県では環境破壊の進行で個体数が減ってきたので準絶滅危惧種に指定したというほどの貴重種だ。

 30年前だろうか、長野の山奥でミヤマカラスアゲハとカラスアゲハとが集団で吸水にやってきたのを見た。それはじつに幻想的だった。青や緑のメタルカラーが雨上がりの林間に輝き、大型のカラスアゲハが10頭以上もいただろうか、その華麗な乱舞がいまだ忘れられない。カラスアゲハのおかげで桃源郷を見させてもらった思いがした。

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晩年のマルクスが現代を語る!?

2022-07-18 01:04:15 | 読書

 お堅い表題の割にはベストセラーとなった斎藤幸平『人新世の<資本論>』(集英社新書、2020.9)を読む。購入した本は16刷を重ねている。確かに読みごたえがあるし、現代の課題に対しても切れ味がじつにシャープだ。いまさら資本論もないだろうとしばらく距離を置いていたが、書評の評判はきわめていいのでやっぱり読むことにしたのだった。

  

 ページをめくると「はじめに」には、「SDGsは<大衆のアヘン>」である」ときた。要するに地球の危機的状況はSDGsをやっている場合ではないほどの事態なのだ、ときわめてラディカルな導入だった。ではどうするのかは、最終章前後に提起される。

  

 若きマルクスは、資本主義の生産力至上主義の行き着くところは社会主義だとした。しかし、未完の資本論では、その考えを変えていったことを最近のマルクス研究は明らかにしつつある、という。つまりは、従来のヨーロッパ中心主義の考えではなく、東洋的な自然と人間とのエコロジーや伝統的な共同体を考察していった、という。

  

 従来の生産力至上主義から「脱成長コミュニズム」への転換である。私見によれば、マルクス主義はソビエトとして歪んで採用されてしまったのが不幸の始まりだった。その歪みはロシア帝国や中華帝国を引きずったまま現在に至っているのは明らかだ。著者はそのへんのことは当面触れずに、気候変動の地球規模の危機を直球で投げかける。

 

 経済成長や景気浮揚はますます格差社会を産むばかりで、後期のマルクスは前資本主義時代からあった「共同体」に注目。その「脱成長」として著者は例えば、「ワーカーズコープ」(労働者協同組合)の可能性をあげた。労働者が共同で出資、生産手段を共同所有、共同管理するというものだ。

 オイラも80年代から90年代のころ、協同組合に注目して機関誌をとっていたが理論先行の停滞を感じ取り中断してしまった。ただし、「大地の会」の「らでぃっしゅぼーや」の有機農法野菜などの運動には現実的な革新性を注目している。

         

 斎藤幸平氏は、「資本主義が引き起こしている問題を、資本主義という根本原因を温存したままで、解決することなどできない」とし、「資本主義によって解体されてしまった<コモン>を再建する脱成長コミュニズムの方が、より人間的で、潤沢な暮しを可能にしてくれるはずだ」と対置する。具体的には、社会運動が大切だと呼びかける。

 この後半の展開は、もう一冊の本が必要かもしれないが、あまりに性善説すぎて説得力が足りない気がした。自治体の事例としてバルセロナをあげているが、日本の事例がもっと欲しい。そう言えば、革新自治体の教訓はどこへ行ってしまったのだろうか。その解明が急務であるとつねづね思う。

 氏の渾身の著作である本書は、出版界・言論界への久しぶりの快挙とも言える問題提起の書であるのは間違いない。

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ようこそ「ハーブ・レストラン」に!?

2022-07-16 08:52:35 | 農作業・野菜

 定まらない雨模様がぴたりと止まったとき、ここぞとばかりに「ハーブレストラン」に群がった昆虫たちだった。常連らしい「ウラナミシジミ」がハーブの花を忙しく徘徊する。いつのまにか野生化してしまったハーブの生命力がまぶしい。植栽してもなかなか思うようにならなかったのに。

             

 アールヌーボーの曲線的な波模様とアールデコの直線的な幾何学模様とを合わせ持った翅を見せつける。よく見ると、突起物の尻尾も見えた。画像では不鮮明だが、橙色に黒の斑点が鮮やかだ。

  

また、シジミチョウの代表選手である「ヤマトシジミ」も遅れじとやってきた。ヤマトシジミというと、貝にも蝶にも同姓同名だから、似たもの同士ということにもなる。裏翅の目玉模様は草間弥生女史を意識したのだろうか。表翅は地味な灰色だが、夏型のメスのようだった。

 オスはおしゃれなブルーの空の色、なかなか翅を拡げてくれない。

  

 チャバネセセリも参入していた。名前の「せせる」とは、尖ったものでかき回すようすが、口吻で蜜を吸う仕草が似ていることから、「セセリチョウ」となったという。セセリチョウを狙っていた蜘蛛は捕獲の機会を待っていたが不発のようだった。

 斑紋の模様からスジグロチャバネセセリとかホソバセセリとかに同定しようとしたが、図鑑からは同じものは見つからない。素人からは新種かと言いたいほど、同定に数時間かかってしまったが結局わからないままだ。

   

 そのうえさらに、「泥バチ」も来ていた。ドロバチはチョウやガの幼虫を捕獲してそれに麻酔をかけ、生きたまま泥の巣に閉じ込め産卵して入口を封印。するとドロバチの幼虫はそこで青虫を餌にして成長していくというわけだ。

 ドロバチも個体差や混血が多く、同定には混乱があるようなので深入りはしない。ということで、はみ出して野生化したハーブが昆虫のレストランとして大きな役割を果たしていた。ちょっと歩くのには邪魔なんだけどー。

 

 

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首なのか尻尾なのかそれが…!?

2022-07-13 23:33:53 | 植物

  数年前、庭に自生していた「オカトラノオ」をうっかり草刈り機で刈ってしまったらしく、以来芽が出て来ない。仕方なく昨年、近くの路傍にあったオカトラノオを植木鉢に移植する。というのも、和宮様がことのほかオカトラノオを愛好していたからだ。

 

 それを今年になって、バタフライガーデンに地植えしておいたら花を咲いてくれたのだった。里山にはぴったりの植物だ。そういう身近な場所である日当たりのよい「オカ」に自生し、花の形がトラの尾に似ているからというのが、名前の由来になっている。

           

 オカトラノオは根っこを大地に多数の地下茎を出すので群生することが多い。その通りだったか、複数の花を出してくれた。花は直立ではなくやや横に曲がる謙虚さがいい。その曲がり方が微妙に違うのも見どころだ。ただし、基本的に太陽のほうに向かっているという法則性は変えていない。

  

 花言葉は、「忠実」とか「騎士道」とかと言われている。それは古代ギリシャのマケドニア王が、たけり狂った牛にこのトラノオをあげたらおとなしくなった、という伝承から「騎士道」の言葉になったという。英名は「ガチョウの首」。和名は「虎の尾」。首か尻尾か、と言われたら尻尾のほうが親しみやすくかわいい。

 来年は大きな群生を期待したいところだが、雑草軍団が占拠しつつある現実なので手を打たなければと焦っている日々だ。

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城主となったお殿様を拝顔する!?

2022-07-11 22:46:23 | できごと・事件

 ときおり、 ビオトープのあたりから、カエルの合唱が聞こえる。不思議なことに多数いたはずのオタマジャクシはあっというまにいなくなった。みんな成長したのか、食べられてしまったのか、熱中症にやられたのか、定かではない。そんなビオトープに、いただいたホテイアオイが見事な花を咲かしている。

  

 華麗な花は一日花なので次々咲いてはいくが、もったいないほどの魅力がある。ホテイアオイは水質の浄化作用もあるというので期待がかかるし、メダカの産卵場所としても大きな効能がある。しかし、いただいたメダカの姿が今月になって見かけないのも気になる。天候のせいか、エサやりが不十分だったのか、カエルに食べられてしまったのか、解明しなければならないことが山積だ。

   

 池のそばで草刈りをしていたらぽちゃんと跳ねた音がした。よく見ると背中線があるトノサマガエルのようだった。ビオトープの城主となったお殿様としっかり目があって拝顔させてもらったというわけだ。カエルの体色や模様は変異が多くていつも同定に混乱させられる。ちなみに鳥獣戯画に出てくるカエルはやはりお殿様ということだ。それほどに、身近な存在だったカエルということに違いない。

  

 わが地で見られるお殿様の体色は淡い褐色がほとんどだ。図鑑で見ると緑っぽいものもあるようだ。このお殿様は濃いこげ茶色なので、今まで会ったお殿様より色が濃く、模様もやや不鮮明だった。ゴルフでもやっていたのだろうか、選挙活動で日焼けしたのだろうか。

 近年、水田の減少や水田の環境が農薬・コンクリート化などによってお殿様の居場所がどんどんなくなってきている。そのため、意外に関東では見られず、準絶滅危惧種に指定されてしまった。その意味では、この小さなビオトープの存在意味があるというものだ。

 

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甲虫もやってきたよ

2022-07-08 22:59:29 | 生き物

 先月末以来、甲虫類が灯火を求めてやってきた。そんなとき、ひげが長いが体が小さい「ビロードカミキリ」と思われるカミキリムシを迎える。翅の模様にはいろいろあり、仲間も多く同定には混乱を持ち込むので苦労する。特徴だった模様の「ハ型」は必ずしも特徴ではないようだった。 ひげを真横に広げているのは捕獲したことへの警戒信号かもしれない。

         

 いっぽう、かわいいクワガタも遅れじと参入してきた。しかし、オスだとわかりやすいけどメスは同定がかなり難しいのだ。小さいから「コクワガタ」と思っていたが、似た仲間には、スジクワガタ・ヒラタクワガタ・朝鮮クワガタなどがあった。翅の筋が不明瞭なこと、頭部から胸部にかけての流れなどからやっぱり「コクワガタ」かなと思うが確信はない。ほんに、メスは攪乱がお上手だ。

          

 安倍元総理がきょうのお昼前銃で暗殺された。

 安倍政治は、安定した政権運営の持続はあったものの、アベノミクスの経済優先の失敗、公文書偽造容認、桜を見る会など不明瞭な政治的予算支出はもちろんのこと、それ以上に、日本の将来の戦略という点では遅れに遅れていたのは否めない。目に見えない孤独感・格差拡大・ストレスの蓄積・同調圧力の浸透など、結果的に日本国民の劣化に手を貸してしまった。そのツケが暗殺を招いてしまったのではないかと思えてしまう。プーチンに騙された安倍君もこれで覚醒しただろうか。

 日本の民主主義というものがいかに脆弱なものだったか、今回の暗殺や10日の選挙結果がそれを明らかに示すに違いない。元総理への理不尽な暴力は理由を問わず許せない。やり残したであろう後半の人生を果たせず、悔しさが募るばかりであろう。ご冥福を祈るばかりだ。

 

 

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