山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

女々しさが史上最長の王朝を支えた !?

2024-06-28 12:32:02 | 読書

   無難な戦国を描いて視聴率を狙うNHKの大河ドラマの中で、今回の「光る君へ」の存在は画期的だ。というのは、男社会のポピュリストのジジイや国民へのこびへつらい忖度に対して、今回は平安王朝は武力以上に女性の存在感と活躍する女性文化、さらには和歌・管弦・しきたりを重視する「貴族道」が中心的基軸となる。その意味で、関幸彦『藤原道長と紫式部』(朝日新書、2023.12)は、それを待ってましたとばかりに出版されたタイムリーな本だった。そのため再び読んでしまった。

  (平等院webから)

 著者は、本書の目的は「王朝時代の復権」、ズバリこれに尽きると言い切る。「平安時代400年と一口にいうけれど、これほど長い時代は日本史上、他にはない」と指摘する。くわえて、「貴族が主役だったこの時代は、武士の時代に比べダイナミックさに欠ける。…明らかに<負>の印象が強い。…劣勢なる平安時代、その名誉回復にむけて、この時代を裸眼で見直す」と、道長・紫式部を引き寄せてグローバルな視点から力説していく。

  (japaaan webから)

 世界は今、武力や経済によって自他の国を屈服させる動きが支配的だ。そんなとき、女性の優雅さやキレのある文化によって時代を構築していく国づくり・人づくりが模索されている。日本の歴史を考えても、平安の国風文化・ひらがなの発明、戦国・室町の茶道・華道などの伝統文化、江戸の芸能・エコロジー・アートなど、現代でもいまだに息づいているジャポニズムがある。それは中国から導入して学んだことを独自に消化して日本独自の文化を創造していったのは平安時代からなのだ。

   (京都の文化遺産webから)

  著者は、「王朝貴族にとって和歌は、自己の情念を、言語という理智的手段で表明する行為だった。…政治上での権力の暗闘場面でさえ、表現上の才能こそが、<貴族道>に恥じない要素だった」として、男女の情愛だけではない所作・スタイルを強調してやまない。

 さらに、天皇の名前を中国風の「天・武・文」などをやめて、京都の地名などを冠して日本風にしたのも画期的だと言う。また、道長らの摂関政治は、それまでの天皇親政の「中華的皇帝主義」から権力を分離・請負化して天皇を文化的に象徴化した。確かにこうした指摘はわかっているようで意外に盲点だった気がする。平安時代は矛盾に満ちてはいたものの長いスパンで鳥瞰するといかにスゴイ時代であったかを認識させてくれる。

  (市川市webから)

 ヨーロッパにとってオリエントは、しばらく理想郷だった。中華帝国は世界の中心だった。日本もご多分に漏れずそこから学んだことは多かった。しかし、世界の大波はそれを超える時代へと、大航海時代・産業革命へと歴史はフル回転する。そんな波濤のなかで、道長や紫式部が生きていた平安時代はジャポニズムへの転換がまさに選択された時代だった。著者の鳥瞰的な意図はざっくり伝わってきた。これからの世界の方向性が示唆されている時代でもあった。ちなみに、現在放映中の朝ドラも、女性初の裁判官誕生物語であり、結果的に大河ドラマと連動しているのが象徴的だ。未来にも生きる希望が少しはあるということだろうか。

   

   

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キンシバイとビヨウヤナギ

2024-06-26 23:16:54 | 植物

 前々からキンシバイとビヨウヤナギの生垣の鮮やかさに感心していた。しかし、遠目から見ると両者は同じように見える。そこで、まずはキンシバイをバタフライガーデンに何本かを招待した。すると、蒸し暑い梅雨のさなかに期待通りたくさんの花を咲かしてくれた。

 

 中国原産とするオトギリソウ科の仲間。オトギリソウは「草本」だが、キンシバイは「木本」の低木植物。開花期間が長くきらびやかだ。キンシバイの花言葉は「きらめき」「悲しみを止める」「魔除け」「秘密」などがあるが、柔らかい連なった葉で、雨を受け止めるように見える様から「悲しみを止める」という花言葉もつけられたのがいい。

 

 花名の「金糸梅」とは、花びらの中に約60個ずつの5つの束になった金色の雄しべがおさまっており、花弁が梅の花と似ていることから名づけられた。葉が常緑であることが多く低木であることから個人の庭や公園にもよく見られ人気がある。

 

 ビヨウヤナギも1本だけ確保したのが同じように花をつけた。こちらの方が葉も花も大きく、雄しべの数も多く、長さも花弁から飛び出すほどだ。花弁の形も隙間があり、かなり両者の形が違うのがわかった。

 夏に咲く黄色い花が美しく、葉の形や垂れ下がる様子が中国の「未央宮」(ビョウキュウ)のヤナギに似るとして「ビヨウヤナギ」と名付けられた。未央宮とは唐の玄宗皇帝時代に楊貴妃が住んでいた場所であり、そのヤナギの葉は白居易が「長恨歌」で楊貴妃の眉に喩えている。花が美しく葉の細いことを柳になぞらえて美容柳とも言われているが、『牧野新日本植物図鑑』ではビョウヤナギとある。図鑑の方が正確な命名だが、病柳とも受け取られるので、美容柳の方が史実の背景にもマッチしてその匙加減が悩ましい。

 

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「資禍帝国」の侵出は止まない

2024-06-24 22:47:39 | できごと・事件

 農的生活が忙しいというのに、それを尻目にわがぐーたら農園に侵出する「資禍帝国」の軍団がいる。先日、病気になったクワノキの一部の枝を伐採したところ、その枝のすべての葉を食べてしまった。お見事というよりほかに言葉がない。

 

 普通にしていれば枝の周りは落ち葉だらけになるはずだ。それが枝にも周りにも1枚もないのだ。これは「一人」だけの仕業ではなくまさに軍団でなければできない行為である。しかも、決行日は早朝か深夜の限られた時間帯としか考えられない。桑の実や葉は毎年食害を受けているが、大木なので今まで気にしていなかった。今回は実が病気になっているのでそれはすでに落果していて食べられない。クワノキの周りは防獣柵は作っていない。

 

 また、畑に「パープルシャドウ」という紫のポリフェノール満載のジャガイモを植えていたが、それも見事に先端の葉を食べられていた。こちらはジャガイモが出来上がってからの食害だったので、本体そのものには影響はないので許すとしよう。ただし、ここは防獣柵の内部の区域であるので、ジャガイモ以外の被害が頻発している。

 

 「資禍帝国」の国民は、バラ科の植物が好物なのである。今まで何度となく枝が折られ樹皮を剥がされて、バタフライガーデンの進捗が滞っていたのだった。それでも、やっと、3mに至らんとする「ハナモモ」が生育してくれた。予算がないので手持ちの資材でカバーしたが、これもちょくちょく破壊されているので、高さを高くして手直しをする。

 

 そのそばにある2m足らずの若いハナモモの存在はまだ軍団には気づかれていないので、やっときょう周りを肥料袋でガードする。これだって、体当たりされれば某帝国のミサイル効果と同じ運命となる。早く大きくなってしまえば手が出ないようなのだけど。

 

 今回、一番の被害はサクラだった。葉はもちろんのこと、せっかく伸びだした枝を折られていたのだ。人間だってこれくらいの太さの枝(2.5cmくらい)を折るのは大変だ。この桜は囲いが破られたまま、放置していた油断が玉に瑕だった。「資禍帝国」の男性は角があるので侵入が難しいはずで、これはきっと角がない女性の仕業ではないかと、当局は分析している。V字で折っているパワーは母親ではないかという。

 「資禍帝国」の執拗さは、某帝国の執念深さと似ている。とはいえ、「資禍帝国」のなせる業は人間界の原発や核戦力に比べればかわいいもんだ。「資禍帝国」をそこまで追い込んでしまった人間界の欲望にすべての悪霊がある。と、言ってしまうとついオラの防御が緩くなってしまう。防衛は地道なエネルギーが必要だからねー。

 

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実在したアーティスト「浜野矩隋」の人情噺

2024-06-22 23:44:07 | アート・文化

 相変わらず、五代目圓楽の人情噺に感動する。落語は、浜野矩隋(ノリユキ)という江戸時代中期に実在した装剣金工家<元文元年(1736年)- 天明7年(1769年)>の苦渋に満ちた物語である。彫刻の名人だった父親が亡くなった後、腕の劣る息子矩随が母親の「自分は犠牲になっても子どもを前面に押したて、その意気込みが子どもを発奮させる」という人情噺だ。  講談や落語家によっては、母親はのどを掻き切って子どもの自立を遂げようとする筋立てで、圓楽も母親の自害も導入したことがあったようだが、今回聞いた公演では当世事情を考慮してか、未遂に終わらせている。

  

 先日、NHKで柳家蝠丸(フクマル)がこの「浜野矩隋」を演じていた。物語は圓楽の流れに基本は沿っていて、わかりやすく歯切れも良い。ただし、最後のオチが表面的になっていたり、母親の迫力と臨場感に蝠丸の優しさが禍して物足りない。

 また、いつも注目していた志ん朝のユーチューブを聞いたが、やはり、テンポの良さと話術の勢いの魅力はあるが、父の志ん生の間の取り方や味には及ばない。

  

  矩隋(ノリユキ)を暖かく支援していた骨董屋・若狭屋甚兵衛は、なかなか技術が向上しない矩隋に向かって、「おためごかしの言い手はあれど、まこと実意の人はなし」という言葉を引用して、支援をストップするという。つまり、うわべはいかにも人のためを思っているような顔つきの「お為顔」や言葉・行為がありながら、本音は自分のことや利益・都合しか考えていないという意味で、矩隋の作品にはアーティストとしての精髄がこもっていないと指摘する。古典落語は知らない言葉や江戸世界を教えてくれる。

  

 スポンサーからも母親からも突き放された矩隋は、自分も死のうかと思い詰めるが一念発起して母親への形見となるような観音様を夜を徹して彫り上げる。それを母親に見せ、若狭屋に持っていく。それでやっと一流の実力を証明していき江戸で評判となる。

 笑いを取ることより人情噺を真摯に伝えるこの「浜野矩隋」は、6代目圓楽・志ん生・一之輔らもこれを挑戦しているが、苦戦しているように思われる。そんななか、五代目圓楽の「浜野矩隋」の話芸は群を抜いている。

  

 最後のオチは、五代目圓楽らしく、江戸の儒学者・坂静山(バンセイザン)の言葉、「怠らで行かば千里の果ても見ん 牛の歩みのよし遅くとも」を引用して、「怠けずに歩みつづければ、必ずや千里のように遠くまでも到達するであろう。たとえ牛のように歩みが遅くても」と、矩隋の生きざまをまとめる。

 そして、「寛政の年度に親子二代にわたって名人と言われた、浜野の一席でございます。」 の名調子で大団円。

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やっぱりキクイモを育てることにした

2024-06-19 22:24:04 | 野菜・果樹

 以前、セニョール先輩からいただいたキクイモが大繁殖して、畠どころか荒野も道路にも野生化してしまった。毎年露天掘りのように収穫していた。しかも、その泥を除去するのが一仕事で、秋から冬の寒さの中冷たい水洗いでブルブル震えながらの作業だった。その後、キクイモを畑から排除しつつ小さなカスまで焚き火で燃やすなど根絶に成功したのは3年前のことだったか。

  

 それが最近、菊芋に含まれるイヌリンが血糖値の上昇を抑える効果があり、また、カリウムは血圧の上昇を抑えることが再び注目されてきた。糖尿病予備隊員であるオラはやっぱりキクイモを食べなきゃと思い直し、いつもどおり急遽、ネットで種を購入し、ジャガイモ栽培を失敗した跡地に植え付けることになった。

 

 その後、畑の畝ではなく「雑草園」の根っこを除去した所に移植して定植することにする。もちろん、肥料はやらず水だけにする。大変だったのはこの雑草の根っこのしつこさだった。根っこの絡みはやはりツルハシの出番だ。鍬やスコップより出番はツルハシの方が多いのがわが耕地の特徴でもある。もちろん、「収穫」したツル性植物優勢の根っこは放置するのではなく焚き火の「エサ」にしないと周辺ではびこってしまう。

  

 キクイモはおよそ10本くらいを植え付けた。問題は照り付ける暑さだが、梅雨を見越して雨の降りそうな前日に作業を行う。その作戦が効いたか、一本も萎れることなく無事だった。あとはなにもせずに得意のグータラ農法で秋を待って収穫するだけだ。さて、どんな騒動がこれから起きるか戦々恐々だが、味は意外にうまいのが救いだ。放置してしまうと個体がぐんぐん増えていくから、どんどん収穫するのが野生化を止めるコツのようだ。

 

 

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父の日のプレゼント

2024-06-17 22:38:55 | できごと・事件

 ここしばらく、娘から父の日プレゼントが届くのが恒例となっている。父らしいことをやれなかったのに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。一緒に家族旅行もほとんどしなかったし、家族団欒をゆるりとした記憶がない。せいぜい、仲間との野外キャンプに連れて行ったくらいしかない。そんなダメおやじにもかかわらず、今年は早めにウナギを贈ってくれた。腰はだいぶ良くなったがさっそくウナギを食べて元気回復となる。

  

 また、実生で育てた枇杷の実も送ってくれた。今年はいつものカラスの食害は少なかったようだ。ありがたく一部を冷凍にしていただく。最近は果物もウナギも高価でなかなか買う気にならない。月に何回かまとめ買いで街に行っても1万円札があっという間に飛んでいく。したがって、このところ、夕方に半額とか30%引きをねらう習慣がついてしまった。なにしろ、年金しか収入がないのだから贅沢はできない。

 そういえば、父の日がいつから始まったのか記憶にない。1981年に「日本ファーザーズ・デイ委員会(FDC)」が設立されてから日本に普及されていったという。バレンタインデイと同じくいつの間にか定着していったわけだ。

  

 父の日はもともとアメリカが発祥で、1909年に南北戦争に従軍した軍人の父親に感謝を捧げる日が欲しいと牧師協会へ訴えたある女性から始まり、それが大統領の下まで届き、1966年に正式な国の記念日として認められていったという。しかもそれが、今ではアジアやアフリカまで世界中に広まっていった。できたら、平和の日とか、不戦の日とか、この日ばかりは争いをしない日なんてできないだろうか。どこかのスポンサーがつけば不可能ではないはずだけど。

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オデッサは戦局を変えられるか

2024-06-15 22:49:56 | アート・文化

 なんと、半世紀ぶりに映画「戦艦ポチョムキン」のDVDを観た。1905年、ロシア革命の先陣を切ったと言われる歴史的な事件を題材とした白黒映画だ。細かい内容は忘れていたが、オデッサの広い階段に並列した兵隊が次々に民衆を射殺していく有名なシーンだけは忘れていなかった。

 1925年に公開されたセルゲイ・エイゼンシュタインが監督・脚本を担当、その映画作りの教科書と言われる表現と技法は今見ても確かに斬新であるのは間違いない。ソビエトのプロパガンダ映画の限界はあるにしても、その後の映画界に大きな影響を与えた。

   

 このDVDを貸してくれたブラボーさんは、「<腐った肉>が某スターシェフによってマルクス謹製のソースでマル共印のスープに調理されて百年後の新生ロシアを育てた?」「現時点で<戦艦ポチョムキン>は実効力を伴った正当でグローバルな共産主義のプロパガンダと評価してよいのか?」との疑問を踏まえての課題提出だった。それは当然、現在のロシア・ウクライナとの戦時体制の状態を考慮したものでもある。

  

 晩年のエイゼンシュタインは「イワン雷帝」で事実上のスターリン批判を始めたことで三部作が廃棄されて未完となってしまった。それで今回、前編である「イワン雷帝」のDVDも入手したみた。

 さて、エイゼンシュタインというと、「モンタージュ理論」による映画手法がよく取りざたされる。それはそれぞれ違うカットの映像をつなげることで効果を拡大することにある。「映画史上もっとも有名な6分間」と言われるオデッサの階段シーンでは、逃げ惑う人々・殺された子を抱き上げた母のアップ・破壊された建物のがれき・ロボットのような迫り来る兵隊たちなどが、ショスタコーヴィッチの音楽とともに、その場の臨場感と喧騒、人々の悲しみや怒り、狂気の全てが表現される。

 

 ついでに、 この映画には エイゼンシュテイン自身が神父役で出演しているのも見ものだ。死んだふりをして、目を開けたり閉じたりしている狡猾さをうまく演じている。また、「ポチョムキン」は、女帝エカチェリナ2世の寵臣でクリミアを併合したり、黒海艦隊を創設したり、露土戦争の総司令官を務めた軍人の名前である。

  

 その意味で、ロシアが実効支配している黒海・オデッサの地政学的な存在は、今後の希望を拓くことになるのかどうか、注目したいところでもある。どちらにせよ、ロシア帝国的な体質を温存したままではブラボーさんが危惧しているように、戦艦ポチョムキンの反乱の意味が表面的に終わってしまうことになる。

  

   現実の世界では、オデッサの階段どころか建物が破壊されつくし、衣食住の生存の基本を奪われ、2万人近くの子どもが拉致されているのがウクライナの今日だ。半世紀前の日本の大学だったら各大学でベトナム反戦ならぬウクライナ支援の学生運動が起きたに違いない。学生の牙はすっかり抜歯され、団塊の世代もすっかり企業戦士としてエネルギーを使い果たし、「青雲の志」は濃霧となった。

 戦後の財界人も政治家も社会貢献をする発想が欠落し、儲けと利権だけを得ることに汲々として、いわゆる今日の「政治と金」の構造を産み出してしまった。スマホやパソコンを使っていると結局はGAFA(Google/Amazon/Facebook/Apple)を始めとするアメリカ企業の戦略の餌食にされ、「楽天」の三木谷浩史社長が指摘したように「日本はアメリカの<IT植民地>になってしまう」壁をいつも実感してしまう。

 

 「オデッサの階段」は権力の非情さの象徴でもあるが、世界は現代版オデッサの階段を克服できるだろうか。また、日本では民衆や政財界人の大脳に刻印されてしまったアメリカへの従属意識・植民地化奴隷意識を除去するのは戦後80年近くなるというのにかなり困難だ。せめて、アニメやゲームで課題をそらし媚びるしか道はないのだろうか。

  

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道路復旧急ピッチへ

2024-06-12 23:12:56 | できごと・事件

 台風や大雨による国道・県道の寸断はオラが利用する所だけでも十数か所にのぼる。こんなに集中的に道路が崩落・陥没・土砂崩れなどのオンパレードはここ数年酷くなってきた。地球からの「悲鳴」や「祟り」は人間の生きるありようへの警告でもある。この過疎地での出来事は、いずれ大都市を巻き込んだ大規模災害への前哨戦ではないかとも思わせる。

 

 ガードレールとともに道路の半分近くを抉られた所も立派に復旧が終わった。人間の力も素晴らしい。少しづつ改良しながら慎ましい前進を獲得していく。工事の主体者が大手のゼネコンではなく地元の小さな建設会社であるのがいい。ときどき知り合いの人の顔ぶれが見られるのも地元の企業が地域おこしに貢献しているのを確認できる。

 

 かなり片側通行が長かった川の合流地点での復旧も終了した。これが復旧しないと掛かっている橋も危なくなるので結構慎重に時間をかけて修復していった痕跡がわかる。とりあえずはこれら2例の画像を取り上げたが、この数倍の修復が終わっている。とはいっても、まだ復旧途中であったり、その復旧中にまた災害にダブルパンチにあったりした個所もあったようだ。買い物に出かけたとき、道路の片側通行がまだ3か所もあった。

 

 大雨が降った時や線状降水帯が続いたら、土砂崩れが想定される次の寸断個所も見かけた。今まで雨の流れが見られなかった所からすでに雨水が流出しているのに驚く。それも見方によれば防災というより自然自身が作り出した風流な景観にさえなっている。

  

 場所によっては、全く手つかずの土砂崩落の現場もあった。さいわい、現場に人家がなかったので良かったものの、大型台風が直撃でもあったら川沿いにある太陽光パネルにも影響があるとさえ思えてならない。見方を変えれば、この自然災害の繰り返しから、日本人は自然と人間との共存を考えざるを得ない運命にあるともいえる。だから、自然を畏怖し、その自然からの恵みに感謝する心がわいてくるのだ。これを失ってしまうと一神教の一方的な収奪路線にはまってしまう。それが「自国第一主義」となり、相手への寛容さを考えなくなる。この思考停止が今、世界を駆け巡っている。

 

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トリマーで腰を痛めるー

2024-06-10 23:31:20 | できごと・事件

 茶畑の一端が伸びてしまって近所の物干しが日陰気味になってしまったので、あわててトリマーで茶樹を刈る。本当は茶樹の全部をやりたいところだが、広すぎて時間がかかる。一部で高さを下げた刈込をやったがまもなく戻ってしまうのが悩ましい。しかも、トリマーが油漏れで動かないときた。

 農協でトリマーの修理を頼んだが、「部品があるかなー」と言いながら様子を見てくれた。さいわい、手持ちの部品を工面してなんとか修理してくれた。「修理代を払います」と言ったら、「いらないよー」と言ってくれた。ありがたい、ありがたい。その心意気がうれしい。

  

 このエンジンヘッジトリマーは、「TANAKA」というメーカーだった。30分も続けて作動させていると重さがだんだんこたえてくる。近所に迷惑をかけちゃいけないと一気に刈りこんだせいか、腰に負担がかかったようだった。作業が終わってから、腰を曲げるのがきつくなる。夕飯を食べるのもかがむ姿勢ができなくなる。一度座ると立つ動作が大変になる。歩くのがやっとの状態になる。しばらく横になってそのまま朝を迎える。

 

 数日後、ごまかしごまかし作業しながらなんとか腰の痛みがなくなってきた。もちろん、加齢による筋肉の弱さであるのが原因だ。なにしろ、若い時の腹筋は100回以上は平気だった感覚が、未だあるのがいけない。「腹を思いっきりこぶしで殴ってみな」なんて言って、まわりにやらせて鼻高々だった傲慢さがいまになって祟りとなった。今では座るのも起き上がるのにも「ヨイショ」と気合を入れないとできなくなってしまった。

  これから、「末期」高齢者であることの自覚を踏まえた作法をやらねばなりませんね。ちなみに、電動トリマーは重さは軽いらしけど、パワーはエンジントリマーにはかなわないのでは、とかブツブツ捨て台詞を吐く。

 

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永田農法のトマトを食べて

2024-06-08 21:25:53 | 読書

 5月下旬、今まで気になっていた永田農法のトマトを購入して食べてみた。普通のトマトの糖度は4~5度だがこちらの糖度は倍以上もあるという。さっそく食べてみると確かにフルーツのように甘い。歯が悪いので皮が硬いのが難点だったが、これは旨味が半端ではない。ということで、当事者の永田照喜治(テルキチ)『食は土にあり/永田農法の原点』(NTT出版、2003.6)を読んでみる。

  

 著者の仮説は「野菜や果物を美味しくするには、その原生地に近い環境を再現すればいい」というものだった。それは苦労して体得した経験とカンの賜物だった。と同時に、著者は「資本主義経済の発展とともに限られた土地で大量の収穫を上げるため、大量の肥料投与・農薬投与ということが繰り返し行われ、農業こそが環境破壊の一大原因」と指弾する。そこで、「自然に遠慮しながら…少なくとも、その土地を汚さない、そこの生態系をできるだけ壊さないようにする」としている。それはまたネイティブアメリカンの「七代前の先人の知恵を大切にし、七代後の子孫のことを考えて行動する」という言葉を引用している。

 

 さらに続けて、遺伝子操作によるハイブリッドのF1種子を多国籍企業が独占し、農家はそれを毎年買わらざるを得ない坩堝にはまっていると指摘する。それはオラも種を買おうとカタログを見てみると7~8割がF1種子であるのに閉口する。これでは、地域の伝統野菜は生き絶え絶えとなり、種の採取も難しくなっていく。そして著者は、「現在の日本の野菜は消費者のためでなく、生産者や流通者の利便性、経済性のために作られている」という告発には大いに首肯するものだ。

  

 そうして、「欧米型の多肥料・多農薬・多収穫・安全性無視の環境破壊型農業の時代は終わり」、自然と共存型の持続可能な「アジア型農業の時代」であることを強調してやまない。そのグローバルな視点は同時に、永田氏の交遊関係の豊富さも本書にふんだんに紹介されている。生産者・料理人・経営者・放送人・評論家・作家など、その関係は、土を通して人との関係が深まり、癒され、生かされてきたという。言い換えれば、「人と関わること、社会と関わることの大切さ」、園芸など「自分が何かの役に立っている」という実感を持つ大切さが、農業に内包されている。

 

 そういうことから、「人は自然と関わり、人と関わることで生きがいを感じることができる」と、農業の中に希望をたたみかける。本書からは、永田農法の原点が語られているが、それはオラが今まで考えてきたことと矛盾しない。しかし、実際の農法はわからなかった。そのため、永田農法図解入りの本やDVDなどを確保した。これから、わが小さなわが農園に永田農法を少しずつ取り入れてみたいと思う。畝は高畝にすること、土壌の中身というより「液肥」で肥料をかける、肥料・水をぎりぎりまで抑えて栽培するというようなことが基本のようだ。

 

  そんななかの本からの巻頭言。

 「自然の森を 思い浮かべてください。

 森に誰が 水や肥料をやりますか。 どこに土を耕す人がいますか。

 森は何もしなくても、 ちょうどいいバランスを保ち、

 瑞々しい緑を育んでいます。

 私たちが食べる作物だって 実は同じことなのです。」

       ( 『永田農法おいしさの育て方』永田照喜治 から)

 

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