無難な戦国を描いて視聴率を狙うNHKの大河ドラマの中で、今回の「光る君へ」の存在は画期的だ。というのは、男社会のポピュリストのジジイや国民へのこびへつらい忖度に対して、今回は平安王朝は武力以上に女性の存在感と活躍する女性文化、さらには和歌・管弦・しきたりを重視する「貴族道」が中心的基軸となる。その意味で、関幸彦『藤原道長と紫式部』(朝日新書、2023.12)は、それを待ってましたとばかりに出版されたタイムリーな本だった。そのため再び読んでしまった。
(平等院webから)
著者は、本書の目的は「王朝時代の復権」、ズバリこれに尽きると言い切る。「平安時代400年と一口にいうけれど、これほど長い時代は日本史上、他にはない」と指摘する。くわえて、「貴族が主役だったこの時代は、武士の時代に比べダイナミックさに欠ける。…明らかに<負>の印象が強い。…劣勢なる平安時代、その名誉回復にむけて、この時代を裸眼で見直す」と、道長・紫式部を引き寄せてグローバルな視点から力説していく。
(japaaan webから)
世界は今、武力や経済によって自他の国を屈服させる動きが支配的だ。そんなとき、女性の優雅さやキレのある文化によって時代を構築していく国づくり・人づくりが模索されている。日本の歴史を考えても、平安の国風文化・ひらがなの発明、戦国・室町の茶道・華道などの伝統文化、江戸の芸能・エコロジー・アートなど、現代でもいまだに息づいているジャポニズムがある。それは中国から導入して学んだことを独自に消化して日本独自の文化を創造していったのは平安時代からなのだ。
(京都の文化遺産webから)
著者は、「王朝貴族にとって和歌は、自己の情念を、言語という理智的手段で表明する行為だった。…政治上での権力の暗闘場面でさえ、表現上の才能こそが、<貴族道>に恥じない要素だった」として、男女の情愛だけではない所作・スタイルを強調してやまない。
さらに、天皇の名前を中国風の「天・武・文」などをやめて、京都の地名などを冠して日本風にしたのも画期的だと言う。また、道長らの摂関政治は、それまでの天皇親政の「中華的皇帝主義」から権力を分離・請負化して天皇を文化的に象徴化した。確かにこうした指摘はわかっているようで意外に盲点だった気がする。平安時代は矛盾に満ちてはいたものの長いスパンで鳥瞰するといかにスゴイ時代であったかを認識させてくれる。
(市川市webから)
ヨーロッパにとってオリエントは、しばらく理想郷だった。中華帝国は世界の中心だった。日本もご多分に漏れずそこから学んだことは多かった。しかし、世界の大波はそれを超える時代へと、大航海時代・産業革命へと歴史はフル回転する。そんな波濤のなかで、道長や紫式部が生きていた平安時代はジャポニズムへの転換がまさに選択された時代だった。著者の鳥瞰的な意図はざっくり伝わってきた。これからの世界の方向性が示唆されている時代でもあった。ちなみに、現在放映中の朝ドラも、女性初の裁判官誕生物語であり、結果的に大河ドラマと連動しているのが象徴的だ。未来にも生きる希望が少しはあるということだろうか。