山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

秋を彩る畑の草花

2013-10-31 22:40:38 | 植物
 ススキや枯れ草が多くなってきたなかで、畑の回りは鮮やかな花を競っている。
 目立つのは「コムラサキ」の紫。
 移植して増やしてきた効果が出てきている。

 残念ながら一部に「セイダカアワダチソウ」の黄色も目立つ。
 すぐ対処すればよかったが、玄関の生け花に精彩を放つんだなー。

     
 いつも控え目な「コウヤボウキ」がほんのりとピンクの恥じらい。
 これは草本ではなく「木本」であることをつい忘れる。
 道草山の林縁が居場所だ。

                      
 どういうわけか、1本だけ出現した小さな「ホトトギス」。
 どこからやってきたのだろうか。
 夏の花もしぶとくがんばっている。

 畑で圧倒的に勢力を誇示しているのは、「ノハラアザミ」。
 よけながら歩かないと痛い。
 秋の花には紫色が多い気がしてならない。

             
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栗の渋皮煮を食らう

2013-10-30 15:04:53 | 食彩・山菜・きのこ
 今年の道草山の栗は順調だった。
 昨年は数えられるくらいしか口に入らなかったし、さらに、「クリタマバチ」の虫こぶがかなり多数見られたので、今年は昨年並みかなと期待薄だった。

                       
 ところが、老齢の栗はまさに老獪に危機を乗り切ったのだった。
 また、毎年来ていた猪も来なかったし、リスやサルの姿も目撃していない。
 ということで、栗の恵みをいただく秋となった。

      
 また和宮様の栗の鬼皮向きがすでに始まっていた。
 これがなかなかの手間だ。
 炬燵にあたりながらのんびりやる。

         
 鬼皮が剥けたら水にさらす。
 それを鍋に入れて重曹を入れて煮込む。
 色が出たら湯を捨てまたトロトロ煮込む。

                      
 これを繰返し、水がきれいになってきたら砂糖を加えて1時間ほど煮込む。
 これができたら、味見をしてみる。
 ほんのり甘い。
 このまま翌日を待つ。

                   
 鍋のシロップを煮つめて濃厚にしてから栗を入れる。
 消毒したビンに栗を詰め込む。
 これで完成となる。

     
 丹波栗のデッカイ塊が目の前にある。
 ひと口で食べるのはもうしわけないが、ガブリといく。
 日本の秋が体内を突き抜ける。
 これを初めて創り出した人はどんな人だろう、と思いながらお代わりをしてしまう。 ありがとう、老齢の栗ちゃん。
 ありがとう、日本の秋。 
 
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妖艶な蛾「ウスギヌカギバ」のモダンアート

2013-10-29 21:47:44 | 生き物
 雨が収まりかけたときの散歩も大好きだ。
 待っていたかのように、道草山のたもとの影に「ウスギヌカギバ」がいた。

 白い「薄絹」がスケスケなのだ。
 そこに碇のような3本の茶色の「鉤」を大胆に配置するモダンデザインに感心する。 
 以前出会った「モンウスギヌカギバ」(2012.6.17.)のデザインとも違って、強烈な自己主張が内在している。

                     
 自家用車の窓の屋根部分に、蛹が付着していた。
 いったいこの正体は何なんだろうと待つことにする。
 できたら、先日消えた「アゲハモドキ」の蛹であることをどこか期待している。

 一日中雨だったきょうは、しばらくぶりにうだうだして、溜めていたDVDを連続視聴する。

 阪急ホテルの偽装表示、みずほ銀行の暴力団融資といい、一流企業のモラルにまたまたうんざりする。
 利益のためなら魂や徳をも放り出す退廃はじわじわと日本崩壊を早めている。
 二宮尊徳の「報徳思想」を見直さなければならない。

 ウスギヌカギバ(薄絹鉤翅)の誇り高い蛾から敬虔な宇宙を学ばなければならないと思うのだった。
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友あり、街なかより、「ズリだしうどん」でしょ!

2013-10-28 21:52:40 | 出会い・近隣
 わが家を初めて訪問する品の良い友が来た。
 こういうときは、「ズリだしうどん」を共にするのがわが家の流儀だ。
 「ズリだし」は、奥多摩の山の民のごちそうらしい。

  
 もちろん、焚き火で茹でたアツアツのうどんに醤油と卵・鰹節とで味を整えるだけ。
 そこに、山や畑で収穫した葉野菜や山菜を入れる。
 きょうは「ツルムラサキ」を入れてみた。
 久しぶりの「ズリだし」だった。

         
 さらにダッチオーブンで、収穫して間もない「安納芋」を焼き芋にする。
 カボチャのように大きくなりすぎの芋だったせいか、味はやや大味だが、スウィーツに近い。

               
 そのうえさらに、和宮様手製の、畑から収穫したピーマン・ズッキーニ・パプリカ・カボチャ・シイタケ・ゴーヤに鶏肉・春雨、の炒め物が添えられる。

  
 某航空のCEOをやっているという「うわさ」のあるその友人は品良く食べていた。
 ほんとうはフォークとナイフを用意すべきだったのかもしれない。

 そればかりか、火の番の汚れ役をほとんどやってもらった。
 流体工学よろしく、火の流れを効率よく燃焼する手際のよさに感心する。
 だてにCEOをやっているだけではない威厳と技術者の眼がそこにはあった。

 ブルースカイの空に真っ白な雲。
 木立にジョウビタキの声。
 そんな秋に、颯爽と友あり。
 

  
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台風の雨を受け止めるしたたかさ

2013-10-27 21:25:00 | 自然観察
                          
 大きな爪痕は残さなかった台風ではあったが、雨をそこそこ山並みに置いていった。
 こういうときこそ、きのこの出番だ。
 台風前は全く姿がなかったのに、数日のうちに見事な姿を現したシイタケ。

    
                 
 そのついでに、ちゃっかり子孫を爆発している「ニガクリタケ」。
 クリタケとそっくりだけど、猛毒があり、中毒の上位を占める。
 見分け方は、ちょっと断片を齧ってみて、苦ければ食べないこと。
 残念ながら、ムキタケがでるはずのほだ木なのに。

                       
       
 道路の真ん中に1本、ド根性「センニチコウ」(ヒユ科)が咲いていた。
 「千日紅」と言うだけあっって、夏から秋まで長く咲いてくれる。
 ドライフラワーでも色が褪せない。

                
 「ラッキョウ」の花が一斉に咲いていた。
 天の水を小さな花がしっかりと受け止めていた。

 大雨であっても、恵みの雨と受け止めるしたたかないのちがそこにあった。
 人間は土砂災害の脅威に右往左往している。
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台風一過に虹の橋

2013-10-26 21:14:05 | 風景
 台風の雨量による通行止めが目の前の国道にもあったが、夕方には解除されホッとしていたときだった。
 やや霧雨が降っていた畑で支柱の手直しをしていてひょいと空を見たら、見事な虹がかかっていた。
 カメラに収めきれないのでなんとか射程内に楕円の橋を取り入れようと場所を探している間に、虹はついに薄くなり消えてしまった。

 
                    
 悔しいので近くの川を見に行く。
 急カーブのこの場所はいつも危険をはらんでいる箇所だ。
 今回は思ったほど雨量が少なかったが、もう一日雨が長引けば道路に浸水する可能性がある。

 
 川岸の木が水没している。
 濁流の迫力はなかなか画像では表現できないが、濁流の音はいまだわが家に聞こえるのだ。

 日本の風景の美しさとはこうした地獄と同居している。
 それは人間の一生と似ている。
 だから、日本人は自然との調和を大切にしながら生きてきた。

                            日本の神も二面性を持ち、悪さもする。
 ここが、神は絶対であるとした一神教との違い。
 神・自然・鬼の二面性は、人間の二面性の裏返しでもある。
 だからそこに、文学や芸術や哲学が生まれる。

 自然科学や経済は、一歩さがって謙虚でなければならない。
 つまり、自然を生かす、人間性を豊かにする、それに貢献する科学でなければならないと常々思うのだが。
 
 

 
 

 
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6体の狛犬に守られた青山の秋葉神社

2013-10-25 17:38:28 | 石仏・石造物
 先月上京したおりに見つけた青山の秋葉神社。
 瀟洒なビルの谷間にひっそり神社がある。
 ビルに包囲された狭い敷地になんと、6体の狛犬がいた。
 人とすれ違うのもやっとのなかの境内は、犬小屋いや狛犬小屋じゃあなかろうかと思いたくなる。

 
                
 鳥居をくぐってすぐに「寛政2年」の狛犬。
 ふつう、口を開けた「あ」形の狛犬は向かって右側なのに、ここは左側。
 頭上が凹んでいるのは、角を取り去ったという説と河童型だったという説があるらしい。

  
 大正期に作られた2対は、耳がモダンな毛で隠れている。
 どことなく愛らしい。

   
 いちばん奥の拝殿前のは、「大正9年3月」の銘があるいかつい狛犬。
 日本が国際連盟に加盟し常任理事国となるような近代化・軍事化の勢いがあった時代だ。
 狛犬研究の第1人者三遊亭円丈師匠によれば「招魂者社」系のえばった?狛犬なのかもしれない。
                     

       
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ニンニクがいっせいに芽をだしているぞ!!

2013-10-24 21:25:13 | 農作業・野菜
 遅く植えてしまったニンニクだったが、このところぐんぐん芽を伸ばしている。
 雨が降るたびにぐいと天に向かう。
 さすが、ニンニクパワーだ。

                          
 今年は黒ニンニクを多めに作るので、作付けも当然多くなっている。
 青森の高級種「福地ホワイト6片」を意識的に植えてある。
 これで元気モリモリでいきたいところだ。

 残念ながら、先日の集団検診の結果で胃と腎臓の再検査の連絡があった。
 過食と糖尿の傾向があり予想はしていたが、やっぱりきてしまった。
 胃カメラの検査は想像するだけでも足が重くなる。

        
 腐りはじめかけていた苗だったアサツキやラッキョウもなんとか畝に植えて、ギリギリいのちを吹き返してきた。
 これから厳しい冬を迎えるが、なんとかのりきってほしい。
 その意味では、お互いは同志ということになる。

 先日の祭礼の会計報告づくりに半日以上かかってしまい、畑に出るどころではない一日。
 なんとか辻褄があったが行き違いの箇所があり、またまた最初からやり直しだ。
 こういう胃への負担もあるのかも。
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「ローゼル」ってオクラみたい

2013-10-23 17:53:12 | 植物
 昨日、茎も果実も見事な真紅の植物をいただいた。
 みるからに日本のものではない。
 やはり西アフリカ原産だそうだ。

                       
 果実のガクやホウを利用する。
 そこは生食もできるらしいので、食べてみる。
 すっぱい。
 和宮様はこの植物の正体を知るべくパソコンと格闘。
 結果、これは「ローゼル」(アオイ科)という。

     
 ローゼルは、ハイビスカスティーとして有名だそうだ。
 色もトロピカルで南国風だし、ビタミンCも豊富な健康食品。
 若葉は野菜として、茎は繊維・染料としても使える。
 
                
 その日のうちに、和宮様はローゼルジャムを作ってしまった。
 そのくらい魅力的な植物だということだ。

  
 そして、乾燥させてハーブティーを飲もうというわけだ。
 食品乾燥機はまたもや出動するはめになった。
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わが家は縄文経済

2013-10-22 21:33:29 | 食彩・山菜・きのこ
 栗拾いが一段落して、今度はギンナン拾いが始まる。
 比較的若いイチョウの木が近所にある。
 道路は潰されたギンナンが散乱してしまう。
 清掃を兼ねてギンナン拾いをする。

                        
 すると、バケツ一杯になってしまう。
 近所の人はあまり関心がないようだ。
 わが家の収入は年金だけしかないので、ギンナンは貴重な食材となる。

              
 バケツの中に水を入れてビニール手袋をはめてでギンナンの外皮を潰しながらはぎとる。
 外皮は畑に埋めて、種は水でキレイに汚れを取ってあとは干すだけ。
 わが家の縄文経済はこうしたシンプルな作業でなりたっている。
 日本の経済成長にまったく関係ない自立経済?だ。

       
 イチョウの木の隣の道路は昔の幹線道路だった。
 軽トラックがやっと通れる幅しかない。
 日本のかつての生活とは、こうした山村の道が地域をつなぐネットワークとなっていた。
 それが「平地」に人が集中していくと権力とか富とか差別とかが始まる。
 そうしてかつての山村の豊かさがじょじょに駆逐されていく。

 白亜紀に隆盛したイチョウはそんな人類の「進歩」なるものをどのように見てきたのかなー。
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