山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ラッピング列車のバラエティー

2023-12-25 22:58:26 | 旅行・散策

 久しぶりに「天浜線」(天竜浜名湖鉄道)に乗る。一両のみの車両だが田園風景とマッチして絵になる。車内のイスはレトロな懐かしさがある。四人掛けボックスの肘掛けが木製なのも天竜杉を連想させる。乗客が少ないので四人掛けを一人で独占できた。

  

 旧「国鉄二俣線」が1987年3月に第三セクターに移行してから、経営の格闘が始まっている。その一例が車体のデザインのラッピングだ。その先陣をきったのが触媒大手の企業・キャタライナーだった。企業の社会貢献として全線単線ワンマン運転のローカル線を応援している。

       

 車体デザインの深緑色は、空の青と森林の緑を混ぜたカラーということだった。「キャタライナー」は、自動車の燃料電池や排出ガスの浄化では先駆的な役割を果たしているとともに、子ども向けの「wakuwaku理科教室」も開催している。天浜線の多くは無人駅が圧倒しているが、それでも訪れる人の評判はいい。

       

 今回乗ってみた先頭車両のデザインにはキャタライナー社の企業理念の「環境浄化(clean)」「創造(create)」「挑戦(challenge)」の「C」がデザイン化されているが、見た目はわかりにくい。なお、天浜線はディゼルエンジンで動くので「電車」とは呼ばず「列車」と呼ぶ、ということを初めて知った。

    

 キャタライナーに引き続き、スズキ・ホンダ・ヤマハなどの企業もラッピングでの応援を始めた。ヤマハの斬新なデザインにびっくりさせられたが、画像は撮影できなかった。これ以外にも、大河ドラマの「井伊直虎」や「どうする家康」をはじめ、アニメのキャラクターやゆるキャラなどのデザインが車体をにぎやかにしている。そのため、天浜線がそばを通るたびにどんなデザインになっているかを観るのが楽しみになっている。(画像は「気ままな趣味の散歩道」ブログwebから)

  

 ついでに、何年ぶりだろうか掛川から新幹線に乗車する。降車した東京駅は人間の津波に飲まれて溺れそうになった。大都市の底力を見せつけられたが、経済の町は心の余裕というものを削除してしまう恐ろしさをも感じさせられた。

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143年続いた老舗旅館がゆるーいカフェに

2021-11-14 22:38:02 | 旅行・散策

 近所の人と珍しくカフェに行こうということになった。「対秋桜」という旅館がカフェになっているのでそこに行ってみたらお休みだった。それではと、昨年8月オープンした犬居にある「旧松本屋旅館」のカフェに行くこととなった。そこは明治10年(1877)創業の老舗旅館だったようで風雪のたたずまいが圧倒した。いまは経営者が変わり「La vie Libre(ラビリーブル)」という古民家カフェとなっている。「自由な暮し」という意味らしい。

  

 そおっと開けないと歴史が壊れるのではないかと玄関の引戸を開ける。このガラスにはたしか松本屋旅館と吹き付けの文字があったはずだが、いまは消されている。玄関の内側からみた引戸と上段の格子模様が歴史を語っている。お客として内部に入るのは初めてだ。

  

 玄関中央にはレトロな「電話室」と精工舎の柱時計があった。それは以前、散策会でちょっとだけのぞいたときの記憶がよみがえった。電話室にはダイアル式の黒電話があるはずだが確認していない。柱時計は大正3年(1914)の大火のとき宿泊客が運んでくれたもので、以来大切にしているという。

 コーヒーが来るまでの間、きょろきょろしながら天井を見たら今では懐かしい碍子が使われていた。この電線は生きているのだろうか。大正の火災があったので創業時の柱ではないのだろうが、梁はしっかりしている。

       

 このカフェにはネコが9匹いるという。たしかに毛並みといい表情といい種類といい堂々と店内を闊歩している。ネコカフェと言っても良いくらいだ。また、ピアノの隣には立派なワンちゃん(梅太郎くん)がお客を観察していた。お客の犬が入ってくると、横になっていた梅太郎くんが柱を倒すのではないかと思うくらい立ち上がり空気が破れるように吠えたので迫力ある。こういう犬猫ののびやかな振る舞いが魅力なのだろう。お客は若い人が多かった。

 この地域は春野町の中心街であるが、コンビニやファミリーレストランなどはない。だが、こうした拠点ができることで、まったりした時空の漂いを定着してもらいたいものだ。2・3階には書院・欄間・掛軸・扁額などの見どころがあるようだが、次回以降の楽しみとしたい。

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琴平・金刀比羅・クンビーラ

2020-11-13 22:52:50 | 旅行・散策

 先日、買い物ついでに立ち寄った所が「金刀比羅(コトヒラ)神社」だった。いかにも観光地らしからぬ雰囲気ではあったが、境内は清楚に清掃され、建物も石造物も丹精込めた心意気を感じた。

              

 石段を登る前には金属製の灯篭があってこれもなかなかなかなか手が込んでいる。集落あげて金銭面でも投資してきたのを感じさせる。観光地でも名所旧跡でもない清貧な庶民の姿が浮かんでくる。

   

 こじんまりした拝殿らしき建物も端然と夕陽を浴びている。しばらくその清楚なたたずまいに身を置く。神道の本当の心はこういうところにこそあるような気がする。観光化されるとどうしても世俗化が目に余る。

              

  拝殿の扁額には「金刀比羅神社」と彫られていた。ここは浜松市浜北区だが、本宮は香川県琴平町にある。いわゆる、「こんぴらさん」として江戸中期以降爆発的な人気があった。「金刀比羅」のルーツは、インドのガンジス川に住むワニを神格化した「クンビーラ」にある。したがって、海の神・航海の安全祈願をはじめ、農業・病気平癒の神として一世を風靡した。

   

 しかし、それが明治の廃仏毀釈で山岳仏教的な部分が排除され、「金刀比羅宮」が「神社」に変更されてしまった。それでも、全国に600社もあるほどの一大勢力を堅持している。そんな変遷に関係なくここの静謐な空気は農村地帯の伝統を保持している。まわりは、みかん・柿の一大産地にもなってオイラも利用させてもらっている。

   

  場所的には車が通過するだけで歩いている人はなかなか見られない。まわりも店らしき建物もないし、車を止めるスペースもない。それがまた、品格を増幅させているのかもしれない。これこそ、本当の穴場なのではないかとゴミ一つない境内で満悦させていただいた。

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雨の雲上の山里を往く

2020-01-18 18:02:12 | 旅行・散策

 小雨が降るなか、春野町砂川集落の散策会を強行する。参加者は半分の15名になってしまったが、大半は顔見知りのツワモノ揃い。「同窓会だね」と笑いながら雨を跳ね返す。集落の中心部から山を見ると見事な雲海が「山水画」を描いていた。

 

 雨が降っているからこそ見られた眺望だ。これを見られただけで目的は達したと負け惜しみを言う。集落内を歩きながら、宇野茶園をめざす。茶園内の作業場でお茶をたしなむグループとその周辺散策と丸太を引き揚げる林業体験のグループに分かれ、途中で交代する。

           

 途中で、「うの茶園」の子どもが書いた習字と元旦発行の「茶今日しんぶん」が貼ってあった。「限界突破」はまさにうの茶園の本意が出ている。新聞には、温暖化の現実に対して「次世代に責任をもてる社会へ舵を切れる年にしたい」と新年の決意を語っていた。 

 また、M・エンデの言葉「経済の原理は友愛である」という言葉を紹介していた。それは、世の中全体の拝金主義に対して、茶園の維持・管理に近隣からのさりげない支えがある経験から、金の有無だけではない暮らしの可能性を強調している。    

  

 そして、子どもたちとテーマパークに行くより自分が住んでいる山里を散歩する魅力を語り、「優しい人と語らい、ここで採れた食べものに舌鼓を打ち、薪の火で温まる。確かな幸せがここにはある」と宣言する。画像中央にうの茶園の自宅がうっすら見えた。

            

 次に向かったのは、有機栽培茶を提唱して集落全体の取り組みに貢献した「八蔵園(ヤゾウエン)」を訪れる。とっくにお昼を過ぎてしまったが、干し芋を食べながら有機茶のコクを堪能し、お代りを何回もいただく。有機茶栽培に至った過程を鈴木さんに説明してもらい、それに共感した若者が続々入植してきた実績も見逃せない。

 帰りに、有機茶や生シイタケなどを買い求めて散会となった。これらを総合的にプロジュースした事業家・「熊の親子」の杉山さんの赤字覚悟の企画が光っている。自分の商売の利益だけではない地域全体の魅力を紹介することで地域を活性化しようとする心意気が素晴らしい。それをちょっぴりお手伝いできたことが何よりもうれしい。そしてまた、懐かしい顔ぶれに再会できたこともなによりだ。

    

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「網棚」は死語ではなかった

2020-01-14 22:49:47 | 旅行・散策

 先月の電車内でのこと。空いていた座席にホッとして座ってからふと上を見たら、びっくり。網棚が強化ガラスでできていることだった。しかもそこには切り込み細工模様のデザインが施されていたことだった。

 紐を編んで作られていた「網棚」は70年代におわり、いつの間にか鉄パイプになっていった。しかし、その隙間から荷物の小物が落ちたりしたことでこうした強化ガラスなどに変わっていったようだ。さらに、利用が少ないので撤去されたり、高さを従来より5cm~10cmほど低く設置して利用しやすいよう工夫もされている。

 「網棚」という言葉は「荷棚」のことだが「鉄ちゃん」によればいまだ普通に使われているという。最近は海外旅行者が多くなってきているので、車内の床上に大型荷物置き場も設置する電車もあるのを見たこともある。電車からすれば網棚という小さなアイテムにもこもごもの歴史があるのを発見する。

  経済学者・金子勝教授のツイッターは、ポチ(ボックン)のサウジ訪問という事の本質を見事に斬りまくる。どこのマスコミも当たり障りなく表面をなでているだけ、もちろん教授は毒舌の毒が強すぎて呼ばれなくなった。

 【ボックンまた外遊逃避行】サクラを見る会が、公然たる法令違反とスガ悪代官が開き直ると、ボンボン総理はモリカケ以来恒例の都合悪くなると提灯マスコミひきつれて「ボックンどこまでも逃げてやる」のUAEとサウジへ専用機での逃避行。目的もなく大成功キャンペーン?

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天空の里「胡桃平」を散策する

2019-06-08 20:36:08 | 旅行・散策

 昨日の大雨にもかかわらず、きょうの散策会は適度な風と太陽に恵まれた。従来の散策会は「森の案内人の会」主導だったが、今年度からは有志の施設ごとの運営となった。「春野いきいき天狗村」の杉山さんは100名を越える案内はがきを出したり、集落の関係者に周知・支援を請うたり、地道な準備の結果参加者は28人となり、地元サポーターも2人参画してくれた。天空の里「胡桃平」の見どころはいくつもあり、カメラに収まり切れない景観を見せてくれた。

 

 秋葉山に連なる山並みに囲まれながら農作業が続けられていた。まさに天空の里の優雅な暮しがそこにあった。しかしながら、往年の十分の一に減った村人の過疎の現実はますます加速するばかりだ。数十年後には集落がなくなってしまう可能性すらある。

 

 

   眺望の良いそこには、地元の名士「山口家」の豪華な住まいがあったが、今は空き家となっていた。ただし、家の管理はきちんとされていて往年の栄華がしのばれる。オイラにとって散策会への参画は1年ぶりくらいだったので体力に不安があったが、リピーターが多かったこともあり、ゆったり歩くことができた。それ以上に、地域の持つ自然力と集落の栄枯盛衰から考えさせられるものが少なくない。

         

 森町に抜ける馬車道にある馬頭観音の「坊山」で休憩。そこで、「天狗村」から冷えたどら焼きのおやつが提供された。それをきっかけに、参加者自ら自分が持ってきたチョコ・小梅・煎餅などがそれぞれ配られた。それほどに、ゆるやかで和やかな散策会となった。オイラは「山猿」さんが製作したムクロジのネックレスを着けながら、神社のムクロジを紹介させてもらった。

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天空の集落を下見する

2019-06-06 23:01:59 | 旅行・散策

 明後日に「春野いきいき天狗村」主催の散策会がある。サポーターのオイラは主催者の杉山さんと現地の「胡桃平」集落を訪ねる。まずは胡桃平の中心地にある旧「胡桃平小学校」を外から見てみる。屋根の瓦を見ると「学」の字が見える。校庭の隅に小さな石碑「胡桃平小学校跡」もあった。

        

 

 大正4年には40人の児童がいたというが今は廃校となっている。大正9年の世帯数が42戸・283人だった胡桃平集落は、平成24年の世帯数では11戸・23人という現状にある。

  

 校庭には大正14年(1925年)5月に建立した「胡桃平区事跡」の石碑が誇らしく佇んでいた。古い割には文字はけっこう解読できる。

 【 明治22年 森街道開設 / 明治37年 学校新築 / 大正3年 神明神社新築 / 大正5年 犬居街道開設 / 大正9年 電灯電話架設 / 大正10年 和泉平道路改設 / 大正11年 砂川道路改設 / 大正12年 社集合所改築 / 大正14年 大時道路開鑿 

 事跡の下には、石碑を建立した「叢起者世話係」と賛助員の名前が刻印されている。事跡は山村がどんどん発展していく様子がぐいぐい伝わってくる。それは列強に対抗して日本の経済発展を全開してきた歩みと一致している。大正14年(1925年)は治安維持法や普通選挙法が公布され、翌年から昭和が始まる。大正ロマンから戦時体制へと日本の歯車はじわじわと変っていく。発展と奈落の歴史の「法則」が集落を襲う。

 「ポツンと一軒家」の番組に出てくるような狭い道を経て、いよいよここから散策会がスタートする。

 

 

 

        

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戦国夢街道を往く/「ぷぶふの日」①

2018-05-20 21:46:04 | 旅行・散策

 「ぷ」らっと来て、「ぶ」らっと見て、「ふ」らっと寄って、人と自然を楽しむ日が、森町の「ぷぶふの日」ウォークイベント。いつも気にしてはいたがやっと参加することができた。コースは戦国の武田・徳川勢の攻防がこの山中で行われたほどの交通の要所だった。

              

 実際、徳川勢が初戦で敗退したとき討死した武将を村人が手厚く葬った「七人塚」を発見。狭い街道沿いにはこうした石碑や木造の説明板が設置されている。とりあえず、急峻な坂道を登りながら「駐車場」の小学校跡に向かう。

 

 

                   

 山道にはY字路が多くあり、初めての訪問者には案内板があるのが救いだ。駐車場には到着したものの、目標のポイントの寺社やオープンハウスがわからずかなり迷ってしまった。その辺の詰めが今後の課題だ。なんとかたどりついたが、ポイントの近くには黄色の幟旗がある。

 

        

         

 連なる山々を見ながら、曹洞宗「太慶寺」に行く。室内は自前の森から伐り出した銘木や柾目板・一枚板がふんだんに利用されていた。往時の林業が活発であったことが想像された。住職は腰が低く気さくに説明してくれた。

 

     

 欄間には、「七宝」文様という組子欄間があった。円(縁)が無限につながりますようにという願いが込められているらしい。組子の多くは直線が主流だが、曲線は手間がかかり高価でもある。これがあるということにも、山奥でも往時の地域の財力がわかる。つまり、山暮らし・田舎暮しは現代では生活できない、「貧しい」ということでもある。

         

     

                                 

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初めての林道を歩いてみる

2018-02-14 16:56:56 | 旅行・散策

 郵便ポストに投函した帰り、突然林道を歩いてみたくなった。まだ歩いていない近くの林道を前々から踏破したいと思っていたからだ。場所によっては無謀かもしれないが、おおよその方向がわかっていたので決行することにする。舗装がない道が続いたが、さっそく見えてきたのはしばらく使われていない炭焼き小屋だった。

 

       

 林道なのでその両サイドはもちろん杉林が終始追ってくる。場所によってはなかなか手入れができていない箇所もあった。林縁には「ウラジロ」のシダ植物が多かった。同じくヒサカキ・クロモジ・アラカシ・シラカシ・ソヨゴなどの樹木も道沿いに進出していた。

 

             

 人には会わないだろうと思っていたが、近所のハンターの人が車で通りかかった。イノシシやシカの痕跡を見に来たようだ。林道沿いにはイノシシの荒らした跡や樹皮を食べた鹿の食痕も少なくない。ふだん人間が立ち寄らない空間なのでここは彼らの解放区なのに違いない。

 

        

 葉の裏表が同じに見える「リョウメンシダ」の群落も発見。シダは「ウラジロ」や「シシガシラ」が多かったので単調に見えた風景だが、仔細に見れば多様に生きる植物もあることを教えてくれる。

 

              

 なんといっても最大の発見は珍しい「カギカズラ」(アカネ科)だった。林業にとってはその鉤で材にからんでくるので害木だが、場所によっては絶滅が危惧されている。同時に、その鉤を乾かして子どものひきつけ薬や鎮痛剤の生薬としても利用されている。

 春になればもっともっと多様な植物に出会えそうだ。所々にY字路があって案内表示もないので迷走する可能性もあったが無事戻れた。所要時間は2時間弱だった。 

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山道の杉枝を片づけながら

2017-11-19 18:47:56 | 旅行・散策

 日本の中央で近代林業の中心地だった浜松市龍山の散策会に行く。

 地元の楠さんが今ではあまり利用していない昔の通学路に焦点を当てた開発コースだ。

 そこに散策の看板を立てたり、山道をふさいでいた杉枝をどけて当日を迎えた楠さんのボランティア精神に頭が下がる。

 

     

 林内の薄暗い「通学古道」は、間伐もされず下草もない現状に日本の林業の実態を見る。したがって、土砂崩れも少なくない地域ともなっている。

 

 親子三代にわたって石垣を積み重ねながら茶園を作った場所が「瀬尻の段々茶園」だ。

 平地のない山間地は石を集めて少しでも平地を作ることから暮らしが始まるという。

 その典型の藤原さんの家が直下にあり茶工場も作動している。

 高低差が100mもあるこの石垣の端には「野猿」と呼ばれる「索道」で道具や収穫物などを稼働させているのが見える。

 

                  

 「通学古道」のてっぺん付近で、瀬尻国有林を水源とする不動沢から落差32mもある「不動の滝」に出る。巨岩を縫う姿と音とが雄々しい。

 滝を見上げる橋の背後には天竜川と天竜美林の絵となる眺望を堪能できる。

 

 滝の下付近には210段の階段もある遊歩道があり、紅葉を愛でながら歩いていく。

 あまりにもみずみずしい滝と紅葉と空気のせいか、突然詩吟を吟ずる参加者がいた。

 「通学古道」を生かした観光ツアーも企画できないものか、役所は残念ながら当てにできないから、こうした民間からの一歩が大切だと痛感する。説明のための写真パネルも用意してくれた楠さんの思い入れが光る散策会だった。

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