山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

七輪で海老を焼いてみる

2018-01-31 18:33:56 | 野外活動

 突風が止んでいたので、今がチャンスとばかり、焚き火を始める。剪定した枝がかなり溜まってきたので朝からのんびり始める。おかげで積んであった枝が一掃された。

 また、焼き芋もやろうとしたが、残念ながらサツマイモが腐っているのが多く、生き残った2個だけを焼く。

 

                  

 よく燃えた枝で安売りで買ってあった海老を焼いてみる。七輪は土間で焼くのが定番だ。煙で部屋を燻すのがねらいでもある。

 海老を食べるのも久しぶりだ。たまたま夕方にやってきた「若様」にもお裾分けできたし、うどんも食べあった。

 

          

 いつものように、うどんを茹でる。沸騰点をねらって一気に火力を強めるのがコツだ。そのときの心強いアイテムが古い竹支柱だ。枝は生が多いので時間がかかるが乾燥した竹支柱はあっという間に火が燃え上がるからだ。

 外水道も午後は氷が融けて水を使えたのがさいわい。冷水でしっかり締まったうどんをいただく。自然エネルギーにきょうも感謝するばかり。

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寒風の中の作業

2018-01-30 20:15:10 | 出会い・近隣

 寒い日が続く。それでも朝起きる前から木を伐る音がする。近くなのがわかるが隣の茶畑でもない。チェンソーの音が止んだ朝食後、その現場を探しに行ったら、集落の入り口の木が伐られていた。

 つまり、木を伐ることで入り口が明るくなったのだ。朝一番にみんな自前で伸びた大小数十本の樹を伐ってくれたのだ。業者に頼んだら〇〇万円はかかっただろう。地元の地域力に感心する。

 

  

 運動がてら国道を歩いていくと、寒風の田んぼのなかでひとり草刈りしている住民がいた。枯れた田んぼを見るとオイラだったらやる気もそぞろになってしまうが、ひとりでやりきっているのに頭が下がる。

 

               

 カメラをズームにしてみると、草刈りしていたのは近所の女性だった。防寒をしっかりしているから汗をかいているかもしれない。わが家の畑はと言えば荒地状態のまんまだ。まだ手つかずの畑なのに、ここではもう畑の準備を始めているとは頭が下がるばかり。「恥ずかしい」と言いながらサッサと炬燵の世話になる。                 

 

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風小僧暴れまわる

2018-01-29 17:12:03 | できごと・事件

 きょうも遠州の風小僧が暴れまわる。遅く植え付けたスイスチャードと紅芯大根が寒さに震えていて成長が止まっている。その畝を覆っていたビニールシートと寒冷紗が支柱ごと飛んでいき、7~8m離れた所のタラノキに引っ掛かっていた。

 

                

 支柱もまともなものは一本もなかった。どころか、折れてしまって使い物にならないのがほとんどだった。風小僧の暴虐は鉄をも折り曲げたのだ。

 わが家に直撃すれば間違いなく窓ガラスは割れていたに違いない。しかたがないので、中途ながらスイスチャードと紅芯大根のすべてを収穫する。

 

        

 裏の畑もついでに見に行ったら、近くの小屋の戸が倒れていた。だいぶくたびれている小屋だからいたしかたないが、とりあえず小屋を幽閉する。むかしはシイタケの乾燥小屋だったらしいが、今はほとんど使っていない。土壁が魅力的だが、土台が腐りかけている。

 というわけで、きょうは風小僧に振り回された日となった。早く春が来ないかなー。

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定点観測そろそろ終了か

2018-01-28 20:05:47 | 風景

 地すべり現場もそろそろ仕上げの地点にやってきたようだ。現場に向かって左側は雨が降ると「沢」の滝ができてしまう。その工事が年末から施行されている。そこに堰を作っているようだ。

 

                    

 日本列島は最初平地だったそうな。それが大陸のプレートやフィリピン・太平洋プレートの隆起運動で山々ができた。そのねじれ部分に静岡が大きくかかわっている。そのため、岩石が脆い傾向にある。近隣のどこでも地すべりがあっても不思議ではない。

       

 けっこうな急斜面で工事がなされている。吹きすさんでいる寒風・烈風にあおられてしまうと落下してしまう危険性もある。この工事が終われば基本的な工事は終了するはずだ。2013年4月に災害が起きたが、復旧にもう5年はかかっている。

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モダンな蕎麦屋に行く

2018-01-27 19:34:02 | 食彩・山菜・きのこ

 久しぶりに家族で夕飯を食べに出かける。娘が紹介してくれた国道沿いの「初代(ショダイ)」という和カフェ&蕎麦屋だった。有名なのは、「白いカレーうどん」ということらしいので、さっそく注文する。表面は確かに白い。それは、蒸かしたジャガイモを粉状に濾してから生クリームと蕎麦の二番だしを混ぜたものだという。中身のうどんを掘り出してみると、まさにカレー色の、味もカレーうどんだった。このコラボレーションが和洋折衷のシンフォニーとなっている。

 

          

 ざるではないが、暖かい汁に鴨肉やネギが入っていた「鴨そば切り」も食べてみる。手打ちそばの触感と濃い汁との相性がいい。寒い時期には暖かい汁がいい。

 

                                       

 次に、オーソドックスな「九条ねぎきざみきつね」もつまみ食いする。そこには、柚子・ネギ・油揚げのミックスジャパンがあった。また、器が斬新な模様と手触りの良さがあり、器に並々ならぬ感性を込めている。彩色の緑は古田織部の「織部焼」を想起させる。

 

                                            

 しめは、最中のふた・揚げたそばの松葉を従えた「白玉抹茶ぜんざい」と抹茶の渋みが生きている「宇治抹茶ババロア」となる。ふだんは赤貧の生活にあくせくしている中で、たまにはこんな控えめな味道楽もいい。

 

                                    

 しかも、木製にこだわった机椅子が目立つ。店内はまるで欧州のカフェにいるような感覚だ。味もさることながらシンプルな壁・床・椅子は「洋」を、テーブルやお盆は「和」を醸しださせ、その和洋の空間が心を満腹にする。

 

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誠心外交の朝鮮通信使

2018-01-26 19:53:00 | 読書

 前々から江戸時代に行われた「朝鮮通信使」に関心があった。その講演会にも参加した。それは大河ドラマに取り上げても遜色ない両国の思惑の格闘と信頼形成のドラマだ。

 秀吉が朝鮮侵略をして皆殺しと殺戮のジェノサイドをした15年後、朝鮮から500人規模で使節団の来日があった。それ以降、12回にわたって通信使がやってきて将軍や文化人らとの交流が進行していった。仲尾宏『朝鮮通信使』(岩波新書、2007.9)の記述が事実に忠実公平であろうと努力している。

 朝鮮人の怨恨を踏まえた対馬藩の立役者・雨森芳州の「誠信」さが両国の思惑や矛盾を超えている。

 朝鮮との慰安婦・核保有問題で険悪になっている日本外交の基本は、この雨森芳州の「誠信」精神から学ぶものが多い。「互いに欺かず、争わず、真実を以て交わり候を、誠信とは申し候」という「多文化共生」論だ。

 それを金で解決しようとしたり口先だけの謝罪ではみえみえなのだ。秀吉の残虐な侵攻といい、戦前の朝鮮の植民地化といい、日本人の加害者意識がいまだ希薄なのは間違いない。

 今問題になっている「拉致」問題の本質は、秀吉や日本帝国の朝鮮人強制連行の日本による「拉致」事実の反省から始めなければ解決はない。

 

                         

 朝鮮通信使をそれぞれの地域で迎えるために数千人が動員され、沿道には民衆がひしめき合っていたという。だから、その地域へのの波及効果は少なくなく、文化人や学者の交流も旺盛に繰り広げられた。この民間レベルでの交流に意味がある。

 作者も「近年は再び朝鮮や中国に対する誤解と偏見、そして日本と日本文化優越意識が権力とその情報操作によってはびこりはじめている」と警鐘を鳴らす。そんななか、この「朝鮮通信使」に見られる両国の努力・葛藤から汲むものが少なくない。

                      

 

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功徳を印刻した宝篋印塔

2018-01-25 01:10:21 | 石仏・石造物

 瑞雲院にあった「宝篋(ホウキョウ)印塔」はいつ頃のものかはわからなかったが、「基礎」にお経の趣旨を印刻している。

 この石塔は、おおまかに「相輪・笠・塔身・基礎」から構成されているが、相輪は金属製。この部分はあとで作られたものかもしれない。「塔身」にお経が入っている「篋(ハコ)」があるのが特徴だが、時代と共にその多くは簡素・省略があったり多様のようだ。 

                 

 「基礎」に刻印されている文字を判読できる範囲で読んでみる。「円成宝塔/八萬由旬/仏〇高輝/威光維新」かな。「由旬(ユジュン)」とは、古代インドの「長さ」の単位。

 仏陀の威光がこれでもかと輻射してくる文章だ。要するに趣旨は五輪塔と変わらない気がするが、背の高い立派な宝篋印塔であることは間違いない。合掌。

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暴れる遠州のからっ風

2018-01-24 20:47:33 | できごと・事件

 朝から遠州のからっ風が暴れまわる。台風並みの突風は隙間だらけのわが家を軋ませる。しかもいろいろな声色を使って人間を確かめるからたちが悪い。とても、畑の作業は今日もできない。

 それでも、生ごみをコンポストに捨てに行こうとしたら、玄関に飾ってあった大甕とアオキ・ナンテンの木が倒れていた。その通り道には、枯枝が飛んで来ていて散乱状態だった。

 

     

 そのうちに小雪がどんどん降りだしてきて、あっという間に積もってしまった。あす出かける予定だというのになんてこった。

 とりあえず、昨年買っておいたチェーンを確保する。

 

              

 周囲の山が見えなくなった。短時間で自然がこれほど表情を変えることにいつもと違う厳しさを感じる。灯油のストーブが示す温度もなかなか二けたにいかない。なんとかむかしながらの半纏を羽織る。

 今まで暮らしていていちばんの寒さを感じるのは、異常気象のせいか、はたまた忍び寄る加齢のせいだろうか。

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女王一人冬越え

2018-01-23 21:37:42 | 生き物

 東京は予想を越えた積雪量でやはりてんやわんや。草津では火山爆発も起きた。わが家にも雪は降らなかったが寒風と突風の交互連弾が窓や戸を襲う。

 畑の隣に植わっているバラの樹の根元にスズメバチの巣を発見。バレーボールほどの大きさだろうか、すでに蜂はいないようだった。

 

          

 そういえば、秋にこの辺の草刈りをしたとき蜂に襲われそうになって退却したことを想いだした。時期的には働きバチは全員亡くなって女王蜂だけが近くに移動しているはずだ。 これだけ大きくなっているのに今までスズメバチの存在にあまり気が付かなかったのが意外だ。

 ミツバチは働きバチも集団で冬越ししているらしいが見たことはない。吹き荒れる寒風の畑は人間の存在を認めないほどの威力だったので、早々に炬燵に逃げ込む。        

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天野氏墓所の無常

2018-01-22 21:32:45 | 石仏・石造物

 昨日の散策会のゴール手前は瑞雲院だった。最後に見た天野氏の墓所は墓の大きさといい規模といい、小さいものだった。というのも、南北朝時代には南朝方・北朝方それぞれで骨肉争う内部抗争に明け暮れ、また、戦国時代では武田軍・徳川軍の狭間で揺れ、最後は犬居城から各地に敗走した経緯がある。

 

             

 そのため、大規模な墓石を作る余裕なくひっそり小さな「一石五輪塔」が残された。一石五輪塔は、字の通り一つの石で五輪塔の墓を作ったものだ。戦火で破壊されたこれらの墓石は近くにあったものを、昭和30年、地元の森下喜作・石黒仁さんらの奔走により現在地に修復されたものだという。

                

 五輪塔は、上から、「空」「風」「火」「水」「土」という宇宙を構成する要素を示す「仏」とともにある供養塔でもある。こうした墓石は室町時代前後の貴族や武士などかなり身分が高い有力者の証左である。

 

        

 そのすぐ隣の「笠付方形」をした墓石群も新しいとはいえ、名主級の有力者らしい。石の墓石をつくることが庶民にできるようになったのは江戸中期以降というから、現在の角柱型墓石は新しいものといえる。

 

  

 さらには、その隣には、卵のような「無縫型」墓石が並んでいた。禅僧の歴代住職の墓のようだ。宇宙の根源は無我にあり、すべてをつなげていくと卵型になるので「無縫」というらしいが、どうも納得しがたい。31代の住職の墓があったから、行基が創建したという瑞雲院の歴史の重さを引きずっている。

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