以前、「笑の大学」の「舞台版」のDVDを観て、唸るほどの感動があった。その「映画版」があるというので急いで観ることにした。監督はドラマ「古畑任三郎」の「星護」、原作・脚本は三谷幸喜、公開は2004年、制作はフジテレビ・パルコ・東宝、主演は役所広司と稲垣吾郎。
時代背景は日独伊軍事同盟締結・大政翼賛会が発会した戦時体制の1940年(昭和15年)。情報統制が一段と厳しくなった当時の、警視庁保安課検閲係・役所広司と劇団「笑の大学」の座付き作家・稲垣吾郎との上演許可をめぐる物語である。
これにはモデルがいたようで、エノケンの座付き作家・菊谷(キクヤ)栄への鎮魂が込められている。波乱万丈に生きてきたエノケンのパワーを引き出した菊谷は、菊田一夫を凌いだとも言われていて、のちの井上ひさしにも大きな影響をもたらした。三谷も「こんな脚本家でありたい」とする理想の人物でもあったという。
エノケンの全盛期時代の作品を数多く手掛けた菊谷は喜劇王エノケンの人気を不動にする。しかし、菊谷は1937年(昭和12年)に召集を受けたが、その二か月後中国で戦死。34歳だった。劇作家としての活動期間はわずか6年だった。昭和17年 (1942年) 夏、エノケン劇団が菊谷栄追善公演のため青森に訪れたとき、エノケンは燕尾服とシルクハットの礼装で明誓寺の墓に行き、しばらく伏して泣いていた、という。
さて、三谷の手法だが、取り調べ室という狭い空間だけに場所を特定し、検閲係と座付き作家との二人芝居という限られたキャストに絞った。その限界に対しては三谷の並々ならぬ冒険と自信が見受けられる。25年かけて温めてきた作品だけに三谷の真骨頂がふんだんに仕掛けられている。
「役所」が「人を笑わせることがそんなに大事なことなのか」という台詞が、本作品の重要な柱・問いでもある。
三谷は同時に、これは「笑いをテーマにした作品ではなくて、ものを作ることに向き合ったあるいはものづくりにおける妥協とは何かという話なんです」と、述懐している。「稲垣」が7回にわたって台本を改作していく過程は、その妥協の産物だが、そこに流れる抵抗精神の本髄が笑いの深化にほかならない。
検閲官が初期の国家権力の一翼からだんだんと立場が変わっていくところにこの作品の見どころがある。役所は「検閲しているというより、あなたと面白くするために協力しているみたいだ」という台詞があったが、まさにここに「妥協」の真価が内在している。
三谷は、現在は「検閲はないけど制約はある」と語っている。その中での「ボクなりの戦い方」を込めているというわけだ。日本の制約は見えない同調圧力・タブーというものがある。その委縮はジャーナリズムに甚だしい。本当のことを言わない・言えない矛盾はポコポコ事件になるが、その事件はうっぷんであって本当のことに触れないところに特徴がある。
二人芝居での役所広司の二面的存在感の見事さもさることながら、オラが以前観た西村雅彦(作家は近藤芳正)の検閲官の迫力は「役所」を越えている権力性が見事だった。その見事さは西村が普段出演しているドラマでの平板さとは対照的だ。
なお、映画ならではという点では、昭和15年前後のポスター・幟旗・衣装など、細かいところまでの気配りが、戦時下でありながら昭和モダンを髣髴とさせてくれている。