山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

豹柄のマンホール!!

2024-02-12 22:24:32 | 路上観察

 先月末の横浜での路上観察の続き。消火栓のマンホールの外縁地紋に豹柄があった。オレンジ色とよくデザインがマッチしていて消火栓のイメージを変える斬新なマンホールだ。外縁の下側には消火栓を意味する「Fire Hydrant」を刻印しているのは外国人にも優しい。中央の「消火栓」のフォントもよく見るとデザイナーの伸びやかなセンスが伝わってくる。なお、中央の地紋のマークは横浜の波を表したのではないかと思ったが、どうだろうか。

      

 また、歩道の煉瓦をそのまま採用したマンホールもあった。このところ、環境創造局のマスコット「だいちゃん」を中央に配置するカラー版もあるが、これはその前に作られていると思われるオーソドックスな「市章」がでんと鎮座する。ちなみに、そのマークは、「ハマ」のカタカナを合体させた横浜市の市章である。受枠には■マークを配列している。これだけでは水道用か下水用かわからないが、きっと合流としての用途ではないかと推測する。

    

 さらにその歩道周辺には、小型の水道マンホールがあった。「仕切弁」の表示があったが、これは水道が破裂したりの事故の際水流を止めたりする機能があるものだ。水道管が枝分かれする所に多い。中央左の「V」記号はわからないが、おそらくバルブ(Valve)かも。水道管の口径は75mm。中央の噴水マークは、横浜市水道局。色がブルーであるのがわかりやすい。

 その近くには、口径100mmを表示したものもあり、こちらは山吹色を配し、外周と「水」マークはブルーの二色となっていた。シンプルそのものだ。

  

  上部の側溝蓋は横浜ではまだ少ないようだったが、2014年ごろから増えてきているらしい。枯葉が入り込まないようにという配慮なのだろうか、金属部分が半分以上を占めている。空間が少ないので自転車等は滑りやすくなる。もちろん、道路際ではなく中央を走っていれば問題ないが。見ようによっては、胸に両手を当てている爽やかなデザインとも見えたが。

 次の画像は中央に「ハマ」マークがある標準的な側溝蓋だ。しかし、これ以前は中央の縦線が無かった。その理由は、細いタイヤが嵌まってしまうというのが真相らしい。そのため、中央ラインができたが、これでは薩摩もどきかということになってしまう。また、この溝は10個あるが、以前は8個だったから空間の幅が広かったというわけだ。ロード乗りやクロスバイクはこれでまずはひと安心。

         

 よく見かけるガスの小型マンh-ル。地紋の菱型模様といい、カタカナの「ガス」や「K」記号のフォントといい、シンプルの極致を極めている。「K」記号は、「お客様遮断弁」ということらしいが詳細は分からない。「K」記号以外にも、P,N,M,S,W,Cなどがあるそうだが、確認していない。マニアの間では、ガスの性質上ガス会社は情報公開をできるだけ秘匿したいようで、その記号の意味するものを入手できないという。たかが身近なマンホールだけど、その意味するところは広い。最近はカラーマンホールも増えるどころか、その「カード」を自治体が販売しているようになってきた。

 

 

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意外にオーソドックスなデザイン

2024-02-02 20:55:22 | 路上観察

 港が見える丘界隈の横浜をひょっこり歩いてみる。公園には保育園や幼稚園の子どもたちの絶好の場となっていた。おらはそこから一歩外を出て、いつものマンホール探しを始める。やはり、最初に出会ったのは横浜を代表するベイブリッジを刻んだマンホールだった。yokohamaの横文字と4羽のカモメかウミネコかわからないが海鳥が描かれている。雨水用か汚水との合流型か明記されていなかったが、12個の穴が開いていた。同じデザインでもその穴の個数が違うのもあるらしい。外側の受枠には■模様が散りばめられていた。      

  

その近くに、汚水と雨水とが並んでいるマンホールがあった。地の模様はシンプルな菱型だが、その線が太いのと細いのとが交互に構成されていた。これは滑り止めを考慮したのだろうか。地紋が同じなので汚水と雨水とがわかりにくい。

  

 中央の「W」は、waterだろうか。外国人にはちょっぴり優しいかも。

空気弁は水道管内に入った空気を抜く弁。空気が管内にあると流れが悪くなるなどを防ぐために設置され、空気がたまりやすい周辺より高い所や橋に設置されているという。なるほど、ここは高台だ。

  

 下水道の汚水が明示されているが、字が小さくて読みにくい。円心状で、外周の受枠は四角だが長方形であるのが珍しい。中央の三本の線に囲まれて下水と表示されているが、この三本線の意味がわからない。どうも市の水道局マークらしいが、川をイメージしているようだ。しかし川と言っても少なくても5本の水源地から導入している。浄水場は三つあるが説得力にやや欠ける。「水」という漢字を草書でかくと三本になるのかもと類推もしたが、もう過去のかなたのものとなったのか。マンホール収集家は集めることしか眼中にないのかその理由を明らかにしてほしいものだ。

  

 地紋が二重の亀甲模様になっているが、よくみると、外側の亀甲は「Y」の字からなっているのがなかなかすごい。外側の受枠は■型で散らしている。穴が10個あり、雨水型かとは思うが、合流型かもしれない。

  

 歩道には周りと違った木目調のレンガが使用されていた。その違いをあえてやってみる余裕がいいね。中央のカバの「だいちゃん」は市の環境創造局のイメージキャラクター。やっと、青のカラーを使ったマンホールに出会った。観光地なので今はやりのカラーマンホールが多いのかなと思っていたが意外だった。

 この山手地区は、一八五九年に横浜港が開港したことからはじまる。生麦事件からイギリスとフランスの駐屯兵約千人が占拠し、当時の山手居留地には、日本人が住居を構えることはできなかった。たしかに異国情緒のある、そんな歴史が漂う界隈だった。

  

 

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若槻礼次郎の石碑に「やら米か」に

2023-11-06 21:10:58 | 路上観察

  数か月に一回ほど、大都会を歩くことがある。といっても、ほかに用事があってそのスキマ時間を利用するに過ぎない。そんな中、浜松市の駅近くを歩いてみた。お寺の隣に空き地のような小さな公園(高町公園)があった。そこに二度も総理を経験した若槻礼次郎(1866-1949)にかかわる石碑があった。

 礼次郎は、足軽出身の家で生まれたが赤貧の暮らしに翻弄されたものの、今の東大法学部に見事合格、首席で卒業する。その後、政党の総裁をやったり、総理を

担った。時代は満州事変をはじめ軍部がすべてに跋扈していたため、和平・穏健派の礼次郎は戦争の不拡大方針を堅持できなかった。(画像は松江歴史館webから)

        

 御影石の石碑は、「偉大也協力一致之功」(昭和6年、1931年)という礼次郎の揮毫が彫られていた。道路拡幅の都市計画が地元の協力で実現したシンプルな感動がそこにはある。出典は「三国志演義」らしい。その隣に、40cmほどの目立たない小さな石柱(画像左側)があり、そこには「克明館」という藩校名が刻印されていた。もともとは、水野忠邦の水野藩の藩校「経誼館」があり、その跡に井上藩の「克明館」が継承される。その後、ここは浜松県庁(明治4~明治9)が置かれた。

       

 そこからすぐのところに、昔は商店街があったろうことが推測される「看板建築」が継承されていたのを偶然発見。いわゆるお米屋さん米搗き処「光吉屋米店」だ。そこで販売している米がなかなか意欲的な米を提供している。例えば「ピロール米」は、土中の「ラン藻」の力を使って残留農薬やダイオキシンなどを分解させ、ミネラル豊富な栄養を増進させる農法でつくられる。

       

        

 また、行政も応援している「浜松地域特別栽培研究会」が栽培している米も扱っている。それが「やら米か」とか「まいひめ」などのお米だ。まだ少数の農家だが環境や地球温暖化を考慮した農法を実践しているところが素晴らしい。もっと、マスメディアもお笑い芸人に頼るのではなく少数ながら「ポツンと」頑張っている人をどんどん発掘して取り上げてほしいものだ。でないと、日本の劣化は食い止められない。人間の劣化は大国も中東も世界もはなはだしい。その結果は現実に行われているジェノサイドとなってしまう。

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旧浜北市のマンホ-ル蓋

2023-10-30 23:30:28 | 路上観察

 予防注射の会場へ早めに着いたので時間つぶしでひょいと街に出る。時間があまりないのでマンホールの蓋を中心に歩き回る。最初に出会った鉄蓋は、浜松市に吸収合併された旧浜北市を代表するマンホールだった。

 右側に、森林を舞う妖精マスコットキャラクター「みどりくん」が旧浜北市を紹介する感じのデザインだ。中央には浜北森林公園の「つり橋」、上側には飛竜祭りで有名な「龍」が雲からヌッと出ている、後の飛竜大橋のイメージぴったりだ。左側には市の花「サツキ」もあり、アッピール満載のデザインだ。中央下側にはひらがなで「はまきた」「おすい」と明示し、市章も忘れない。

 

        

 市の花「サツキ」だらけだったのが、漢字で「下水道」と華やかながらシンプルなデザイン。中央の市章は、浜北の「ハマ」と「北」とをイメージしている。ややイメージしにくいデザインではあるが。

          

 その市章をやめて、漢字で「浜北市」と宣言し「都市下水」なのだと、街であることを高らかにアッピールしているデザインがあった。中央にはやはり「サツキ」をメインとし、外周には、市の木「マキノキ」らしき刈り込んだ樹形を配置している。でもこれは、なかなか槇の木とはわからない。むしろ、松ではないかと思えてしまう。

         

 1963年(昭和38年)、浜北町から浜北市が発足し、2007年に浜松市に編入され「浜北区」となる。その新浜松の市章を中心に円心状の見事なデザインがあった。市章のまわりに遠州灘を思わす「波頭」が囲み、その次に街を象徴するビル群があり、人の輪が配置された。その人の輪を囲むように豊かな「川」があり、外周には森があるという構成である。これが「おすい」のマンホールであるとは、なかなか素敵なセンスではないかと思う。

   

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スマホを捨てて街を歩こう

2023-09-11 22:53:25 | 路上観察

 先日、久しぶりに友人と街中で会ったがその前にちょいと時間があったので、街中を歩いてみる。やはり手ごろなのは、マンホール探しだ。最初に出会ったのが、ひらがなで「おすい」と明記したマンホールだった。浜松市の市章を真ん中に鉄アレイのようなデザインが縦横に配置され放射状に並んでいるものだった。もちろんそのデザインは、車輪がスリップしないためのものである。

        

 それには、上部に「アクアインテック」kk製の「A」マークがさりげなく刻印されているのがわかった。そのデザインは、「ASD」仕様というもので、「Anti Slipping Design」という滑り止めのデザインがされているというわけだ。また、調べていないが、「26/1-1/ー1」とか、「16T-25」などの記号が施されている。きっと、電柱もそうだがその数字から、配置されている場所などの情報がわかるに違いない。当たり前のマンホールにもいろいろなメッセージがあるから馬鹿にできない。

           

また、ガスのバルブがある角型の小さなマンホールも発見。シンプルなデザインでつい見過ごしてしまうが、よく見ると、上下左右のデザインには、単純な「+」マークではないインベーダーのようなデザインがあるのが面白い。

         

 陽ざしが強くてうまく撮影できなかったが、「CCB」という正体不明のマンホールがあった。旧浜松市の市章を中心に十字の模様があるが、よく見ると星が縦に並んでいるのが分かった。ということは、ラグビー状の楕円は星雲か銀河系か、はたまたUFOか。するとそのまわりは星屑か、と妄想が拡散する。

 なお、「CCB」とは、「電線共同溝」で電気・電話・水道・ガスなどのライフラインを共同でまとめたものだということだった。都が時間をかけて電線の地中化をやっているのもそうだ。最初の「C」は次の三つの意味があるという。「Community」「Communication」「Compact」。また、次の「CB」は、「Cable Box」ということだった。

          

 歩道では、角型の小さな「消火栓」があった。中央には旧浜松市の波模様の黄色い市章があり、縦に丸ゴシック体らしき漢字の「消火栓」の文字が刻まれていた。歩道の煉瓦をそのまま取り込んでいるが、マンホール自体が小さいので大きさを合わせる苦労がにじみ出ている。

 都会にはかように過密な人間の生活を集中的にとらえなければならない運命にあるから、すべてに知的・文化的・科学的な知識・技術が凝集されている。その意味での多様な魅力・欲望にも溢れている。したがって、ちょっとした路上観察から都会の断面・断片が垣間見えるのが面白い。が、住むところではない。

 

 

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戸袋にも風雪の歴史あり (2)

2023-08-14 18:56:02 | 路上観察

   建築にはまったくの門外漢のオラだが、以前から「建築探偵」として研究室からフィールドワーク重視をしていた建築史家・藤森照信氏に注目していた。先駆者の今和次郎をはじめ、藤森氏とともに活動していた赤瀬川原平・南伸坊らの路上観察に共感もし、今やブームとなったマンホールなどの観察をオラも30年前ごろ始めていたのだった。その影響か、戸袋のデザインの小さな違いが面白くなって場末の品川・大井中央通り商店街をうろついたというわけだ。

   

 歩いてみると、和風フレームに細石を塗りこんだモルタルが多いのに気が付いた。左から、寿司屋・運送屋・八百屋だったが、共通しているデザインは和風デザイン枠を太くして漆喰などで塗りこんでいることだった。この商店街の左官職人は同じだったのではないかと想像する。美的センスはいまいちでシンプルで似たようなデザインが多い。

  

 左は商売をやめた「しもたや」のようだが、戸袋の色はウグイス色、中央は陶器店で戸袋の色は黒っぽいダーク。右は美容室で、戸袋は和風枠デザインというより枠はすべて直線で、中央に横の直線も入っている。藤森氏が調べた看板建築はいずれも江戸っ子らしい心意気のこもった模様入りの銅板などの戸袋だった。それに比べ、いかにも都会の場末にある静かな商店街のたたずまいがここに漂う。時代は高度経済成長を遂げた日本の「豊かさ」の中で、ここに残されたワンテンポ外れたサブカルチャーが活きている。そしてバカボンのパパが言う。「これでいいのだ」と言ったんだけどね。

  

 その意味で、単純なラインだけの戸袋デザインもあった。左から、蒲団屋・洋品店・貸本屋だった。「看板建築」は、関東大震災の後、バラックの商店をとりあえず建てて、一階が店、二階が自分たちの住まいとしたいうのが由来のようだ。したがって、正面から見るとドラマのセットのような平面的な装いが特徴。戸袋が木造からモルタルになったのも、大震災や戦災からの教訓で「防火」という需要があったようだ。

            

 また、あずき色のダイヤのデザインのある戸袋が隠れるようにしてあった。ここは旅館かアパートだったか。さらに、縦縞二本模様のシンプルな戸袋は呉服屋だった。

 特徴ある戸袋は、木材3軒・スチール6軒・モルタル12軒(うち和風デザインは6軒)の、計21軒だった。地域的には、大井や山王の高級住宅街も背後にあるが、近くには旧国鉄大井工場や役所もあり、郊外の楚々とした労働者街の雰囲気がある。

 都会の中心地区の豪快な看板建築は、地上げ屋の恫喝や不審火で消滅の運命となり、それに代わり、いまやビジネスビルやマンションへとドラスティックに変容してしまった。街はまさに収益のための装置となった。したがって、この看板建築は絶滅危惧種となったわけである。いま、この大井中央通りの商店街がどう変わっていったかは確認できていないが、間違いなくモルタルの戸袋はアルミやサッシに交代させられただろう。

 その意味で、今となってはこの路上観察は一時活躍した戸袋のささやかな晩歌になったのではないかと思う。

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戸袋にも風雪の歴史あり (1) 

2023-08-11 23:37:00 | 路上観察

 戸袋の写真が出てきた。もう使うことはないとゴミ箱に捨てたが後味が悪い。それでもう一度それを取り戻して再検討してみた。戸袋や雨戸は海外ではあまり見られないそうだ。雨戸は平安・安土桃山時代にルーツがあるようだが、それが一般庶民が利用するようになったのが江戸時代だ。

 当然、和風建築に戸袋がかかせないが、その素材は、木材・銅板・漆喰が使われた。画像左側は民家だったが、見事なデザインの木製戸袋(S)だった。今ではなかなか見られない。この写真を撮ったのは1980年代の品川大井中央通り商店街。今見ればかなり変わってしまったか、なくなってしまったかとしか考えられない。

 中央の板張りの戸袋は8枚の妻板(R)からなる。こちらも右の民家の並びのそばだとは思うが場所を正確には特定できていない。また、画像右側は果物屋(E)だった。こちらは12枚の板からなる「妻板」戸袋で、おそらく住居だったに違いない。

   

 商店街の中でも、比較的新しい金属製の戸袋もあった。当時としては時代の先端だったに違いない。1950年代からスチール製の戸袋が出始める。1960年代にはアルミ製が始まっていく。商店街としてはモルタルが圧倒的に多かったがそれは次回の楽しみに。

 縦縞のスチール製戸袋があった。左の店は新聞販売所(H)だった。右はお弁当屋さん(M)だった。中央はスチールに吹き付けしたものと判断したが素人なので間違っているかもしれない。店は意外にも海苔屋さん(O)だった。

 

   

  スチール製の横縞もいくつか散見された。左は赤茶色に塗装された歯医者さん(F)だった。中央は民間のアパート(G)で当時としてはモダンな様相だ。右は鉢物を愛しているらしい板金屋さん(Q)だ。今でも当たり前に見える風景だがひび割れの弱点があったモルタルを克服した画期的な戸袋でもある。      

 

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樹種が豊富に配置された公園

2023-08-07 22:59:59 | 路上観察

 古い書類を整理していたら、30年ほど前に公園の樹種を調べた資料が出てきた。当時は、自称路地裏レンジャーとして都会の路地裏の魅力を探っていたのだった。住宅地の中にやっと緑が残された公園だったが、調べてみると30種類くらいの樹木が確認できた。緑色のラインが低木、橙色のラインが高木。民家のそばには低木にしている配慮がわかる。また、17種類が常緑樹であった。桜ばかりの派手な演出をしないで照葉樹林を多く採用しているのに感心する。

 ただし、キウイはメスがなかったのでいつも果実が付かないままツルだけが伸びている、との長老の指摘もあった。その意味が分かったのは、この中山間地の現在地に来て分かったことでもある。

     

 このころから、オラの身体が緑の多い場所を要求するようになる。今にして思えば、脱都会を志向する伏線となる。この公園にあった30種類近くのうち、オラの土地にある樹種は半数近くの12種類だった。常緑樹となるとなかなか見栄えのする花を得られないのが本音でもある。

      

 とはいえ、オラの家の入口から玄関まではときに、大量の花が落ちて赤いツバキロードになったり、橙色のキンモクセイロードになったり、踏むのがもったいないような絨毯を歩む特権を与えてくれる。あらためて、高木になったからこその醍醐味を味わえるわけで、これは都会の住宅街では味わえない快楽でもある。同時にそれは収入のない貧乏の中にこそ捉まえられる作為のない風景のただなかにいるわけでもある。

         

 裏の山側には、赤い実が目立つアオキがところどころに控えている。日当たりより日陰の方に生き残り戦略をかけている常緑樹である。山側に入ろうとすると、邪魔になるのでつい伐採の対象になってしまうが、気が付いてみるといつのまにか高木になっている。

 アオキにはオスとメスとがあり、オスは目立たない小さな花が咲く。そんな違いがやっとわかってきたのも、里山ならではの風景に同化しているからでもある。オリンピックや万博のような経済成長至上主義だけが豊かさなのではないことを痛感する。稼ぐことに媚びず、自然環境に生かされていることにハッとする日々に感謝あるのみ。

     

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地下の水も誇りに思ってる!??

2023-03-13 20:55:12 | 路上観察

   前回に続き、千葉の豊穣なマンホールが主役だ。今回は地下の消火栓に限ってみた。最初に見たのは、中央に旧千葉県水道局章のある「消火栓」だった。凹型の亀甲模様の中の「消火栓」の文字がなんとも暖かい。周囲には鉄の受け枠があり、凸型の「A」字デザインで縁取りしている。中央と受け枠に囲まれたところには、凸型の水玉模様が配置されている。ノンカラーだ。

         

 それに対し、同じ模様に見えたが、じつは正反対だった。中央の亀甲紋だけは凸型で隣の水玉模様は黄色カラーの凹型だった。しかも、受枠の「A」字は凹型だった。旧水道局章さえ凹型だ。いずれも最初に見たマンホール模様の凸凹が正反対だった。これは大きな驚きとなった。

        

 同じようなパターンの蓋で「双口消火栓」を発見する。中央の亀甲紋は凹型、周りは凸型の水玉模様。全体のデザインはシンプルで「双口消火栓」の文字もすっきりしたゴシック調だった。

            

 ふつうの「単口消火栓」は上のイラストのとおりだが、実際はなかなか見る機会はない。ふだんなにげなく街の道路を歩いてきたが、その地下には町の安全を担う消火栓があることを忘れてはいけない。直径が15cm以上の接続管なので主に郡部に多い。  (イラストは「 Aokibosai」webから) 

         (写真は、「角田鉄工」webから)

  また、「双口消火栓」は予想どおり、水が出る「放口」が二つある。直径30cm以上もある接続管なので大量の送水ができる。つまり市街地に多い。

      

 角型の消火栓蓋もあった。中央には「人」型の模様を配置し、周りには黄色カラーの凸型点線をシンプルに表現している。斜線の意味が分からなかったが、この上は「駐車禁止」だということを主張したいのではないかと思う。しかも、この斜線に沿って三角状に開けるのかなと思えるがどうだろうか。

 というわけで、当たり前に見えるマンホールにも多様性があることを改めて再認識させられた。街に行くのはなかなかできないが、路上観察は、ふだんムラに閉じこもりがちなオイラの暮らしに好奇心と刺激を与えるものとなる。とりわけ、マンホールは鋳鉄に対する職人気質とアートセンスを共感できるというわけだ。

  

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そうだ、下を向いて歩こう

2023-03-10 23:32:32 | 路上観察

 何年ぶりだろうか、久しぶりに千葉の路上に立った。まわりの景観は乱雑なビル群ばかりで興味はない。仕方ないから下を向いて歩く。そう、いつものマンホール探しだ。それも中心市街地から外れた所だ。そのほうが、繁華街の雑踏より落ち着いていられる。 

 歩道面のタイル模様をそのまま反映させてまわりに合わせているマンホールに出会う。同じ趣旨だろうか、汚水の漢字と市章マークを四角内に納めた。上側に位置合わせの▲マーク、下側に二つの「PULL・ひく」の表示がある。

             

 繁華街では地が白・黄緑・青などカラフルなものが多かったが、中心地から外れた所ではノンカラーばかりだった。やっぱり。「汚水」が漢字、真ん中には「市の鳥・コアジサシ」「市の樹・ケヤキ」、周りに「ハスの花」を配置したマンホールにまず出会う。中央には「千葉市」の市章。これは、1126年、今の中央区に本拠を置いた鎌倉武士団の千葉常重の家紋「月星紋」を採用している。

          

 千葉氏の武士団が今日の千葉の礎となったことから、「月星紋」と千葉の「千」を融合させてデザイン化している。見ようによっては、人間が手裏剣などの武器を格納して全身で平和を維持しているようにも思えたが、それは思い過ごしのようだった。

        

 いっぽう、中央には「コミュニティ」マークのマンホールを発見。円は市の6つの区を表し、人・モノ・情報の先端的発信をイメージしている。上段に野鳥、下段に大賀一郎博士が2000年前のハスの種を市内検見川で発見し、発芽にも成功したのを記念してハスの花を一つ据えている。「雨水」がひらがな、鍵穴が2個。

          

 こちらは、中央にコミュニティーマークを配置。ひらがなで「雨水」と刻み、鍵穴は1個。中央に野鳥とケヤキ。「市章」はカットされている。同じように見えたマンホールも微妙に違うのが見どころでもある。蓮の花12個を周りに配置、中央のケヤキの葉はコーヒーの豆のように見える。 

      

 全国的に採用されているJIS規格模様のマンホールもあった。汚水の「汚」の字が見える。同心円が合計で6本となる。鍵穴が2個。JIS規格の円には穴もなく凹もないので、滑りやすい仕様だ。つまり、同じデザインの中でも古い部類に属すると思われる。

       

 ついには、コンクリート製角型の雨水枡もひょっこり発見。「雨水」と市章マークの市章だけの古いデザインに歴史を感じる。人の顔にも見えるが、いかにも初期投資に追われたした痕跡でもある。二つの取っ手がついているが、ゴミが詰まっていて開けるのが大変そうな代物だ。

         

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