連休中はほとんど自宅や畑から外には出なかった。それほどに農作業に追われていたというと都合はいいが、心と体の気分転換にしようと自宅から300mほどにある郵便ポストへ投函を兼ねて出かける。久しぶりのウォーキングとなる。すると、まぶしい春をいくつか確認できた。
国道沿いに「コウゾリナ」の群落がいくつかあった。花だけを見るとまるでタンポポである。長い柄を触ってみると柔らかい棘のようなものがある。ここから、漢名の「髪剃菜」という名前の由来が出てくる。これとそっくりな外来植物の「ブタナ」というものもあるが、確認しにもう一度同じ場所に舞い戻ったが、やはり「コウゾリナ」に間違いはないようだった。
それに、すぐ近くには「ギンラン」(ラン科)が咲いていた。もっと早くここに来たら、「キンラン」にも会えたはずだが、その痕跡は確認できなかった。それにしても、なんとも贅沢な発見だ。三十数年前、とある里山を何回か歩いてみて「キンラン」は見たものの、「ギンラン」だけはどうしても発見できなかったことがある。それがかくも簡単に自宅からほどなく会えるなんてなんとも豊穣な過疎地にいるものだとありがたく思う。
里山に普通にあったこのキンラン・ギンランが激減していくのは、地価高騰に沸いた1990年代だった。それは便利さと経済成長に浮かれて人間の基本的なものを失っていく過程でもあった。最近の殺人事件や幼稚な事犯の連続といい、政治屋ジジイたちの跋扈する政界を許してきた「タタリ」が、じわじわと日本人の心を崩壊させていく。
そんなこんなの思惑を描きながら歩いていたら、見事な「ダッチアイリス」が何本か路傍に屹立していた。ダッチというから、オランダが改良を重ねてシンプルながら地味なアイリス、つまり和名の「オランダアヤメ」が咲いていた。ハナショウブやカキツバタは湿地に依存するが、こちらは乾燥した環境を選んだ。同じアヤメでも随分と違うものだ。
こうした発見も、歩いてみないと春を肌で浴びることはできない。ときに、スマホを捨て、ルーチンワークを捨て、自然豊かな田舎を歩いてみると人間と自然とのあり方を再発見できるというものでもあった。都会を終わらせよ。