山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

ちいさな池に小さなトンボ

2024-04-29 23:37:32 | バタフライガーデン

 友人とともに作った小さなビオトープにハスの苗をいくつか植えてみた。その際、池をよく見たら、青いイトトンボが連結して飛んでいるのを発見。以前、いただいたメダカを放流したがすべてカエルの餌食となった。その後、アメンボ以外には目立った生き物の訪問は確認できなかったが、カエルの次はイトトンボが三番目の登場ということになる。ごそごそ網で掬えば多少の生き物は確認できるだろうが、まずは目測での静観を重視したい。

 

 イトトンボの同定はなかなか難しい。普通の図鑑からではまず確証はできない。それほどに、その仲間の種類は豊富であるのがわかっていたので、今まで深追いしなかった。しかし、せっかく訪問してくれたのだからと、調べてみると、青みが強い「ムスジトンボ」ではないかと思われる。似た糸トンボに、「セスジイトトンボ」「クロイトトンボ」「アオイトトンボ」などがあげられるが、解像度の良いカメラでないと同定できないのがわかった。作業しながらの携帯デジカメはすぐにゴミが詰まって2~3年が限界であり、年金生活者には高価なカメラは持てないのが実態だ。

 

 さて、トンボのオスがメスの首根っこを抑えている連結が不思議だが、ほかのオスに寝取られるのを防ぐためだという。トンボの連結は交尾ではない。トンボの交尾はハート形状態になるが、今回はそこまで確認できていない。オスは、メスの腹部に別のオスの精子が残っていると掻きだして捨ててしまう。つまり、オスは自分の子孫を残すために、交尾後もそのメスが産卵するまでオスは連結を解かないわけだ。人間並みになんともトンボの愛は激しく熾烈なのだ。

 

 池の周りでよく鳴いている「トノサマ」がすぐ近くの畑に視察に来た。意外にトノサマは小さいが、さすが凛としていて品位がある。

 ついでに、交尾器のないカエルは、オスがメスの背中に乗るような体勢をとり、オスは振り落とされないよう、太い前足でしっかりメスに抱きつき、メスの放出した卵子に自分の精子をかけて体外受精を行う。それでカエルの卵塊ができる。トンボと違い、カエルらしい鷹揚なそのゆったりさが微笑ましい。

 

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都市は誰のものか・バンクシーのテロ

2024-04-26 22:49:37 | 読書

 バンクシーのストリートアートは断片的なニュースしか知らなかった。そんなとき、宝島社発刊の『バンクシーの正体 who is BANKSY』(毛利嘉孝監修/2021.7)には、その内容といい、視点といい、貴重な画像の豊富さといい幾度も感心させられた。

 バンクシーは、奴隷貿易で栄えたイギリスのブリストルで生まれたという。それは同時に、人種差別に抗する反骨精神も醸成されていく歴史でもあったようだ。(画像はすべて本書から)

 

 2018年、ロンドンで開催されたオークションでバンクシーの「風船と少女」が1億5千万円で落札されたと同時に、シュレッダーにかけられた事件が一大ニュースとなった。その後、本作品は25億円ともなった。

 それは、現在の金持ち好事家のオークション方式に対するバンクシーの挑戦だった。そこには、ストリートアーティストからすれば、アートを判断・批評することの裏側の権威や権力に対する差別への強い反発がある。しかし、それ以上に運営する側はもっとしたたかだった。

   

 バンクシーの代表作の「風船と少女」は、ロンドンにある橋への階段横に描かれたが、其の隣には「there is always hope」(いつだって希望はある)と、落書きされた。このステンシルによる絵は、ロンドン市内にいくつか描かれたがすべて消されて現存していないという。しかし、この絵に込められたモチーフはいまだ変わっていない。

  

 やがて、彼等はパレスチナ・シリア・イラクなどの政治的な問題や環境問題へとグローバルな問題意識へと広げていく。本書監修者の毛利氏は、バンクシーは一人ではなく「チーム・バンクシー」として無名のアーチストやスタッフがかかわっていると断言している。それは、政治的問題ばかりではなく、資本主義そのもののあり方を暴露したアートテロでもある。

  

 ベトナムでナパーム弾で村を焼き尽くされた少女をいざなうのは、某テーマパークのミッキーと某外食産業のドナルド。「幸せの国」にはバーチャルな錯覚を洗脳する見事なシステムがある。その象徴がこの二人だ。これほど現実を錯覚させるバーチャルなアートに会ったことはかつてない。それはアート界のビートルズに匹敵する。

 以前、一週間に1回は浦安に行っているという主婦もいてびっくりしたことがある。オラはそこへ全く行く気がしないのはその商業主義の徹底ぶりと幻想を振りまいて現実を隠ぺいしてしまうカルトを感じてしまうからだ。

  

 目の前に迫る壁を越えるには希望という風船が必要だ。しかし、壁を越えた先は人殺しの武器と「お金」・貧困という魔物が待っているのも事実だ。

 「土地は本来誰のものでもない公共の場」だったのが、資本主義という妖怪が登場するとすべてが誰かの所有物となり、居場所も表現の場もなくなってしまう。都市は、資本のあるものだけが巨大看板を設置し、グローバルな情報を流す装置となり、所有権のない者は監視カメラの対象とされる。

 

 そんなリアルを告発しているのがバンクシーなのだが、マスメディアは太鼓持ち番組やうわべだけの断片的なニュースしか流さない。だから、バンクシーは法の裏をくぐるしかないというわけだ。それは、相手の鉄砲に対し石で反撃するパレスチナ人の行動に似ているが、そのアートは石ではなく花束だった。

 そうした意図を見抜いて出版編集されたのが本書の神髄でもある。日本は世界は、バンクシーがストリートで提起したものを受け止められるだろうか。

 

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挿し木効果がじわじわと

2024-04-24 22:37:58 | できごと・事件

 挿し木で育った樹木がじわじわと増えてきた。一昨年に植えたレンギョウが花をつけて早春のスタートの先陣を切ってくれた。レンギョウの生命力を期待していた通りの結果が少しづつ出てきた。

    

 全部で20本ほどの植栽となったが、すべて挿し木による植樹だ。その隣には、道草山から爆発的に自然発生した「ノリウツギ」も同じくらい移植してある。春の黄色いレンギョウ、夏の白いノリウツギがバタフライガーデンの二大勢力となる。ほんとうは、ハナモモ・ソシンローバイ・ナンテンも咲いているはずだが、成長が遅かったりシカに食害されたりで難航している。

  

 

 3月にはピンクの花をつけた挿し木2年生の「ボケ」が見事に咲いてくれた。花の色といい長く咲いてくれることといい、最近気に入っている樹木だ。もともと、前の地主が植えたものだが、それを挿し木にしたものなので花色は同じだが、いずれ多様にしていきたい。

  

 だもんで、さっそく今が挿し木シーズンなので徒長枝となった枝を伐って挿し木を追加する。すでにこれも1年生ものを早めに20本ほど畑の脇に植え付けたばかりだ。最近は野菜の耕地面積を少なくして低木の樹木を増やしていく魂胆だ。つまり、自分の体力や年齢にあった小さな耕地面積にしていく方針にしていくわけだ。

   

 挿し木1年生のツツジも花を咲いてくれた。その理由に、挿し木の根っこを促進する植物成長調整剤の「ルートン」を初めて使ったが、たしかに効果はあるように思う。したがって、1年生のツツジも畑の周りに30本くらいは定植した。ツツジはシカの食害はないようなので一石二鳥という計算だ。

 

 さらには、挿し木予備軍にいた「オオデマリ」もこの冬を乗り越えたことが確認された。大量に作ったハナモモやクロガネモチなどの挿し木は残念ながら全滅してしまったが、オオデマリは生き残ってくれた。

  

 オオデマリの仲間の「ビバーナム・スノーボール」も2本だけ生き残った。花はオオデマリと似ているがやや小さい。違いの大きな点は葉に切れ込みがあることだ。成長はやや遅いが、オオデマリの兄弟としてこれからも増やしていきたい樹種だ。

 かようにして、挿し木効果はあるものの、夏と冬をいかに管理できるかどうかがいつもつまずいてしまう。夏の水やりと冬の防寒が手ごわいということだ。

 

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オラはイスラエルになったのだ

2024-04-22 22:55:24 | できごと・事件

 昨年の第二バタフライガーデンは「マツバウンラン」に占領されてしまった。最初はかわいい花が一斉に咲いたのでこれは素晴らしいと思ったのは束の間、まわりの草木がその圧力で咲かなくなったり、枯れてしまったり、の惨めな結果となってしまった。

  

 昨年は富良野みたいだと喜んでいたが、今年はオラがイスラエルになってマツバウンラン掃討作戦を実施した。一日かかって草刈り機をまわして土ごと除去する。なにしろ、2cmくらいの絨毯もどきがびっしり生えているから手ごわい。

 

 ところが、敵も開花中の花に紛れる作戦をとった場所があった。つまり、ハマスのように病院やテント村のような所に逃げ込んだわけだ。これは草刈り機は使えない。イスラエルのようにジェノサイドをやってはすべてが死の荒廃となる。参った。これは手作業で草取りしなければならなくなった。時間にして少なくとも3倍はかかってしまう。腰も痛くなったので、のんびりやるっきゃない。雨も降ってきたのでけっきょく、最後までやれずズルズルとしている。

 

 というわけで、開花してきたピンクのオキザリスの花を残しつつマツバウンランを除去していくのが今週の課題となった。マツバウンランが諸悪の根源ではないが、植えておいたシロバナタンポポやミセバヤが姿を消してしまった。一斉の掃討作戦は戦術的に有効ではないことは間違いない。根絶やしにするのは至難の業だ。あちらこちらに、きれいな紫の花を咲かせているマツバウンランがうらめしくオラを見ている。

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男は凡人、女は度胸

2024-04-19 22:36:47 | アート・文化

 わが畏友のブラボー氏からお借りしたフランス映画のDVD『女だけの都』を観る。1935年制作の白黒のコメディで、監督はジャック・フェデー、主役は監督の妻であるフランソワ・ロゼー。時代は17世紀初頭、謝肉祭目前のフランドル(日本ではフランダースが馴染み)の小都市にスペイン軍が凱旋するということで、殺戮・略奪の恐れがあり国中が右往左往してしまう。それに対し、世俗的に生きてきた男たちの臆病ぶりに敢然と立ちあがった女たちの物語である(NHK[プロフェッショナル]風)。

       

 圧巻は主役の市長婦人のロゼーが敵軍の将校を手玉に取る豪胆さが見ものだ。また、フランス映画の重鎮で司祭役の「ルイ・ジューヴ」は、「あくが強くなりすぎる手前で、演劇くささを見事にとめてみせる絶妙さ」でワルを演じきった(上の画像の司祭)。

 さらに、当時の中世ヨーロッパの貴族衣装を再現しているのも豪華だ。上の画像の晩餐会からもわかるとおり、かなり凝ったコスチュームで時代考証が練られている。カラー映画だとかなり派手な様相になったに違いない。また、ヨーロッパで手づかみの食事からフォークが普及し始めたことを象徴する食事シーンも歴史的に貴重だ。

     (39ショップから)

 なお、スペイン軍凱旋に男たちがおののいたのも無理はない。時代背景となっていたのは「80年戦争」(1568-1648)があったからだ。それはネーデルランドがスペインに対して起こした長期のレジスタンスで、この戦乱の血涙をきっかけに後のオランダが独立達成。

 1939年、ナチスドイツは本映画の上映を禁止し、オランダから独立を勝ち取ったベルギーへ侵攻。すなわち、映画を製作しているころはかなり戦雲の緊張感ある時代でもあった。

 そういうとき、こうしたコメデイを描いていくフランス文化の豊かさを感じ入る。残念ながら、日本は関東軍を中心に中国侵略を始めている。もちろん、「国民精神総動員」で言論統制 、芸術・文化への軍国化が官民あげて徹底され、日本人の委縮化・傲慢さが増幅される。

   (シネマパラダイスwebから)       

ブラボー氏の本映画評は次のように述べている。「ヨーロッパの歴史では何度も経験している戦争の実態をコメディ化してうまく映像として構成できている。ただフランスのコメディにはどこかに苦い、あるいは皮肉な味付けがほどこされる。

 本作を平和憲法下の日本で<武力を持たない国家の理想あるいは宿命>として受容するなら、SDGs下の日本女性から反論が出るだろう、いやむしろ社会がこれを期待する前提での憲法なのか?  日本だって侵略するほうも、負けてされるほうも、どちらも経験しているのだが、するもされるもどちらの場合も、する側は<洗練された文化的なヒトばかり>ではなかった。日本はその過程を念頭に日本史と世界史のなかで短絡的な俯瞰を憲法にしたのか?」と。

  (ブリューゲル・婚礼の踊りから) 

  世界はいま<短絡的な俯瞰>で相手国も自国をも見てしまう陥穽にはまってしまった。日本の伝統的に「洗練された文化」は、幼稚な小児病にとって替えられた。その意味での、コメディのスパイスは本映画には見事に効いている。しかし、現今の日本のコメディは、現状を攪拌するだけでお茶を濁すお笑い芸人のバラエティー市場と化した。そんななかで、「ヴナロード!」(石川啄木の詩から)と敢然と立ちあがるのは、やはり「女たち」しかいないのではないか。

 第二次世界大戦がはじまる直前の緊張感の中でのフランスは、東西対立の中でもファシズムを選択しなかったというフランスの「洗練された文化」が地下水脈としてコメディとして流れていたのではないか。濁流にまみれてしまった日本の「洗練された文化」はどこに彷徨ってしまったのだろうか。かつて、西村雅彦・近藤芳正主演の「笑いの大学」劇場版(原作・三谷幸喜)のDVDを観たことがあるが、やっと日本のコメディの真価を見た気がしたものだが。

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地下の関ケ原の戦い

2024-04-17 22:44:06 | 生き物

 知り合いのハンターがわが家の入り口で「モグラ」の死体を見つけた。ハンターが言うには、モグラの毛皮は滑らかでとても貴重なもので、パッチワークのものが高価であったという。確かに触ってみると滑らかで心地よい気がする。死んでいたところはコンクリートのところだったが、7~8m先にはモグラ塚が二つあった。きっとそこからやってきたのかも知れない。死因は、外傷は確認できなかったので、野鳥や動物に襲われたのではないようだ。

  

 以前、「ヒミズ」の死体を見たが、それは手のひらの中に収まるかわいい小ささだった。モグラとヒミズの見分け方は尻尾でわかるというが、忘れていた。モグラは短く、ヒミズはネコジャラシくらいの長めの尻尾だが、その画像が撮れなかった。しかし、今回は、ぼてっとした重さと大きさから、モグラであるのは間違いない。また、爪の頑丈さから言ってもモグラだ。ヒミズは土中というより落ち葉をかき分けてそこで生息しているので爪もひ弱だ。

 

 モグラには、数十万年前から広く「アズマモグラ」が生息していた。それが大陸から体がやや大きい「コウベモグラ」が勢力をじわじわと伸ばして、アズマモグラを東へ東へと追いやってきたという。その境界が東海地方から北陸までのラインにまで来ていて、つまり、東軍と西軍の地下の関ケ原の戦いの様相が見えているということになる。

 地下は温度も湿度も安定していて外敵もいない住みやすい環境ではあるが、モグラは12時間以上胃が空になると死んでしまう大食漢であるため、縄張り争いが激しいらしい。そこで、地上に追い出されたモグラは餓死してしまう。どうもそんな背景が今回のモグラ殺人事件の真相なのかもしれない。

 

 

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コゴミはワラビ・八ツ頭となった!?

2024-04-15 22:48:34 | 食彩・山菜・きのこ

 数株だったコゴミはいつのまにか広い畑となった。日陰だったデッドゾーンがいまやコゴミを踏まないように歩くようになったほどだ。おかげで、最近は食べきれないので近所や友人におすそ分けするようになってきた。ぐうたら農法そのものの真価?が出ている放任極地の畑だ。

  

 コゴミの収穫は一週間以内がいのち。一日でものんびりしていると、あっという間に時期を逃してしまう。きょうが最終日となりそうだ。ヤマビルも徘徊しているのでそそくさと収穫して、水洗いして近所に配る。さいわい、近所で栽培している人はいない。一昨日、焚き火会をしたときもその場で収穫して友人に食べてもらう。そのうえで、コゴミの根っこの株をプレゼントしたばかりだ。ついでに、ヤマウドの新芽の酢味噌あえを味わったり、裏山でワラビ採りも行う。

 

 近所にコゴミを持っていったら、肥料袋いっぱいのヤツガシラの親株と子株をいただく。親株だけで十数個もあったからオラの頭が八個あっても足りない。このへんが過疎地の醍醐味で、平身低頭して今回もありがたくいただく。

 

 さらに、近くの知り合いにもコゴミを持参したら、採りたての太いワラビをひとつかみいや両手でたっぷりいただく。これだけ状態のいいワラビがそろうのも過疎地ならでは贅沢だ。わが裏山では量は採れてもこれだけ太い良品は収穫できない。市場に出しても遜色ないワラビだった。山菜が身近に手に入る豊穣を都会は今こそ学ばなければならない。

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 火事と喧嘩は江戸の華

2024-04-12 23:13:46 | アート・文化

 とあるカレンダーに幕末から明治に活躍した豊原国周(クニチカ)の役者絵を見た。「明治浮世絵の三傑」というと、月岡芳年・小林清親・豊原国周だが、前者の二人の名前はよく出てくるが、国周はあまり知られていない気がする。しかし、引越しは83回、妻は40人以上替えたと言われた奇行の主だ。それでも、国周の役者絵の巧さは飛び出ている。

 この三枚続きの大判の錦絵は、明治24年(1891年)、澤久次郎が「歌舞伎新狂言出初之場」として出版したものだ。

  

 中央の「尾上菊五郎」は梯子のてっぺんから火事の様子を見るしぐさを表しているようだ。「纏持ち」は火消しの花形として人気の的であった。実際には火事の隣の屋根で纏を持って火消しの指図をする鳶職人の指導者である。だから、どこの組が一番最初に纏を掲げるかが町民の関心の一つで、そこでの先陣争いの喧嘩も見ものの一つだった。

 服装は黒のもも引き・腹かけの上に半纏を着ている。半纏の柄は、「吉原繋ぎ」というひし形の繋ぎデザインがぴったりだ。その「吉原つなぎ」は、吉原に踏み入れると解放されない意味と人間関係の良縁を現わす意味とがあるという。実際の現場では厚手の刺し子を着るようだが、出初式なので軽装である。火事現場は江戸っ子のいなせな男を代表する命がけの晴れ舞台だった。

  

 その左は、「筒先」の「尾上栄三郎」。浜松市佐久間町浦川の尾平峠になんと尾上栄三郎の墓がある。尾上栄三郎は、主に安政年間(1854~1859)に活躍したが、飯田で公演中に病で倒れた。浦川に蘭学の名医三輪見龍がいることを聞き、天竜川を下って辿り着いたが、病は全身を蝕んでおり、死を悟った栄三郎は、世話になった村人への恩返しに「仮名手本忠臣蔵 五段目 山崎街道の場」を演じ、その舞台の上でこと切れたという。安政5年(1858)4月、享年29歳だった。没後、村人は歌舞伎の魅力にとりつかれ、役者を呼んで歌舞伎を上演していたが、そのうち、自分たちで演じるようになり、地域住民による浦川歌舞伎が始まった。

 

 右側の「尾上菊之助」は「小頭」の法被も栄三郎と同じデザインの「釘抜つなぎ」。このデザインは多くの「九城を抜く」、つまり多くの城を攻略するたとえで立身出世をするとか、「苦を抜く」という江戸っ子らしい意味の法被で鳶職人に人気のデザイン。

 江戸の消防は武家には熱心だったが、町人地はおざなりだった。そこに大改革をしたのが暴れん坊将軍・徳川吉宗 というわけだ。その方針は、「町人による町人のための消防組織を設置する」というもの。それを受け、新たな消防組織づくりを実行したのは“大岡越前”こと大岡忠相(タダスケ)。1720年(享保5)、民間の「町火消」の誕生だ。だから、火事に悩む町人からはこの二人の人気は高まったわけだ。「め組」のロゴが圧倒するが、め組が有名になったのも奉行を巻き込んだ大喧嘩だった。

 

 

 

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山菜を食べ始めた

2024-04-10 23:09:08 | 食彩・山菜・きのこ

 裏山の麓に「コゴミ」が一気に伸び始めた。芽が出るのが昨年より一週間ほど遅れてはいたが、収穫はもう遅いぐらいだ。急いで収穫して即座に水洗いしてごみを取り40秒ほど塩を入れて湯がいていく。ゆですぎると食感のシャリシャリ感がうしなってしまう。いつもの通り、醤油マヨネーズでいただく。縄文時代の遺跡からもコゴミの化石が発掘されており、日本人の食材としても貴重な栄養源でもある。

   

 とにかく、一気に伸び始めるので3月下旬から注意していたので、なんとか間に合った。これが三日ほど遅れるともう時期を逃してしまう。第2次収穫は週末になりそうなので、また様子をしばしば見ておくことにする。今度は、ベーコンか和え物で食べてみようか、楽しみな春到来だ。

 

 そのコゴミの隣には、いつもの「わらび」の群生地がある。きょうだけでもバケツからはみ出すほどの収穫があった。わらびは次から次へと芽が出るので安定的な収穫を楽しめる。そこがコゴミと違う。ただし、アクがあるので灰を常備しておくことを忘れてはいけない。和宮様はすでに収穫を終えていて先週にはご相伴させていただいた。

   

 ずいぶん少なくなってきたが、「タラノメ」も順調に芽を出してきている。きょうが初めて収穫したが、裏山のタラノキが見当たらない。棘だらけですぐ背が高くなるのでぞんざいにしてしまった結果かもしれない。来週には第二次収穫となるはずだ。

  

 畑に定植している「ヤマウド」から新芽が出てきた。これだけでも天ぷらにしてもじゅうぶんおいしい。一昨年はやや乱獲したせいかあまり採れなかったが、今回は自粛したせいか、期待できそうだ。バタフライガーデンでのヤマウドの生育は日当たりが悪いせいかやや遅れているが、やっと新芽が出てきた段階だ。今月下旬には収穫できそうだ。わが家では、山菜とともに春を迎える。

         

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荒涼とした戦渦となった

2024-04-08 22:36:51 | できごと・事件

 一頭のオスジカの侵入は、和宮様のご令嬢夫妻が一日かけて構築された防獣網を数分のうちにほぼすべてを破壊した。網のスタート地点隣にあった桜の囲みも見事?になぎ倒した。ここにはなんども若芽や幼枝を食害されてきたが、囲いのおかげでようやく大きくなってきたばかりだった。さいわい、桜の木は折れてはいなかった。ただし、買って間もない花桃の若い枝が二か所だけ折れたのが最大の損傷だった。

 

 それにしても、シカのけん引力はイノシシと変わらないくらいのパワーだった。ふだんは、歩行がてら気ままに食害しているので、「まあしょうがないかー」くらいで済んでいたのだが、イノシシと変わらない戦跡を残していった。オスジカの剛毅な角が今回は網に絡まって仇となった。角のない雌だったらとっくに自由への逃走を実現できたであろうに。

 

 防獣の支柱はいかにも軟な代物だった。予算がないからつい安物買いに走ってしまったのも失敗だった。これからは金網を使っていかないとだめかもしれない。いなせなハンターも下は金網で上は網にする二重構造にするのがいいと助言してくれた。

   

 使用した鉄の支柱ポールもかなり折れ曲がってしまった。折れた支柱は、害獣からのものだけでなく突風・強風によって折れ曲がったものも少なくない。これでは、やや太い竹で代用してもじゅうぶん機能するのがわかった。手間はかかるがまわりの放置気味の竹林を活用すれば一石二鳥だ。問題はオラのからだがいつまでもつのかが課題ではあるが。

  

 シカが引っ張り込んだ網の残骸がまだ放置されたままだ。どうにも、片付ける気にはまだならない。春本番でやるべき野良仕事が山積しているからでもある。防獣柵の補修と構築は冬仕事としてやってきたので、目途がついたばかりだった。そして、いよいよ畝立てだ・種まきだといろいろな算段が脳神経をかけめぐっていたところだった。

  

 そういえば、角に網が絡みついたオスジカはいま、どこでどんな思いで生きているだろうか。まもなく狩猟期間が解禁になるという。すると、このオスジカはいかにも目立ってしまい狩猟のかっこうの対象となってしまう。願わくば山里に来ないで山奥での暮らしを模索してもらいたいと思うばかりだが。山奥ではガザ地区と同じで暮らしていけないかもしれない。

 

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